45話 インディゴガーデン
藍色の花が咲き乱れる中庭にアスタルトはエリスを案内した。
銀色の月に照らし出された花々が静かに2人を出迎える。王族特有の藍色の髪に準えて藍色の花が集められたこの中庭は「インディゴガーデン」と呼ばれており王族が好んで訪れる。
「寒くは無いか?」
「は・・・はい、大丈夫です。」
エリスは答えたがセルディナの夜は少し冷える。エリスの様子を見たアスタルトは自分の上着を脱ぐとエリスに被せた。
「で・・・殿下、恐れ多い・・・」
「着ていて。」
エリスの言葉を遮りアスタルトは微笑んで見せる。
「は・・・はい。」
エリスは火照った顔を俯かせて頷いた。自分に向けられる公太子の優しさがエリスの胸をかき乱し、まともに物が考えられない。
「馬車で言った言葉を覚えているかい?」
アスタルトが尋ねた。
「馬車で・・・」
――『貴女が良ければ、今度、私と2人で出掛けないか?』
当然忘れる筈も無い。信じられない思いと嬉しさで張り裂けそうな思いに揺さぶられたあの言葉をエリスが忘れる筈も無かった。
「覚えております・・・」
だが公太子たるアスタルトが1人の女性の為に貴重な時間を割ける筈も無い。況してや妹姫の付き人風情が相手ならなおさらだ。
だからエリスはあの時のアスタルトの言葉は気紛れの言葉だと思うことにしていた。本気にしてしまえば辛い想いを抱える事になるから。
「そうか、なかなか誘えずに済まない。」
アスタルトが言うとエリスは首を振った。
「いえ、済まない等とその様な事は・・・。殿下は次期国王としていずれはこの国の頂点に立たれる御身。その重責から来るお忙しさは理解しているつもりです。」
エリスは、庭に咲く藍色の花々に歩み寄る。
「・・・あの時のお言葉はとても嬉しく思いました。ですが私には過ぎたお言葉では無いかと。私は・・・」
「エリス。」
「は・・・はい。」
突然、名前を呼び捨てにされてエリスは思わず甲高い声で返事をしてしまい手を口に当てた。怖ず怖ずとアスタルトを見ると公太子は優しげに微笑んでいた。
「エリスは私と出掛けるのは嫌だろうか?」
「そ!・・・そんな!嫌ではありません!」
アスタルトの言葉をエリスは慌てて否定した。
「・・・殿下に誘われて喜ばない令嬢など・・・居りません。」
真っ赤な顔で俯きながらエリスはそう言った。
「それはエリスも含まれるのかな?」
アスタルトの問いかけにエリスは無言で頷いた。
「フフフ、それなら良かった。」
公太子の笑い声を心地よく聞きながらエリスは1番腑に落ちない事を尋ねた。
「殿下は・・・何故、私をお誘い下さるのですか?」
アスタルトはエリスを見つめた。
「1番は君の情け深さ、愛情の深さだな。幼い頃のシャルロットは我儘で手に負えなかった筈だ。でも君はあの子の未来を思い不興を覚悟で厳しく接してくれた。それに過酷な王妃教育を自ら志願して学び、その知識をあの子に伝えてくれただろう?血が繋がらぬあの子の将来を思うが故に。」
「・・・」
出会った頃の本当に手を妬かされたシャルロットを思い出す。それでもぶつかり合いながら心を通じ合わせていき、今ではとても大切な存在になった。
エリスは微笑む。
「最初は・・・幼くして母君様を亡くされた姫様が可哀想だったから。愛情などと言う大それたモノでは無くただの同情でした。・・・でも、今は確かにあの方は私にとって大切なお方です。それは多分、愛情なのでしょう・・・」
その優しく微笑むエリスの姿をアスタルトは眩しげに見つめる。
『やはり彼女しか居ない。』
強くそう思う。
「他にも理由を算えだしたらキリが無いが・・・そんな君だから私は君をもっと知りたいと、そして君に私を知って欲しいと望んだ。」
「・・・殿下・・・」
アスタルトの真摯な瞳に見据えられてエリスは頬を染めながら彼を見つめ返した。
「だから、その・・・私は君と2人の時間を過ごしたい。」
「・・・はい。」
エリスは嬉しそうに頷いた。
そんな彼女を見てアスタルトはホッとした様な顔をした。
「そ・・・そうか、やっと約束が出来た気がするよ。休みはきっと取る。それまで待っていてくれ。」
アスタルトの珍しく年相応な態度にエリスはクスクスと笑いながら頷いた。
「はい、分かりました、殿下。でも無理はなさらないで下さい。私はゆっくりと待ちますから。」
「あ・・・ああ。」
「?」
エリスはアスタルトの何か言いたげな表情に小首を傾げた。
「殿下?」
「それ、その『殿下』はやめてくれ。アスタルトと呼んで欲しい。」
「え・・・でも・・・」
公太子の希望にエリスは困惑する。
「婚約をしている訳でも無いのにお名前を呼ぶなど・・・」
「それについては問題無い。既に君のお父君から了承は得ている。」
「え!?」
アスタルトの手回しの良さにエリスは驚いた。
「あの、父にはどの様な・・・」
「君を婚約者にしたいと言ったら、君の心を掴んだら構わないと仰っていた。」
お父様、なんて事を・・・王族からの求婚に条件を付けるなんて!
エリスは不敬とも取られかねない父の物言いに青冷めてアスタルトに頭を下げた。
「父が失礼な事を・・・!」
「いや、当然の条件だ。因みに父上もその場に居たんだが『当然だな』と言っていたよ。」
アスタルトが笑う。
――笑い事・・・なのかしら?
エリスは混乱気味に公太子の笑顔を見上げる。
「だから、エリス。」
アスタルトがエリスの両肩に手を置いた。
「アスタルトと呼んで欲しい。」
「で・・・でん・・・」
「アスタルト。」
殿下と言い掛けたエリスの口を指で塞ぎ、美貌の公太子は自分の名前を呼ぶように繰り返した。
エリスは真っ赤な顔で口をパクパクと動かしながら
「ア・・・アスタルト様・・・」
と消え入りそうな声で彼の名前を呼ぶと俯いた。
アスタルトはそんな彼女の姿に抱き締めたい衝動に駆られたが何とか自制すると
「有り難う、エリス。」
と彼女の真っ赤に染め上がった耳元に囁いた。
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レーンハイムからの要望が来たため、シオンはミシェイルとアイシャを連れて久しぶりにアカデミーを訪れた。要望の内容は生徒に『冒険者になった時の話を聞かせてやって欲しい』と言うものだった。
剣術の時間を使って3人は生徒達に冒険譚を語って聞かせる。とは言ってもシオンは口を挟まずに2人に話をさせた。
何と言ってもミシェイルとアイシャは最初から他の生徒達と共に学んできた純粋なアカデミー生だ。聴く側からしたら身近な成功者に他ならず質問もし易い筈だ。
案の定、彼らは2人の話を熱心に聴き、様々な質問が飛び交った。2人は考えながらそれらの質問に答えていく。2人が答え辛い質問にのみシオンが答えていった。
有意義な時間が流れている事にシオンは満足していた。が。
「随分と偉そうに語ってるが、要は俺達を出し抜いて先に冒険者になっただけじゃねえか。」
乱雑な言葉が訓練場に響いた。
「・・・」
訓練場がシンと静まり返った。
見れば1人の男子生徒がミシェイルを疎ましそうに見ている。
「誰だ?」
シオンがソッとアイシャに尋ねると彼女はヒソヒソ声でシオンに答えた。
「シェイドって言う男爵の三男坊。昔から何かとミシェイルに絡んで来るんだ。」
彼女の表情が若干ウンザリしたモノになっている。
「あたしにもやたらと絡んでくるし。」
「喧嘩を売られるのか?」
「違うよ。直ぐにあたしを側に置こうとするの。それに周りを平民と見下すし、まともにやり合ったらミシェイルに手も足も出ないクセに、家の威光って奴?を振り翳してミシェイルを負かそうとするし。あたし、あいつ大っ嫌い。」
――ああ・・・。
シオンは大体察した。
甘えん坊特有の、我儘を拗らせたタイプだ。
自分が1番じゃ無いのが気に入らない、気に入った女が靡かないのが気に入らない、そう言った下らない不満がミシェイルと言う目立つ存在に向かって行ったのだろう。
そのミシェイルはと言えばどうでも良いと言った冷めた目でシェイドを見ていた。が、やがて口を開いた。
「・・・そうか。確かに俺は皆に黙って冒険者登録をし、冒険者になった。抜け駆けした事になるな。せめて仲良くしてくれた奴らくらいには言っておくべきだった。済まない。」
そう言って頭を下げる。
それを見てシェイドは口の端を吊り上げた。
「見ろ、みんな。普段偉そうな事を言っていても、化けの皮が剥がれればこんなモンだ。」
――それはお前だろ。
本人とその取り巻き以外の全員が呆れた表情になる。
シェイドはアイシャを見た。
「アイシャ、お前もこんな奴と一緒に居たら駄目になるぞ。こっちに来い、俺が面倒を見て・・・」
「嫌よ。」
アイシャはシェイドが言い終えない内に即答で断りを入れる。
「な・・・何だと!」
シェイドの顔が屈辱に歪む。
「あたしはミシェイルの側に居るの。ミシェイルが側に居ていいって言ってくれたから、あたしは彼の側を離れない。」
アイシャが宣言した途端、数少ない女性生徒から歓声が上がり男子生徒が悔しげな声を上げる。
「お・・・おい、アイシャ。」
ミシェイルが真っ赤な顔でアイシャに囁く。
「そういう事を大声で・・・それに俺は『居てもいい』なんて偉そうな事は言ってないぞ。逆に俺が居て欲しいって言ったんじゃ・・・。」
「いいのよ。」
アイシャはミシェイルを侮辱された事に怒り心頭の顔で、前を見据えながらミシェイルに言う。
「あ、はい。」
ミシェイルは素直に意見を引っ込めた。
響めく訓練場を講師が静めに掛かる。やがて生徒達が落ち着くと講師はまた3人に場を預けた。
・・・とは言ってもだ。どうしたモノか。シオンは思案する。
何しろ場を乱された理由が悪い。騒ぎの端はミシェイルの冒険者登録にあるため、ここを何らかの形でスッキリさせないと生徒達も集中出来ずに進んでしまい、結局この後の時間が無駄になる。
ミシェイルとアイシャも若干、困惑顔だ。
そもそもミシェイルが冒険者登録をした下りを話す必要があったのかも知れない。
「みんな済まない。ミシェイルを焚き付けたのは俺なんだ。」
シオンは話し始める。
「ミシェイルには元々才能が在った。俺がここに編入した時点で既にFランク冒険者以上の力を持って居たんだ。だから冒険者登録をしないのは勿体ないと思って、時間が勿体ないぞ、直ぐに登録した方が良いと煽ったんだ。才能が在るならどんどん現場に踏み込むべきだからね。」
ああ、成る程・・・と納得した雰囲気が漂う。
特待生が言うのなら間違い無いだろう。皆がそう思った時――。
「黙れ!そんな言葉は認めない!」
怒りに顔を歪めたシェイドが立ち上がって叫んだ。
ムゥーッとシオンは目をつぶって眉間に皺を寄せた。
『流石に面倒臭い。』
持ち前の面倒臭がりな部分が眼を醒ます。
もう、サッサと終わらせよう。
シオンは言葉で説得するのを止めた。




