116話 リオナの過去
「私の事・・・ですか・・・?」
戸惑うリオナがカンナからヨアキムに視線を移すが、父親に『聞きなさい』とばかりに頷かれて再びカンナに視線を戻す。
「そう、お前さんの事だ。」
「私の・・・何についてでしょうか・・・?」
不安げなリオナにカンナは言い聞かせる様に口を開く。
「特異と言える程に優れた『導く力』とその紅の双眸のせいで、お前さんがイシュタルで少し嫌な思いをしてきた事はお前さんのお父君から聞かせて貰った。」
「・・・」
リオナは目を伏せる。
「率直に言おうか。お前さんのその眼の色は『神性』と呼ばれる力の影響だ。」
「神性・・・?」
首を傾げるリオナにカンナは頷いて見せた。
カンナはリオナの眼を見た瞬間から彼女の神性を感じ取ってはいた。しかし其の神性の出所が何処から来るものなのかが不明だった為、伝えるべきか伝えないべきかを判断し兼ねていた。だがもし彼女の見透しの能力が、カンナが今『予測している存在』を感じ取った上での見透しだとしたら、その能力の高さは尋常では無い。つまりルーシーに近い存在と言える。
「そう神性だ。つまり・・・」
カンナはリオナとヨアキムに説明を始める。
「竜王の巫女・・・。」
ヨアキムが唸る。
「リオナがその巫女だと・・・?」
「いや。」
カンナは首を振る。
「竜王の巫女は既に居る。巫女が同じ時代に2人存在したという事実が無い以上その可能性は極めて低い。しかし其れに近しい存在とは言える。」
「・・・。」
「不安か?」
俯くリオナにカンナが尋ねると彼女は頷いた。
「だろうな。そんな突飛な話を聞かされれば不安にもなるだろうさ。しかしな・・・。」
カンナは椅子の上に立ち身体をグッと伸ばしてその小さな手をリオナの頭に乗せた。
「人の運命と言うのは不公平なモノだ。誰にも公平な幸せなど訪れない。ならば自分の身に降りかかってくる不幸は自分の手で振り払うしか無いんだ。」
そう言い聞かせながらカンナはヨアキムも見る。
ヨアキムは複雑な表情でカンナを見返した。しかし否定はしてこない。
「残念ながらお前さんの人生に平穏な日常は約束されていなかったようだ。だったらお前さんは襲い掛かる不幸から逃げずに立ち向かうしかない。竜王の巫女の様に。」
「・・・」
「そうしなければ、お前さんは世界中の人から逃げながら老いていく人生を送ることになる。」
双眸に涙を溜めたリオナがカンナを見る。
「そんな人生は嫌だろう?」
「・・・はい。」
「当然だ。お前さんにだって幸せな人生を送る権利は絶対にある。間違い無くある。ならば誰かに何とかして貰いたいなどと甘えずにその権利は自分の手で掴み取るんだ。」
「・・・どうすれば・・・?」
尋ねるリオナにカンナは微笑んだ。
「私と一緒にセルディナに来ないか? 現在の公王陛下は神性に苦しめられる人々に理解がある。私は公王陛下と友達だからな、お前さんの事も頼める。」
ヨアキムの表情が変わる。
「そんな事が出来るのか?」
「出来る。」
カンナは頷く。
「しかし、公王陛下の直接的な庇護を受けるためには何かしらの力を示さねばならん。そうで無ければ、ただセルディナ国民として住む権利が与えられるだけになるだろう。」
「力を示すとは・・・?」
「今はまだ具体的な事は言えない。だが決して楽な事では無い、と言う事だけは言える。」
そう言ってカンナはヨアキムを見た。
「どうする? これに関してはリオナの父親であるお前に判断を委ねる。このまま此処で過ごすか、危険な目に遭うことを覚悟で娘を私に預けるか。」
ヨアキムは凄まじい形相でカンナを見ていたが、やがて一言
「明日の朝まで待ってくれ。」
とだけ答えた。
カンナは頷く。
「もちろん待つさ。そんな簡単に決断出来る事ではないんだから。」
ヨアキムはリオナの部屋にカンナを泊めたあと、一人で酒を呷りながら悩み続けた。
そして夜が明けて部屋から出て来たカンナにヨアキムは頭を下げた。
「娘を宜しく頼む。」
目に隈を浮かべたヨアキムの断腸の思いに対してカンナは頷いた。
「引き受けた。必ず良い方向に導こう。」
小屋を出るとカンナは乗ってきた愛馬の下に戻り木に結んでいた手綱を解いた。
カンナが跨がると後ろにリオナが跨がった。
「リオナは馬には乗れるのか?」
カンナが尋ねるとリオナは頷いた。
「はい。1人で生きていくなら馬くらい乗れた方が良い、と父さんに言われて教わったので走らせるくらいなら出来ます。」
「よし。」
カンナは頷くと愛馬に二言三言囁き、それに答える様に愛馬は鼻を鳴らす。
リオナが手綱を揺らすと愛馬は静かに歩き始めた。やがてその速度が上がり始めリオナの操る馬は森の中を疾走し始める。
リオナは自分の前に座るカンナに尋ねた。
「貴女は私が怖くないんですか?」
「もちろん怖くないよ。私の友人にもお前と同じ瞳の色の心優しい娘がいる。さっき話した竜王の巫女の事なんだがお前さんからもその子と同じ匂いがするから怖くない。セルディナに着いたら私の仲間を紹介しよう。みんな気の良い奴らばかりだ。」
カンナはそう言って片目を瞑って見せた。
尤もリオナからはカンナの小さな背中しか見えていないので、折角のカンナのウインクも見えなかったのだが。
2人の乗る馬がマーナ=ユールに入りセルディナ公都の大正門を繰々ったのは、夕刻も近づきだいぶ陽が傾いた頃だった。
「シオン達に会わせようと思ったんだけどな。まあ明日で良いか。」
カンナはそう考えると自分の屋敷にリオナを連れて帰る事にした。そして家令のビクトールに色々と指示を出すと若い客人も誘って夕食にありついたのだった。
その後、2人は夜遅くまで話し込む事になる。
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「あら、シオン達も呼ばれたの?」
ルーシーに連れられて魔術院に姿を現したシオンとミシェイルとアイシャにセシリーが意外そうな声を上げた。
「何か、昨夜カンナさんのとこのビクトールさんが来て『明日、魔術院に来る様に』って言われたの。」
「俺もレイアート遺跡から帰ってきたらルーシーから同じ様なことを言われた。」
アイシャとシオンが答える。
「そうなんだ。一体何だろうね?」
「私も何も聞いてないの。」
セシリーは尋ねたがルーシーも首を振る事しか出来ない。
「そっか。取り敢えずカンナさんの所に行きましょう。」
魔術院の上層階には教導員クラスの部屋が並ぶフロアがある。セシリーとルーシーも此処に部屋を与えられているが、同じフロアの最も奥にはカンナの部屋も置かれている。
「カンナさん、みんな来ましたよ。」
ノックをしてセシリーがそう声を掛けると陽気な声が聞こえてくる。
「おお、来たか。入れ、入れ。」
5人が中に入ると、執務用の大きな机の上にカンナが胡座を掻いており、執務用に置かれた椅子には薄いベールを頭に掛けて顔を伏せた少女が座っていた。
「いや、急に済まなかったな。とにかく其処のソファーにでも座ってくれ。」
カンナは笑顔で席を勧めた。
「・・・」
シオンとルーシーは何かを感じ取ったのか物言いたげに少女を見つめたが、行動にしては黙ってカンナの勧めに従った。
5人の前に紅茶が出されるとカンナは口を開いた。
「実はな、お前達に紹介したい人物が出来てな。それで来て貰ったんだ。」
「・・・。」
5人の視線がベールを掛けた少女に集まる。
カンナは少女に言った。
「もうベールを取って良いぞ。」
その声に従って、少女――リオナはベールを取り外し顔を上げた。
「!」
5人の顔が驚きに変わる。
今までに何度も見た紅の双眸が突然現れれば驚きもするだろう。5人が知る限り紅の双眸を持つ者はルーシーと神性を高めたシオンと・・・奈落の瘴気に身を委ねた邪教徒のみだった。
「カンナ、これは・・・?」
シオンはカンナを見る。
カンナは悪戯好きだがこの様な質の悪い悪戯をする奴では無い。かと言って邪教徒の類いを連れて来るような愚かな真似などする筈も無い。だとしたら・・・。
シオンの問いは当然とばかりにカンナは頷いた。
「この娘はリオナと言う。無論、邪教徒などでは無い。寧ろ『こちら側』の人間だと私は踏んでいる。」
そう言って伝導者は一昨日、昨日のやり取りを5人に聞かせた。
「占星術師にして竜王の巫女・・・。」
「いや、巫女では無いと思う。だが其れに近しい存在だろう。」
カンナは言った。
「多分初めて話すと思うが、実は神性と瘴気は根っこは同じモノなんだ。神性はその名の如く真なる神の力だ。では瘴気は?と言うと、瘴気も元は負の神から生じた力・・・つまりは神性なんだ。その神性に邪気やらの様々な不純物が混ざり合って生まれたモノが瘴気だ。だから神性や瘴気を多くその身に宿す者の眼は紅に染まる。」
「知らなかった・・・」
「・・・因みに何故に紅に染まるのか、は全然解らん。神話時代の人間達は今のルーシーやシオンとは比較にならん程の強大な神性をその身に宿していたが至って普通の色合いだったからな。単純に当時の人間に比べて神性への耐性が極端に落ちているから、強く身体に神性の影響が出ているのかも知れん。」
一旦言葉を切るとカンナは一同を見渡した。
「さて、此れで私の言いたい事は想像着くかな? 此処に居るリオナは恐らくその身に強い神性を宿している。多分私よりも強い神性をな。」
「カンナさんよりも強いのか・・・」
ミシェイルが唸る。
「私の双眸が紅に染まらないのがその証拠だ。私の中に宿る神性は双眸を紅に染める程の量は無いと言うことだ。比べてリオナは常時その双眸は紅色だ。つまりルーシーに近い神性を宿している事になる。」
「・・・。」
ルーシーがリオナを見つめ、リオナもルーシーを見た。
「私以外にも同じ様な瞳の色をした人が居たなんて・・・。」
そのリオナの呟きには安堵の感情が籠もっていた。
その呟きにルーシーは微笑んで見せた。
「私はルーシー=ベルです。宜しくね、リオナさん。」
「あ、はい。宜しくお願いします。」
挨拶を交わす2人の様子にカンナは微笑むとリオナに言った。
「リオナよ。お前も中々に辛い人生を送ってきただろうが、このルーシーもまた、お前以上に辛い思いをしながら生きてきた。だが、今彼女は確実に幸せを掴んでいる。」
「・・・。」
リオナはルーシーを見る。
「何故ルーシーが幸せを手に出来たか。其れはルーシーが運命から逃げ出さなかったからだ。そして彼女を助けたいと思った仲間が居たからだ。」
「私は・・・。」
リオナは言い掛けて俯いた。
しかし言葉にしてははっきりと言った。
「・・・幸せになりたい。」
その言葉を聞いてカンナはシオンを見た。
「・・・と、いう訳だ。」
シオンは頷く。
「承知した。彼女の力になろう。」
その言葉に4人も頷いた。
ルーシーの想像を絶する苛酷な過去を知っている一同は、リオナが抱えている辛さに想いを馳せる事が出来た。そして自分達には彼女の助けになれるかも知れない力を持って居ると解る以上、当然に力を貸したいと考えていた。
「先ずどうしようと思っているんだ?」
シオンがカンナに尋ねると、彼女はリオナを見た。
「リオナよ。先ずはお前の話を聞かせてくれ。お前の父君から少しだけ話を聞いたが、もう一度お前から確りと話を聞きたい。」
カンナからの要請にリオナは口を開いた。
「私はイシュタルの生まれです。父は名の通った占星術師で迷える人々に道を示す事で日々の糧を得ていました。幼い頃の私は少し勘が良いだけの只の子供でした。眼の色も普通の碧眼で周囲の子と同じ瞳でした。」
「生まれつきでは無いのか?」
カンナが意外そうに尋ねる。
「はい、生まれつきでは無いです。特別な力も何も持ち合わせていない子供だったんです。でも・・・10の頃から少しずつ私の中に奇妙な感覚が宿り始めました。其れと同じ頃に眼の色が少しずつ変化し始めたんです。」
「紅色に変わってきたんだな? それで奇妙な感覚というのは具体的にどの様な感覚なんだ?」
カンナに問いにリオナは少しだけ思案するがやがて口を開いた。
「例えるなら・・・集中して目の前の人を見た時に、その人の後ろに物語りの様な、未来の映像の様なモノが見えるようになったんです。」
「映像・・・水晶玉に景色が映るようなモノか?」
「そうです。一度、父にその話をして父の未来を視てあげた事が在ります。数日後、父は私を連れて占星術の仕事を始めるようになりました。時には私に占星術師としてお客さんの未来を透視した事も在りました。最初は好評だったんです。でも・・・」
「なるほど解った。次第に気味悪がられる様になったんだろう?」
カンナが言うとリオナは頷いた。
「それで父は私を連れて行くのを止めるようになったんですが・・・質の悪い連中に私が目を付けられて父は私を連れてこの森に隠れ住むようになったんです。」
「母君は?」
「・・・私が8歳の頃に父と離婚しました。」
若干気まずそうな雰囲気が流れたが、カンナは全く気にした様子もなく言った。
「そうか。まあ其れは両親の問題でリオナには関係無い事だな。」
「おい、カンナ。」
気遣いの欠片も感じられないカンナの言い方をシオンが聞き咎めたが、伝導者は飄々と言葉を続ける。
「まあ今のは言い方が悪かった。もちろん幼い頃の事だと言うなら寂しい思いをしただろうが、だが今は此れからのことを考えるべきだ。母君のことは自分が落ち着いた後にどうするかを考えれば良い。」
「・・・はい。」
リオナは僅かな逡巡の後に頷いた。
カンナは机から飛び降りると無理矢理シオンの横に割り込んで座った。
「おい、狭いぞ。」
「少し退け。」
そう言いながらカンナは指を一本立てた。
「さて、今のリオナの話から解った事が幾つかある。」
その言葉に皆の視線が集中した。
「1つはリオナは生まれつき神性を持って生まれては来なかったと言う事だ。」
「つまりリオナさんは後天的に神性を手にしたと言う事ですか?」
「そうなる。そして其れは『神性』が後から普通の人間に宿る事があると言う事だ。此れは私も知らなかった事だ。本当に驚いた。」
皆は視線を交わす。
ミシェイルが尋ねた。
「本当は元々神性を持っていて成長と共に覚醒した・・・みたいな事は考えられないんですか?」
「だとするならば、双眸だけは紅に染まっていた筈だ。ルーシーがそうだった様にな。」
カンナがルーシーを見る。
「確かに私は生まれつき瞳の色は紅色でした。もちろん幼い頃は神性を扱うなんて事は出来ませんでした。」
ルーシーが言うとカンナは頷く。
「つまりリオナは最初は普通の娘だった可能性が高い。だが何らかの要因で彼女の中に神性が宿った。」
「一体何故・・・?」
「解らん。しかし考察は出来る。」
皆の姿勢が前のめりになる。
「神性と言うモノの性質を考えたとき、その正体は真なる神々の力の事だ。其れはどんな時に人という種族に与えられたか。古くはラグナロクに巻き込まれた人々が死に絶えない様に極限の強化を引き起こす為に与えられた。ラグナロクの終焉後に於いては、人々の力だけでは乗り越えられない危機が訪れた時にその危機に対抗させる為に竜の鱗1枚分が渡された。また人々が古の真実を忘れて愚かな行為に走らぬように語り伝える者達を生んだ。」
「・・・」
「神性は人々を、或いは世界を危機から救うために神の手に拠って渡される力なんだ。」
カンナはシオンの紅茶を手に取ると一息に飲み干した。
「では誰がその力を人々に渡すのか」
「神様・・・。」
「そう当然、神だ。或いは其れに準ずる者達。」
カンナはソファの背に身を預ける。
「そう考えた時、該当する者達は何人も居ない。最奥のアートス、黒竜ヤートルード、天央12神、ビアヌティアン殿に始まる各地の守護神達、グースールの『魔女』。」
カンナの口から溜息が漏れる。
「さて、一体誰が幼いリオナに神性を渡したのだろうな。」




