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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合の華道を進みましょう

作者: 真冬日

やましろ梅太先生が描いて下さった悪の華道シリーズのコミカライズの第1巻が発売しました。

このお話も漫画で収録されておりますので、ご興味おありでしたら是非お読み頂ければ嬉しいです!

紙の束を一枚一枚丁寧に読み込むセレスティーヌ。


「みんな元気そうね」


彼女が読んでいるのは先日の孤児院の子供達からのお礼の手紙である。

院長が交代し孤児院が正常に機能していることが、手紙のほのぼのとした内容から読み取れる。


「セレスティーヌ様…こちらはいかが致しましょう」


使用人が困惑気味に小さな箱を差し出す。

中身を覗き込み小さな笑いが込み上げる。

箱の中には乾いた泥と思われる砂のようなものがあった。

辛うじて残ったのであろう小さな泥の塊が幾つか箱に転がる。

手紙と共に荷馬車で運ばれたそれは、恐らく孤児院で見たピカピカの泥団子だったものだろう。


「ふふ、テトの仕業かしら」


孤児院の中で一番小さかった幼児の幼げな顔が浮かぶ。

まだ文字が書けないだろうあの子が、周囲の子供が止めるのも聞かず嬉しそうに箱に泥団子を入れる姿が容易に想像出来た。


「ただの泥ですよね。処分致しましょうか」

「ちょっと待って」


今にも庭に捨てに行きそうな使用人を止める。


「折角の贈り物よ。有効に使わせて貰うわ」


使用人は首を捻り問うような視線を投げるが、セレスティーヌは箱の中の泥の塊を摘み楽しげに微笑むだけだった。





※※※※※※


セレスティーヌは招待された夜会に今宵も夫と共に繰り出していた。

スラリと長い手脚に括れた腰、存在を大きく主張する形の良いバストにビスクドールのように完璧に配置された目鼻立ちは、男のみならず同性すらも魅入ってしまう。

相も変わらずその美貌は人々の注目を攫っていく。

そんなセレスティーヌの隣に堂々と並ぶのは、彼女の夫でありこの国の宰相。

霜の降り切った高級ワガママボディを重そうに引きずる中年男だ。

目眩しで敵を怯ませることが出来そうなハゲ頭と、背後を取られたらどんな攻撃を仕掛けられるか分かったものではない蛇のようなネットリとした底意地悪そうな目つきに、こちらも別の意味で周囲の人間の視線を欲しいままにする。

そんな異色の取り合わせである二人は立派な夫婦だったりする。

宰相が若い妻であるセレスティーヌに夢中であるのは一目瞭然であった。

だがセレスティーヌもまたそんな夫を見つめる瞳はうっとりしていた。


人々の視線を一心に集める二人。

互いに自慢のパートナーを見せびらかせるチャンスを大いに楽しんでもいるのだが、宰相夫妻にとっての夜会は仕事の側面も大いにある。

仕事相手と外交の話で盛り上がる宰相を残し、セレスティーヌも有力貴族の夫人と情報交換に勤しむ。


「ところでセレスティーヌ様、例の子爵家のご令嬢の話はご存知ですか?」


神妙な顔で声を潜める一人の夫人。

噂好きの彼女がこの反応をする時は、誰かの悪口を吹聴する合図である。


「いいえ。どちらの御息女のお話かしら?」

「ブルッス家のクララさんのお話ですわ。なんでも彼女、最近やたらとセレスティーヌ様の真似ばかりしていらっしゃるとか…」


深刻な顔で何を喋りだすかと思えば、今更な話に拍子抜けする。

この国のみならず他国にも名を轟かせる程の美貌のヒトであるセレスティーヌは、常に社交界の華でありインフルエンサーと言える。

当然憧れる人間も数多で、彼女を真似る者などその辺に掃いて捨てるほど存在するのだ。


「よろしいのではなくて? 私は気にしませんわ」

「いえそれが…少々度が過ぎていると申しますか……」


どこから切り出そうかと言った様子で思案げな夫人に首を傾げる。

周囲の女性達も興味深々で夫人に注目している。

これは何かありそうだと問いかけようと口を開きかけた時、少し離れた所から楽しげな声が響いた。


「すごーい!」

「そのドレス本当に素敵です。シックで品があるわ」

「もしかしてその髪飾りってゴクラクチョウの羽根かしら? 綺麗ねぇ」

「その靴ってルブガモの新作でなくって? 憧れますわぁ」


デビューしたての未婚の少女達が集まりキャイキャイと騒いでいる。

その中心には一際豪華に着飾った少女が居た。

彼女がブルッス家の令嬢だろう。


「あのように大声ではしたない…若い娘はこれだから…」


そう呟いた夫人の眉間にシワが寄る。

年齢で言えばセレスティーヌも彼女達とそう変わらないが、若くして宰相に嫁いだセレスティーヌは社交界でも重鎮やその夫人との付き合いが主になってしまう。

ご夫人方には不評のようだが、楽しげにはしゃぐ少女達を少しだけ羨ましく感じなくもない。


「ほらあれよ、あの方がクララさん」

「あらいやだわ。あの方前回のセレスティーヌ様の装いをまた模写しておりますわ」

「本当だわ! 一体何を考えているのかしら?」


セレスティーヌを囲う女性陣から一斉に非難の声が上がる。

少女をよくよく観察してみるととあることに気付いた。

濃い紫のタイトなマーメイドタイプのドレス。

大きく開いた胸元と大胆なカットのスリットが印象的だ。

頭の髪飾りから靴に至るまで、全て前回セレスティーヌが夜会で披露した格好そっくりだ。


「本当そっくりね」


あまりに似ているその装いに感心して目を丸くする。


「そうなの、あの方前回も前々回もその前もセレスティーヌ様を真似た格好で夜会に参加してらしたのよ」

「一体全体なんのつもりなのかしら?」


憤慨している夫人達を尻目にセレスティーヌは更に驚いた。


「いやだわ、そんなにご一緒してたのに私ったら全然その方を知らないわ」


ブルッス家の当主の顔ならば辛うじて認知しているが、その娘というと全く覚えていない。


「仕方ありません。あの方はセレスティーヌ様がお気に掛けるような身分ではないですものね」

「ブルッス家といえば前当主様が元老院の議員でしたわね。でも鬼籍に入られて随分経ちますし、現当主様はあまり華やかなお話は聞きませんわよねぇ」

「そのご令嬢ですもの。ああでもしなくては目立てないからと必死ですわね」


かの令嬢クララの悪口大会が開かれる中、セレスティーヌは彼女をチラリとだけ見てもう既に興味を失った。


「皆様、私の為に怒って下さりありがとうございます。でも私、あまり興味ございませんの。ファッションは個人の自由ですわ」

「流石セレスティーヌ様! お心が広い!」

「やはりホンモノは違いますわねぇ」


何を語っても持ち上げる周囲の言葉を聞き流しながら、一人の夫人に語りかける。


「それよりもエリザベッタ様のこの前のお話の続きを聞きたくってよ」

「まぁ! 私のつまらない話なんて恐れ多いわ! ただの主人の愚痴ですもの」


セレスティーヌに指名された夫人は謙遜しつつも嬉しげだ。


「その後はいかが? やはりイビキは酷いのかしら?」

「ええ、それはもう! お陰で毎日寝不足で」

「実は私の旦那様もイビキが凄かったの」


セレスティーヌの言葉に周囲は内心であの体型であれば当然だろうと頷く。


「イビキが始まったら旦那様に抱きついてみてはどうかしら? 我が家はそれで大分改善されたのよ」

「抱きつく、ですか?」

「ええ。甘えるように抱きつくの。すると旦那様も仰向けで寝ていた体勢を横向きに変えて抱きしめ返してくださるの。気道も確保出来るし愛も深まるしで良いこと尽くめですわ」


周囲を置いて照れくさそうに頬を染め一人でテンションを上げるセレスティーヌ。


「お、おほほ、でもほら、私の場合は主人の加齢臭が気になって抱きついて眠るなんてとてもとても」


なんとも微妙になってしまった空気を誤魔化すように夫を貶す。

彼女なりの謙遜のようだが、セレスティーヌはその言葉に大きく反応を示す。


「その気持ち良く分かるわ! そうよね、あの芳しい匂いにドキドキして落ち着いて眠るなんて出来ないわよね」

「え?」

「私もあの加齢臭が大好きなの。なんて言うか年齢を重ねた殿方だけが発する事の出来る漢の証と申しますか。私の旦那様もそれは素敵な加齢臭で、そのダンディフェロモンに女性達が惹きつけられてしまわないかハラハラして、寧ろ加齢臭を抑えて頂くよう文句を言ってしまうわ」


はぁと官能的なため息を吐くセレスティーヌとは対照的に周囲の女性達はそれはもうドン引きだ。

先程までのセレスティーヌを真似るクララの話題など吹っ飛ぶほどの強烈さである。



一人楽しげに盛り上がるセレスティーヌを見つめて悔しげに歯を喰いしばる少女クララ。

セレスティーヌはこちらなど見てもいない。

それに苛立ちを抑えきれない彼女は、大きく声を張り上げる。


「あーあ! どなたかのせいで今回も私のコーディネートが霞んでしまいましたわ!」

「クララ様、どなたかのせいと言いますと?」

「私がずっと前から夜会で披露しようと決めていたこのコーデをどこからか聞き出して先にご自身のセンスと偽った方がおりますのよ」

「まぁ! それって…」


クララが声を張り上げた為、周りの少女のみならず多くの参加者の注目を集める。


「大方お得意のお金の力を使って我が家の使用人を誑かして情報を仕入れたに違いありませんわ」

「まぁ!」


セレスティーヌの方が自分を真似ている主張するクララ。

その突拍子もない発言に周囲は騒然となった。


「セ、セレスティーヌ様っ、あの娘っ、あのような無礼なことをっ!」


わななく夫人の言葉にセレスティーヌの周りに居る女性陣は彼女に一斉に詰め寄る。


「セレスティーヌ様を侮辱しているとしか思えませんわっ!」

「セレスティーヌ様があの小娘を真似るなんてあり得ません!」

「セレスティーヌ様っ、是非私達と共に抗議に参りましょう!」


セレスティーヌ様セレスティーヌ様と詰め寄る女性達に当の彼女は首を傾げる。


「皆様落ち着いて。どちらが先なんてどうでもいいじゃない。ファッションなんて自分に似合ったものを好きに身に着ければよろしいのですわ」


名指しで言われなき謗りをされたというのに、そのあまりの落ち着きぶりに周囲も毒気を抜かれる。


「それより加齢臭についてなのですが」


みんなの興味はとっくに移ったというのに一人加齢臭語りがまだまだ熱いセレスティーヌ。


「やはり匂いを抑えるには食事と程よい運動が一番! 特に柑橘類の摂取と半身浴がおすすめですわ」

「は、はぁ」

「でも匂いが薄まり過ぎるのも寂しいわよね。旦那様が出張の際は敢えて枕カバーの交換をさせず、寂しい時に枕を抱き締めるのです。その時の匂いが薄いと切なくって…」

「は、はぁ」

「加齢臭の染み込んだ枕って本当にそこに本人が居るかのような圧倒的存在感なのです。ギュッとするとまるで旦那様の腕の中のような安心感が——やだ、私ったら恥ずかしいことを口走ってしまったわ。だ、旦那様には内緒ですわよ? 留守中に夫の枕を抱き締めて寂しさを紛らわしてる妻なんて格好悪いもの」


赤く染まった頬と恥ずかしさに潤む猫目。

遠目からセレスティーヌを伺っていた男性陣に動揺が走る。

クララが爆撃を落とした会場はセレスティーヌの可愛らしくも官能的な表情と加齢臭に簡単に持っていかれてしまった。


誰もかれもが最早セレスティーヌにしか注目していない。

当然セレスティーヌはこちらを一向に気にはしない。

その事実に腹ワタが煮えくり返るクララはこうなればヤケとばかりに行動を起こした。

ワインを片手に料理の並ぶスペースに歩みを進める。

油で揚げられた鶏肉や芋が並んだ皿の前で何故だかコソコソとしているずんぐりむっくりした背中へそのまま突っ込んだ。


「キャッ!」

「うおっ!」


狙い通りワインが宰相の服へと染み込む。


「ああっ、申し訳ございませんっ宰相様!」

「…む」


ハンカチで宰相に掛かったワインを拭き取る、と見せかけてでっぷりと突き出した腹をさわさわと妖しげな手つきで触る。


「私ったら宰相様になんという粗相を…本当に申し訳ございません」


ウルウルと涙を溜めた上目遣いを宰相に仕掛ける。

セレスティーヌとの婚姻前、宰相は酷く女癖が悪かったと聞く。

それも若い娘が大好物という話だ。

ならばセレスティーヌよりも少しだけ若いクララが迫ればこのハゲデブ親父も簡単に落ちる筈である。


「宜しければ二人きりになれる場所でじっくりお詫びをしたいのですが…」


このように醜い中年男となど考えただけで吐き気がするが、それもこれも全てはセレスティーヌに見せつける為である。

ピタリと身体をくっつけ頭を肩に乗せる。

チラリとセレスティーヌの方を見れば、こちらをじっと伺っていた。

周りの人間も皆、こちらの動向に釘付けだ。

クララに歓喜の感情が湧き上がる。


「離せ…」

「え?」


声の方を見上げ、固まる。

そこにはあまりにも冷めた目でクララを見下ろす宰相がいた。

思わぬ殺気に勢いよく後ろに飛び退いてしまう。


「ワインを掛けられたかと思えば馴れ馴れしく触れて来おって…」


まるで同じ人間を見つめているとは思えない虫ケラを見るような冷たい視線。


「まったく、どのように躾ければお前のような不躾な娘になるのだ? 一体どこの娘だ。正式に抗議文をお前の家に送る、名を言え」


宰相がいかに冷酷か等、この国の貴族ならば子供でも知っている。

しかしクララには勝機があった。

彼女の容姿はとても愛らしいからだ。

若い娘が好きな男ならばセレスティーヌのようなキツそうな女より自分のような可愛らしい見た目の者の方がウケがいい筈である。

だが、結果として宰相の逆鱗に触れてしまった。


「お前の父親が今の爵位でいられるとは思わぬことだな」


終わった。

宰相に目をつけられたとなれば、今後社交界に出席することは叶わない。

憎きセレスティーヌをギャフンと言わせる事だってもう永遠に出来ない。



「お待ち下さい旦那様」


誰もがクララの没落を予想し悲壮な空気が漂う中、セレスティーヌの凛とした声が割って入った。


「セレスティーヌ様だ」

「まさか宰相様をお止めしようとされているのかしら?」

「あれ程敵視してきた娘の為に?」

「なんと素晴らしい!」

「流石はセレスティーヌ様、まるで天使ではないか!」


セレスティーヌの乱入に俄然会場は盛り上がり、彼女を褒め称える人々の声が一斉に上がる。

そんな周囲の中を颯爽と抜けて宰相とクララの前に立つ。

そして宰相への恐怖に蒼ざめる彼女にまさに天使と見紛うほどの優しげな笑顔を向けると、オーディエンスのセレスティーヌへの好感度はストップ高を記録し盛り上がる。

そして、次の瞬間


————パシャッ


右手に持っていた赤ワインをクララの顔に向けて豪快に引っ掛けてしまったではないか。


「「「……え?」」」


あまりに予想外の行動にワインを掛けられたクララは勿論、様子を伺っていた周囲の人間も宰相さえも茫然とした。


「ワインを掛けただけならいざ知らず、よくも私の前で旦那様にあのようにベタベタとセクハラしてくれたわね」

「セクハラ!?」


最早怒り心頭を隠さずにクララへ詰め寄るセレスティーヌ。


「あれをセクハラと言わずしてなんと言うのです! セクハラに男女の違いはないのよ!」


え、そこ?と周囲は内心で一斉に同じようなツッコミを入れた。


「旦那様大丈夫ですか? セレスティーヌが来たからもう怖くはありませんよ」


クララへのキツイ口調から一変、労わるような柔らかな声色で宰相に語りかける。


「セ、セレスや。ワシはいいオッサンだ。若い娘に触られても怖くはないぞ」

「何を仰いますか。抵抗しようと少しでも触れれば逆にセクハラだと騒がれそうな局面ではされるがままで居るしかないではないですか。あのままいけば手籠にされてたかもしれないのですよ!」

「手籠って、生娘でもあるまいし…」


嫁の斜め上な暴走に困り果てたような宰相の呟きに周囲は大いに同調する。


「私にとっては似たようなものです!」


セレスティーヌの叫びに周囲は大いに否定する。

生娘とオッサンは寧ろ対極の存在である。


「ところで旦那様、この場所にはカロリーの高い料理しかないようですが、此処に何か御用でもございますの?」

「あ、いや、たまたま通りかかっただけだ」

「そうですよね、ふふふ」


仲の良さそうな夫婦の会話が始まり場が緩む中、クララはセレスティーヌをきつく睨みつける。


「何よ、白々しい演技して!どうせそのドレスや宝飾品だって色仕掛けで買わせたもののクセに! 」


クララはしぶとくセレスティーヌに噛み付くが、最早勝負は明らかについていた。


「…ぷっ」

「…くすっ」


会場のあちこちから失笑が漏れる。

その中にはクララを取り巻いて騒いでいた令嬢達のものもあった。


「クララ様のあの髪飾りの羽根って絶対ゴクラクチョウではなく烏の羽根を染めた物よねぇ」

「バストもヒップもくびれもないあの体型で良くあのドレスを着たものだわ。私なら恥ずかしくて出来ないわ」

「靴だって所詮既製品じゃない、セレスティーヌ様が既製品を身に着けるわけないのに」

「そもそも気品や色気も段違いなことに気付かず、セレスティーヌ様に張り合うなんて愚かよねぇ」


令嬢達の口から次々とクララへのダメ出しが飛び出す。

クララは完全に勢いを削がれ羞恥に顔を染めて俯いてしまった。

セレスティーヌは楽しげにクララの悪口を語る令嬢達をチラリと見てからクララへと視線を向ける。


「旦那様へのセクハラから、貴女を泥棒猫と認識したわ。私は泥棒猫とは徹底的に闘うと決めているの」

「………」

「でもワインの件は私もやり過ぎたわ、ごめんなさい」


ハンカチを取り出してまだワインに濡れるクララの顔をそっと拭う。


「ドレスも濡れたわね。お詫びに代わりのドレスを贈るわ。貴女には紫よりもパステルカラーでエンパイアラインのドレスがいいのではないかしら?」

「…でも、そんなのセレスティーヌ様は着ません」


拗ねたように呟かれたクララの言葉にセレスティーヌは苦笑する。


「私だってフワフワのドレスも着たいのよ? でも似合わないの。だから着ないだけ」

「セレスは何を着ても愛らしいぞ」


途中で話に割り込み鼻息荒く訴える宰相の言葉に嬉しげなセレスティーヌ。


「ええ、確かに私は美しいもの。なんだって似合ってしまいます。でもそれだけでは駄目なの。自分を最も美しく見せる物を常に身に纏って、いつでも旦那様に最高に美しいセレスティーヌの姿を見て頂きたいの」

「おお、セレスや。ワシの為にそこまでっ」

「そこでご相談なのですが、気になる宝石があるの。でも粒のサイズが気に入らなくて。もう鉱山ごと買っていいかしら?あの宝石があれば私はより一層美しい姿を旦那様に披露できるわ」


規格外の贅沢に耳を疑う周囲を他所に宰相は満足そうに頷く。


「山など幾らでも買いなさい。喜ぶセレスティーヌが見れるならば金は惜しまないよ」

「嬉しいわ、大好きよ旦那様」


クララが触れた宰相の腹あたりに手を当て肉の乗った頬にそっと口付けるセレスティーヌ。

そしてゆっくりとクララへと向き直る。


「確かに私は色仕掛けで旦那様に物をおねだりしているかもしれないわ。でも私の愛する旦那様の器は大きいの。そんな事を一々気にする男ではなくってよ」


そう言って誇らしげに笑うセレスティーヌは誰よりも美しい。


「私はっ! 私は貴女になりたいのっ! 貴女のように誰の目も惹きつける華を持ちたいの!」


何故そこまでセレスティーヌに拘るのかは不明だが、クララが必死なのは伝わった。


「貴女には貴女の良さがあるわ。華とは己の魅力を磨いてこそ身につくもの。こんなに無理して手に入るものではないのよ」


思春期特有の安定していない肌に容赦なく白粉を塗りたくられて荒れてしまっている肌にそっと指を這わす。

クララが怯むのも気にせずにそのまま優しく頬を一撫でする。

そして小さなクリスタルの小瓶を取り出し彼女に手渡した。


「…これは?」

「この瓶の中身は泥よ。毎晩化粧を落とした後にこれを塗り込みなさい」

「はぁ!? 私の顔に泥を塗れというの!?」


クララは憤慨するが、セレスティーヌは抑揚に頷いて見せる。


「この泥はとある極秘ルートから手に入れた特別なモノよ。これでパックすれば余分な皮脂を取り除き潤いを与え、理想の肌を手に入れることが出来るわ」


会場の女性陣の目が一斉にセレスティーヌの肌に行く。

彼女は目鼻立ちが派手なので一見するとメイクが濃い印象を受けがちだが、意外にも若さを生かしたナチュラルメイクで肌にも最低限のモノしか塗っていない。

それにもかかわらずその肌は瑞々しく張りがあり艶やかで、まさに女性の理想の肌がそこにある。

セレスティーヌの美の秘密が暴かれたと女性陣が色めき立つのも無理はない。


「ワインのお詫びに特別に一つお譲りするわ。これで貴女も自分の魅力を引き出してみては如何かしら。艶々のお肌になるわよ(※ただし個人の感想であり効果・効能を示すものではありません)」

「これを私に…」


小瓶を受け取り茫然とするクララの耳には、早口の小声で呟かれたセレスティーヌの語尾は届いていない。

当然二人にじわじわとにじり寄る女性陣も然りである。

そのうち、立ち尽くすクララを押し除けセレスティーヌに数多くの女性が詰め寄った。


「セレスティーヌ様っ、その泥、私にもお譲り下さいませんか!?」

「ずるいわ! 私もっ、私も欲しいです!」

「あら私の方がセレスティーヌ様と懇意にしてますのよ? 私に優先権があるわ!」


完全に興奮している女性達にセレスティーヌは申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめんなさい。これはあくまで特別なモノであまり数がないの」

「そんなっ!」

「でも皆様には日頃からとても良くして頂いていますし、そうねぇ…今回は人数限定でお譲りするわ。初回はたった銅貨一枚でよろしくてよ(次回からは自動定期購入となり一月金貨三十枚となりますのでご了承下さい)」


セレスティーヌの言葉に我先にと群がる女性達の耳には当然語尾の超絶小声早口の注意事項は届いていなかった。

人の波に押し出され輪から外れたクララは、輪の中心でアルカイックスマイルを発動しているセレスティーヌをぼんやりと見つめ続けた。






夜会から一月程が経ったよく晴れたある日、宰相家の屋敷の庭で優雅にお茶をするセレスティーヌとクララの姿があった。

セレスティーヌのアドバイス通り、自分の愛らしさを生かした服装に変えたクララ。


「その格好、とても愛らしくて素敵よクララ」

「あ、ありがとうございますセレスティーヌ様…」


褒められ恥ずかしげに俯くクララを微笑ましく見守るセレスティーヌの胸には念願の大きな宝石のブローチが飾られている。

おねだりした鉱山から採掘されたものである。


クララは優雅にお茶を飲むセレスティーヌをこっそりと見つめて溜息を吐く。

思い出されるのはあの時の夜会でのワイン掛けられた屈辱感とあの時の怒りの眼差し。

そして頬に手を這わされた時の背徳感だ。背筋にぞくりと快感にも似たものが走る。

社交界の顔であった祖父の影に完全に隠れてしまった両親に、幼い頃より常に社交界の華となれと言われ続けたクララ。

その理想形と言えるセレスティーヌに抱えた嫉妬やら羨望やらを思い切りぶつけた結果はあの通り無様なものだった。

だがそのお陰できちんと自身を見つめ直し、こうしてセレスティーヌとお茶まで出来るようになったのだから災い転じて福となすと言ったところである。


「そうだ、セレスティーヌ様。私の友人達があの泥パックをどうしても手に入れたいと切望しておりますの。お譲り頂けないでしょうか?」

「友人というとあの時の夜会で一緒だった?」

「はい、彼女達です」


セレスティーヌの脳内に夜会でクララを見下していた少女達の顔が浮かぶ。


「ええ、いいわよ。あれは特別なモノですが貴女のご友人になら喜んで月額金貨四十枚、二年縛り定期購入でお譲りするわ」


泥は宰相と慰問に訪れたあの孤児院近くの湖から採取されたものだ。

セレスティーヌの記憶がある前世に比べてまだまだ科学の発展していないこの世界では大気汚染で酸性の雨が降ることもない。

正直どこの土壌だろうがミネラルをたっぷり含んだ大変優秀なものであるのは変わりないだろうだが、何せ可愛い孤児院の子供達が泥を天日干ししてせっせと箱詰めして送ってきた“特別な”泥なのだ。

貴重なモノで間違いなかった。

今回の泥パックの販売はセレスティーヌがせがんだ鉱山代の一部にも充てられたし、子供達の良いお小遣い稼ぎにもなった。

気まぐれで思い付いたにしては上々の出来である。


「ところでセレスティーヌ様。本当のところセレスティーヌ様の美貌の秘訣はなんなのですか?」


クララの問いかけにカップを置いたセレスティーヌは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「実は美容に関して特別なことなんて何もしていないわ。でもそうね、強いていうならやはり恋、かしら?」

「恋ですか…」

「前にも言ったけど愛おしい人には常に美しい可愛いと思われたいものよ。恋することで常に己を磨くことを意識して自然と美しくなるものよ」


セレスティーヌの言葉をゆっくり咀嚼するように考え込むクララ。

そんな彼女を見てふと気づく。


「服装もだけど、貴女なんだか以前と雰囲気が変わったのではなくって? もしかして恋を見つけたのかしら?」


セレスティーヌの純粋な疑問に、クララは含みを持たせた笑みを浮かべる。


「ええ。それはもう素敵な恋を見つけました」

「まぁ良かったわね。是非応援するわ。お相手はどのような方かしら」

「そうですね…とても華やかでいつも輝いている魅力的な方です。でもきっと一筋縄ではいかないヒトです」


そう言って頬を赤らめ明るい笑顔を見せるクララ。

憧れが振り切れた少女の想いは別方向へと進む。

どのような結末を迎えるのか全くの未知であるが、それでもこの想いを大切にしていこうと決めた。

彼女は百合の華道への一歩一歩をゆっくりと踏みしめ進み始めたのであった。



end

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― 新着の感想 ―
[良い点] 凄くいい [一言] 正直、私は百合が苦手です。ですが、この話はそういったことに嫌悪感を抱くことなく読み進められました。それは性の垣根を超えるだけの素晴らしい内容だったからなのだと思います。…
[一言] 本買いましたょー(*´∇`*)♪ ココに掲載されてる以外のお話もあって♪面白かったです♪
[一言] あー面白かったw( *´艸`)♪ 《悪の華道シリーズ》の大ファンです♪ コミックゎ見付けましたが…小説にゎ成ってナイ?のでしょうか? 次々と周囲を魅了するセレスにメロメロです(笑) 前…
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