52話 巫女の抵抗
「ハァ・・・ハァ・・・」
ルーシーは荒い息を吐きながら通路を歩いていた。聖堂での戦闘はルーシーが思う以上に彼女の体力を激しく奪っていた。少女はその身を通路の壁に預けると息を整えた。そして精神を集中させて魔法の詠唱に入る。
『終わりの大地に注がれし常しえの水よ。舞い降りて我が衣手を濡らし給う・・・キュアエナジー』
山吹色の光の膜に包まれて、ルーシーは体力の回復を確認する。とは言え、この回復は一時的なモノだ。いずれ何処かで確りと睡眠を取り、本当の意味での体力と魔力の回復を図る必要がある。そうで無ければこの先、邪教徒相手に1人で戦い抜く事など出来はしない。
まやかしに近い形とは言え元気を取り戻したルーシーは、また神殿の出口を目指して歩き始める。
「・・・よもや『巫女』とはな。」
後ろから突如聞こえてきた声にルーシーは総毛立った。なんと禍々しい気配なのか。銀髪の少女は杖を構えて振り返った。
其処には黒いローブを纏う2人の男が立っていた。
1人は端正な顔立ちをした青年。しかしその表情は身を竦ませる程の冷酷さに溢れている。
そしてもう1人は初老の男だった。全身に瘴気を纏わり付かせている。そしてルーシーは、その男の真っ赤な瞳を見た瞬間に恐怖が全ての感情を支配するのを感じた。
『怖い』
純粋にそう思う。
「・・・成る程、『竜王の巫女』が相手だったか。」
初老の男が嗤った。
「・・・誰?」
ルーシーは恐怖で訳が解らなくなりそうな気持ちを抑えて、辛うじて声を絞り出した。そんなルーシーに男が興味を引かれたような表情を見せる。
「ほう・・・。瘴気を纏ったこの儂の視線を浴びても正気を保つか。素晴らしい精神力だな。」
「誰なの!?」
堪らずにルーシーは叫んだ。
すると青年が1歩前に出る。
「控えよ。此方は我らが尊師、ザルサング大主教猊下に在らせられる。」
「大主教・・・」
ルーシーは本質を見抜く紅き双眸を輝かせて、2人を識る。
「貴方が・・・オディス教の指導者なのね・・・。」
眼前に敵の首領がいる。ならばこの男を斃せば、全てを終わらせられる。ルーシーは右手に構える杖を強く握り絞めた。
そのルーシーの様子を無感動に見遣りながらザルサングは独り言ちる。
「竜王の巫女が相手では奈落の法術が破られ続けてきたのも仕方無い事か。」
実際にコレはザルサングにとって純粋な落ち度であった。
数年前に強い魔力を持った少女が居る事を知ったザルサングは、この娘を魔女覚醒の祈りとその命を捧げる為の聖女に任命し、その後をクランザに一任していた。
しかしその時にその娘の力の正体について探るべきだったか。
結果、クランザは少女の怒りを買ってしまい、そのまま少女に殺された。テグマルにせよアルゴールにせよ、もし彼らを殺したのが目の前の美しい少女であるのならば何も不思議は無い。彼ら程度では、魔法勝負に於いて竜王の巫女に抗える筈も無い。いや、巫女の力と言うよりはその体内に秘められた神性と言うべきか。
何れにせよザルサングにとって、コレは好都合と言うべきだった。
『本物の巫女の祈りで在れば復活は確実か。』
ザルサングは隣に立つ青年に声を掛ける。
「アシャよ。彼の巫女を捕らえられるか?」
「は。身命を賭しまして。」
ザルサングは嗤った。
「ほっほ。解っているか。その通りだ。如何なお前でも、あの娘相手では死ぬやも知れん。・・・手立ては在るか。」
ザルサングの問いにアシャは頷く。
「は。」
「良かろう。やって見せよ。」
「畏まりました。全ては我等が女神『グースールの魔女』と大主教ザルサング猊下、御身の願われるが儘に。」
ザルサングは満足そうに頷いた。
「うむ、では儂は聖堂にて吉報を待つとしようか。・・・巫女よ、儂を斃したくば、先ずは其処のアシャを殺してみるが良かろう。」
そう捨て台詞を残してザルサングは聖堂に消えた。
アシャは自分に杖を向ける少女の強大な魔力に戦慄していた。とは言え魔法勝負であればそれ程一方的にはならないだろう。だが、彼女からは魔力以上に強い神性が溢れている。これを喰らえば、如何な光の力に耐性のある自分とて命は無かろう。ましてや少女は既に殺意を持って人を殺している。この経験は少女がアシャを殺すのに躊躇いを持たせないだろう。
青年は戦いの算段を整える。
ルーシーもまた、目の前に立つ端正な顔立ちの青年に奇妙な違和感を感じていた。その本質をある程度見せてくれる紅の瞳が、彼を純然たる『黒』に見せないのだ。・・・だが、事が此処まで来て、手こずっては居られない。邪魔をすると言うのなら斃すしか無い。
ルーシーは魔法の詠唱に入った。
『灰に座せし偽りの羊よ。奏でられし羽音を纏いて安らぎの豊穣を齎せ・・・セイクリッドオーラ』
奈落に落ちた者ならば包まれるだけで致命傷になるオーラの膜を形成する。
アシャもルーシーに1歩遅れて魔法を唱えた。
『悲しみを貪る暗愚の獣よ。その嘆きの言霊を以て成らざる者を呼び起こせ・・・アビスローブ』
ルーシーとは対照的な黒い瘴気の障壁が生まれる。
これで「いざ・・・」とアシャがルーシーを見ると、少女は更に魔法の詠唱に入っていた。
――早い!
アシャは詠唱の妨害に入ろうとしたが、既にルーシーは2つめの魔法の詠唱を終えていた。
『星皇の影に控えし光りの礫達よ、導きの船を渡りて我が呼び掛けに応じよ。我が名は竜王の巫女なり・・・セイクリッドアロウズ』
同時にルーシーの周囲に光の礫が幾つも現れる。
「・・・」
ルーシーが無言でアシャを指差すと、導かれる様に光の礫の幾つかがアシャに襲い掛かった。
「!」
炸裂音と共に、障壁内部のアシャに強い衝撃が伝わってくる。
――何という威力だ。
アシャは戦慄しながらも、戦いの算段に従って動きだす。
少女は魔法に関しては較べる者も無しと思われる程の使い手だが、肉弾戦に於いては普通の娘と変わらない筈だ。だからこそ敵を近づけさせない為のセイクリッドオーラなのだ。ならば事はそれ程難しくは無い。聖も邪も無い、単純な物理の力で翻弄する迄。
邪教徒の青年はルーシーに向かって投げナイフを放った。
「!」
ルーシーは咄嗟に避ける。アシャは更にナイフを投げつけた。2投目は少女のローブを切り裂いた。そして3投目がルーシーの左肩に突き刺さる。
「!・・・ああっ・・・」
ルーシーは激痛に声を上げて蹲った。同時にオーラの膜も光の礫も弾けて消滅する。
存外に呆気なかったが、アシャは勝利を確信してルーシーに歩み寄った。
「・・・化け物も血は人並みに赤いのだな。」
冷淡な声がルーシーの頭上から降ってくる。
チャンスは今。ルーシーは蹲りながらも最後の精神力を振り絞って魔法を完成させた。
『・・・・を持って切り裂け、セイクリッドソード!』
少女はアシャの視界から隠していた右手を横に薙ぎ払った。すると、ルーシーの右手から放たれた閃光がアシャの胸の辺りを斬り裂いて消滅する。
「グァッ」
アシャは胸に激痛を受けて仰け反り倒れた。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
肩で息を吐きながらルーシーは仰向けに倒れるアシャを見遣り、ヨロヨロと立ち上がった。そして左肩に突き刺さるナイフに手を掛ける。
「あ・・・ああっ・・・!」
耐えがたい激痛に声を上げながらルーシーはナイフを力任せに引き抜いた。血が飛び散り、純白の美しいローブを汚した。
少女はナイフを握りしめてアシャに近づく。振り下ろせば終わる。アシャを殺して聖堂に向かえる。今度は正真正銘、自分の手を血で汚して。・・・イヤだ・・・もう殺したくない。それは一瞬の逡巡だった。だがその逡巡が見逃される事は無かった。
『汝、最奥の地に眠る王の名に於いて願い給う。二つの首は一つに。旧き呪いに交わりて彼の者に祝福を・・・』
背後から聞こえてきた圧倒的な悪意にルーシーは振り返った。
其処にはザルサングが立っておりルーシーに手を伸ばしていた。
『・・・アビスドレイン』
瞬間、ルーシーの足下に魔方陣が形成される。そして其処から湧き出した大量の瘴気が無数の蛇となってルーシーの身体を這い上った。
「う・・・ああ・・・」
言いようもない不快感と脱力感がルーシーを包み込む。
ルーシーは遠くなっていく意識の中で、心から愛した少年の名を呼んだ。
「・・・シオン・・・助けて・・・」
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
公都を出た翌日の午後、シオンとカンナはテオッサの村に到着した。距離から考えれば驚異的な早さでの到着である。
「ここが村長の家か。大きいな。」
村長の館を見上げたシオンが呟く横で、カンナが魔法を唱えた。
『・・・クエスト』
カンナの感覚が魔力を介して周囲に広がっていく。暫くの間カンナは魔法による探索を行い、やがて魔法を収めた。
「では行くか。」
カンナはそう言うと村長の館へと向かい始めた。
「・・・しかし、竜の忌み子を1匹売っただけで金貨500枚とは教団も太っ腹ですな。」
村の役員の男の1人が村長に笑いかける。
村長は鷹揚に頷いた。
「奴らも所詮はただの新興宗教集団だ。我々の様な村の実力者達には媚びを売っておきたいのだろうさ。」
「・・・それで、その報酬の方ですが・・・」
媚びへつらう役員に村長は面白く無さそうに言った。
「ふん、儂が200枚、お前達は50枚ずつ持っていけ。」
「有り難う御座います。」
役員達が安堵した様に金貨に手を伸ばした。と、その時、扉がノックされた。
「何?冒険者だと?」
村長は訝しげに執事を見返した。そんな輩が何の用だ。
「追い返せ。」
しかし執事は困った様な表情で言った。
「ただ、その冒険者はギルドの依頼で来たそうです。無碍に追い返した場合、悪評が世界中のギルドに広まり今後に差し支えが出てくるかと。」
村長は舌打ちをした。確かに冒険者ギルドの組織力を考えれば、無碍に追い返すのは得策では無い。
「分かった。」
村長は渋々と客間に向かう。折角、教団から貰った金貨を算えて楽しもうと思っていたのだが。不愉快極まり無い。
「待たせたな。」
シオンとカンナが通された客間で待っていると老人が1人と手下らしき男達が入ってきた。その顔には不快げな表情がありありと浮かんでおり、冒険者と侮蔑している態度であるのは明らかであった。
シオンは一礼を施して名乗りを上げる。
「セルディナの冒険者でシオン=リオネイルと申します。」
「で、何の用だ?」
幾ら訪問の予約無しに来たとは言え、名乗りもしないとは。シオンは村長の尊大な態度に呆れる。ここでカンナが口を開いた。
「そうだな、時間も無いのでな。率直に要件を伝えよう。」
カンナの口調に村長は意表を突かれて思わず頷く。
「私達は大切な友人を探して此処まで来た。」
「友人?」
「ルーシー=ベル嬢だ。」
カンナはそう言って村長達の表情を観察する。元々、穏やかに決着を付ける気も無い。こんな男達との会話はゴリ押しで進めるつもりだ。
男達の表情に戸惑いが一瞬浮かんだ。が、口では惚ける。
「ルーシー?さて知らんな。・・・君達はどうかね?」
村長が男達を振り返ると、男達もわざとらしく首を傾げた。
「さて、存じ上げませんな。」
――つまらん。
カンナは溜息を吐く。
「其れはおかしいな。彼女は『竜王の巫女』だ。お前達は竜の忌み子と呼んでいる様だがな。この呼び名、村の権力者たるお前達が知らぬ筈もあるまいに。」
竜の忌み子と言う言葉に彼らは著しく動揺を見せた。何故、ソレを知っている!?・・・表情はありありとそう語っていたが、言葉では尚も惚ける。
「さあ、何の事やら。竜王の巫女とやらも何の事だかサッパリ解らんな。さあ、用は済んだだろう。儂等は忙しいんだ。もう帰っ・・・」
『ドンッ』
村長が言い終えぬうちに、地に響く大きな音が鳴った。男達は驚いて音の鳴った方を見る。
見れば、先ほどまで穏やかな表情で座っていた黒髪の少年がその双眸に凄まじい怒りの炎を湛えて村長達を睨み付けていた。先ほどの音は彼が剣の鞘で床を突いた音か。
「素直に言った方が良いぞ。この男、もはや我慢の限界に来て居るからな。」
カンナの言葉に男達は怯えの色を見せた。法も何も無い。今ここで少年が怒りに身を任せて剣を抜いたら、それで自分達の人生が終わるのだ。
村長は震える声で言い放った。
「し・・・しかし、知らん物は知らん!」
「お前達、ルーシーを売ったな?」
「!?」
男達は驚愕した表情を見せる。
「・・・な・・・何を言っている!大切な村民を売るなどと・・・」
村長の言い訳をカンナは無視した。
「私は魔法使いでな。世の中には便利な魔法が在るんだよ。『クエスト』と言ってな、自分がその場に居らずとも感覚を飛ばして、遠くの状況を見聞き出来る魔法だ。・・・何なら、私達が此処に来る前のお前達の会話を再現してやろうか?」
「そ・・・そんな戯言を誰が信じるか!」
「・・・竜の忌み子を『1匹』売っただけで金貨500枚。取り分は村長が200枚に他の者が50枚か。」
『匹』と言う言葉にシオンの眉が跳ね上がる。
「しょ・・・証拠は・・・」
カンナは首を傾げた。
「証拠か・・・。確かに無いな。何なら、今、お前の部屋に置かれたままの金貨500枚を押収しようか?言って置くがルーシーが竜に関わる娘だと言うことはセルディナもカーネリアも知っている。私利私欲の為に訳の分からん教団に売り払ったとなれば・・・この村が単独の自治組織だとしても・・・お前達、只では済まんぞ。」
村長達はもはや言葉が出て来ない。
カンナはこの程度の脅しに屈する愚か者達が尋問に屈した事を悟り、つまらなさそうに溜息を吐いた。




