70話 それぞれの戦い 5
地底城――
巨城の正門の奥は広い中庭になっていた。恐らくは軍の溜り所なのだろうが、闘技場の様にも見える。
シオンは警戒しながらも中庭の壁沿いに奥の通路に向かって歩き始めた。先程よりもルーシーの気配を強く感じており、進む足取りには迷いが無い。
ふと、シオンは足を止めた。
やはり何かいる。
そう思った時、上空から激しい殺気が充満し、其れと共に轟音を響かせて何者かが大地に着地した。立ち籠める砂煙が晴れると、其処には蒼金に黒の縁取りが為された鎧に身を包む騎士が居た。
「・・・派手な登場だな。」
シオンは呟く。
軽口では無い。相手の不気味さを感じ取って、ソレに呑まれぬ様に発した言葉だった。
蒼の騎士はゆっくりと立ち上がる。
・・・大きい。シオンの2倍程の身長はありそうだった。一見、細身に見えるが身長から考えれば大剣を担ぐ二の腕も大地を踏みしめる両の脚も分厚い筋肉に覆われている事は明らかだ。
そして何よりもその全身から吹き出す、可視化できんばかりの圧倒的な闘気が騎士の異常さをシオンに伝えている。
フルヘルムの兜の奥で輝く真紅の双眸が強烈な光を放ちシオンを見た。
地の底から響く様な不気味な声が辺りを支配する。
『我・・・神狩りの騎士・・・なり・・・。汝・・・何者か・・・』
誰何の問い掛けにシオンは答える。
「シオン=リオネイル。」
『・・・』
蒼の騎士は大剣をシオンに突き出す。
『力持たぬ戦士よ・・・去れ・・・』
「そうは行かない。俺には救うべき人がいる。」
シオンがそう答えた瞬間に騎士の様子が一変した。
『・・・救うモノ・・・。あった・・・。我・・・にも・・・。許さぬ・・・彼奴も・・・闇に・・・連れて・・・行く・・・』
ブツブツと呟きながら、苦しげに身を屈める。・・・そしてその身に瘴気が纏わり付き、騎士に吸い込まれていく。
『オオオオオオオッ!!』
蒼の騎士が吠えた。
同時に大量の瘴気が全身から吹き出され、シオンを煽った。
「クッ・・・」
吹き荒れる瘴気の嵐が収まった時、憎悪を滾らせた騎士が殺気を迸らせて跳んだ。高く。
騎士は大剣を振り翳すとシオン目掛けて落下する。
『ズガンッ!』
大剣が大地に叩き付けられた。衝撃と共に大地が激しく抉られた。
シオンは辛うじて避け、背負い袋を隅に放った。騎士の恐るべき剣勢と身体能力に戦慄し、戦いが激しくなる事を予感する。
瘴気を揺蕩わながら蒼の騎士は回避したシオンに視線を向けると、再び跳躍し一跳びでシオンに肉迫した。
『ギィィィィンッ!』
激しい火花が散り、シオンの神剣残月と騎士の大剣が激しく衝突する。が「グンッ」と身体を強く押されて、シオンはバランスを崩す前に自ら後ろへ飛び退いた。
そして空かさずシオンは再度前方へ跳び、騎士に残月を叩き付ける。騎士はその一撃を確りと受け止めると弾き返した。
膂力では負けている。リーチも大差で負けている。剣の練度も然程の差が無い。
そして、騎士の戦い方はシオンのソレと同じだった。自分よりも大きな敵を相手取る時の全身を使った戦法。
この騎士が今まで何と戦っていたかは知らない。だが、その速さと攻撃力に特化した戦い方は一撃でも直撃を受ければ致命傷となるモノだった。
・・・コレは厳しい戦いになるな。シオン背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
とにかく体格で劣る自分が受けに回っては不利だ。シオンは攻めに転じた。
気合いを乗せて跳躍すると騎士に神剣残月を振り下ろす。
騎士は大剣を振り上げてソレを弾く。
シオンは弾かれた勢いに逆らわず、身体を一捻りすると体重を乗せて下からの回転撃を打ち込む。しかし、騎士も同じ動きで回転撃を上方向から打ち込んでいた。
2人の剣が激しく交差する。
そのまま2人の戦士は激しく斬撃の応酬を繰り返した。
斬り上げ、斬り降ろし、突き、薙ぎ、跳び、時に渾身の一撃を放つ。
神剣残月が騎士の鎧を削り、肉体を斬り裂く。しかし同様に騎士の大剣がシオンの腕と言わず脚と言わずに傷を付けていく。
互角に斬り合っている様に見えるが、体格で劣るシオンの体力は厳しい処まで来ていた。
『何処かで一息吐きたい。』
シオンは何とか敵から離れる隙を探す。
普段なら身を躱しながら敵の攻撃を見切るシオンも、この強敵の鋭い剣勢の前では躱しきる事が出来ず、剣で受け止めざるを得ない。
しかし騎士の圧倒的な剣圧を受け続ける行為はシオンの体力を激しく奪っていった。
「!」
僅かな集中の乱れを突かれ、シオンは騎士の蹴りをまともに受けた。大剣への注意は逸らさなかったシオンも疲れから敵の脚の動きまで追いきれなくなっていた。
「グフッ」
腹を抉られシオンは呻くと、文字通り後方に吹っ飛ばされた。
背中から着地したシオンの視界に、追撃態勢に入った蒼の騎士が跳躍し自分目掛けて落下してくるのが見える。
「!!」
咄嗟に身を転がして叩き付けられた大剣を避けるが、騎士は次々とシオンに追撃を繰り出してくる。二撃目を転がって避け、三撃目を避けながら身体を跳ね起こし、四撃目で騎士の大剣を受け止める。
騎士の脚が振り上がり始めたのを視界の隅に確認すると、シオンは突き出された蹴りを躱して隙だらけになった敵の胴を深く斬り付けながら後方に払い抜けた。
蹲る敵の隙を突いてシオンは距離を置くと呼吸を整える。一息吐けた。これでまた戦える。そしてシオンの驚異の見切りの能力がこの蒼の騎士の極限の剣術をも見切り始めていた。
決着をつける。シオンがそう思った時。
『ウ・・・オオオ・・・』
蹲っていた蒼の騎士が呻いた。
そしてゆっくりとシオンを見る。腹部から流れる黒い血を手で触り指で弄ぶ。
『黒・・・血?・・・汝は・・・人・・・神・・・竜・・・我が名は・・・クリオリング』
騎士の名前はクリオリングと言うらしい。何故、いきなり名を名乗ったのかは解らない。錯乱しているのか?
シオンが剣の柄を握り直したとき、
『オオオオオオオッ!!』
蒼の騎士が再び咆哮を上げた。
同時に途轍もない密度の瘴気が全身から吹き出される。
兜の奥の赤目が正視し難い程の光を放ってシオンを見据える。クリオリングは赤目の光を曳光に残し更なるスピードでシオンに迫った。
「!」
辛うじて薙ぎ払いの一撃を受け止める。が、身体が後方に押し込まれる。
シオンは驚愕していた。
「更に速くなった・・・!?」
まさか更に能力を引き上げるとは。流石に予想外だった。
一方的な猛攻がシオンを襲う。
戦い方は同じでも、その速度とパワーが違う。忽ちシオンの身体は傷ついていく。手足は勿論、今までは何とか護ってきた腹や胸にも剣先が掠め始める。まともに受ければ両断されてしまう事は疑う余地も無い。
シオンは懸命に相手の攻撃に自分の動きを合わせた。全ての攻撃を何時までもは躱せない。身体が動く今の内に身体と目を慣れさせる。
自分が見切るのが先か。斬られて死ぬのが先か。
ふと、猛攻が弱まった事にシオンは気付いた。
クリオリングの目から紅い光は消えていた。其処には虚ろな双眸が在った。そしてその双眸からは黒い一筋の何かが流れていた。
『・・・涙?』
シオンに疑問が浮かぶ。
弱まった彼の攻撃の隙を突いてシオンはクリオリングの肩を剣で激しく突いた。
「!」
クリオリングが蹌踉け、シオンはまた距離を取る。
「何故泣く?」
シオンは尋ねた。
「クリオリング、お前の救うモノとは何だ。許せぬ『彼奴』とは誰だ。」
シオンの問い掛けにクリオリングの殺気が薄れる。
『・・・救うモノ・・・我らが光・・・我らが・・・聖女。・・・彼奴・・・ゼニティウス・・・許さぬ・・・』
「ゼニティウス・・・?」
シオンにはその名も聖女とやらも誰の事なのかは解らなかった。
しかし、この騎士がその2者の為に心を慟哭させている事だけは痛い程にシオンに伝わって来た。剣を合わせたから・・・と言う事もある。だがそれ以上に彼の悲しみがダイレクトにシオンに届いてきたのだ。丁度、邪教神殿の宝物庫でルーシーの魂に触れた時の様に。
シオンはその直感と言うか感覚を重んじた。
「・・・お前の悲しみを晴らすに、この戦いは必要なのか?・・・通しては貰えないのか?」
クリオリングは動かなかった。が、やがてシオンに剣を向けると呟いた。
『・・・斃す。』
「・・・そうか・・・」
シオンは剣を構えた。
激しい剣の応酬が再び始まる。クリオリングの剣は先程までの猛烈な攻撃ではなくなっているが、その大剣の冴えは些かも衰えていない。
2人の死闘は長引いた。
シオンはクリオリングの動きを見切り始めているが、如何せん身体が傷つき過ぎた。僅かな隙が見えていても素早く其処を突く攻撃に転じる事が出来ない。だが先程とは違い、彼の残月は確実にクリオリングの身体に傷を残し始めている。
再び剣を合わせてから既に数十合。
遂に終結の時が訪れた。
先程、シオンが深く傷付けたクリオリングの腹部から大量の鮮血が迸った。
「!」
突然の出血にクリオリングの動きが鈍る。
シオンの神剣残月がクリオリングの腹部目掛けて一閃を放つ。夥しい量の黒い血を噴き出しながら、嘗て無い強敵は仰け反り、大地に倒れた。
「ハァ・・・ハァ・・・」
肩で激しく息をしながらもシオンは強敵に剣を立てて騎士の礼を施した。
そしてその場にへたり込む。強かった。此処まで死を間近に感じた戦いは久方振りだった。倒れたクリオリングを見遣る。彼は何を胸に秘めていたのか。
その時、クリオリングの腕がピクリと動き、蒼の騎士がシオンを見た。
『戦士よ・・・見事・・・。』
「・・・貴方こそ見事だった。貴方ほどの敵に出会った事は無かった。」
シオンが答えるとクリオリングは腕をシオンに伸ばした。
『・・・手を・・・』
「・・・」
シオンはクリオリングの大きな手を握った。
クリオリングの全身が光る。
「!」
シオンはその目映さに一瞬目を細めたが、次の瞬間、自分の身にクリオリングの蒼き鎧が纏われている事に気が付いた。
『・・・持っていけ・・・』
クリオリングの双眸をシオンは見つめ、頭を下げた。
「有り難く・・・。」
『・・・その優しさで・・・願わくば・・・我らの無念・・・晴らしてくれ・・・』
クリオリングはそう言うと涙を流す双眸で、暗い天を仰いだ。
『・・・愛しき聖女達よ・・・不甲斐なき身を許し給え・・・。貴女方の無念、私では晴らす事叶いませぬ。・・・だが・・・いつか・・・きっと・・・』
クリオリングの身体は霧が霧散すかの如く消滅して行った。
シオンは消えていった戦士に対して頭を下げる。
彼が何をシオンに託したのか、詳しくは解らない。だが、自分を信じてくれた者のまさしく命を賭けた頼みをシオンはそのままにする気は無かった。
何年掛けてでも彼の願いが何だったのかを調べ上げ、必ず何らかの決着をつけて報告に来よう。
少年は決意して立ち上がった。
戦いの最中に放り出した背負い袋を広い上げると、ポーションを飲み、薬草を傷口に揉み込んで布を巻いた。正直に言えば傷は深く、暫くは戦闘は厳しい。
だがルーシーを見つける迄は歩みを止める訳にはいかない。フラつく脚を叱咤してシオンは歩き始めた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
セルア砦は乱戦となっていた。
ブリヤンの指示により陣形は既に解かれて、3人1組の小隊戦闘に切り換えられている。
3人で1人の聖堂騎士を相手取る戦闘に依って数の有利を生かす狙いだったが、聖堂騎士達は死を怖れる事無く小隊に飛び込み、命と引き換えにセルディナ軍に多数の犠牲者を出しながら斃れていく。
そして何よりも厄介なのは、戦場を包む瘴気だった。
コレのせいでセルディナ軍の動きが鈍い。逆に聖堂騎士達は機敏に動き回り、数の不利を打ち消してしまっている。
『まだか・・・』
ブリヤンの表情には焦りが在る。
個人の勇を競うだけで良いのなら、とうの昔にブリヤンも戦乱に飛び込んでいただろう。今、ゼネテスが乱戦の中で奮戦している様に。
しかし、作戦が潰えている訳では無い。まだ策は残っているのだ。だが、このままではその策が発動する前に軍が壊滅してしまう。
『撤退を考えるべきか。』
この乱戦からの撤退は無理な撤退になるだろう。更なる出血は免れない。
ブリヤンが見守る中、容赦なく敵の兇刃が味方が屠っていく。
彼は被害を計算する。序盤に使われた敵の大魔法により、一気に数百騎単位で戦力を奪われている。その後の乱戦により凡そではあるが1000人近くの戦死者・負傷者を出している。
甘い勝算だった事は否めない。魔法の妨害がコレほどまでに響くとは流石に考えていなかった。
5000騎もの兵力で囲み、更に最序盤の突撃が上手く行った為、楽観視していた処がある。其れもまた敵の誘導であったのかも知れないが、いずれにせよ・・・。
『撤退するしか無い。』
これ以上の犠牲は払えない。
彼が決断し掛けた時だった。
セルア砦の周囲の森の四方から光の柱が昇った。
「!」
ブリヤンの視線がそちらへ向いた。
柱はそれぞれの柱を軸として光の壁を造り始め、砦を囲む巨大な結界を作り出した。
「間に合った・・・」
思わず言葉が零れる。
戦いが始まる前に、ブリヤンは集まってくれた魔術師団の内、80名を20名1組のチームに分けて結界作成のチームを作っていた。
そしてそれぞれに他領から来てくれた騎士団を護衛につけて、このカンナから教わっていた大結界を作らせていたのだ。
『セイクリッド=ディファレンスと言う神仙術の1つだ。・・・そうだな、手練れの魔術師が50~60人も居れば名前無しでも発動出来るから、決戦の時にでも使うと良い。』
そう言って呪法書と魔石を渡して来た、小さな伝道者の姿を思い出す。
迸る聖なる力が忽ち、辺りを蝕んでいた瘴気を打ち消していく。
ブリヤンが叫んだ。
「誇り高きセルディナ兵達よ。悪しき瘴気は祓われた!今こそ反撃の時だ!」
セルディナ騎士達が吠えた。
短時間且つ激烈な戦闘が展開され、セルア砦には聖堂騎士達の死体が転がり、セルディナ軍の雄叫びが響いた。
「隊列を組め。これよりセルア砦内部の制圧戦に移る!」
ゼネテスの号令が掛かり、セルディナ軍は砦内部の掃討戦に移っていった。
そして数刻後。
大結界の影響で奈落の法術を封じられた邪教徒達は、主教のバンジール諸共に屍を晒す事となった。
セルア砦の決戦はセルディナ軍の勝利で幕を下ろした。




