第四十話「辿るかもしれなかった未来」
静かなまどろみに誘われて、少し長い夢を見た。とても、虚しい夢を。
眼前に広がる燃え上がる大地の上で、力なく倒れ伏した、一人の勇者。
その様子を見つめる銀髪黒衣の人物の右手に握られているのは、一振りの血濡れた刀。倒れ伏す勇者の男は、その命が尽きる最後の瞬間までこちらに血走った目を向けて、こちらを呪っていた。
“場面が切り替わる”
気が付けば、目の前には複数の頭を持った竜種が一体、体中を切り裂かれて力なく倒れていた。
そしてまた、右手には血濡れの黒い刀が一本握られていた。不思議とその刀には何か、特別な力が宿っている様に思えた。
そして目の前で竜の瞳から光が失われると同時に、体にはゾクリと不思議な“力”が溢れた。
“場面が切り替わる”
今度は見慣れた顔の老青年が、目の前で大量の血を流して倒れていた。彼の傍らには、一本の刀が落ちている。
そしてやはり、こちらの右手にも血濡れの黒い刀が握られていた。こびり付いている血は言うまでもなく、目の前で倒れ伏す人物の血であろう。
死に体の状態である青年は、血を吐きながらもこちらを見上げた。そんな俺を見上げるその瞳に映っていたのは、邪悪な笑みを顔に貼り付け、血涙を流す、ヴォイド自身の姿であった。
“場面が切り替わる”
眼下には、異形の姿をした何かの死体が複数転がっている。しかし右手には、いつものあの刀は握られていない。しかしその代わりなのか、己の全身があの刀のように血に濡れていて、とても心地のいい気分だった。
だが――――
(まだ、足りない)
その言葉と共に、頭の中を存在しないはずの記憶がフラッシュバックする。
逃げ惑う人々が“何か”に蹂躙されるのを、ただ上空から静かに見下ろしている、黒衣の人物。死灰が降り積もる不毛の大地にて一人佇む、黒衣の亡霊。国を滅ぼし、自らの「仲間」と呼べる存在すら手に掛け、世界の崩壊を眺めて微笑する黒衣の死神。
そして、満月が煌く月夜に「死」を運ぶ、一匹の“死刻天使”。
彼の者は、夥しいほどの“幻想”を喰らい続け、その全てを自らの糧とした。その成れの果てとして彼は、自らが最も嫌う存在である“幻想の名を冠した、頂上の生命体”へと堕ちた。
白い肌を隠しその全身を包む、暗く深い闇。
そして彼の目元を僅かに隠す、少し長い白髪。その目は黒く染まっていながら、それでも尚、金色の瞳は夜闇に妖しく輝いている。そんな左の目元からは、黒い一筋の涙のような模様が浮かび上がり、その背中には身の丈ほどの大きさを誇る“漆黒の片翼”。
それらを以て彼は心身ともに怪物と成り果て、その感情のない瞳で天上の高みから“俺”を見下ろしていた。
それに対して思わず、俺は“彼”に問いかけてしまう。
『“■■■■■”は.....一体誰だ?』
その言葉が果たして、あの怪物に届いたかはついぞ分からなかった。ただ彼は、尚も自我の感じられぬ色褪せた瞳で、ヴォイドを見下ろしていた。
...
....
.....
体が僅かに風に吹かれるような感覚と、静かな木々の揺れる音を聴覚が捉える。未だ僅かに残るまどろみの残滓を振り払い、フードの中で閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
そんなヴォイドの視界一面に広がったのは、空から降り注ぐ朝日を反射し、その身に蒼穹を写す大きな鏡。陽光を反射したその水面の放つ眩しさに、思わず顔をしかめた。
寝起きにこの明るさは、少々眩しすぎる。
「二時間ほどか......」
ヴォイドは即座に自らの状況を把握し分析、同時に脳を覚醒させる。眠っていた時間は二時間ほど。肉体、精神ともに異常は見当たらない。
基本、肉体の構造的に眠る必要はないのだが、今日は珍しく自然と眠っていたらしい。だがよく分からない夢も見た。いや、あれは夢というよりも“記憶”と言った方が正確だろうか。
(一体どこの世界線の俺かは知らんが、流石にあれは趣味が悪いどころの騒ぎじゃない。この俺が幻想生命体になるとか、死んでも御免だ)
今日で異世界に来てから何度目かの寝起きだが、正直気分はあまり良くない。
人気のない草原で、それも座ったまま眠ったのがいけなかったのだろうか。傍らには護衛としてだろうか、丸まって寝そべる影猫又のクロの姿。
そんなクロを数秒ぼんやりと眺めた後、ヴォイドは未だ残る多少の気持ち悪さを振り払うため、クロを抱えて撫でる。
そんなヴォイドの背後には、複数の視えない結界で守られている少し大きめの魔導具テントが一つ。テントの中では現在、ルシアやミツル達が前日のバカンスで疲れ果てて眠っている。
はずなのだが、こんな早朝にテントから出てくる気配が一つあった。
スキルによって導き出された人物は、ルシアだった。そのままルシアはまっすぐこちらに来るなり、ヴォイドの隣へと静かに腰掛ける。その後は二人とも無言のまま、しばらく昇る朝日を反射する湖を眺めていた。
それから十分が経った頃だろうか、先に話を切り出したのは、ルシアだった。
「.....マスター」
寝起きだからだろうか、少しだけ元気のない様に感じられるルシアの声。
「なんだ?」
「この前は、ごめんなさい。いきなり泣き出しちゃって」
「この前」というのは先日の天空城での出来事であろう事は即座に思い至る。しかし、話の本命は恐らくこの話題ではない。であれば、少しだけ緊張を取り除く意味も込めて、少しだけルシアをからかう。
「別に構わんさ。醜態を晒した相手が少なくて、むしろ良かった方だろうに」
そんな風に軽く冗談で返せば、少し恥ずかしそうな顔をしてルシアは苦笑を零す。しかし、直ぐにその顔は何か覚悟を決めたような表情に戻っており、それを確認したヴォイドは無言でルシアに話の続きを促す。
「本当はもっと早くに話すべきだったのかもしれない、僕に関する“大事な話”があります」
来た。これが恐らくこの場に来た本命。だが、ルシアには悪いがヴォイドはその話を大方予想していた。いや、出来ていた。
しかし、決してそういう無粋なことを口に出して言う事はない。故に、ヴォイドは先と同じように無言のまま、続きを促す。
それを見たルシアは二度の深呼吸の後、自らの過去について語り出す。
「僕は.....獣人国アレストの、王家の者の一人です。そして同時に、先々代の勇者の血を引く者でもあります」
ルシアが明かした、自らの出生の真実。
それは自らが【獣王】の子孫であるという事、更に先々代の勇者の血を引く者という驚愕の事実。この世界の住人からすれば、今明かされた事柄はそれこそ、その人の運命を変えるレベルの話なのだろう。
そして更にルシアは続けて、こんなことを話す。
「【水神の巫女】の候補に選ばれたせいで、家族から“裏切り者”と罵られて国を追い出されたこんな僕を、マスターはそれでも....傍に、置いてくれますか....?」
微かに震えた声と、その目尻に浮かぶ小さな涙。それでも彼女はしっかりと、ヴォイドを見据えて問う。
その様を見て、「本当に強い子だ」と、ヴォイドは心の底からそう思った。恐らくは生まれた時から理不尽な運命に抗い続け、今もなお足掻こうとするその姿に。
そんな彼女に、冷酷な返答をするのもまた、ヴォイドにとっては一つの重要な選択肢なのだろう。しかしヴォイドは、彼女のそんな姿に敬意を評し、自らが提示出来る唯一の選択肢を、彼女に与える。
この場に於いて、自らの下す浅慮な判断など、無粋と分かっているから。故に彼は彼女に、問う。
「お前は、どうしたい?」
ヴォイドはそう、短く淡々と彼女に告げた。その言葉を聞いたルシアは、まるで「考えるまでもない」という風な表情で、即座に言い切ってみせた。
「僕は、もっとみんなと、マスターと一緒に、過ごしていたいです!」
その時のルシアは、自身の内から溢れ出る感情を抑えることが出来ず、遂に堪えていた涙を流す。それは彼女本人も理解が追いつかないほどの、それほどに大きな感情の渦。
決壊し、押し寄せる感情の波はもはや止めどなく、ヴォイドでも爆発具合に驚いた程だ。
しかしそんな大粒の涙を零しながらも、最高の笑顔でそう答えたルシア。そのままこちらの胸へ飛び込んでくるルシアをヴォイドは優しく抱きとめ、しばらく胸を貸してやる。
そしてヴォイドは一人、早朝の晴天を見上げて思う。
(どうやら運命様は、余程俺をこの惑星に引き止めたいらしい)
ルシアを抱き止め、優しく頭を撫でながら、天を見上げて不敵に嗤う虚の住人。今この瞬間、明確なまでに頭に浮かんだ「運命」や「必然」という言葉。
それはやはり、ヴォイドにとってこの場は自然に見える人為的なものだと判断するには十分であった。しかしそれでも捉えられぬ不定形さを保つ「運命」という概念を思い、ヴォイドはそこで思考を断ち切った。
何故なら「運命」などと言う代物もまた、いずれはヴォイドにとっての斬るべき対象となるのだ。であれば、手を出せぬ今はまだ考える必要はない。
故にいま一度、ヴォイドはルシアを少しだけ強く抱きしめた。
内容を少し編集しました。 2022/06/27




