第五十五話「危嬉狂恐(きききょうきょう)」
本当の意味で世界の状況が大きく動き出したのは、スノヘ十人隊の面々がヴォイド達の元に配属されてから、その約十日後のことである。
それは各国代表に大々的に知らされる前日の夜中。酷く疲弊した様子の一人の兵士が、馬を潰してまで最前線基地より持ち帰った、耳を疑う様な報告。
その内容とは――――
『ここ数年、不気味なほどに「不動」を貫いてきた【大将軍】が、遂に動き出した』と。
詳細を聞けば、その日オレアム皇国とレガー帝国の国境線上に存在する「境界山脈」と呼ばれる巨大な山脈の半ばに存在する、オレアム皇国の最前線基地の砦を警備していた皇国兵約百人余りの兵士達の前に突然、森の中から気配もなく、馬に騎乗した状態で彼の【大将軍】は姿を現し、そのまま問答無用といった様子で、全く話を聞く耳を持たず、即座にこちら側に襲いかかってきたそうだ。
両国を隔てる国境付近のその最前線にある砦に、“単騎”で、だ。
にも関わらず、最前線の砦はものの数時間程でたった一人を相手に制圧され、放棄せざる負えなかったらしい。
その後に砦や残った兵士達がどうなったのかは知らされていないが、恐らくは漏れなく全滅したのだろうこと。
そして、一通り報告を終えた兵士はその顔が蒼白になっており、その体は小刻みに震えていたという。そんな様子では最早、使い物にはならないだろう。それほどまでに、彼が見た光景というのは人知を超えていたという。
そんな、恐怖に震える彼の姿は誰がどう見ても、心に決して癒えることのない深い傷が刻まれた、新兵にしか見えなかったという。
そして、正式にその事が各国の代表に発表、もとい共有されたのは、その兵士の報告から日を跨いでの翌日の夕食時である。
初日と同じように、だだっ広いホールの様な場所での立食形式。その会場の一際目立つ壇上から、この国で何かと噂に名高い【四魂の聖女】様ご本人から、ありがたいご高説と共に告げられた。
「先日、遂にレガー帝国との戦いの火蓋が切って落とされました。誠に悲しい事ですが、どうか皆様、私に、この国に、その御力をお貸し下さい。さすれば、皆様にも神々の祝福が齎されることでしょう」
と、まぁこんな感じに(かなり短くまとめた)。噂の聖女様は何というか、本当にただの【聖女】だった(見た目とか雰囲気とか)。
反吐が出るほどに「清廉潔白」という言葉が似合う、というより、その言葉を体現したかの様な、どこか儚い神聖さすら醸し出す、あの面構えと人を惹きつける雰囲気。人の善性を信じて疑わない、穢れを知らぬその瞳に、数多の神々から祝福を受けるその肉体。
そして、「世界の、人類の救済」なんていうクソッタレな理想を信条と掲げ、無力ながら民を先導しようとするその罪深さたるや。
【聖女】。いや、「聖人」という種族の在り方、その全てがヴォイドの神経を逆撫でし、癪に障る。ただそこに居るだけで、今のヴォイドにとって不快極まりないその善性。
その全てをヴォイド自身は決して外面に出すことはなかったが、それでも張り付いていた強者の仮面が少なからず揺らぐほど、その在り方はヴォイドにとって、「気色悪い」と生理的嫌悪を引き出すほどには歪だった。
とは言え、それももはや数日前の話である。
現在は既に、四大国家であるカイン王国とオレアム皇国、そしてロス連邦へと侵攻行動を開始しているレガー帝国に対して、応戦を開始している各国の連合軍の主力部隊と合流し、前線基地にて行動開始まで待機中だ、俺以外は。
では一体、俺自身がどこに居るのかと言うと、相も変わらず皇都バルガルドの皇城内の一室である。とは言っても、拘束されているわけではなく、ある程度の行動の自由は認められている。
まあ要するに、留守番を言い渡されたのだ。
一時的とは言え形式上は上司の【獣王】ルフ・ハーフェンに、「護衛」という大義名分のもとに(ルフの近衛?自体は数人その場に居るにも関わらず)。同じ様な理由でこの場に拘束されている他のパーティーの人達も幾人か居る。
ルシア達の方に関しては、使い魔のクロや他にも追従させている召喚獣の八咫烏などから『視界共有』を通して、定期的にあちら側の情報を得ている。見ている感じでは、不安はあれども心配は無用、といったところか。
しかし、やはり問題は――――
「依頼の対象が一人残らず戦地に行ってるってのに、こんな場所で一体俺にどうしろってんだ」
「私の勘だよ、あくまでもね。この場に関しては彼女に占わせてはいないから、私も正確な根拠はないんだけどね」
「.....とはいえ、獣の勘ほど当たるものもない、か」
「正直、私が君をこの場に残した理由として“護衛”と言うのは、理由としては半分ほど。もう半分は――――」
ルフが言い終わる前に、皇城内が突如騒がしくなり始める。いや、騒がしくなり始めたのは皇城内だけではなかった。皇都バルガルドそのものが、賑やかな喧騒を通り越して、怒号と悲鳴がそこら中から聞こえ始めていた。
「事態解決の“戦力”として、残された訳だ」
「やはり、こういう時の『勘』は大切にすべきだね。知ると知らぬでは、対応の速さに大きな違いが出る」
「否定はしない。だが、俺は別に今回は積極的に動くつもりはないぞ」
遠くで爆発が起き、黒い煙と炎が立ちのぼる景色を横目に、ルフにそう告げたヴォイドはテーブルの上に置かれている紅茶を一口飲み、喉を潤す。
「おや、そうなのかい?」
不思議そうにこちらへ問いかけるルフに、ヴォイドは少々呆れながらも喋りだす。
「当然だろ。なんで俺がこの国の為に、見知らぬ他人の為に、只働きせにゃならん。俺は『冒険者』だ。依頼を出されたのならいざ知らず、等価な報酬もないなら動く理由はない。「力を持つ者の責務がー」とかなんとか言い出すなよ?冗談でも笑えんからな」
「ハハハッ、確かにそうだね。私も依頼を出すつもりはないし、この国から要請があってから動くだろうね。でも大半の人々は“力を持つ者には責任が伴う”みたいな阿呆くさい理念を持ってそうだ。特に、この国の豚どもは」
「おいおい、俺が言うのもなんだが、一国の王様がしていい顔と話じゃねぇぞ。ソレ」
どこに誰の耳があるかもわからぬ、皇城内での会話とは思えない程、「遠慮」の「え」の字もない二人の雑談。
「まぁ、一応国家防衛の為に兵力は残してあるはずだ。【勇者】も何人かは残ってるって話だし、【四魂の聖女】様も居るんだろ?そんだけ揃ってるなら、尚更動く理由はないだろうよ」
「いや凄いね。今の君の話のおかげか、私も動く気が途端に無くなったよ」
「そりゃどうも。あと余談だが、この騒動も多分テロかクーデターの類だろうからな。この国の人間じゃない俺らが軽々しく関与すべきじゃないっていう、ちゃんとした理由もあるにはある」
「う~ん、本来はそれを先に言うべきだと思うんだけどねぇ」
「んなもん知らん」とばかりにヴォイドが再度、紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばした時、彼らの周りを黒装束に身を包んだ集団が取り囲んだ。
しかし首を動かして見るまでもなく、ヴォイドの頭の中には数多のスキルによって得られた相手の正確な情報が流れ込んでくる。
(数は全部で12人。顔には不気味な笑顔の白い仮面、装備は針やナイフなどの隠された暗器が複数、刃先に毒があるのは見るまでもなく確定。そしてこいつらの所属は――――)
既に臨戦態勢を取ってルフを守る形で展開している近衛の四人。対して、敵は未だテーブルに呑気に座るルフとヴォイドを取り囲むように、一人一人がその場で障害物を盾にしながら、カバーしあえるように広く展開している。
襲撃された場所は、皇城の敷地内にある庭園とでも呼ぶべき場所。
しかし、彼らは一向に仕掛けてくる気配がない。こちらを殺そうとしているのは、その行動を見る限り明らかである。だが向かってこないということは、何かしら理由がある。
「ふむ、ティータイム中だったのだが.....これは私が獣人国アレスト、現国王【獣王】ルフ・ハーフェンだと知っての行いかな?」
「........」
「答えるつもりはない、と。ならば―――」
と、ルフが冷静に情報収集と並行して時間を稼ごうとするのを半ば遮る形で、ヴォイドはその口を開いた。
「[神光教]の暗部どもが一体、何の用だ?]
ざわり、と僅かに暗殺者達の全員から仄かに警戒の色が混じった殺気が僅かに漏れ出る。しかし気付かぬふりをして、ヴォイドは喋り続ける。
「いや、聞くまでもないか。お前達の様な浅ましい事しかない連中にとって、あの【聖女】は何かと邪魔な存在でしかない。だからこんなチャンス、無闇に見逃すはずもない。そして並行して、現在集まっている各国の国王数人、もしくは各国の重要人物の暗殺を同時に遂行することで、聖女暗殺という今回の主目的をあやふやにし、同時に邪魔な他国へもダメージを与える」
語るは彼らの掲げる目標と、その作戦概要。しかし、その情報を一体どこで得たのかは不明。
「そして、重鎮を失った国は少なくとも、数年の間は国力回復の為に少なくない時間がいる。だが―――」
ヴォイドが今口走っているのは、断片的に得られた情報を適当に繋ぎ合わせて、それっぽく雰囲気を出しながら推測を語っているだけだ。故にほぼ全てがブラフであり、その全てが釣り餌である。
「オレアム皇国はこの戦争で、上手く代表戦力に被害を被らせる事で被害を減らし、国力をいち早く回復するつもりだろう。とは言え、これだとまだ詰めが甘い。なら、国力を早期に回復させる手段が何かしらあるんだろう。当ては【勇者】辺りか?と考えると、今回の戦争関連の事件に関しても、殆どが計画されていたことだろうな。そして、全てが上手く行けば、戦争後はお前達の国がいち早く頂点に君臨し、交渉事をある程度優位に進められるわけだ」
と、そこまでヴォイドが言い切った瞬間だった。
ヴォイドの背後に居た暗殺者が、目にも止まらぬ速さで投げナイフを投擲する。その真意は仮面で隠されて分からない。怒りか、恐怖か、はたまた動揺か。しかし、一度とはいえヴォイドに仕掛けてしまったが最後、もうどうしようもない。
「正当防衛」という大義名分が与えられたヴォイドは、止められない。
文字通りの一瞬。早すぎて眼で追えた者など、この場に誰一人として居なかった。ヴォイドが一体何をしたのかは、言うまでもないだろう。
『拡張術式即時展開 “風神化”』
たったそれだけ。それだけで、辺りを囲んでいた11名の黒装束に身を包んだ暗殺者達は一撃の下に肉塊に成り果て、残った最後の一名は四肢を槍で串刺しにされ、近くの壁に張り付けられていた。
「よくもまぁ、この程度の練度で殺せると思ったな。腐っても相手はSランクに匹敵する輩だって知ってただろうに」
「洗脳、思い込み、情報操作、色々あるとも。それこそ極々最近になって、一般のCランク冒険者相手に私は負けたからね」
「哀れだな、偽の情報を与えられてた訳だ。噂に名高い【獣王】様が、一体どこの馬の骨にやられたのかは知らんが、同情するよ」
「残念ながらそれ、君なんだよねぇ.....」
呆れるように、しみじみと呟くように、冷静にヴォイドへとツッコミを入れるルフ。しかし、当のヴォイドは串刺しになっている暗殺者に既に拷問を開始していた。
問答が一つ終わる度に舞う、鮮血と肉片。少しずつ少しずつ、先端の方から削って痛みを途切れさせることなく、再度問答を行う。手の指を一本ずつ丁寧に引き千切り、絶叫が木霊する。左耳も千切り、足の肉も千切り、その都度最低限の『回復魔法』を使用する。
だが、その音が外に漏れることはない。暗殺者達がこの場に集った時点で、ヴォイドが外からも内からもバレない『結界』を展開していたから。
「お前が選べるのは死に方だけだ。無様に死ぬか、哀れに死ぬか、俺が選ばせてやる。恐怖しろ、喚き散らせ、死に悶えろ。お前の最期はすぐそこだ」
ヴォイドはこの瞬間を、この場の誰よりも楽しんでいた。どこをどう壊せばより大きく美しい音色が聞こえるのか、どこをどう弄ればより醜い造形になり得るのか、足元の花々を血潮に染め上げながら、暗殺者の身体を使って喜々として試行錯誤を繰り返した。
そして――――
「情報は結局、最後まで吐かなかったね。いや、後半からは壊されて喋れなかった、と言った方が適切かな」
「人体の構造を知る、いい機会だった。それと、情報に関してはこいつが別に喋らなくても問題ないと判断したから、この場で過剰なぐらいに壊したんだ」
「ほう、さっきの戦闘のタイミングかい?あれじゃ速すぎて、情報収集も何もなかったと思ったのだが、君にはそういう『能力』でもあるのかな?」
「なに、簡単なことだ。欲しいのなら、持ってる奴から奪えばいい」
ヴォイドの足元だけが血の海と化している中で、その光景をまるで意に返さずに嗤い合う獣の王と漆黒の狩人。
先程までは「動くつもりはない」とはっきり明言していた人物が、まるで「襲われたのなら別だ」と言わんばかりに行動を開始する。蹂躙劇が成されるはずであったその舞台を、主役ごと喰い尽くさんばかりの狂気を以て、部外者でありイレギュラーたる狩人が、闇を狂気で塗り潰す。
さぁ、“開演”を始めよう。




