65話 セルア砦の戦い
セルディナ軍がセルア砦に到着したのは太陽も中天を越えた頃だった。
「閣下、セルア砦に向かわせていた斥候部隊が戻って参りました。」
「うむ。」
「砦周辺の広場には獣人やオーガ、魔獣などの魔物が犇めいていますが黒騎士団の姿は確認出来ておりません。また、砦周辺に大規模な罠は確認出来なかったとの事です。」
報告を受けてブリヤンはゼネテスを振り返った。
「我々に気付いていると思うか?ゼネテス将軍。」
後ろに控えるゼネテスは頷いた。
「間違い無く。今は此方の出方を窺っているのでしょう。砦を擁する以上、機を見る事もせずに其処から出てくる愚は犯しますまい。」
「そうだな。敵も此方が急拵えの軍だと知っていよう。なら持久戦に持ち込める程の用意が出来ていない事も、いつまでも睨み合っている時間が無いことも察しがついている筈。」
「はい。それに・・・」
ゼネテスは周囲を見渡す。
「この異形の森で5000もの軍勢を効果的に展開出来る場所も御座いません。細かな策はもはや不要であるかと。」
ゼネテスの言う通りであった。密林に近いこの大森林では軍を展開出来る場所が無い。せいぜい出来る事と言えば、500程度の少数に軍を分けて砦を取り囲み、全周囲からの鏖殺するくらいだが。野良の魔物も多数存在するこの森ではその方法も危険度が高すぎる。
「やはり正面からの突撃しか無さそうだな。」
「はい。罠の存在に留意しながら、そうするのが最善かと。」
「うむ、では突撃準備を。」
ブリヤンが指示を出す。
魔術師達が担当の騎士達に防御魔法と攻撃強化の魔法を掛けていく。更に追加で騎馬にも防御魔法を掛ける。
「閣下、突撃の準備が整いました。」
「解った。」
陣形は槍弓陣。軍全体を槍の穂先に見立てて縦に長い三角形の陣形を取る。正面突破で砦周囲の魔物を高速移動にて蹴散らし、砦からの援護が来る前に周囲を制圧する。開戦初手をこの戦いの要所に据えた作戦だ。ここで失敗した場合は、軍を纏め直して一時撤退までを考慮に入れる。
「弓箭兵!」
「放て!」
ゼネテスの号令と共に700名の弓箭兵の長弓から放たれた矢が放水状に飛んでいく。一射目の矢には魔術士が施した強化魔法が付与されている。その魔法矢は絶大な威力を以て魔物達を次々と撃ち倒していった。
「二射目・・・放て!」
通常の矢が飛来し、また魔物の群れを傷付けていく。
「最終矢・・・放て!」
最後の矢が放たれると同時に、1000名の騎士達が混乱状態の魔物達に槍弓陣で突撃していく。コースは砦に向かって右回りに一周。地を揺るがせて突進する騎士達に魔物が反応し応戦の構えを取り始めるが、彼らは騎馬の勢いに任せて槍を突き出し、まるで枯れ木を刈り倒すかの如く魔物達を屠っていく。不運にも反撃を受けた騎士達もいたが、さしたる被害も無く一周し終える。
「第二陣、突撃!」
ゼネテスの号令を受けて次の1000名が突撃を敢行する。同時に魔術師達がオーガや大型の魔獣に対して次々とソーサリーボルトを放つ。単唱で間を開けずに次々と放たれる魔法に何体かの魔物が地に伏した。其処を第二陣が駆け抜けて生き残った魔物達に止めを刺していく。
此処までは予定通りだ。だが砦から魔物への援護が一切無い。その静けさにブリヤンは不気味なものを感じる。しかし手を止める訳には行かない。
「第三陣、突撃!」
ゼネテスが突撃の号令を掛ける。
「敵は戦い慣れているな。」
目の前の鏡に映される砦外の様子を見ながらリグオッドは呟いた。
「あれだけの数の魔術師を連れてくるとは、連中は此方の事を知っているようだ。」
リグオッドの隣に控える聖堂騎士が頷く。
「これをどう処理するか。主教殿のお手並みを拝見しようか。」
セルア砦の広間には幾重にも大きな魔方陣が描かれていた。其れを囲むように、数十人の邪教徒が祈りを捧げ続けている。
その中で幾人かの邪教徒が魔法の詠唱に入った。彼らの詠唱が終わる度に魔方陣が次々と輝き出す。
そして最後にバンジールが詠唱に入った。
『枯れ地にて嘆きし深淵の主よ。願われし地に汝の祝福を与え、迷い子を嘲りの沼へと導け・・・』
最後の魔方陣が輝き出す。
『・・・アビスホール』
魔方陣全体が強く輝き出した。
「・・・何が起こった!?」
ブリヤンの叫びにゼネテスも答えられない。
3度目の突撃の最中、突如として砦周辺に黒いモヤが掛かったかと思ったら、突然に騎士達が馬ごと大地に沈んで行ったのだ。まだ生き残っていた魔物諸共に。
モヤが取り払われると其処には真っ黒な沼地が出来上がっていた。唯一、セルア砦の正門へと続く道が残っているだけでその周囲は全て異臭を放つ瘴気の沼と化していた。
「魔法か・・・!」
ブリヤンは歯噛みをした。魔法に依る援護には警戒していた。その為に魔術師達には魔法攻撃の後、防御魔法の準備を取らせていたのだが。
「是れほどの大規模な魔法を生み出すとは!」
しかも足場を奪う魔法が在るとは想定外だった。しかし自軍の魔物を巻き込んでまで其れを行うとは。沼の縁側に居た騎士達は自力で這い上がってきたが多数が沼に飲み込まれていった。
その時、セルア砦の正門が開いた。
「!」
其方に目を向ける。
正門の奥には全身を黒い甲冑に纏った騎士団が立っていた。全てを飲み込むかの如きその威圧感にセルディナ軍は「ゴクリ」と喉を鳴らす。
「バンジールめ。やるではないか。」
先頭に立っていたリグオッドが嗤う。
遂に邪教の聖堂騎士団がその威容をセルディナ軍に見せたのだ。
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シオン達は、オーガとの遭遇以降も何度か魔物と交戦した。シオンが剣を振るい、カンナとルーシーが魔法を飛ばし、その戦闘の悉くを短時間で終わらせる。
奇怪に捻れた森の中、やがて視界が開けた。薄暗い景色が一転し、荒涼とした砂漠が姿を現す。
「シバ砂漠・・・」
シオンは呟いた。
今までにも旅の中で何度も砂漠は目にした。炎天下と熱砂。極限の乾燥した空気と僅かな水と其処に棲まう強靱な生物達。
死の大地と呼ばれながらも自然と生命の輝きを確かに実感出来るのが、シオンの持つ砂漠のイメージであった。
しかし、今眼前に広がる砂漠は全く違った。荒涼とした砂の大地からは自然の輝きが感じられず、むしろ全てを引きずり込む様な空恐ろしさを感じる。
「昏い・・・」
ルーシーが感想を漏らすとカンナが頷いた。
「そうだな。まるで輝きが見えん。」
カンナは森の一角に10m四方の結界を張ると馬2頭をその中に入れた。
「・・・大丈夫なのか?」
シオンの心配げな言葉にカンナは頷いて見せた。
「大丈夫だ。この中に居れば外からは姿が見えん。臭いも遮断するから、2~3日なら問題無いだろうよ。」
そう言って彼女は馬に何やら囁き掛ける。
馬はまるでカンナの言葉に応えるかのように鼻を鳴らす。
「お前、馬と話が出来るのか?」
「ん?まあな。デカい脳味噌を持った奴となら大抵は意思の疎通が出来る。」
事も無げにカンナは言った。
「むしろ一番意思が通じないのは人間だったりするからタチが悪い。」
「そうかもな。」
シオンは苦笑する。
「そもそも人間は欲が強すぎる。際限が無い。」
カンナは何やら鬱憤を晴らすかのように言葉を繋ぐ。
「一を手に入れたら二を望み、ソレを手に入れれば三を望む。この辺で良いと言うキリを知らん。特に上に立つ者達にソレは顕著だ。」
カンナのいきり立った発言にシオンは反論してみたくなる。
「・・・しかし、その欲望こそが発展の礎と言えなくもないと思うが。」
「詭弁だよ。」
カンナは切り捨てる。
「欲望が発展の礎。ソレは確かさ。間違い無い。欲望は必要不可欠なモノだ。・・・だが、欲望強き者達の自己正当の言い訳にもなっている。頂点に立つ事ばかりに固執して本当に其処まで望む必要があるのか?という自省が皆無に等しい。」
「・・・」
「人間はその日を生きて過ごすに幾ばくかのパンがあれば良い。100年後に食べるパンの心配をする必要は無いし求めるべきでは無い。其れを求めるから要らぬ災いを呼び込み弱者が涙を流す。過ぎ足れば其れは毒になるんだよ。・・・こんな当たり前の事を簡単に忘れるから私は為政者と言うのが好かないんだ。」
「其れは人間に限った話なのか?」
シオンは気になっていた事を尋ねた。
今の様な彼女の愚痴は、カンナと行動を共にする様になって数年、時折聴かされていた話ではあったが、シオンの質問は彼の中で一度は確かめてみたい事だった。
「・・・」
カンナはシオンをジロリと見る。
「・・・そうだな・・・。お前達『人間』が亜人と呼ぶ知有種は世に何十種と居るが・・・ほぼ、人間に限るな。欲望の強さと其れを抑える術を知らぬ未熟さで言えば『人間』に及ぶ者達はいない。世に私達ノームやエルフ、ドワーフ、ホビット・・・様々な知有種は居るし、それぞれが当然欲望を持っている。しかし彼らは自然を感じて識り、その中で生かされている事を強く自覚している。だからその欲望が自然との調和を乱さないかを常に気に掛けている。」
「・・・丁度いい。お前達に1つ教えてやろう。」
カンナは2人を見て指を1本立てた。
「何をだ?」
シオンが尋ねる。
「神話時代の人間と今の人間の違いさ。」
「違い?」
「そう。以前に今の人間は神話時代の人間達と較べて、比較にならない程に衰えたと話した事があったな。」
「ああ。体力も魔力も生命力も比較にならないと。」
「そう。」
カンナは頷く。
「信じられないくらいに弱くなった。・・・だが、そんな今の人間が神話時代の人間に圧倒的に勝る力を1つだけ手に入れているんだ。神話の神々が今の人間の1人1人に与えた最大の恩恵よ。その力が在ったからこそ、人間は今の繁栄を手に入れている。其れが何か解るか?」
カンナの問いにシオンは首を傾げた。
「・・・知力か?」
「其れは今も昔も変わらん。」
カンナは首を振る。
「では、技術でしょうか?」
「技術は武器や防具の観点で言えば神話時代の方が遙かに優れている。」
ルーシーの答えにもカンナは首を振る。
「・・・」
「解らん。答えは何だ?」
シオンが苛立つ様にカンナに問い質した。
カンナはニヤリと笑う。
「其れはな『繁殖力』さ。」
「繁殖・・・な・・・」
意外な答えに2人は絶句する。
「まあ『性欲』と言い換えてもいい。」
「・・・」
シオンとルーシーの表情を見てカンナは苦笑する。
「呆れているな?しかし、種の保存の観点から言えばコレほどに強力な力は無いぞ。・・・シオンよ、世界に今何人の人間が居る?」
「確か、確認可能な人数で凡そ1億人を超えると聞いた事がある。」
「そうだな。其れに未確認の人数も合わせれば凡そ1.5倍くらいにはなろう。つまり1億5000万人ほど居ると予測出来る。」
「ああ。」
「では神話時代はどうだったか。・・・凡そ世界で200万人ほどだったと言われていた。」
「え!?」
「そんなものなのか・・・」
余りの少なさに2人は驚く。
「神話時代の人間は私達亜人と同じく性欲が非常に乏しかったのさ。今と違って美男美女が多く揃っていたにも関わらず、外見だけでは中々に繋がらなかった。だから子が生まれない。故に数は増えなかった。」
「・・・」
「だから神々は1人1人の力を極限まで高めてやる必要が在った。だが、其れでは種の存続は危ういのさ。強力な個体の1000体よりも脆弱な個体100万体の方が生き残り易いのは当然の理だろう?」
カンナの明け透けな話にシオンとルーシーの顔が紅くなる。
「では今はどうか?男も女も常に相手を求めるだろう?其れこそ年がら年中。だからその強い性欲故に子が多く生まれる。仮に年間に一万人が死んでも年間に十万人が生まれていれば滅びようが無い。そして何をするにしても数は力だ。その数の力を以て人間は繁栄してきたんだよ。」
3人は砂漠を歩きながら話を進める。
「でも、其れならば欲は必要なモノなのでは?」
「言ったろう?必要不可欠ではあるが過ぎ足れば毒になると。」
カンナは飄々と言い返す。
「性欲が過ぎれば相手を尊重しなくなる。育てる力も無いのに子だけが増える。食欲が過ぎれば後先考えずに食い尽くす。身体を壊して早死にする。睡眠欲が過ぎれば寝てばかりで何もしなくなる。衰退が加速する。」
「・・・確かに。」
「全ての欲に言える事さ。過ぎ足れば毒になるんだよ。だが人間の持つ欲には際限が無くソレを抑える知恵を持たない。ソレが私はイヤなのさ。」
「・・・」
カンナの話が終わるとシオンとルーシーは視線を交わして顔を赤らめたが、直ぐに今の話について考え始めた。
吹き荒ぶ寒風が3人の羽織るオーバーコートをはためかせる。偶に目にする灌木も既に枯れているものばかり。方向を見失えば恐らく死ぬまで彷徨うことになるだろう、この死の砂漠に於いて頼るのはルーシーの魔女に繋がる感覚のみ。
「ルーシー、どうだ?」
シオンが尋ねるとルーシーは前方を指差す。
「もう近いよ。コッチの方角から強い力を感じる。・・・多分、深い穴が在ると思う。」
「穴?」
シオンは邪教神殿の宝物殿でルーシーの魂を取り戻す際に、彼女の魂と出会った場所に在った穴を思い出す。
「深い穴か・・・どうやって降りようか。」
カンナが思案する。
変化は唐突に起こった。
先頭を歩いていたルーシーの足下の砂地が崩れたのだ。
「わ!?」
声を上げて体勢を崩すルーシーがそのまま崩れた流砂の中に飲み込まれていく。
「ルーシー!!」
シオンがルーシーに手を伸ばしながら、その穴に飛び込んだ。
「・・・」
歩幅の関係で一番後ろを歩いていたカンナは、その突然の出来事を呆然と見ていた。
「・・・何だよ、急に・・・」
2人の消えた前方を見ながら、珍しい地の呟きをノームの少女は漏らした。




