109話 報告
「私は暫く此処に残ります。」
セルディナ公国に戻る算段を立てていたカンナ達にルネがそう宣言した。
「そうか・・・。」
ルネの意向を察したカンナが頷く。
「はい。リンデル殿下は国の未来のためにヤートルード様との縁を欲されています。ヤートルード様と人の間を取り持てるとしたら現状ではルーシーか私だけです。なら私が此処に残りヤートルード様の怒りを買わぬように窺いながら何とかイシュタル帝国の加護を賜れないかお伺いを立てたいと思います。」
「済まないな。其の様な大事をお前さん1人に任せるのは何とも心苦しいが・・・」
カンナが言うとルネは首を振った。
「いえ、お気に為さらず。私も一度、メルライアの森に帰って精霊達との絆を深めておきたいと思っていましたので・・・次いでです。」
「次いでか。」
ルネの言い草にカンナは苦笑いをした。
ルーシーが心配そうにルネの手を握った。
「ルネ、気をつけてね。ヤートルード様は受けた傷のせいもあって少し気が立っていらっしゃるわ。貴女であれば大丈夫だとは思うけど、怒らせないようにね?」
「解ってるわ、ルーシー。」
ルネは巫女に微笑んで見せた。
そうしてリンデル達と別れた一行は、半壊した帝都をそのままにして去る事に後ろ髪を引かれながらイシュタル帝国を出発した。
帝国の中心である帝都が半壊したせいもあって港町ラーゼンノットも混乱状態ではあったが、リンデルの計らいに因ってシオン達はカーネリア大陸向けの船に乗ることが出来た。
そして4日の航海を経てカーネリア大陸の地に足を踏み入れた一行は、一路マーナ=ユールを通ってセルディナ公国に帰ってきたのだった。
「随分と久しぶりに感じるな。」
セルディナ公都に入ったミシェイルが呟くとアイシャが頷く。
「そうだね。イシュタルには・・・1ヶ月くらい居たのかな?」
「そのくらいかな。」
はっきりとは覚えていないがそのくらいだろう。
「それでカンナ。此れからどうするんだ?」
シオンが尋ねるとカンナは一同を見回して言った。
「そうだな。公王陛下に会いに行こうと思っていたが、時間も時間だしな。今日は全員ウチに来い。そんで明日みんなで城に行くぞ。」
そしてセシリーを見る。
「お前の家には使いを出すから、お前もウチに来い。みんなでメシを食うぞ。」
ご機嫌のカンナにみんなは笑いながら了承した。
「カンナ様。」
クリオリングが神妙な面持ちでカンナを見る。
「どうした?」
「出来れば私はビアヌティアン殿の祠に行きたいのですが。無論、明朝までには戻ります。」
「・・・。」
カンナはクリオリングを見つめる。
蒼金の騎士には守護神に対して色々と話したい事もあるのだろう。その気持ちは解らなくも無い。
「疲れてないのか?」
「幸いこの身体は余り休憩を必要とはして居りません故に、気力も充実しています。」
蒼金の騎士からの強い要望は初めてかも知れない。
カンナは騎士の希望を受け容れた。
翌日は快晴だった。
一行が準備を終えて玄関を出ると既にクリオリングが待っており、一行は用意していた馬車3台に別れて公城を目指した。
城では出迎えた宰相のブリヤンが両手を広げて娘のセシリーを抱き締める。そのままブリヤンはシオン達に視線を向けた。
「良く戻って来た英雄達。カンナ殿、大義でしたな。」
「本当に色々あった。出来る限りは陛下にも報告しておきたい。」
カンナの言葉にブリヤンは頷く。
「既に準備は整っています。陛下は勿論だがロイヤルファミリーが全てご参加の予定です。」
「宰相殿には昨日の今日でお手数を掛けたが助かるよ。」
カンナの礼にブリヤンは首を振った。
「何のお気に為さるな。正直に言えば私も話を聞きたくてウズウズしているのです。」
「相変わらず好奇心の強い御仁だ。」
カンナは笑う。
「ウェストンさんやマリーさんも呼べば良かったかな。」
シオンが呟くとブリヤンが反応する。
「其れなら心配無用だ。ギルドマスター殿とマリーも同席する。」
マリーの名を呼んだときに少しだけ照れ臭そうな表情になったのをセシリーは見逃さなかった。
「お父様、まだマリーさんの名前を呼ぶことを恥ずかしがっているのですか?」
「こ、こら、セシリー。何を言うんだ。」
如実に顔を赤らめて愛娘を窘めるブリヤンに皆は笑い出した。
「公国切ってのやり手な宰相殿も恋愛沙汰には中々に平凡なところが在るじゃないか。」
カンナがからかうとブリヤンは咳払いをして誤魔化した。
「さ、さあ。陛下がお待ちですぞ。行きましょうか。」
堂々と前をのブリヤンだったが、その真っ赤な耳を見て少女達はクスクスと笑ってしまい堪えることが出来なかった。
「おお、待っていたぞ、英雄達。よくぞ戻られた。」
通された部屋ではアスタルト公太子が満面の笑顔で迎え入れてくれた。その両サイドにはシャルロット公女とハイ=レディの冠名を賜ったエリス嬢が立っていた。
「お久しぶりで御座います、アスタルト公太子殿下。」
シオンが頭を下げると一同も其れに続く。
「うむ、本当に久しぶりだ。間も無く父上も参られるだろう。席に座ると良い。」
勧められるままに一同が腰を下ろすと、ブリヤンの席の横に座っていたマリーがウインクをし、ブリヤンを挟んで反対側に座っていたウェストンが親指を立てて見せた。
間を置かずに部屋の奥扉が開き、ロイヤル=ガードを連れてレオナルド公王が入って来た。
一同が席を立って一礼するとレオナルドは手を上げて応え、座るように合図する。
「この度はイシュタル帝国での活躍、大義であった。」
レオナルドの賛辞に一同は頭を下げる。
「既に戻って来た紐付きから報告を受けてはいるのだが・・・イシュタルの混乱は収まったのだな?」
公王の確認にシオンが答える。
「はい、陛下。一旦は危難を乗り越えたと見ています。」
「一旦・・・? 一旦とはどういう事かな?」
アスタルト公太子が訝しげに問う。
其処でシオンとカンナが交互にイシュタル帝国で起きた事を話した。
邪教徒の事。天央正教内部の腐敗や大神殿を襲った神像の件。イェルハルド法皇の死の真相。帝都に訪れた凶事の数々。そして最奥のアートス降臨と漆黒の巨竜ヤートルードとの激闘。
それらを聴き終えたレオナルド達は暫く声を発しなかった。
「まさか・・・イェルハルド法皇猊下が半年も前に崩御為されていたとはな。」
レオナルドが声を絞り出す。
「天央正教はどうなるのでしょうか、お父様。」
シャルロットの疑問にレオナルドも明確な事は答えられなかった。
「解らぬな。本来なら大主教達の中から大神殿に定められた方法を以て選出される筈だが・・・シオン君達の話では、現在の大主教達の中から次期法王を選出するのは難しいだろう。」
「第一候補者が呪殺され、対抗馬が実は最奥のアートスだった。他の大主教達も戴きに据えるには人徳がなさ過ぎると在ってはな・・・。」
アスタルトも難しい表情で父王の言葉に追従する。
ブリヤンが話を変えた。
「シオン君、実はイシュタル帝都の異変はセルディナ公国からも見えていてな。帝都辺りの上空が赤黒く変色していた。」
「何と・・・此処からも見えていたんですか。」
「うむ、余りにも異様な光景だったのでな、公都でも少し騒ぎになっていた。我々もアレを見て軍の出動を本気で考えた。」
シオン達の表情が少し曇る。
その心内を代弁する様にカンナが言った。
「本当に悲惨だったよ。帝都の民達が殺し合いをする様は。あの様な光景は二度と見たく無いモノだ。」
「・・・其れを仕組んだのもオディス教徒と言う事か。」
「そういう事だよ、陛下。」
他国の事ながらレオナルドの双眸に激しい怒りの炎が揺れる。
「公国内にも未だ邪教徒共は彷徨いている様だ。ビアヌティアン殿に訊ねたら我らが守護神はそう仰られた。連中にはいずれ必ず報いを与える。」
珍しく感情を表に出して重々しく宣言するレオナルドの迫力に一同は少なからず気圧される。ブリヤンが話を続けた。
「しかし大したモノだ。我が公国もカーネリア王国の港から支援の軍を派遣する積もりで出立させたのが・・・こんな短期間で事を収めてしまうとはな。流石は希代の英雄達だ。」
「いや、ですが閣下。結局俺の力は最奥のアートスには何一つ通用しませんでした。戦いの趨勢を決めてくれたのはヤートルード殿だったそうです。」
「そう、其れだ、シオン!」
突然ウェストンが声を上げた。
「そのヤートルード殿だ。本当に其れはドラゴンだったのか?」
「? ・・・そうだよ?」
「カァーーッ・・・ドラゴンかよ! 本当に居たのかよ!」
まるで美味い酒を喰らったかの様な感極まった表情でウェストンは叫ぶ。
「ギルドマスター殿、陛下の御前であるぞ。」
ブリヤンが苦笑しながら窘めるとウェストンは頭を掻いた。
「あ、すみません。」
大男が恐縮する姿を見てレオナルドが頬を緩ませる。
「構わんよ、公式の場では無いしな。其れよりもギルドマスター殿はドラゴンに随分と思い入れがあるようだな。」
公王の問いにウェストンは頷く。
「ええ、其れはもう。冒険者で在れば一度はこの目で見てみたいと思う伝説の・・・いや、憧れの存在なんですよ、ドラゴンって奴は。」
「ほう?」
興味深げにレオナルドは少し身を乗り出す。
「最強の存在と誠しやかに伝えられているクセに、実は居るのか居ないのかもハッキリしない。かと思えば『アッチで見た』『コッチで見た』と目撃情報は絶えない。」
「フム・・・」
「況してや『ドラゴンを倒した』『撃退した』なんて言う噂まで出て来て『証拠だ』と言わんばかりにデカい角を持って帰って来る奴まで居た。」
「え・・・。」
今度はミシェイルが少し退いた様な声を上げた。
「ドラゴンを? 本当ですか?」
甚だ疑わしいと言った表情で訊ねる少年にウェストンは首を振って見せた。
「いや、デマだった。その角はグレートホーンって言う他大陸の生き物の角だったんだ。まぁ名声欲しさに一芝居打ったつもりだったんだろうが・・・調べりゃ直ぐにバレちまう様な嘘を何で吐いたんだ? って当時の冒険者界隈では笑い話として有名になったもんさ。」
「? そんな話聞いた事ないけど・・・?」
マリーが首を傾げるとウェストンは笑った。
「そりゃそうだ、俺が駆け出しの頃の話だから今から20年以上前の話だ。お前はまだ小っさい嬢ちゃんだったろうからな。」
「・・・」
嬢ちゃんと言われてマリーは納得行かない顔になる。
「まぁ。そんな訳で青二才だった俺も好奇心を押さえられず、噂に踊らされてアッチコッチを彷徨いたもんですよ。もちろんドラゴン本体どころかその影すら拝むことは出来ませんでしたがね。」
「なるほど。」
「況してや、カンナさんでさえ見た事が無いなんて話を最近は聞いてましたからね。『ああ、カンナさんが見た事ないんなら居ないんだろうな』って思ってましたよ。」
そう言ってウェストンはレオナルドからシオンに視線を移した。
「それで、シオン。実際に見てみてどうだった? 勝てそうな相手だったか?」
この場に居たらルネが怒り出しそうな程に明け透けな質問をされてシオンは苦笑いした。
「ヤートルード殿が最奥のアートスと戦っている時、俺は気絶していたから直接見てはいないんだけど。」
「でも、夢の中だか何だかで見ていたんだろ?」
「まあ。それで良いなら、俺の見立てではどう引っ繰り返っても俺じゃ勝てないな。」
「やっぱりそうか。」
納得した様にウェストンは頷く。
カンナが話を継いだ。
「・・・と言うよりも、アレは人がどうこう出来る存在じゃ無い。剣や魔法はほぼ意味が無いしもし対抗するにしても大型兵器は最低限必要だろう。・・・いや、其れでも無理か・・・。」
自分で提案しながら即座に否定する伝導者の言葉にアスタルトが感慨深げに呟く。
「其れほどの存在がイシュタル帝国には居るのか・・・。」
其れは単純な感嘆ではないだろう。
何れは父王の後を継ぐ者としてヤートルードを脅威に感じているに違いない。もし、イシュタル帝国がヤートルードを味方に付けて世界へ侵攻を始めたら・・・。リンデルの為人は知っていても「其れと此れとは別」と考えるのが当たり前である以上、アスタルトが抱く警戒心は当然だった。
其れを察するカンナは公太子に向かって言う。
「まぁしかし、ヤートルード殿はビアヌティアン殿とは違って人に対し興味を持っていないからな。此れから長い時間を掛けて関係を築かなくてはならない事を考えると・・・イシュタルの皇族も大変だわな。」
「・・・なるほど。」
独り言の様に言って聞かせるカンナの言葉にアスタルトは頷く。
カンナはそのままレオナルドに視線を移した。
「それで陛下。そのビアヌティアン殿の新居はどんな具合なのかな。」
「おお、其れは間も無く完成する。そろそろシオン君の出番となるだろうな。」
レオナルドの言葉にシオンの顔が引き攣る。
少年は悠久の賢者に尋ねた。
「本当に俺が運ぶのか?」
「当たり前だ。かの御仁の身体は思う以上に脆い。お前が短時間でサッと運ぶのが一番良い。」
「そうか・・・。」
諦めた様にシオンは頷く。
「そう言えばセシリー達の卒業も来週だな。」
ブリヤンの言葉にアカデミー組がハッとなった。
「え、あ、そうか。」
「忘れてた・・・」
「来週なのか・・・。」
セシリー、ミシェイル、アイシャの3人は感慨深げに呟く。
「・・・俺は1年近くもアカデミーに顔を出してないのに本当に参加して良いのかな?」
金髪の少年の戸惑いにウェストンが言った。
「当たり前だろ。お前達は4人はアカデミーの実績その物なんだから是非行ってくれ。」
「? 何でウェストンさんが言うの?」
アイシャが首を傾げるとウェストンは頭を掻きながら答えた。
「いや、お前達には未だ言ってなかったけど、来年度からは冒険者ギルドのメンバーが講師陣に加わるんだよ。だからお前達には卒業式に参加して貰わないと、此方としては気まずいし格好が付かないんだ。」
「ああ、そう言う事・・・」
「誰が講師陣に入るんです?」
シオンが興味深げに尋ねるとウェストンは溜息を吐く。
「ギルドとしてもそんなに数に余裕が在る訳じゃ無いからな。取り敢えずは受付嬢達に代わる代わるに参加して貰おうと思っている。後は・・・俺も不定期で出る事になった。」
「ああ、成る程。確かにギルドマスターの話が聞けるのはアカデミー生にとっては有意義でしょうね。」
ウェストンが顔を覆った。
「ああ・・・何を話せば良いのか検討がつかねぇよ。今から気が重い・・・。」
そんなギルドマスターをマリーが叱咤する。
「デカい図体して何時までグチグチ言ってるんだよ。マスターがそんなんじゃ、アカデミーの子達だって困っちゃうだろ!」
「お前は良いよな。特別講師とか言っても薬草学と回復術を教えるだけ。得意分野だもんな。」
「え!?」
シオン達はウェストンの言葉に驚いた。
「マリーさんも出るの!?」
「週に1回だけね。」
「侯爵夫人になる人が?」
驚くメンバーにブリヤンが答える。
「ウェストン殿から相談を貰ってね。マリーも別に構わないと言うから、私も彼女が良いなら構わないと返事をした。」
ウェストンも言葉を添える。
「俺が知る中で回復関係に一番詳しいのはマリーだからな。其れにマリーの性格なら少々小生意気なガキが相手でもビクともしないだろうし。」
「・・・誉めてないね?」
睨むマリーから視線を外してウェストンは言葉を続ける。
「適任だと思ってな。駄目で元々のつもりで閣下にお尋ねしてみたんだ。」
セシリーが気遣わしげな視線を父親に向ける。
「でも、立場とか・・・」
愛娘の心配にブリヤンは苦笑いした。
「元々アカデミーの発案者は私だ。マリーが快く引き受けてくれるのならアインズロード家の人間がアカデミーに直接関わるのは悪い策ではない。其れに陛下にも御協力頂いて『陛下からの指示』と言う事にして我が家の体面にもお気遣い頂いたんだ。」
「なるほど・・・其れなら確かに陛下のご意向に従った形とも受け取れるか・・・。」
シオンはそう言うと頻りに頷く。
そんなシオンにウェストンが爆弾を落とした。
「お前にも偶に臨時講師として入って貰うからな。」
「は!?」
仰天したシオンは素っ頓狂な声を上げる。
「去年お前が勝手に始めた『査定』が好評でな。アレの正式な査定員にお前が選ばれた。」
「ちょ・・・ちょっと・・・」
「やり方は去年と同じで良いからまた良さそうなのが居たら引っ張って来てくれ。」
ウェストンの笑顔を呆然と眺めたシオンが尋ねる。
「・・・拒否権は?」
「ない。」
即答されてシオンは溜息を吐いた。




