59話 月明かり
シオン達はルーシーを連れてセルディナに戻った。
アインズロード家が用意した馬車の中でカンナはルーシーに言った。
「ルーシー、お前は暫く家に戻らずにシオンの家に泊まれ。」
「「「え!?」」」
全員が驚いてカンナを見た。
「ど・・・どうしてですか?」
顔を真っ赤にして絶句するルーシーの代わりにセシリーが尋ねた。
カンナは至って真面目な表情で言った。
「或いは村人達がルーシーを連れ戻しに来ないとも限らんと思ってな。」
アイシャが首を傾げる。
「でも、ルーシーはセルディナに住むって言ったとき村の人達は了承してたよ?」
シオン達は村人達を集めて話をした際に『ルーシーは今後セルディナに住む。この村には戻らない』と告げている。その折りは反発も何も無く皆が了承していたのだが。だが、カンナはそんな頷く彼らの視線に粘っこい感情を見てとっていた。
「あの時は村人達も、村長の悪辣さにある意味で思考が麻痺していたから素直に頷いた。だが、本調子を取り戻したときに素直にルーシーを手放すか不安が過ぎるんだよ。」
「でも・・・彼らにとってはルーシーが居ない方が村の再団結を図りやすいんじゃ?」
セシリーの疑問にカンナは頷く。
「勿論そうだ。だが、欲は人の眼を曇らせる。外に出て行くルーシーを惜しくなるかも知れん。」
皆が首を傾げるなか、シオンはカンナに同意した。
「俺もそう思う。俺とカンナはその手合いを何度も見てきた。」
カンナがそっと溜息を吐く。
「例えば・・・1つの悪しき噂が誰かに立つと、ソレに簡単に翻弄され、その真実を確かめもせずに悪し様に言う人間は居る。後で『実はそうでは無かった。良い人だった。』と判った途端に手の平を返して接近して来る。全ては浅はかな思考と損得勘定から起きる行動だ。彼らからも、そんな類いの人間と同じ臭いがした。・・・そしてこの種の人間の基本的な思考として自分の弱さ故に間違いを決して認めない。必ず誰かの責任にしようとする。」
何か昔の記憶を思い出しているのだろうか。シオンは眉間に皺を寄せながら話した。
カンナがその後を引き継ぐ。
「特に今回、私達は村人にルーシーを聖女だと告げてから彼らに村長達の悪事を話した。聖女と聞いて彼らは恐らく『得られた恩恵は大きかったに違いない。』と気づくだろう。そしてソレを見す見す逃した村長達を彼らは厳しく弾劾し厳しい罰を与えるだろうな。・・・その後・・・」
カンナはつまらなそうに言った。
「・・・『村の悪の根は断ち切ったから、村の発展の為に戻ってこい』と恥知らずなことを言ってきそうな気がするのだ。それをルーシーが断った時に逆恨みをしてどんな手段に出てくるかが怖い。その時にルーシーを守れる人間、具体的に言えばシオンか私が側に居た方が良い。」
皆が妙に納得した様な表情になった。
「ルーシーの前でこんな事を言うのも悪いが・・・私はテオッサの村人達を、今の段階では欠片も信用していない。・・・無論このまま素直に自分達の力で村を立て直そうとするならソレで良い。頑張って欲しいとも思うさ。だが、今すぐに信じろと言うのは無理な話だ。そうするには今までのルーシーへの仕打ちが余りにも非道すぎる。」
カンナは珍しく飄々とした態度を捨てて、感情を表に出して吐き捨てる様に言った。
「でも、ルーシーさんならそんな連中なんか返り討ちに出来るんじゃ?」
ミシェイルが言うとカンナは首を振った。
「こと魔法勝負ならルーシーに敵う者など殆ど居ないだろう。私と同格と言っても良い。だが力任せに来られたらルーシーは普通の少女と変わらん。男2~3人に掛かって来られたらとても太刀打ち出来んさ。魔法で抵抗する事は出来るだろうが、そうした場合、相手を酷く傷付ける事になる。ルーシーにソレが出来るかと言えば・・・。」
カンナがルーシーを見る。ルーシーは困った様に俯いた。
「・・・と言う事だ。そんな訳でルーシーはシオンの家に泊める。まあ・・・。うん、・・・問題無いだろ。」
2人が想い合っている事は皆が知っている。何かが起こるかも知れないが起こった処で問題も無い。シオンはルーシーを傷付ける事はないだろうし、彼自身の稼ぎで彼女に対して責任も取れる。
其れに実際はカンナも一緒に住んでいる以上、何も起こらない可能性の方が高い。
「それはそうと・・・セシリーよ。」
カンナが話を変える。
「はい?」
「今晩、お父君はご在宅かな?」
「いえ、此処のところお城に泊りっ放しです。」
「ふむ・・・」
カンナは思案した。
「そうか・・・。では、私も今晩は城に行こう。お父君にも、ルーシーの件を含めて出来るだけ早くに話をして置いた方が良さそうだしな。公太子殿下にも今晩は寝不足になって頂こう。」
「え!?」
シオンがカンナを見た。
「なんだ?」
カンナが応じるとシオンは珍しく焦った様子で尋ねた。
「それは、城に泊まると言う事か?」
「当然だろう?お前は見た目幼女の私に、夜更けの街を1人で歩いて帰ってこいとでも言うつもりなのか?」
「いや・・・。」
シオンはチラリとルーシーを見た。ルーシーは頬を紅色に染めてシオンを見ていたが視線が重なると慌てて俯く。
カンナは心の中でほくそ笑みながら
「まあ、明日の昼以降には帰って来るから心配するな。」
と惚けて言った。
「じゃあ、行ってくる。」
カンナは笑顔で2人に手を振った。出掛けに
「ルーシーはお前を拒絶しないと思うぞ。まあ何も急ぐ必要も無いし、後はお前次第だな。」
シオンに屈ませてその耳元にそう囁きながら。
「・・・いいから早く行け。」
シオンは顔を真っ赤にしながらカンナの背を押す。
そんな2人のやり取りを見ながらルーシーは別れる前にセシリーからの言われた言葉を思い返していた。
『いい?シオンが求めて来た時は覚悟を決めなさい、ルーシー。』
『か・・・覚悟って?』
『全部言わせる気?』
『・・・で、でも、私はそういうの初めてでよく解らない。』
真っ赤にさせるルーシーにセシリーは軽く溜息を吐く。
『初めてって・・・そんなの当たり前でしょ?いいからシオンのやりたいようにさせれば良いのよ。或いは貴女がシオンにしたい事をしたら良いのよ。』
『し・・・したい事・・・』
『有るでしょ?貴女だって女なんだから男にしてみたい事の1つや2つ。』
『・・・』
ルーシーの顔がこれ以上無いほどに真っ赤になった。
『蒸気でも噴き出しそうね。何を考えてるのかしら?』
『べ・・・別に何も・・・!」』
慌てるルーシーにセシリーはニヤリと笑った。
『まあ、興味が有るようで何よりだわ。とにかく覚悟を決めなさい。』
ルーシーはグッと拳を握り締める。
――が・・・頑張ろう。何を頑張れば良いか解らないけどシオンに喜んで貰おう。
カンナが出て行き扉が閉まると、シオンがぎこちなくルーシーに振り返った。ルーシーも頬を染め上げて俯きながらシオンを見る。
「・・・」
お互いに黙って向き合いながら、何を話そうかと緊張で回らなくなった頭を回転させようと試みる。が、何も浮かばない。
ふとルーシーは改めてシオンの顔を見直した。ソコには初めて見る、少し気まずそうな表情が少年の顔に浮かんでいる。基本的には凜々しい表情を見せる事の多いシオンの、そんな表情が見られてルーシーは少し可笑しくなり笑ってしまう。
「え・・・どうした?ルーシー。」
急に笑い出したルーシーにシオンが尋ねる。
「ごめんなさい、何でもないの。ただ、シオンのそんな顔は初めて見たなって。何だか可愛くて。」
「か・・・可愛い?・・・ま、まあ・・・そ、そうか。」
シオンは顔を赤らめながら一緒に笑う。
一緒に笑うと先程までの緊張が嘘の様に解けた。
ルーシーは一息吐くと
「御夕飯、私が作りましょうか?」
と尋ねて来た。
シオンは少女からの予想外の提案に、一瞬だけ思考が飛んだが直ぐに得も言われぬ高揚感が湧き上がって来る。
「え、ルーシーがご飯を作ってくれるのか?」
「うん、良かったらだけど・・・」
「あ、ああ!ありがとう!疲れてなければ頼むよ!」
シオンの嬉しそうな顔を見てルーシーも思わず顔を綻ばせる。
「じゃあ、俺はルーシーの寝る場所を整えてこよう。」
「あ・・・はい。」
ルーシーは少し恥ずかしげに頷いた。
食卓に並んだ料理にシオンは眼を輝かせる。
ベーコンのキッシュパイにポテトのポタージュ。コンガリと焼いたパンに焼いた卵と蕩けたチーズが乗せられたエッグベネディクト。温めたミルクにサラダ。
「こんな短い時間に・・・凄いなルーシー。」
シオンに褒められてルーシーも恥ずかしそうに笑う。
「口に合えば良いんだけど・・・」
それが心配だ。張り切って作ってみたは良いけれど、思い返せば今まで自分の料理を誰かに食べて貰った事など無い。
キッシュパイを口に運んだシオンをルーシーはドキドキしながら見つめる。シオンは一口囓る。
「・・・」
が一瞬驚いた表情で動きが止まっただけで、何も言わずに一切れを全部頬張り飲み込んだ。
「あの・・・どうかな?」
ルーシーの問いにシオンはハッとなった様だった。
「あ、す・・・済まない。一口目で感想を言うべきだったな。その、美味い!驚いてそのまま食べてしまった。ルーシーは料理が上手だな。」
シオンの絶賛の評価にルーシーは嬉しそうに相好を崩した。
「良かった、気に入って貰えて。」
少年の食欲は相当なモノで、殆どを1人で喰らい尽くしてしまった。
「おんなじ食材の筈なのに何でこんなに味が変わるんだ・・・」
シオンがブツブツと呟くのを聞いて嬉しさが込み上げる。
「もし良ければ、お世話になってる間は私がご飯を作るよ?」
「本当か?じゃ・・・じゃあ、頼もうかな。」
顔を赤くしてお願いするシオンにルーシーは頷いた。
食事を済ませるとシオンはルーシーに声を掛ける。
「片付けは俺がやるからルーシーは湯浴みでもしてくると良い。」
「!」
ルーシーは一瞬だけ動きを止める。
「う・・・うん、ありがとう。」
真っ赤な顔で少女は頷いた。
そう言うシオンも内心では緊張で胸が高鳴っていた。
――別に変な言い方はしていないよな。当たり前の事を勧めただけだし。
そうは思うモノの顔の火照りは収まりそうに無かった。
――夜。
「・・・お邪魔します。」
ルーシーがおっかなびっくりの様子で寝室に入ってくる。
「ああ・・・、その、ゆっくり休んでくれ・・・。」
シオンもぎこちなく答える。
勿論、ベッドは別々だ。ルーシーはカンナの使っていたベッドを利用する。が、同じ部屋で眠る事に変わりはない。
――・・・透けて見えていないよね。
ルーシーはいつも使っている寝衣を身に纏っていたが、生地がかなり薄いのが気になる。シオンを見てみるが、シオンは時折、視線をコチラにチラチラと投げてくるだけで特に何も言わない。
――・・・見えて無さそう。
少女は少し安心してベッドに潜り込んだ。
実際には少し身体のラインが透けて見えていた。けれどシオンにはとても指摘する勇気は無かったので黙っていただけなのだが。
シオンがランプの灯火を消した事で寝室には夜の闇が訪れる。ランプのオレンジ色の明かりの代わりに、窓から零れてくる銀色の月明かりが2人の寝室に降り注がれた。
ルーシーは黙って天井を見上げる。
昨日までは死を覚悟した戦いに身を投じていた。孤独に戦い抜く覚悟だった。それが今はシオンの家で眠りに就こうとしている。
運命とは本当に何が起こるか判らない。
自分の人生には幸せと呼べる時間は殆ど存在しなかった。其れが当たり前なのだと受け入れてきた。いや受け入れざるを得なかった。半ば意固地になって幸せを求めたのも其れが両親の願いだったからで在って、本当は自分が幸せになる事は半ば諦めていた。
其れが・・・横を見れば愛する少年がいる。
「シオン・・・」
ルーシーは黒髪の少年に声を掛ける。自分でも驚く程に穏やかな声だった。
「あ、ああ。」
シオンは落ち着かない様子で返事をし、ルーシーを見て目を瞠る。
「ありがとう。貴方に出会えて・・・私はとても幸せです。」
ルーシー頬を紅色に染めて微笑んでいる。銀月に煌めいうた美しい白銀の髪が頬に掛かる。
シオンは少女に見惚れた。
「俺こそ・・・君に出会えて・・・本当に幸せだ。」
シオンは起き上がった。
「・・・シオン?」
急に起き上がったシオンにルーシーは首を傾げる。
シオンは熱の籠もった視線をルーシーに投げた。
「ルーシー・・・そっちのベッドに行っても良いだろうか?」
少女の紅の瞳が揺れる。やがて、少女は頷いた。
「はい。」




