118話 奈落の道
「マルキーダに行けばその四弦公に会えるのですか?」
シオンが尋ねるとビアヌティアンは僅かに頭を振った。
「彼等と我らは存在が違うのでどうしたら土着の彼等に出会えるのかは解りません。ただ、神の眷属である以上、強い神性には反応して接触してくるかも知れない。」
「いずれにせよマルキーダに行くしかないって事か・・・。」
「彼女の神性の謎を解きたいのであればそうなります。」
せっかくセルディナに戻って来たと言うのに直ぐにイシュタル大陸に蜻蛉返りとはやるせない。それにしてもビアヌティアンの話には1つ気に掛かる事があった。
「ビアヌティアン殿。」
シオンは其れを尋ねる事にした。
「何でしょうか。」
「先程、貴男は『神性は1つで解決出来なければ新たな神性が生まれ出て助勢する』と仰られた。なら、これ以降もそう言った者が現れる可能性は在ると言う事でしょうか。」
シオンの予想をビアヌティアンは否とした。
「恐らく其れは起き難いでしょう。神性とは誰も彼もに与えられる物では無く、充分な『器』足り得る者でなければ逆に神性に心を食い尽くされてしまう。そして『神性を後天的に受け容れられる』という存在自体がもはやイレギュラーの存在と言えます。」
「じゃあリオナさんは・・・。」
ルーシーがリオナを見る。
ビアヌティアンもリオナに視線を向けた。
「そうであるにも関わらず貴女に神性が与えられたと言う事は、つまり貴女に御子様達を助けなさい、と言うお導きであると言えるかも知れません。」
「なんで私にそんな役目が・・・。」
リオナは戸惑った様に呟く。
「何故貴女にその器が在ったのかは解りません。偶然、と言うしかありません。それ以上の事を知りたければ貴女に神性を与えた存在に直接訊くしか無いでしょう。」
シオンはここ数日の事を思い返す。
カンナの夢の話。
何気なくカンナに勧めた占星術師の話。不思議に思うのは自分がそんな話をカンナに提案した事だ。自分の力で困難を振り払う事を信条とする普段の自分なら、例え「占星術師への相談」を思いついても提案などはしない。其れなのに何故あの時に限ってカンナに勧めたのかは自分でも解らない。
そして其れを切っ掛けにしたリオナとの出会い。
ビアヌティアンから得た話から得た神性の話。
後から思い返せばまるで何者かに導かれたが如く不自然な流れの中で今の状況に至っている様に見える。
特にカンナの夢の内容は気に掛かる。あのちびっ子に正体を悟られる事なく『視る事が出来る』のは誰なのか?
「行くか・・・。」
色々考えた少年は軽く溜息を吐きながら呟いた。
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馬から降りるとカンナは古代図書館に足を踏み入れた。
カビ臭い室内に並ぶ古代書物達はカンナの好奇心を擽って止まない。壁や天井の一面にビッシリと生えたヒカリゴケに照らされた室内は其れでも薄暗く、そして静寂に包まれている。古代の知識を静謐が包み込むこの空間をカンナはとても気に入っていた。
「さて、調べるか。」
カンナは当たりを付けている場所にハシゴを動かすと、立ち並ぶ分厚い書物の背表紙を上の段から念入りに見ていく。
「そう言えば以前はアイツに肩車をして貰ったっけな。」
ふと思い出してカンナは呟いた。
不機嫌をそのまま顔にした様な無愛想な男はブツブツ言いながらもその長身を活かしてカンナを肩車してくれた。
文句ばかり垂れながら笑顔の1つも見せないミストをカンナは何気に気に入っていた。アイツと自分は近いところに居る。根っこと言うか考えの発想が似ているのだ。小悪党ではあるが本当に悪い奴では無いところも自分に似ている。
「出来れば助けてやりたいな。」
そう思う。
其れにミストにはカンナにとって理解し難い部分が在った。
あの男は何故か奈落の法術か其れに近い術が扱えるのだ。マルキーダの宿屋にて幻視した時に視たあの奇妙な術を使っていなければ、今回そもそも行方知れずにはなっていなかった。不用意に発動させた術に拠って闇に取り込まれ姿を消している。つまりあの男は闇の魔術の使い手である事は疑い様が無いのだ。心と情を失った冷酷非情の闇の魔術師だ。
しかし他方でミストはアリスやノリアに対して優しさを見せている。
あの男の行いはまるで辻褄が合わない。
其処にカンナは興味を惹かれていた。
やがてカンナは一冊の書物を棚から引き抜くと据えられた松明の下に持っていった。カンナは松明を見上げると呟く。
『大地よ。』
するとパラパラと砂の様な物が無数に集まり空中で2つの小さな石に変化した。そのままカンナは指を振りながら松明の直ぐ横で石をぶつかり合わせる。何度か繰り返したとき、松明の布に火が着き明かりが周囲を煌々と照らし始める。
「良かった。まだ油は残ってた様だな。」
次に来るときは油を足す必要があるだろう。
カンナは書物を広げた。
以前にも読んだ事がある『混沌の目覚め』と題されたその書物には、恐らく神話時代最期の辺りで纏めたのであろう『闇』に関する事象の様々が記されている。此れを記したのは闇の魔術の使い手だったのだろう。その記述内容は闇に対して実に詳細で、造詣の深さを窺わせる内容だった。
腹ばいになると伝導者は自分の上半身程もある書物の頁を捲っていく。
最初の章では神話のラグナロクの概要に始まり、遺された負の神々の神性の強大さや其の特徴までが記されている。次の章では其れを利用する方法などが記されていた。
「やはり瘴気か・・・。」
カンナは呟く。
負の神々の神性に知有種の負の感情 ―― 怒り、怖れ、妬み、憎悪、怨念などを濃密に混ぜ合わせる事で生み出された力は神の属性から人の属性に変質して知有種でも扱い易くなる。
其れが瘴気だが、厄介な事にこの瘴気は一度濃度を高めると勝手に増産されて地中深くに落ちていってしまうのだ。最終的に瘴気が溜まる場所を奈落と呼んでいるが、この瘴気は粘着質と呼ぶに相応しい性質を持っている。
つまり神性同士が惹かれ合う様に瘴気もまた惹かれ合うのだが、其の惹かれ方が神性の其れよりも遙かに強力に惹かれ合う。
当然だ。呪いの原点とも言える力なのだから強力で当然なのだ。故に一度瘴気に取り込まれると、独力でその悍ましい力と決別するのは不可能となる。
だが奈落の法術を生み出した者達はこの性質を利用して簡易型の転移魔法を編み出さした。其れは自身の瘴気と元となる瘴気との間に『穴を作って』道を繋ぎ、瞬時に其処へ移動すると言う画期的な術だ。現在であれば高位のオディス教徒や悪魔達が瞬時に消えたり現れたりする法術が正に此れだ。
実際にディグバロッサもこの法術を使ってイシュタル帝城に現れルーシーとカンナを襲った。
仕組みは解っている。随分前に調べて知った事なのだ。
問題は、どうしたらその『穴』の存在を知ってその繋がれた先を追うことが出来るのか、と言う事だ。
幾ら仕組みを理解していても追いかけ方を知らなければミストの下には辿り着けない。
「いや、1つだけ簡単な方法が在るか・・・。」
伝導者は独り言ちる。
自分が瘴気に魅せられて奈落の法術の使い手になって仕舞えば良い。そうすれば『穴』も視える様になるだろう。当然、心も思考も闇に沈める事になるが。
元も子も無い馬鹿な考えを捨ててカンナは書物を読み進めた。
今の自分のままで瘴気の穴を見つけられる様になるにはどうしたら良いのか。その方法を求めてカンナは時間も忘れ読み込んでいく。
「おい、カンナ。」
不意に名前を呼ばれてカンナはギョッとなり顔を上げた。
其処にはシオンとルーシー、セシリーが立っていた。
「おお、お前達。どうしたんだ?」
カンナが尋ねるとシオンが呆れ顔で返した。
「どうした?じゃ無い。一体いつまで此処に籠もってる気なんだ。」
「え、いつまで?」
「もう2日も経つのにお前が帰って来ないってビクトールさんが心配して俺の所に来たんだよ。」
「2日・・・。」
カンナは時間が経つ早さに呆然とした。そんなに経っていたとは気が付かなかった。だがそう言われたら猛烈に腹が減ってきた様に思う。
伝導者は手をシオンに差し出しながら言った。
「何か食い物をくれ。」
「・・・。」
まるでそう来る事が判っていたかのようにシオンは既に手に持っていた大きなパンを無言でカンナの掌に置く。パンは上下に切り分けられておりその間にはたっぷりとバターが塗られ焼いた肉とレタスが盛大に挟まれていた。
「おお! ご馳走だ!」
カンナは嬉々として叫ぶと瞬の躊躇いも無く大口を空けてサンドイッチに齧り付いた。
「どうせ腹を空かせているだろうとルーシーが作ってくれたんだ。」
「ホォー! フーヒーファイファホーハ!」
口一杯にパンを頬張りながらカンナは何かを叫ぶ。
「カンナさん、此れも飲んで下さい。」
そう言ってセシリーが陶製の瓶を渡すとカンナは其れを受け取ってガブガブと飲み始める。
「ホォー! フォヘハフハイハ!」
「レモン水に蜂蜜を落とした飲み物です。」
セシリーが説明するとカンナはウンウンと頷きながらパンに齧り付き蜂蜜水を飲む。
「フォヘハヘッヒンファ!」
「やかましい! 黙って喰え!」
喰らってはいちいち叫ぶカンナに我慢しきれなくなったシオンが怒鳴った。
やがて食事を終えたカンナは膨らんだお腹を撫でながらゲップした。
「いやあ一息吐けたな。2人供、ありがとうな。」
カンナはそう言うとシオンを見た。
「お前は何も無いのか?」
「・・・」
シオンは無言で小瓶をカンナに渡す。
「おお、何だコレは。」
カンナが期待に目を輝かせながら受け取ると小瓶を空けてグイと飲み干した。
「・・・」
飲み終えたカンナの動きが止まる。と同時にカンナが吠えた。
「ボォーーーーッ!!!」
変な叫び声と共にカンナは小瓶を投げ捨てる。
「何だコレは!?」
余りの不味さに眼に涙を浮かべながら叫ぶカンナにシオンは澄まし顔で答えた。
「マリーさん特製のスタミナジュースだ。飲めば丸一日は寝られなくなるくらい元気が出る。」
「おのれ!」
カンナは叫ぶとシオンに殴りかかる。が、少年はそんな彼女の身体をヒョイと抱え上げると笑いを堪えている2人に言った。
「さて、捕獲も完了したし帰るか。」
カンナ邸付きの馬車で4人は公都に帰った。
「カンナ、古代図書館では何か判ったのか?」
シオンが尋ねると、ブスッと頬を膨らませながら窓の外を眺めていたカンナがそのままの格好で答えた。
「さっきのジュースのせいで全部忘れた。」
「・・・」
ルーシーとセシリーが肩を震わせて笑っている。
「何が可笑しい。」
見咎めてカンナが問うと2人は堪え切れなくなって声を出して笑い出した。
「前から思ってたけどシオンってカンナさんの扱いに関してだけは雑よね。」
セシリーが言うとシオンは首を傾げた。
「そうかな? そんなつもりは無いけどな。」
「砕けた接し方ではあると思うよ。」
ルーシーが笑いながら言い方を変えて言うとカンナが憤然と返した。
「コイツは昔からこんな感じだ。私にこんな罠を仕掛けてくるのはコイツくらいだ。」
「罠とは心外だな。お前の体調を心配して持って来たんだぞ。」
シオンが言い返すとカンナも言い返す。
「其れは否定しない。半分は本当だろう。だがもう半分は絶対に面白がってた筈だ!」
「其れは否定しない。」
「貴様!」
カンナが吠えるとルーシーとセシリーは再び爆笑し始めた。
「で、実際はどうなんだ?」
再びシオンが問うとカンナは漸く答える気になったのか少し考えた後に口を開いた。
「・・・ミストを追う方法は見つけた。」
「おお、じゃあ追うんだな?」
シオンは「流石だ」と言った賞賛の眼で確認するが、カンナは結論を渋る様に黙ったままだ。
「?・・・どうした?」
「確かに見つけはした。見つけはしたが・・・この方法は私達には使えない。」
「どう言う事ですか?」
カンナは暫く思案して口を開いた。
「奈落の力に拠って拓かれた道は奈落に墜ちた者にしか使えない、と言う事だ。」
「それって・・・」
何かを言い掛けたセシリーを手で制してカンナは続ける。
「まあ先ずは聴け。奈落の道を見つける方法は在る。と言うよりも神性を持つ者なら感じ取る事が出来る。神性の強弱に拠って感じ方に違いは在れど、『道』その物を見つけるのは案外容易い。況してや今回の場合はミストが何処で消えたかがはっきりしている。ならばマルキーダの宿屋に戻ってシオンとルーシーが強い神性を展開させれば道を炙り出す事は出来るだろう。」
「・・・」
「だが先程も言ったとおり、奈落の力に拠って拓かれた道は奈落に墜ちた者にしか使えないんだ。例え奈落の道を炙り出したところで其の道に入って行くことが出来なければ、私達はその炙り出した『道』を指を咥えて見ている事しか出来ん。」
「・・・」
シオンは黙ってカンナを見ていた。
――・・・何か隠している。
長年の付き合いからシオンはそう察していた。今の話だけで終わるなら、そもそもカンナが最初に話を躊躇う理由にならない。
いつものシオンなら其処で追求したりはしないだろう。カンナが何を思って口を止めているかは解らないが彼女がそうするなら其れで良い。彼女の判断に疑いは持たない。
しかし今は少し事情が違う。人の命が掛かっている。
シオンは追求する事にした。
「カンナ、何か隠しているな? 本当は俺達でも追う方法が在るんだろ?」
「・・・」
伝導者はジトリとシオンを見上げた。が、直ぐに溜息を吐く。
「勘の良いガキは嫌いだよ。」
「そう言うな。」
「・・・」
カンナは本当に迷っている様だったがやがて決心した様だった。
「じゃあお前達には話そう。だがアリスとノリアには言うなよ。」
真剣なノームの視線にルーシーとセシリーが頷く。
「シオンが察した通り、奈落の道に入る方法は在る。単純な話をするなら私達も瘴気に冒されて闇に墜ちれば良いんだ。」
「だが其れでは元も子も無い。」
「その通りだ。敢くまでも正気を保ちながら道を追わなければ意味は無い。そしてそんな方法が在るのかと言われれば・・・在った。」
シオンは頷く。
「その方法は?」
「別にそんなに難しい方法では無い。強い気持ちを持ったまま瘴気に冒されるんだ。『強い気持ち』と言うのは、何があってもその道に入らなければ『ならない』と言う思念の強さと言っても良い。」
「・・・」
意外そうな3人の表情を見てカンナは言葉を繋げる。
「お前達は『其れだけか?』と思っただろうが、尋常な事では無いぞ。瘴気と言うのは無数の知有種達の怨念の塊と言っても良い。そんなモノに取り憑かれたまま正気を保つと言うのは常人には先ず出来やしない。」
なるほど・・・と3人は思った。
邪教徒達の狂気に満ちた姿を見てきた3人なら頷ける。
「でもなんでノリアとアリスなんだ?」
シオンが疑問を口にするとカンナは答えた。
「あの2人こそが『ミストを救う為なら自分の命すら惜しまない』くらいに強い想いを持っているだろうが。」
継いでセシリーが口を開く。
「そうよ、シオン。貴男だってやった事じゃない。」
「俺?」
首を傾げるシオンにセシリーは頷いて見せる。
「グゼ神殿でグースールの魔女を復活させる儀式の犠牲になりかけたルーシーを、貴男は何も躊躇う事なく助けようとしたじゃない。」
言われてシオンはハッとなる。
「そ、そう言えばそうだったな。」
言いながらシオンは顔を赤らめたルーシーと視線を合わせた。
「人が人を想う情は強い。だが時にはその強さが人に無茶をさせてしまう事もある。今回の場合は・・・言わない方が良いのだろうな。」
カンナは少しだけ重苦しそうにそう言った。




