113話 アカデミーの行く末
式の終了後、シオン達はレーンハイムの執務室に呼ばれた。
「君達が出席出来て本当に良かったよ。」
レーンハイムの上機嫌な顔に一同も笑顔を誘われる。
「もう一流と言っても良い君達には、今更卒業式に来いと言われても困ったかと思うが・・・」
「そんな事は無いですよ。」
ミシェイルが否定する。
正直に言えば卒業式の事を忘れていたのは事実だが、思い出してしまえば其処は出席して確りと区切りをつけたいと思うのは当然だ。
「出られて良かったと思ってます。2年間の課程の中で半分くらいしか出席していなかったのに卒業させて貰ったのは有り難いと思ってます。」
アイシャの言葉にレーンハイムはと首を振る。
「とんでもない事だよ。此方こそ出席してくれて有り難かった。アカデミー在籍者が既に一人前になって世の中に大いに貢献してくれているのは、我々運営側にとっても誇らしい事だったからね。是非、成功者として胸を張って卒業式に参加して貰いたかったんだよ。」
レーンハイムの評価に2人は照れ臭そうに頭を掻く。
ウェストンが苦笑いをした。
「まあまあ、学長。あんまり2人を煽てないでくれ。ミシェイルとアイシャに限って言えば、確かに実力と実績は一流に肩を並べたと言っても良いが、冒険者としての経験値から言えばまだまだヒヨッ子なんだ。細かな知見は此れから溜めて貰わなくちゃならない身だ。下手に煽てられても困る。」
「ああ、そうだね。解ったよ、ウェストンさん。」
レーンハイムはそういうとセシリーを見る。
「セシリー嬢は、此れからは侯爵令嬢として私達も接しなければなりませんな。」
「止して下さい、レーンハイム学長。」
セシリーは呆れた様な表情を作る。
「此処では私はアカデミーの1卒業生です。そんな扱われ方は困ります。」
「しかし・・・」
そう言いながらレーンハイムが微笑みながら娘を眺めるブリヤンを見ると宰相は言った。
「無論、公式の場では侯爵家の人間として扱って貰わねば困るが・・・まあ、平時はセシリーが望むとおりにしてやってくれ。」
「閣下がそう仰るなら承知しました。」
レーンハイムが了承するとルーシーが口を開いた。
「あの、レーンハイム学長。」
「何かな、ルーシー嬢?」
「式の前に、私、回復師科の生徒さん達に挨拶されたんですけど・・・」
レーンハイムは頷く。
「ああ、会えたんだね。彼女達も君に会いたがっていたから何よりだ。」
「?」
レーンハイムは然も当然と言った風だが、アイシャが首を傾げた。
「あれ? 回復師科コースはルーシー1人だったんじゃ・・・?」
「私もずっとそう思っていたんだけど、後輩が居たらしくて・・・焦っちゃったよ。」
「・・・どういう事です?」
シオンが尋ねるとウェストンが口を開いた。
「ちょっと前に俺が魔術科コースの子達に回復術師の話をした事が在ってな。その時に『回復術師はギルドの現場でもかなり切望されている』みたいな話を雑談でしたんだよ。そしたらその後に4人くらいコースを移ったんだ。」
ウェストンは上機嫌で話す。
シオンは溜息を吐いた。
なるほどウェストンの心境は嫌でも解る。常に足りていない回復師が、見習いとは言え4人も来年卒業してくるかも知れないのだ。マスターとしては期待値は跳ね上がるだろうし、是非とも4人全員をギルドに引っ張りたい処だろう。
それは解るが・・・。
「せめて先輩のルーシーには教えてあげて欲しかったですね。」
少し厳しめの視線をシオンが投げるとウェストンは頭を掻いた。
「いや、済まん。こっちも色々忙しくてな。つい、言うのを忘れてた。」
大男の恐縮する姿を見てクスリと笑いながらセシリーはルーシーに言った。
「でも良かったね、ルーシー。回復師科コースに後輩が出来て。」
「うん。」
ルーシーも嬉しそうに微笑む。
「前から心配してたもんね。『私が卒業したら回復師科コースには誰も居なくなっちゃうな。潰れちゃうのかな』って。」
「うん。本当に良かった。」
ルーシーは嬉しそうに笑い、そして言葉を繋げた。
「私、ずっと思ってたんだ。回復師科コースとは言うけど実際に大事なのは薬草術なんだなって。回復術は難しいし出来る人がそもそも少ないんだけど、薬草術なら魔力も才能も無くたって勉強して技術を学べば誰でも出来る技なんだよ。」
「・・・」
全員が黙って自分の話に耳を傾けているのに気が付くと、ルーシーは顔を赤くして口を閉じてしまった。が、シオンが優しく微笑みながら促した。
「続けて?」
その言葉にルーシーは頷く。
「う、うん。例えばセルディナとかイシュタル帝国みたいな大きな国には回復術を使える人が沢山居るでしょ?」
「そうだね。」
「でも、私が育ったテオッサの村やその他の小さな町や村にはそんな人は居ないの。だから薬草を使って傷や病を癒やしはするんだけど、薬草術を確りと学んだ人なんて・・・少なくともテオッサには居なかった。だから薬草術をもっと沢山の人にアカデミーで学んで貰って・・・それが世界中に広まれば沢山の人の助けになると思うの。」
「・・・」
シオンは教室に1人、一心不乱に薬草学の本を開いて自習していたルーシーを思い出す。
「確かに君はそうしていたね。」
ルーシーは歯に噛みながら笑う。
「素晴らしい考えだよ、ルーシー嬢。」
ブリヤンが頷く。
「私とレーンハイム学長が見据えていた先を、君も視ていたとは驚いた。」
宰相の双眸にはルーシーの考えに対する賞賛の色が浮かんでいた。
「少し前にマリーから回復術と薬草術についての講義を受けたことが在った。その時に彼女も言っていたよ。『回復術には生まれ持ったセンスと魔力が必要だ。つまり、使用条件が厳しすぎる技だけに人数的にも世の中に広く出回らせる事が出来る技では無い。それよりも、やる気と頭の良ささえあれば誰にでも習得可能な薬草術を生徒達に教えるべきだ。』とね。」
ブリヤンは置かれた紅茶で口を湿らすと再び話し続ける。
「その考えには私も強く賛同する。薬学の発展は人類の発展に大きく寄与してくれるだろう。しかし世の中に無理なく物事を推し進めるには最初に出来るだけ間口が広くしかも大きなパイを用意する必要がある。つまり今の話で言えば薬草術を気軽に学べる施設と教員だ。」
「それをアカデミーにさせるんですか?」
セシリーが尋ねるとミシェイルが首を傾げる。
「でもアカデミーは冒険者の育成機関だろ? こう言っては悪いけど、アイツら血の気が多いし、普通の勉強に好んで取り組もうって連中じゃ無いと思うけどな。」
「ははは、なるほど貴重な意見だ。」
ブリヤンが笑う。
今度はシオンが口を開いた。
「考え方次第じゃないかな。確かに今までの生徒達だとミシェイルの言う通り、大人しく勉強するタイプじゃ無いかも知れない。けどアカデミーの入学要項を変えれば、純粋に勉強したいって人も入ってくるんじゃないかな?」
「例えば?」
ブリヤンが面白そうに尋ねる。
宰相から尋ねられてシオンは少し思案した後に再び口を開いた。
「例えば・・・今、セルディナにある学園に相当する機関と言えば貴族子女が通う貴族学園と、専門知識を扱う研究所と、魔術院くらいです。あとは教会が無料で読み書きくらいは教えてくれているけど・・・やる気のある人達が細々と利用する程度です。」
「うん、そうだね。」
「だから所謂『学園』と呼ばれる施設には、お金の無い人達は勿論、平民の子供達が通う事は無い。」
「そうだ。」
「でも今はアカデミーという冒険者養成所が作られて、其処なら平民の子供達と安い入学金を払うことで学びを得る機会を得ました。」
「その通りだ。」
シオンの眼に少し熱が籠もる。
「だからいっその事、冒険者養成所では無くアカデミーを普通の職業訓練所にして、冒険者に限らず様々な職種を学べる様な場所に変えてしまうんです。そうすれば冒険者には成れそうも無い身体の弱い子達も遠慮無く入学出来る。」
「うむ。」
ブリヤンは満足そうに頷いた。
「前から少し不思議に思っていたんです。なぜ冒険者に限った養成所にしたのかと。」
「理由はある。」
シオンの疑問にブリヤンは答えた。
「本来の私の目的は国民への『知性の提供』だった。セルディナは世界を見渡しても比較的安定した治世を維持している。しかし民衆へ目を向ければ文字の読み書きが出来ない者や、簡単な計算が出来ない者が数多く居る事も否めない。既に本を貸し出す施設は提供しているが、そもそも文字が読めない者には敷居が高い施設だ。大元である『文字の読み書き』や『計算』を教える機関が無ければ、この先も民衆の知性は絶対に上がらない。」
「はい。」
「其処で国は随分前から民衆にも『学園』を提供しようと考えていた。しかし問題が1つ在った。」
セシリーが首を傾げながら言う。
「お金ですか? 民衆が払う入学金とか・・・」
ブリヤンは首を振った。
「いや違う。金は国からの補助でどうとでもなる。問題はもっと根本的な処だ。・・・つまり民衆の興味だ。」
「興味・・・」
「そう。例え素晴らしい施設を作ったとしても、対象となる民衆そのものが興味を持たなければ誰も入ろうとはしない。」
「それはそうだ・・・。」
ミシェイルが頷く。
「彼等にしてみれば『学園を作ったから入っても良い』と言われた処で其れが何をする施設なのかが解らないだろうし、其れならさっさと働きに出た方が金を手にする事が出来る。年単位で時間を消費してまで学問を身に付けた処で何の得が在るのか。具体的に頭では理解していても『現実的な』理解には繋がらないんだ。」
「確かに実績が無いと解らないよな。成功例でもあれば解りやすいけど。」
ミシェイルが呟くとブリヤンが頷く。
「正に其処だ。民衆に対しての実例が無いんだ。だったら実例を作るしか無いが、其の為にはどうしたら良いか。最終的に私が目を付けたのは、近年の子供達に人気が高い『冒険者』を利用する事だった。安い入学金で入れる冒険者の養成所を作り、其処を出た者はギルドの登録試験をパスして登録可能にする。つまり比較的安易に冒険者に成れるようにした。そして民衆の子供達の興味を惹く事は成功した。入学者は初年度から定員をオーバーする程に殺到した。しかし卒業後の結果は・・・みんなが知っている通りだ。」
ブリヤンの言葉にウェストンも残念そうだ。
「俺達も理解した上で協力していたつもりだったんだがな、『気楽に金稼ぎが出来る』と勘違いして入って来た奴が殆どで、大抵は碌に依頼も受けようとしない結果だった。」
アカデミーの設立目的を聞いてから期待に胸を膨らませていたウェストンから見れば、確かに残念な結果だろう。
「我々上層部の責任だ。冒険者ギルドの関与について賛成派と反対派で大きく対立してしまった。」
ブリヤンも無念そうだ。
「・・・しかし貴族と言うのは君達が思う以上に頑固でね、本当に失敗しない限り自分の意見を引っ込める事は無い。下手に押さえ付ければ争いにまで発展しかねない。」
「面倒臭いですね。」
アイシャが呆れて言うとブリヤンは苦笑いする。
「まったくだ。しかし彼等も体面を重視している以上、簡単には退けないんだよ。」
「それなら黙っていれば良いのに・・・。」
ルーシーがポツリと呟き、ハッとなって慌てて口を押さえる。
「本当にその通りだ。少なくとも意見を述べるなら自分の意見の正当性を裏付ける検証をしてからにするべきなんだが・・・まあ其れはともかくだ。とにかくアカデミーの成果を顧みれば、此れまでは成功したとは言い難かった。だが今回は君達の様な優秀な人材を輩出する事が出来た。此れは大きな成果だ。この実績を以て民衆に有用性をアピールして、アカデミーを次の段階に進める。」
「次の段階?」
セシリーが首を傾げる。
「そう。つまり冒険者養成だけに留まらず様々な職業に適応した技術の取得や、学問に対する学びの場を提供する総合学舎への移行だ。これを民衆に低価格で提供する。」
「・・・良いですね。」
シオンが驚嘆したように呟いた。
「そうなれば、間違い無く10年・・・いや5年後にはセルディナ全体が変わり始める。しかし・・・かなりの手間とお金が掛かりますね。」
ブリヤンは少年が正確に主旨を汲み取ってくれている事に喜びを感じながら答えた。
「その通りだ。だが、実は既に各種ギルドのマスター達と裏で話は通してあるんだ。農業ギルド、畜産、林業、薬師、金型、学問全般など、多種多様のジャンルの棟梁達に声を掛けている。」
ブリヤンは再びカップの紅茶を口に含んだ。
「君達に聞くがアカデミーはかなり広大な敷地を有しているだろう?」
「そうですね。こんなに大きくする必要があるのかなとは思っていました。」
ミシェイルが答えるとブリヤンは首を振った。
「いや、実は少し狭いくらいなんだ。何故なら今言ったジャンルの学舎も作る事が最初の構想時点で在ったからね。全部作れば今の敷地はパンパンになってしまう。」
ブリヤンは静かに目を閉じる。
「この国の経済は好調だ。鉱山資源も良く採れ、農林畜産も問題無く回っている。人口も着実に増えていっている。しかし今のままでは何れ行き詰まるんだ。農林畜産は良くとも、この国の経済の根幹とも言える鉱山資源はいつか底を尽く。その時にどうするか。鉱山資源に代わる主要産業を生み出して経済的危難を乗り越える時に必要なのは、学問に拠った知恵なんだ。その知恵者は多ければ多いほど良い。」
「・・・」
「陛下は財政的に多少の無理をしてでも、今からその基板となる体系を生み出しておきたいとお考えなんだ。『その時』に慌てなくても済む様にな。」
一同は静まり返った。
自分達の公王が其処まで先の未来に想いを馳せているとは思わなかったのだ。しかし・・・。
「・・・幾らくらい掛かるんですか?」
正に皆が懸念した事をルーシーが怖ず怖ずと尋ねると、ブリヤンはさらりと答えた。
「うん、ざっと試算すると金貨にして凡そ10万枚程だ。」
「!?」
セシリーとシオン以外は仰天した。
「じゅ・・・10万!? そ、そんなにするんですか!?」
アイシャが泡喰って訊き返すとブリヤンは苦笑した。
「別に一気に使うわけでは無いし、商会などにも白金貨を発行して協力して貰うさ。」
「・・・白金貨を発行?」
理解が追いつかない面々にシオンが口を開く。
「その辺は後で俺かセシリーが説明するよ。とにかく閣下の言った10万枚は何も本当に10万枚を即金で用意して使うって意味じゃ無いんだ。」
「そうなんだ・・・」
今ひとつ納得出来ていない風ではあったが皆は何となく頷く。
ブリヤンはシオンを見た。
「シオン君。」
「はい。」
「君は城に勤める気は無いかね?」
「は!?」
突然予想外の事を言われてシオンは頓狂な声を上げたが、直ぐに首を振った。
「お誘いは嬉しいですが、やはり俺は今の暮らしが気に入っています。」
「そうか、惜しいが・・・仕方無いな。」
腹心の側近が欲しかったブリヤンとしては出来ればシオンを側に置きたかったが、セルディナ公王が厚く信頼を寄せる此の宰相は権力で若者を囲い込めるほど器用な性格では無かった。




