2話 夜の帳に
ミストは上機嫌だった。
あのシャテル子爵という男は害薬の売買に始まり人売り、脅し、殺人など、悪党共の元締めとも言える様な姑息な金儲けに熱中する下らない男だった。
いつもの事だが、そういったつまらない小悪党から幻惑系の魔術を使って小金を騙し取る時に、自分の矮小さと卑劣さを感じてミストは嗤いが込み上げてくる。
――さて、この薄汚れた金を換金してくるか。
懐に重い金貨100枚を、国営の換金所で白金貨2枚に換金する。懐に忍ばせている白金貨は此れで21枚になった。
「これ1枚で金貨50枚相当か・・・。」
何の感慨も湧かない表情でミストは白金貨を眺め、懐に忍ばせる。
ミストは路地裏を見上げた。視線の先には高級花売りの店が在る。
「偶にはいいか。」
そう独り言ちるとミストは花売りの扉を開けた。
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通常の花売りの店であれば、部屋に通された後は訪れた花娘とベッドを供にするのみだが、高級店ともなれば其のサービスは多岐に渡る。
食事と酒を供にするのは勿論だが、噺に盤面を用いたゲーム、貴族にも通用する舞踊など、男を愉しませる雑技の数々を披露してくれる。
ミストの前に現れた花娘も、そんな多彩な芸を持つ女だった。
「ノリアです。」
女は名乗った。年齢は20歳に達したばかりくらいだろうか?
殆ど透けて見えそうな薄絹の白い寝衣を纏い、丁寧に一礼する。
そして冷たい蜂蜜酒を手渡した。ミストが口に含むのを確認すると、付き人の娘2人が食事を手際よく並べていく。
通常の食事とは違い、臭いや味の濃い食べ物は並ばない。また、食事は女と男の間には置かずに両サイドに置かれていく。
食事の最中に突然その気になり、花娘に覆い被さる野暮な男も多い為、すぐに行為に至っても食器を引っ繰り返したり、食した物の臭いや味が気になったりしない様にする為だ。
ミストはそういった細やかな気遣いを好みに思い、度々、高級花売りの店を利用していた。彼が知る中で高級花売りほど心地良いサービスをしてくる店は貴族サロン以外には無い。
「歌でも唄ってくれないか。」
付き人の娘達が部屋を出て行くとミストはノリアにリクエストをした。ノリアは頷き静かに歌い始める。
暮れた冬の夜空にノリアの歌声が漂った。其の声は時に高く、時に低く。其の表情は時に甘く、時に切ない。
『・・・霜降る月に翳す手に、届かぬ陽の温もりを想う・・・♪』
「まるで誰かを想う様な歌だな。」
ミストが呟くと、ノリアは歌を止めてミストをチラリと横目で見た。
「・・・身分卑しき女が身分尊き男に恋をした報われぬ恋の歌です。別に珍しくも無い、良く在る歌です。」
「・・・そうか。」
ミストは空になったグラスを置く。
「今日は月が大きいですね。冬の澄んだ夜空には良く映えます。」
「そうだな。見ていると幾分恥ずかしくなるくらいに。」
ミストがそう返すと、ノリアは少し驚いた様な表情でミストを振り返り、クスリと笑った。
「・・・本当に。」
昏い人生を歩いてきたミストには、明るく輝く満月も、人の信仰を集める神々も、正義感溢れる英雄も全てが縁遠い存在だった。臆面も無く光輝くソレらは彼にとって眩しすぎるモノで、近寄りがたいモノだった。
普通の幸せに満たされた人間には理解出来ない感情だろう。
だがノリアはそんなミストの思いを汲み取ったかの様に、微笑んで肯定して見せた。彼女もまたミスト寄りの人間であり、何かしらの瑕を抱えて生きているのだろうか。
だから理解を示したのか。
「お前もそう思うのか?」
「・・・どうでしょう?」
ミストの問いにノリアは微笑む。
「自分に関しての男の問い」には素直に答えない。
花売り娘の定番の態度である。こうやって焦らし、自分に興味を持たせる。上手くいけば次の来訪も期待出来る上客になる可能性もある。
商いの基本と言っても良い。高級花売りの娘は店の経営者にも匹敵する知見を持っている事が多かった。
――・・・だが・・・。
とミストは思う。
今の彼女の態度はそういった類いのモノとは感じなかった。腐るほどの悪党と関わってきたミストは図らずとも理屈では無く直感で人を見抜く目に長けていた。
だが残念な事に、ミストは出来事に興味は持っても、人そのものに興味を持つ事は無かった。故にノリアに対して感じた疑問もミストは捨て置く事にした。
「どうなのだろうな。・・・まあ、人には触れられたくない瑕の100や200は在るもんだ。」
「多すぎませんか?」
ノリアが声に出して笑う。
見た目は美しい。元貴族の娘だと言われたら信じてしまいそうなくらいに振る舞いにも品が在る。そして何より彼女の欲望を感じさせない無気力さがミストの心地良さに繋がっている。
――・・・佳い女だな。
珍しくミストはそう思った。
本当はそういった事をする気は無く心地良さのみを味わうつもりだったが・・・。
ノリアを抱き寄せて言った。
「気に入った。」
そう言って彼女の花筒に金貨を5枚入れる。
入店時に金貨を1枚支払う。そして女を抱くと決めたら更に金貨5枚を追加で払う。高級花売りの店特有のしきたりだった。
「・・・。」
彼女は抱き寄せられたまま、黙って頷くとミストに身を任せる。
帯に手を掛けて引っ張ると「シュルリ」と音が鳴り、寝衣の前がはだけて彼女の真っ白な肌が露わになった。
ミストは口を彼女の肌に寄せながら、その衣を剥ぎ取る。
ノリアは最初に漂わせた雰囲気と違い、行為が進むに連れて激しさを増す女性だった。
膨らみに触れれば激しく身を捩り、甘噛みをする度に彼女は声を喘がせる。そして自ら口づけを求めてくる。
まるで長く付き合った恋人同士であるかの様に、彼女は相手の悦ぶ事を熟知している様だった。
やがて行為を終えると、ノリアは剥がされた薄絹の白い寝衣を身に纏い直す。
「こんなに燃え上がったのは久しぶりです。」
ポツリとノリアが呟く。
「そうか。」
ミストは差し出された煙管を蒸かしながらそう返す。実はミスト自身にしても此処まで女に没入したのは久しぶりだった。
「其れよりも、何か面白い噺でもしてくれないか?」
ミストはそう言って話を変えると、彼女の膝に頭を置いて寝そべった。
「噺ですか・・・。」
扇を仰いで火照ったミストに風を送りながらノリアは思案した。
「何でも良いさ。」
「そうですね・・・。」
ノリアは視線を外に向けながらやがて「とある国の物語です。」と前置いて話し始める。
「その国は周辺では一番大きな国でした。ですが時が経つに連れて自国に迫る国や匹敵する国が現れてきて、その国の王様は焦る気持ちに捕らわれてしまいます。しかし余り勉強をして来なかった王様は頭が悪く、周辺諸国を抑えるために『武力の強化』を安易に考えてしまいます。」
「・・・。」
「そして王様は部下に命じて『凄い兵器を作れ』と命じます。其れを受けた部下が発明したのは『空飛ぶローブ』でした。其れを沢山の兵隊さんに与えて空から弓矢で敵を攻撃するのです。・・・ですが、そのローブには大きな欠点が有りました。・・・何だか判りますか?」
ノリアがミストに尋ねてくる。
「いや、判らんな。」
ミストは幾つか想像してみるが口にしてはそう言った。
「正解は『重い兵隊さんを持ち上げられなかった』です。」
・・・何だ、ソレは。
「それじゃあ、意味が無いじゃないか。」
「そう、意味が無いですね。」
ノリアは苦笑いをする。
「・・・ですが、其の王様はそう考えなかった。大金を使って開発したソレをなんとか使いたい。そして目を付けたのが魔術師でした。」
「まさか、魔術師は貧相な体格の人間が多いからとでも考えたか?」
「いえ・・・。魔術師は兵士と違って重い鎧や武器を持ちません。そして、女性も数多く居ます。」
ミストは顔を顰めた。
「女か・・・。」
「はい、その中でも小柄な女性や少女達が選ばれました。そして彼女達にローブの扱い方を教えて戦闘訓練を施した。」
ノリアは遠い目をして話し続ける。
「効果は想像以上でした。飛空部隊と兵士部隊の模擬戦が行われたそうですが、結果は10戦10勝で彼女達の勝ちだったそうです。」
「殺し合いをさせたのか?」
「まさか。兵士達には鏃を潰して綿を被せた矢を持たせ、彼女達には初歩の魔術のみを使わせたそうです。」
「初歩とは言え、人に向けて放てば怪我くらいするぞ。」
「貴男も魔法を嗜まれるのですか?・・・いえ、失礼しました。」
ノリアはミストに尋ねた後、直ぐに謝罪して質問を取り下げる。
客の事は客自身が明かさない限りは如何なる事も決して詮索しない。基本である。ノリアは話を続ける。
「そうですね。実際、兵士の側には怪我人が続出したそうです。」
哀れなものだな、とミストは思う。
国を守る為に兵士になった者達が、国の実験に付き合わされて負傷するなど軽い扱いにも程がある。だが忠誠心を軽く扱われ利用される・・・其れもまた往々にして有る事だというのもミストは知っている。
「しかし王様は結果に喜びました。そして彼女達に本当の悲劇が訪れます。」
「・・・。」
大体の想像は着く。がミストは無言で先を促した。
「王様は少女達の魔力の強化を図りました。」
やっぱりか。狂人なら誰もが考えつく事だ。
「何をしたんだ?」
「肉体に魔石を埋め込みました。」
ミストは溜息を吐く。
「そんな事をしたら回復の魔石でもない限り、中毒症状を起こして死んでしまうぞ。」
「実際、殆どの少女達が死んでしまった様です。」
「おいおい・・・。」
ミストは呆れて声を上げる。
「こうして王様の計画は失敗しました。ですが王様に計画の失敗の責を問う訳にもいかず、かと言って誰にも責任を問わない訳にも行かない。結果、ローブ開発に関わった者達に責任を擦り付けて処刑してしまいました。」
中々に酷い話だ。
「当然、その王の余りにも身勝手な行いに異議を申し立てた貴族や平民も居りました。が彼らも全員、不敬罪に問われて処刑や追放の憂き目に遭ったそうです。」
ミストは外の景色を見続けるノリアに問う。
「それは・・・いつ頃の話なんだ?」
「さあ・・・? 何しろ只のお伽噺ですから。」
「お伽噺と言うのは実話から生まれるモノなんだがな。」
「・・・。」
ノリアは答えない。
ミストは当然、この噺を与太話として聴いては居なかった。
間違い無く実話だ。そして恐らくはこの国の話だろう。いつ頃なのか?ひょっとしたら最近の話では無いのか?
だがミストは深くは追求しなかった。
「まあ、どうでも良いさ。」
口ではそう言って話を閉める。
だが、最近の話ならば儲け話に通じるかも知れない。
――少しこの国に留まって見るか。
ミストは今後の自分の行動予定に変更を加える。
ノリアはミストの顔を覗き込んできた。大人っぽく振る舞ってはいるが、良く見ればまだあどけなさも残っている。
「なんだ?」
「名前・・・。」
そう言ってノリアは視線を逸らした。
「・・・。」
ミストは少しだけ思案した後に答えた。
「ミストだ。」
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
翌朝、ミストは店を出た。
「また、お待ちしてます。」
ノリアの言葉に
「ああ。」
と返してミストは歩き出す。
ノリアから聞いた話の真偽を調べるには何処を回るのが良いか。
本来ならカーネリア魔術院が適当だが、国王の失態とも言える内容だ。仮に其れを記載した魔術資料が残されているとしても閲覧は出来ないだろう。
だったら姉妹国とも言えるセルディナの魔術院が妥当か。
「やれやれ。とんぼ返りか。」
ミストは溜息を吐いた。
一昨日に立ち寄った依頼酒場の扉を潜る。高級花売りの店の食事は美味いが、如何せん量が些か物足りない。
未だ二の鐘も鳴っていない時刻の店内は静かだった。
「おう、一昨日のお客さん。今朝は冷えるな。」
店主が赤ら顔で声を掛けて来る。
「軽く食事を頼む。魚が良いな。」
「あいよ。銅貨10枚だ。」
ミストは青銅貨をカウンターのテーブルに置く。
「お待たせ。」
店主が料理皿をミストの前に置く。ソースの掛かった焼き魚にミストはナイフを差込んでいく。
「そう言や、一昨日のお嬢ちゃんは参ったよ。」
「お嬢ちゃん?」
「ホラ、あんたが帰る前に騒いでたお嬢ちゃんさ。」
「・・・ああ。」
居たな、そんなのが。
「参ったって、暴れでもしたのか?」
「いや、暴れちゃいないが『依頼を受けて欲しい』と泣かれてな。ホント参ったよ。」
「そりゃ災難だったな。まあ、切羽詰まった子供には理屈は通じないからな。」
ミストは魚の切り身を口に運ぶ。
「で、追っ払ったのかい?」
ミストが尋ねると店主は首を振った。
「いや、あの時、あんたの後ろで騒いでた冒険者達が居たのを覚えてるかい?」
「居たな。」
「彼らが話を聴いて引き受けてたよ。」
「そりゃあ、何よりだ。」
ミストはパンを千切って口に放り込む。
「まあ、そうなんだがな・・・。」
店主は奥歯に物が挟まったような表情になる。
「なんか問題でも在るのかい?」
「いや、問題って言う程でも無いんだが。」
ミストの問いに店主は歯切れ悪く返答する。
「お嬢ちゃんの依頼内容を覚えているかい?」
「人捜しがどうとか。」
「そう。仕事内容としちゃ、デリケートな部類の仕事だ。だけど引き受けた彼らは雑な性格でな。討伐依頼とか探索依頼とか、そういうのばかり引き受けている連中なんだよ。」
「つまり腕っ節は強いが、頭は悪いと。」
ミストの感想に店主は苦笑した。
「まあ・・・そう言う事さ。果たして上手くやれてるのかってね。・・・おや?」
店主が店の入り口に視線を投げる。
「噂をすれば、そのお嬢ちゃん達が戻って来たぞ。」
「・・・。」
店主の言葉にミストは入り口に視線を投げる。
其処には怒り顔の少女が立っていた。




