111話 卒業へ
「・・・おはよう・・・」
幾分寝ぼけ眼な表情で居間に姿を現したシオンにルーシーが笑顔で答えた。
「おはよう。今日も寒いね。」
「・・・」
既に用意されている朝食を見てシオンは尋ねた。
「え、いつ起きたの?」
「一の鐘の後くらいかな。」
今は既に二の鐘が鳴ろうかという時間だ。起きた時間の余りの開きにシオンは絶句した。
「ご、ごめん。寝過ぎた。」
慌てるシオンにルーシーは微笑んだ。
「いいの。良く寝てたから。寝顔、可愛かったよ。」
「・・・!」
顔を真っ赤にして言葉を失ったシオンを見てルーシーは遂に笑い出した。
「じゃあ行ってくるよ。」
シオンが挨拶するとルーシーは手を振った。
「行ってらっしゃい。学園長先生に宜しくね。」
「解った。君はカンナのところ?」
「うん。カンナさんに呼ばれてセシリーとマリーさんと魔法談義だって。」
「アイツ・・・暇なのか?」
シオンは渋面を作りながらぼやく。
「暇では無いだろうけど・・・意外と寂しがり屋さんなところがあるなぁ、って思う時があるわ。」
ルーシーの返答にシオンは少し驚く。
「寂しがり・・・? アイツが?」
とてもそうとは思えなかったが、取り敢えずシオンは久しぶりのアカデミーに足を向けた。
「レーンハイム学長、お久しぶりです。」
シオンが挨拶すると少し痩せたレーンハイムが喜色を浮かべて駈け寄って来た。
「いやぁ、シオン君! 本当に久しぶりだ! 活躍はずっと耳にしていたよ! 本当に君は凄い子だ!」
興奮して叫ぶ学長にシオンは苦笑する。
「ご無沙汰してます。」
「・・・うん、まぁ、座り給えよ。紅茶と黒豆茶、どちらが好みだい?」
シオンの態度に我を取り戻したのかレーンハイムは取り繕うように席を勧めた。
「じゃあ、黒豆茶で。」
「了解だ。」
前に置かれた黒豆茶を口に含んでからレーンハイムは口を開いた。
「それで今日の御用向きは? 来週の卒業式についてかな?」
カップを置いたシオンは少し真剣な表情を湛えて頷いた。
「少しお訊ねしたい事がありまして。」
「どんな事かな?」
シオンの表情を受けてレーンハイムも表情を引き締めた。
「来週の卒業式についてですが、俺も参加、という事になるのでしょうか?」
「勿論、此方はそのつもりだが何か問題でもあるかね?」
「問題と言うか・・・気になる事がありまして。」
「うん。」
レーンハイムは視線で促す。
「私が卒業式に参加する意味です。元はアカデミーの成績を押し上げる為、アカデミーからギルドへの依頼という形で俺は入園しました。」
「そうだったね。」
「しかし現在では在学中にCランクにまで昇り詰めたミシェイルとアイシャが居て、ノーブルソーサラーに任じられたセシリーが居て、竜王の巫女として覚醒し王家より聖女の名を賜ったルーシーが居ます。余り真っ当では無い理由で入学した自分が卒業式に参加するのは、せっかく華々しい成果を上げたアカデミー卒業生達の旅立ちに水を差すのではないでしょうか?」
「いや、それは・・・」
口を開き掛けたレーンハイムをシオンは一旦制して続ける。
「更に言えばアインズロード侯爵宰相の栄達を快く思わない者達は未だに宮中に存在しています。彼等はブリヤン閣下の発案であるアカデミーに難癖を付けて、不名誉の泥を塗る機会を狙っているかも知れません。」
「うむ・・・」
「そんな中で俺が卒業式に参加するのは、ブリヤン閣下を疎ましく思っている者達に良い口実を与えてしまうのでは無いでしょうか。」
シオンが口を閉じるとレーンハイムは感嘆の眼差しをシオンに向けた。
「前から知っていた事では在ったが・・・本当に君は目鼻の効く少年だな。本当に17歳とは思えない洞察力を持っているね。」
真っ向から賞賛されてシオンは少し照れる。
「恐縮です。」
レーンハイムは黒豆茶を飲み干すともう一杯カップに注いでから口を開いた。
「実はね、我々も其れは考えていたんだ。我々と言うのはブリヤン閣下と私なんだが・・・君と同じ懸念を抱いていた。しかし閣下は仰られていたよ。『だがシオン君の働きがあってこそ現在の結果が在る事は疑い様が無い。シオン君の焚き付けが無ければミシェイル君は未だ只のアカデミー生だったろうし、アイシャ嬢も彼に付いて行きはしなかっただろう。私の娘もノーブルソーサラーなどと言う栄誉を賜ることは無かったし・・・ルーシー嬢も話を聞く限り、どうなって居たかは解らなかった。言ってみればシオン君こそがアカデミーの救世主だ。』とね。」
そうまで言われるとシオンもむず痒くなってくる。
「其れは過大評価かと・・・」
「いや。」
レーンハイムはきっぱりと首を横に振った。
「私もそう思う。君が来てくれなかったらアカデミーも私も何も変わらなかったと思うよ。其れにいつか君が突発的に始めた試験で見出してくれたアカデミー生達も確実にギルドで成果を出し始めてくれているらしい。君の試験に合格できなかったアカデミー生達もアレから訓練に対して目の色が変わったと報告を聞いているんだ。・・・本当に君がアカデミーに強烈な風を吹かせてくれたんだよ。そんな君を卒業式に参加させないのは明らかに間違っている。」
「・・・」
強い熱意を受けてシオンも言葉を失ってしまった。
大した考えも無く行動していたつもりだったが、まさかそんな自分の行動が其程までに評価されていたとは思っていなかったのだ。
「だが、確かに君が言った懸念は否めないところだ。其れに今年は初めてアカデミーとして上手くいった年度の卒業式だ。卒業式を成功させる為にも出来るだけリスクは回避したい。」
「その通りです。」
シオンが頷くとレーンハイムは一本指を立てた。
「其処で考えた。」
「は?」
「君が卒業生として参加するのは確かにリスクが在る。しかし君が送り出す側の・・・つまりアカデミー側の人間として参加する分には問題無いだろう。」
「な、何を言ってるんですか!?」
余りにも突拍子の無い事を言われてシオンは思わず声が高めた。
「つまりこう言う事だ。冒険者ギルドは私の依頼を受けてアカデミー生としてシオン君を参加させた。が、本当は調査役としてアカデミーの問題点を把握するために参加していたのだ・・・と言うシナリオだ。実際に君がアカデミー内で採っていた行動を元にそう言うシナリオを作った。」
「・・・」
文字通り言葉を失うシオンにレーンハイムは言葉を続ける。
「因みに閣下もウェストンさんも了承済みだ。『そっちの方がシオン君らしくて良い』との事だ。」
大人達の勝手な細工にシオンは溜息を吐いて背もたれに寄りかかった。
「どうだい?」
答えは解っているくせにレーンハイムはニヤつきながら尋ねてくる。
シオンは答えるしか無かった。
「解りました。ブリヤン閣下がご承知だと言うのならそうするしか無いでしょう。」
呆れるシオンにレーンハイムは満足そうに頷いた。
「いやぁ、快諾を得られて良かったよ。じゃあ当日迄には教員用の正装服を送るから其れを着て来てくれ給えよ。」
「解りました。」
此れだから大人って奴は・・・と心中で悪態を吐かずにはいられないシオンだった。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
「行きましょう、シオン先生。」
おちゃらけて言うルーシーにシオンは困った顔をする。
「先生はやめてくれよ。」
学園から送られてきた教師用の正装服はシオンのサイズにピッタリと合っていた。
黒絹のスーツに青銀の縁取りがされた服はシオンの長身に良く映えている。
「セシリー達はシオンを見たらビックリするね。」
「・・・ああ、そう言えば言って無かったな。」
思い出した様にシオンは言った。
アカデミーは祭りでも開催するのかと誤解させる程に華やかな彩りに飾り付けられてれていた。元々広い施設では在ったが、こうして至る所が飾り付けられていると本当に大きな祭りの会場の様に思えてくる。
式が始まる前に一度集められた卒業生達が和気藹々とざわめいている、その一角でセシリーの頓狂な声が響いた。
「は!? 先生の側で出るの?」
セシリーも流石に驚きを隠せなかった。
「何だよ、卒業生側で出るんじゃ無いのか。」
少し残念そうなミシェイルの言葉を受けてシオンはレーンハイムとのやり取りを皆に話した。
「なるほどねぇ・・・。アカデミーに難癖を付けて不名誉の泥を塗る機会を狙う、か。」
ミシェイルが感心したように頷いた。
「よくそんな事まで考えつくよな、お前。」
若干呆れた様な視線を向けるミシェイルにシオンは苦笑いで応える。
「なんか・・・そんな事まで考えなくちゃいけないなんて、貴族って面倒臭いね。」
アイシャは面白く無さそうだ。
「仕方無いさ。そういうのも政治の一部だ。いつ何処で政敵が足下を掬いに来るかなんて解らないんだから油断しないに越した事は無い。」
セシリーも不満そうな表情だった。
「其れは解る話だけど・・・お父様はシオンが先生の側で参加するなんて事、一言も教えてくれなかったわ。娘にくらい教えてくれても良いじゃない。」
――ああ、其れは確かに・・・。
とシオンも思ったが、口に出すと面倒になりそうだったので黙って笑顔を向けるだけに留めた。
「まあでもカッコいいね、その服。」
アイシャが言い
「良く似合ってると思うわ。」
セシリーが言った。
「ありがとう。」
シオンはそう言うと黙って見ていたルーシーに笑顔を向けて教師団の控える屋内に向かって行った。
それを見送ったセシリーが言った。
「ルーシー、カンナさんが『卒業おめでとう』だって。式が終わったら魔術院に来る様に伝えてくれって言われたわ。」
「うん、わかった。」
ルーシーは笑顔で答える。
ミシェイル達も此処からは各自のコースに別れる事になる。
ミシェイルは剣術科コース。アイシャは弓術科コース。セシリーは魔術科コース。そしてルーシーは回復師科コース。
とは言う物の・・・とルーシーは1人歩きながら思う。
回復師科コースはルーシー1人しか居ない。しかも特定の先生も居ない。敢えて言えば週1回だけ魔術院から来てくれていたフレイアが講師だったが回復師科コースの担当教員は不在だった。
誰も居ない教室で、薬草大全と書かれた書物を開きながら独学で効能や使い方を学んでいたあの頃を思い出す。楽しげな隣のクラスの笑い声を聞いて何度も羨ましく思ったものだ。でも「もし仮に生きて帰れたときには病や怪我に悩まされている人達を救ってあげたい」という想いを糧にして寂しさを振り払っていた。
例え其れが絶望的に無理な願いだと知ってはいても、そうとでも思わなければ自分が生きている甲斐を感じられず全てを投げ出したくなってしまいそうだった。
其れからシオンと出会い幸せを知る事になるのだが。
シオンは回復師の重要性について随分と働きかけてくれたらしいが、アカデミー内に回復術の重要性が周知されるようになった頃にはルーシーはアカデミーに顔を出さなくなっていたので、現状がどうなっているのかを実は知らない。
セシリーから「回復師の担当講師を探すのが難航していて未だ決まっていない」という話を聞いたのは少し前の話だ。
「ま、いいか。」
以前とは違い、心に揺るがぬ相手を見つけたルーシーは余り気にすることなく回復師科コースが集まる場所へと向かった。
「・・・」
案の定、誰も居ない。
『ま、いいか』と割り切ってはいるものの、少し離れた所で魔術科のアカデミー生達がざわめいているのを見てしまうとやはり少しだけ羨ましく思ってしまう。
ルーシーは着ている真っ白なローブを見た。色々と激動のアカデミー生活ではあったけど着るのも今日で最後だ。
「楽し・・・かったな。」
一瞬だけ迷ったけどルーシーはそう呟いた。
「あの・・・。」
「?」
後ろから話し掛けられてルーシーは振り返った。
4人の少女達が立って居る。しかも身に付けているのはルーシーと同じ真っ白なローブだった。
「・・・え・・・その服・・・」
自分以外にそのローブを着ている人がいる筈も無い。
そう思うルーシーに少女達は頭を下げた。
「は、初めまして、ルーシー様。」
――『様』・・・?
誰かと間違われているのか、一瞬理解が追いつかなかったルーシーは首を傾げた。
「あの、『様』って・・・? ・・・貴女達は回復師科コースなの?」
「はい!」
少女達は元気よく返事をした。
「・・・」
予想外も予想外過ぎてルーシーは言葉を失ったまま少女達を眺めた。
そんなルーシーを見て1人の少女が説明を始める。
「あ、あの済みません。私、回復師科コースの1年生でアンジェリカって言います。」
「ルイです。」
「フロリアです。」
「リィナです。」
アンジェリカが自己紹介したところで他の少女達も名乗り出す。
「あ、ルーシーです。」
釣られてルーシーも返す。
アンジェリカが話を続けた。
「私達、入学時は全員魔術科コースに入っていたんですけど、アカデミーに来て特別講習をしてくれたギルドマスターさんが教えてくれたんです。『回復師は希少な存在だ。冒険者になれずとも様々な立場で社会の役に立てる。要は食いっぱぐれがない。』って。それで入学時に『素質が在る』って言われていた私達は回復師科コースに転科する事に決めたんです。」
ウェストンの話している風景が目に浮かんでルーシーは笑いそうになった。
「それに『今はもう来ていないけど此処で学んでいた回復師科生徒のルーシー様は、今やセルディナにときめく聖女様になられた御方だ!』って聞いて・・・私達、今とても燃えているんです!」
ウェストンさん・・・!
火を吹くようなとんでもなく恥ずかしい紹介をされていた事を知ってルーシーは心の中で吠えた。
「私達、みんなルーシー様にあこがれているんです!」
「ルーシー『様』は止めて下さい!」
銀髪を揺らして首を振り必死に制するルーシーを見てアンジェリカ達は首を傾げた。
「じゃあどうお呼びしたら良いですか?」
「ルーシー、で良いです。」
「聖女様を呼び捨てになんて出来ません!」
「いや、私は此処では只の学生です! お願いですから『様』はやめて・・・。」
恥ずかしくて死にそうだ。
ルーシーが本気で嫌がっているのを察した少女達は頷いた。
「じゃあ、ルーシー先輩で。」
「・・・其れでいいです 」
まだマシだ。
セシリーの様に元から貴族様として生きてきた訳ではない自分が『様付け』で呼ばれて受け容れるなんて出来そうに無い。
「ルーシー先輩にお会い出来て、私達本当に光栄です!」
「・・・有り難うございます。」
一気に疲れを感じたルーシーだったが、彼女達の笑顔を見て少しだけ嬉しくなったのは本当だった。




