50話 神殿への道で
ルーシーが村の神殿に赴くと、既に村長と村の役員達が居た。ソレとは別に黒いローブに身を包んだ見慣れぬ男達も居た。
『彼らが其の神官達?』
「来たか。」
村長は忌々しそうにルーシーを見ると神官に頭を下げた。
「神官様、この娘がルーシーで御座います。」
「おお、貴女が巫女様か。」
神官と呼ばれた男が笑みを浮かべてルーシーに近づきその手を取った。
ルーシーは表情を動かさぬままに男を観察した。肌の色は病的にどす黒く、全身が痩せこけている。が、意外なほどにその動きは機敏で活力に溢れているように見えた。ルーシーはその男から狂人染みた異様さを感じる。
「私の名はタナスと申します。これから宜しく頼みますよ、ルーシー殿。」
向けられるのは笑顔だが、その内に何やらザラつく感覚を覚えてルーシーは寒気を感じた。
「ルーシー!神官様に無礼だろうが、返事をせんか!」
村長の怒鳴り声が聞こえてくるが、タナスが其れを制する。
「まあまあ、村長殿。聞けば彼女は、この事を随分と不本意な形で聴かされたとか。それでは警戒してしまうのも無理は無いでしょう。コレは貴方の不手際ですよ、村長。」
「い・・・いや、儂は・・・」
村長は不満げな表情を見せるが、タナスに言葉を返すのは恐ろしいのか黙るルーシーを睨み付ける。
セイクリッドローブに身を包んだルーシーを眺めやりタナスは満足げに頷く。
「うむ、美しい。それに肉体も魔力も充分な成熟を見せている様だ。・・・何、これから時間はタップリと在るのだから慌てる事は在りません。ゆっくりと我らの事を理解して頂ければ良い。」
タナスは他の黒ローブの男達と目配せを交わし終えると、ルーシーの背に手を伸ばして前進を促す。
「さあ、では向こうに輿を用意して居ります。そちらへ。」
ルーシーはその言葉に抵抗する素振りも見せず、素直に従った。
ルーシーが輿に乗ると兵士の様な姿をした男達が輿を持ち上げ、村を下りて行く。その道の先は広大な森が広がるグゼ大森林だ。濃い瘴気のためか奇怪に捻れた木々に依って構成され、一度迷えば二度と出て来られないと恐れられる迷いの森で在る。
そんな捻れた森を縫う様に伸びる細い小道を、ルーシーを乗せた輿が進んでいく。
「乗り心地は如何ですかな?」
外からタナスが声を掛けて来る。
「・・・平気です。」
ルーシーが感情を押し殺して答える。
「フフフ、漸く貴女の声を聞くことが出来ましたね。うむ、容姿に見合う美しい声だ。」
ルーシーは不快に感じて眉を顰める。
が一度声を放てば、溢れる疑問を押し留める事は出来なかった。
「幾つか聞いても良いですか?」
「何なりと。」
タナスの返答が帰ってくる。
「なぜ、私が巫女なのでしょうか?」
「簡単な話です。貴女の持つ強大な魔力と神性が我らの巫女足るに相応しい物だからです。」
「なぜ、私の事を知っていたのですか?」
「神のお告げによる物です。・・・と、言えば満足頂けますか?」
「・・・」
ルーシーの顔に強い不信感が漂う。
するとタナスは其れが見えているかの様に笑った。
「フフフ、冗談ですよ。ですが神託に近い言葉を受けたのは事実です。我らは其れに従い、今から4年程前に貴女の村の村長と交渉を始めたのです。」
「・・・そうですか。」
ルーシーは納得した。理由はどうあれ村人達がルーシーを見張り出した頃と時期的にも合う。
「そうそう、貴女の親御さんには気の毒な事でしたね。」
「!」
タナスが続けて吐き出した言葉にルーシーは身動いだ。何か知っているのだろうか。
「・・・どう言う意味ですか?」
「なに、貴女という愛娘を置いて夜盗に殺されたと言うでは在りませんか。」
その事か。ルーシーの心に憂いの気持ちが溢れてくる。
「それを聞いてね、せめて我々がその魂を弔ってやろうと思ったのですが・・・」
「!?」
「・・・残念ながら貴女のご両親の魂は我らの神には合わなかったようで、導く事すら敵いませんでした。」
ルーシーはそっと胸を撫で下ろした。この様な得体の知れない者達に両親の魂を汚されたくは無い。
「しかし、村人達も罪な事をするモノです。」
「罪な事とはどう言う事ですか?」
「幾ら我々が貴女を巫女に希望したからと言って、何も夜盗を装ってまでご両親を襲撃しなくても良いのに。」
ルーシーは足下が崩れ、奈落に落ちる様な深い絶望感に包まれた。
「・・・なん・・・ですって・・・?」
「おや、気づいて居なかったのですか?」
タナスが軽い口振りが輿の外から流れ込んでくる。
「貴女の父親が無理矢理に逃げ出すように引っ越しを決行したのは、貴女を村と我々から逃がす為だったのですよ。・・・もっとも我々としては、現在はともかく、あの時点では何が何でも貴女が必要と言う訳では無かったのですがね。村長は我々の提示した援助金が余程魅力的に映ったようだ。・・・そして彼らはご両親を殺害して貴女を村に閉じ込めたのです。」
そんな・・・。ルーシーは信じたくなかった。でも、じゃあ・・・じゃあ、お父さんとお母さんが死んだのは・・・
「・・・全部、私のせい・・・?」
私が生まれなければ、お父さんとお母さんは今も幸せに暮らせていたかも知れなかったの・・・?
「・・・私の・・・」
「そう、全て貴女の存在が招いた悲劇だ。忌まわしき巫女よ。」
タナスの声は、いまや魂ですら凍えさせるほどの冷酷な嗤いを持ってルーシーの心を打ちのめした。
ルーシーは輿に背を預けると、全てを諦めたかの様にひたすらに涙を流し続けた。
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『・・・お母さん、村のみんなは何でお父さんとお母さんに意地悪してくるの?お母さん達は悲しくないの?』
ルーシーは母にそう尋ねる。
若く美しい母は困った様な笑顔をルーシーに向けて、彼女の白銀の髪を愛おしそうに撫でた。
『そうね、悲しく無いわ。』
『どうして?』
母は両手でルーシーの柔らかな頬をそっと包み込む。
『決まっているわ、ルーシー、貴女が居てくれるからよ。』
『私?』
『そう、ルーシーよ。』
良く解らないと言った表情のルーシーを母はギュッと抱き締めてくれる。
『いつか、きっと貴女にもお母さんのこの気持ちが解る日がくるわ。愛しいルーシー。』
『お母さん大好き。』
幼いルーシーは小さな腕を母に伸ばして抱きつきそう言った。
母の嬉しそうな声が耳元で囁かれる。
『お母さんもルーシーが大好き。ルーシー・・・幸せになってね。それだけがお父さんとお母さんの願いよ。』
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ルーシーは目を開いた。目元には涙の流れた跡がある。
『・・・夢。』
幼い頃の夢。まだ自分の置かれた状況を理解出来ていなかった、唯一、幸せだと思えていたあの頃の夢。
ただ、今から思えば父も母もあの頃から覚悟は出来て居たのだと思う。それでも両親は私の幸せだけを願ってくれた。
ルーシーは自分の頬に両手を当てた。夢の中の母の温もりを思い出すかの様に。
「そうよ・・・。」
ルーシーは呟いた。
ルーシーは顔を上げて前を見る。
自分のせいで両親が命を落としたと知ってしまえば、もう純粋に幸せを望む事は出来ない。でも。
――ありがとう、お母さん。私には幸せは望めないかも知れない。でも、生きることだけは諦めません。貴女とお父さんから貰った命だけは守り抜きたい。それがせめてもの贖罪です。
「さぁ、着きましたよ。巫女殿。」
輿の中に向けてタナスは声を掛けた。其れに応じてルーシーがゆっくりと輿から出てきた。
「・・・」
彼女の表情を見てタナスは意外に思う。
タナスはわざと彼女が衝撃を受け絶望する様な物言いをした。
しかし姿を現した彼女の表情は絶望どころか気落ちした様子すら見えない。前を確りと見据え、その真紅の双眸には何かの想いを秘めたが如き強い意思が見え隠れしている。このままでは使い物にならない。
『チッ』
タナスは内心で舌打ちをする。
ルーシーは既に心の中で臨戦態勢に入っていた。
彼女は既に自らの身体に魔法による加護をもたらしている。そしてこの真紅の瞳に戻った時だけ使える『相手の本質を視る』という彼女特有と言っても良い力を発動させていた。
その眼でタナス達を視たとき彼らの姿は正に悪意の塊だった。自分に対して圧倒的な殺意を持っており、其れは瘴気渦巻く魔物と何ら変わらない。
マルゾ教団の神殿はこの奇怪な森には似つかわしくない程に荘厳な造りであった。柱の1本1本、壁の1枚1枚にまで、細かな彫刻が刻まれている。幾つかの建物が建ち並び、そこに幾重にも渡りが通されている。彫り込まれた見事な彫像が至る所に立ち並んでいる。が、その姿は何れも醜悪な姿をしていた。
ルーシーは美醜が同居するこの奇妙な空間に不安を掻き立てられる。案内されるが儘に、広い大聖堂に通された。そして彼女は彼らの正体を知る。
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刻は少し遡る。
シオンがウェストンとアカデミーの今後について打ち合わせようとギルドに赴くと
「ああ来たわね、シオン君。」
と、ミレイが手を上げてシオンを呼んだ。
「どうかしたの?ミレイさん。」
物言いたげなミレイにシオンが近寄るとミレイは2通の手紙を渡して来た。
「これは?」
「ルーシーさんかららしいわ。夜も明けない内にやって来てコレをみんなに渡して欲しいって告げて行ったらしいのよ。」
「・・・。」
シオンは何か胸騒ぎを感じた。即座に封を切って中身を読み出す。・・・そして読み終えた時、シオンの表情は一変していた。カンナの言葉が脳裏に浮かぶ。
『あのルーシーと言う娘・・・気をつけて置けよ。・・・あの娘、何か秘め事があるぞ。』
ルーシーに何かが起こった。
「ミレイさん、大至急、残りの手紙をアカデミーに持っていってくれ。マリーさんの分はお店に持っていって欲しい。・・・コレで!」
シオンはポケットを弄り金貨を1枚取り出すとミレイに渡す。
「ちょっ・・・只のお使いに金貨1枚なんて出しすぎよ!シオン君!」
「いいから頼む!」
シオンはギルドを飛び出すと未だ眠りこけている筈のカンナを叩き起こすべく自宅に走っていった。
殆ど時を置かずにシオンはカンナを連れてギルドに戻って来た。ウェストンとミレイを呼び寄せて一室に籠もる。
カンナはシオンに尋ねた。
「どうするんだシオン。」
「直ぐにルーシーを追う。」
「そうだろうな。・・・なら私も一緒に行こう。」
「助かる。」
2人が頷くと、ウェストンが頭を掻く。
「ルーシーって、1度ギルドに来た事があるあの将来有望の回復士の嬢ちゃんだろ?」
「セシリーさんの話だと、自分じゃ敵わないくらいに芯の強い子だって聞いてます。」
ミレイが答える。
「状況にも依るが、もし彼女が不遇な思いをしている様なら何としても連れ帰れよ、シオン。」
「勿論です。」
シオンが頷く。
「では、ギルドマスターと受付嬢殿にも聴いておいて貰いたい事がある。」
カンナが口を開いた。
「時間が無いので手短に話すが、あのルーシーと言う娘な、ひょっとしたら『竜王の巫女』かも知れん。」
「竜王の巫女って何だ?」
シオンが尋ねる。
「以前に伝道者の記憶を辿った時に何人か出てきた存在だ。ルーシーが彼女達の持つ雰囲気に良く似ている。全てが女性で、その内に強大な魔力を秘めていた。そして必ずしもと言う訳では無いようだが、その女性の愛を受けた者の何人かは強き力を得ており『竜王の御子』と呼ばれていた。」
「竜王の御子・・・」
「シオンよ。」
カンナが呟くシオンを見据えた。
「お前、あの娘と愛を交わしたな?」
「な!?」
「え!?」
「そうなのか?」
シオンが驚愕し、ミレイが眼を輝かせ、ウェストンがのんびりと聞き返した。
「あ・・・愛を交わすなんてソコまではして居ない。」
真っ赤になって言い返すシオンをカンナは呆れた様に見る。
「何を勘違いしている。愛する気持ちを互いに伝え合っただろう?と訊いているんだ。」
グッとシオンは言葉に詰まる。
「確かに告白した。ルーシーも喜んでくれた。其れがどうかしたか?」
「解らんか?お前にもひょっとしたら御子の力が宿っているかも知れんと言う事だ。」
「俺に・・・?・・・いや、そんな風には感じないな。」
「そうか・・・」
カンナは少し残念そうに息を吐いた。
「それならば、この話は終わりだ。ギルドマスターと受付嬢殿は、私達がルーシーの故郷に向かったと訪ねてくるだろう者達に伝えておいてくれ。・・・特にアインズロードの娘には多少の手勢を率いて後を追ってきて貰えると助かるな。」
「解った、伝えよう。」
「解りました。」
2人が頷くのを確認するとカンナは全て済んだと言うようにシオンを見た。
「よし、ルーシーの下に向かうぞ。」