第五十九話「騎士たる者の在り方」
先に仕掛けたのはヴォイドだった。
漆黒のコートの内部に複数仕込まれたクナイや手裏剣を『魔力糸』でコートの袖から即座に手元へと移動させ、目にも止まらぬ速さでニコラウス目掛けて投擲する。
その刃先には言うまでもなく通常の手段では解毒不可能な毒の類が塗られており、遅効性と即効性の二種類の神経毒がランダムで塗られているため、一度でも暗器による攻撃を喰らえばその時点でほぼ負けが確定するというのが、ヴォイドの扱う「毒」の特徴である。
しかし当然、この程度では目の前の騎士を相手にかすり傷さえ付けることは叶わない。ニコラウスがその槍を一度、軽く旋回させただけで全ての投擲された暗器は火花を散らして夜の闇へと姿を消す。
だがこちらも当然のごとく、既に動いている。以前の戦闘で既に目の前の老騎士が扱う槍の射程や装備の能力など、基本的なスペックは全て頭の中に入っている。
ならば後はそれを元に脳内でシュミレートされた、無理のない範囲でほぼ全ての手札に対応出来る中庸の動きをシュミレート通りになぞるだけ。
そうすればほら、この通り。
殺すには十分過ぎる程に速度と威力を兼ね備えたニコラウスの本気の槍ですら、ヴォイドを捉えるには至らない。
しかし相手も技量は達人以上、槍の次弾装填速度は通常の比ではない。故にニコラウスの放った二撃目を紙一重で躱したところで、ヴォイドは回避ではなく迎撃する為にミスリルソードを抜いた。以前のように魔力は浸透させず、白銀の煌めきを放つその刀身で続く三撃目、四撃目を流れるように撃ち落とす。
本気の老騎士相手では、躱すだけでは槍の攻撃速度に身体の動きが追い付かない。だからその攻撃を「躱す」のではなく「叩き落とす」ことで、意図的にその回転数を落とし、その僅かな隙に剣の間合いへとニコラウスを捉えるため、ヴォイドは火花舞う槍撃の雨の中を少しずつ歩む。
しかし対するニコラウスもまた、歴戦の猛者である。そんなヴォイドの一連の行動を見て取って、その狙いが見えた次の瞬間には既に、ヴォイドを崩すための槍捌きへと型を切り替え、ヴォイドを追い詰めにかかる。
「ぬん!!」
ニコラウスの槍の「型」が切り替わる瞬間を目にしたヴォイドが抱いた、「まさに変幻自在」という一言。
それは一瞬の攻防ではあったが、それでも刹那の時に繰り出された形はそのどれもがどこか「竜」を連想させた。
とはいえ見とれている暇など早々ないため、ヴォイドはその全てをミスリルソードで完璧に捌いてみせた。常に五感から得られる膨大な「情報」と、その情報から導き出される複数の「思考」を処理する脳の演算機能は未だ衰えることはなく、噴き出す気配はその鋭さと冷たさを増してゆく。
老騎士へと向けて「もっと見せてくれ」と言わんばかりに高まるその戦意とは裏腹に、凍える冷たさを宿すその剣は、矛盾した在り方を根底に抱える存在であるヴォイド自身を映す鏡の様でもあった。
そして、ニコラウスが放った何度目かの崩しの一撃を早くもヴォイドが完璧に見切り、その上で続く二撃目を紙一重で躱し、少し大きく後方へと退いた後、落ち着く暇など与えぬ為に再度、突貫する。
二度目の激突。今度もニコラウスへとヴォイドが距離を詰める形で、勝負が開始する。
先程よりも明らかに、槍が迫るスピードを上げたニコラウスの渾身の突きがヴォイドの心臓を捉える―――ことはなく、地面を這うようにして体制を下げることで槍を回避したヴォイドによる斬り上げによって、槍の刃先が上空へと打ち上げられる。
そのおかげでガラ空きになったニコラウスの胸部へと、ヴォイドは剣を滑らせる。
しかし、突き技主体の戦型にとって最大の欠陥は突いた後の僅かな隙。それを彼らは狙わせぬため、そして同時に次弾装填のため、突き技は突くことよりも「引手」の方が重要であるとされる。
故に、やはり捉えられない。いつの間に引き戻したのやら、先程まで頭上付近にあったはずの刃の部分がヴォイドの剣とぶつかり合い、僅かな衝撃と火花を生み出す。
(流石の『技量』、としか言えんな。この速度でもまだ傷一つ負わせられないか。あの時は殆ど力をセーブしてやがったな、このジジイ。斬魔刀の性能もあったんだろうが、それでもあの時と今じゃ力量差が別人クラスじゃねぇか)
内心でニコラウスへと悪態をつきながら、それでもヴォイドは止まらない。殺気の篭った槍を迫るたびに弾き、去なし、そして叩き落とす。
とはいえ相対するニコラウスも決して、手を抜いている訳ではない。彼はヴォイドと正面から打ち合う時は必ず、ヴォイドにまだ見せていない型を切る。だがそれでも、状況は未だ五分。
競り負ける事もなければ、競り勝つ事もない。文字通り「一進一退」の状態が続く。
「お互いにあまり時間は掛けたくないだろうけど、なッ!!」
「ふんッ!!!」
一際大きな衝撃音を残し、二人は最初に保っていた間合いまで押し戻される。しかし両者が彼我の距離を詰めることはない。
何故なら二人共が同じように、決着をつける為の準備に入ったから。
老騎士はその振るう槍の「型」を『奥義』と呼ばれるモノへと変化させ、腰を落としてどっしりと前傾の姿勢で槍を構える。
対して、黒衣の青年は少し前にイリスとの模擬戦の際に見せた『魔力剣』と呼ばれる技法を使い、ミスリルソード全体へと猛り狂う闇の奔流を流し込む。漆黒へと染まるその様子はまさに、『侵食』されるが如し。
そしてヴォイドは剣を構える。その構えは「霞の構え」と呼ばれるモノとどこか似ていながらも、より機能性を追い求めた末に辿り着いたものだと確信出来る何かがあった。
「霞の構え」とどこか似ているのは、今の構えの元となった為の名残でもある。
そして【葬槍の老騎士】ニコラウス・ジークヴァルトはその身に秘めたる猛々しく、荒れ狂う激流を思わせる凄まじい闘気をその全身から立ち昇らせ、まるで鎧を纏う騎士の如く闘気を空気中で装甲の様に変形、固定し、その槍をも強化する。
天高く飛翔せし最強種でありながら、今は亡き相棒でもある彼の事をその心に思い描き、その槍は、その闘気は、眼前の闇を祓う為に顕現する。背後に顕れたるは、飛竜の幻影。
隻眼の赤黒いその眼は正しくヴォイドを射貫き、歴戦を漂わせるその両翼を大きく広げ、咆哮する。
顕現するは震天動地の気配の奔流。それは正しく、戦場の王たる者が持つ他者を無意識のうちに深淵へと引きずり込む引力であり、「格」という名の圧力。
そして飛竜の王が放ったその咆哮。弱い者であればそれだけで戦意をへし折るだけの濃密な殺気が込められた咆哮がまるで開始の合図だったのかとでも言うように、ニコラウスはヴォイドへと死力を尽くした突貫を開始した。
それと同時に、本人の意思に関係なく『スキル』によって強制的に引き伸ばされる、ヴォイドの体感時間。まるでスイッチが自動で入れられたがごとく、その身体機能は上昇する。
どれだけ些細なミスも許されぬレベルの、もはや机上の空論に近い理論値として弾き出されたその回答の構えは、「失敗などするはずがない」というヴォイドの絶対の自信により導き出されたモノ。
やることはシンプル。文字通り敵の攻撃を逸らしてその隙にこちらの攻撃を打ち込む、ただそれだけ。
しかしその方法は、今の老騎士ニコラウスを相手にして行うのは自殺行為に等しい。元々飛び抜けていた速度と威力がさっきまでの何倍にまで膨れ上がっている。故に受け流す瞬間にその加減を違えれば、ニコラウスの一撃は間違いなく致命傷となる。
しかし、ヴォイドはその他諸々のリスクを全て承知した上で、この勝負を受けた。
『体内世界』で誰に見られる事もなく、誰に理解される事もない、『分身』まで使用して一度に有り得ないほどの「経験」を積み上げる、脳と肉体への負担が凄まじい過酷な鍛錬。スキルで常に肉体を強化していなければ、いや、今では肉体強化をしていたとて、それでも多量の血反吐を撒き散らしながら過ごさねばならぬ様な環境に、ヴォイドは身を置いている。
そんな文字通り「死」と隣り合わせの環境で、常に「記憶」や「記録」を使用しての追体験やシュミレーションを行っているヴォイドにとって、この一撃はあまりに温い。
逸らせて一撃入れればいいだけ。そんなもの、今のヴォイドにとっては眠っていても出来る様な芸当。
故に――――
「噛み砕けッ!!『飛竜ノ型 奥義 “突竜の牙”』ォォオオオオ!!!!!」
放たれて迫り来る竜の顎をヴォイドは見据えて、肺の中の空気を静かに吐き出す。
その瞬間を目にしていたニコラウスは、吐き出されたヴォイドの息が冬の季節に吐き出された時のように、白いモヤの様なモノとして見えたという。
そしてヴォイドは己の間合いへと槍が到達した瞬間、動き出す。
「解き放て――――」
ヴォイドの口にした、ごく短い「詠唱」。それは『創刀』を打ち出す際の前口上であり、同時に「錠を解く」ための言霊でもあった。ミスリルソードという名の檻に閉じ込められた、暗き闇の濁流。その封が解かれ、それと同時にヴォイドの肉体は、嫌という程に染み付いた一つの動作を行う。
それは、『必殺』の上書き。
ヴォイド自身が最も得意とし、尚且つ使用頻度の多い無意識下の行動を反映した、「殺すこと」への効率や機能を追求した末に辿り着く『あらゆる力の流れの操作』。
故に捉えるは、いつもの通り刹那の「後の先」。
この場に出揃うあらゆる情報を以て導き出された最適解であるカウンターを成すための動きを今、ヴォイドは思い描く通りに一歩ずつ複写、反映、昇華する。
「『創刀之陸 “黒尽滅忌”』」
お互いの武器の刃が衝突した瞬間、押し留められていたヴォイドの闇が膨れ上がり溢れ出し、少し、ほんの少しだけ、ニコラウスの攻撃の軌道を逸らす。
しかしそれではまだ、目の前の老騎士は止まらない。
故に、この肉体に元々備えられていた『人外の腕力』と一から積み上げた「努力」という名の『技巧』を使用し、その上で自らで縛っている『能力』の使用出来る内の一部も惜しみなく使った。
そして――――
「それがお前の本性か。随分とまた醜いなァ。それではまるで、ただの獣じゃないか。なァ、そうだろう?【聖騎士】ニコラウス・ジークヴァルト卿」
ヴォイドのそんな問い掛けの先に居るのは、人の形をした獣。「騎士」と呼ばれる者達が最も忌避する存在だ。『技』も「誉れ」もない、血を追い求めるだけの穢らわしき、忌まわしき下賎な存在。
それがニコラウス・ジークヴァルトという男が【騎士】という外面で必死に覆い隠していた本当の貌であり、どうしようもなく生まれ持ってしまった特性でもあった。
うつ伏せに倒れ込むニコラウスの首筋に当てられる、白銀のミスリルソードの剣身。降り注ぐ月光を反射するその刃には同じように、口からは涎を垂らし、血走った眼をヴォイドへと向ける、顔を歪めた一匹の獣の姿が映し出されていた。
少なからず「神」やその御使いである「天使」から祝福を受けている【聖騎士】の位を持ちながら、その本性が誰よりも血に飢えている獣であったなど、一体誰が想像できようか。
だが現に、ヴォイドはそれをある程度見抜いていた。しかしその事をこんなにも短期間で見抜き、その上でこうして完全に本性を暴けたのには理由がある。
それが、ヴォイドがニコラウスへと放った剣技の『黒尽滅忌』の効果に由来するものだ。
『創刀之陸 “黒尽滅忌”』は「対善性特攻」を持つ、ヴォイドの剣技の中でも少し特殊な部類の剣技だ。
技の名の通り「使用者にとって忌まわしきモノの尽くを黒く暗く深い闇にて染め上げ滅する」という思念の様なモノが込められた闇の魔力により、黒く染め上げられた刀身にて放たれる『常夜の剣技』。その闇に触れた者は例外なく、ヴォイドの闇の魔力により「肉体」と「精神」のどちらか、またはその両方を侵食され、その在り方を崩壊させられる。というものだ。
そしてその剣技が今回捉えたのが、ニコラウスの外面を固めていた「騎士としての在り方」そのものだった。故にニコラウスのその身体には大きな外傷はなく、代わりにその精神がヴォイドの剣技により丸裸にされてしまったのだ。
だからこそ、今この瞬間にヴォイドは改めて倒れ伏す獣に教え込む。「上下関係」という名の“絶対的な差”というものを。
「どうだ?心の奥底まで覗き込まれた気分は。最悪だろう、目を逸らしたいだろう。まともに思考も働かぬ程に。後付けのその理性も、今は欠片ほどしかあるまい」
そうして徐々に、以前にあった時の様にまた少しずつ、ヴォイドの口調が、纏う雰囲気が、変わってゆく。
王たる者が持つべき全てを備えた、“本物”へと。
しかしフードに隠れたその表情は、心底この状況を楽しんでいるような「嘲笑」が張り付いている。
「故にその記憶、我が書き換えてやろう。思うがままに、成すがままに。身も心も我に委ねるが良い、血を求めし【渇望の獣】よ。さすればその在り方、未だ健在となろう」
どこか安心する声色で静かに獣に告げられる、勝敗の結果。
「負けた貴様に選択肢などない」とでも言うように、ヴォイドは問答無用でニコラウスの意識を奪う。
「今はゆるりと眠るがいい、道化。ここから先の脚本は責任を持って、我が書き上げよう。今宵の真実は我と貴様の奥深くへと閉じられた。故にこの先訪れるのは、破滅への一歩しかあるまい?与えられた束の間の平和など、長続きせぬのが世の道理ゆえな。贋作はいつの時代も、悲惨な最期を迎えるものだ。貴様も、あの女も、そして、この我すらも――――」
そんなヴォイドの手により意識を手放した【渇望の獣】は、暗く深い眠りの深淵へと誘われ、未だ闇が蔓延る深い森の中でその在り方の一部を人知れず、書き換えられるのだった。
これから先に巻き起こる「喜劇」を存分に踊り狂うために、その存在の根底へと魔の手が伸びる。どれだけ強い光を放つ者だろうと、目の前に広がる闇は底が見えぬ程に深すぎる。
その虚無は取り込まれたが最後、死ぬまで深淵の傀儡に成り下がる事になるだろう。
今後同じように取り込まれることになるであろう【英雄】と呼ばれる者達が放つその光がもし万が一、贋物であったなら、その深淵は容赦なく彼らの外面を剥ぎ取り、その本性を暴き出すことになる。
そして深い絶望を叩きつけられ、底辺まで堕ちた彼らに立ち上がる隙など、かの王が与える訳がない。
誰よりも人が持つ「可能性」を知っていて、信じているが故に。
だからこそ【深淵の王】は躊躇いなく、「可能性」を宿す次代の芽を摘む。踏み潰し、捻り潰し、ねじ伏せ、踏み躙る。二度と「英雄」が芽吹かぬように、蔓延らぬ様に、彼が夢見た「本物」が日輪の如く輝くように。
王は今宵もまた、「過去の遺物」を破滅へと導く。




