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神の去った世界で  作者: ジョニー
第5章 魔の王
201/215

105話 邪神と竜



「ド・・・ドラゴン・・・」

 舞い降りた漆黒の巨竜を見上げてミシェイルが呆然と呟く。

「此れが・・・」

「初めて見た・・・」

 アイシャとセシリーがミシェイルの呟きに続く。


「ヤートルード様・・・」

 名を呼ぶルーシーに巨竜の視線が向けられる。

『大事無いか? 巫女殿。』

 巨竜の意思が周囲の者達に届く。

「は、はい。」

 ルーシーが頷くと竜の双眸が横たわるシオンに向けられた。

『御子は随分と痛めつけられた様だな。』

「はい、ヤートルード様・・・」

 ルーシーの視線に思いを汲み取った竜は視線を移し離れた位置のカンナに向けた。

『アレが伝導者か。』

「はい。」

『行かれよ。彼の者と供に御子の傷を癒やされるが良い。御子には未だ役目が在る。』

「有り難う御座います。」

 ルーシーがシオンを抱え上げようとするのを見てルーシーを追いかけて来ていたクリオリングとルネが手を貸す。

「巫女様、私がシオン殿を運びます。」

 クリオリングがそう言ってシオンを抱え上げた。

「ヤートルード様。」

 ルネが巨竜に話し掛ける。

『エルフの娘か。其方には世話になった。』

「!・・・とんでもありません・・・!」

 神格の存在から思わぬ礼を言われてルネは戸惑いながらも顔を赤らめる。そうなりながらもルネは訊きたい事を尋ねた。

「しかしヤートルード様。貴方様は『竜の眠り』に就かれていた筈ですが・・・竜の眠りは長ければ数十年は覚める事はないと聞いておりました。」

 その問いにヤートルードは答える。

「長ければ、の話だ。幸いにも私は我らが神である竜王神様の力を継ぐ巫女殿に拠って神性の流れを正して貰った。その癒やしの力は僅かな眠りで私を回復させてくれたのだ。」

「そうでしたか・・・。」

 ルネは嬉しそうに微笑む。

『さあルネよ。其方も彼女達の下に戻れ。』

「はい、ヤートルード様。ご武運を。」

 離れるエルフの娘の背中を見遣ると、竜は魔人に向き直った。


 ルネが戻るとカンナが息を吐く。

「竜など生まれて初めて見た。何と濃密な神性よ。息が詰まる程だ。」

 伝説の存在を前にして気分が高揚しているのかその頬は赤い。

「アートスもですが・・・あれ程の存在がラグナロクには参加させて貰えなかったなんて・・・ラグナロクとはどれ程のものだったのでしょう。」

 ルネが信じ難いと言った風に軽く首を振る。

「想像など及びも付かんよ。だが現在では間違い無く最強の存在だ。シオンの力すらアートスには通じないのなら、彼の竜だけが最後の頼みの綱だ。」

 カンナは願いを込めるかのように両手をグッと握ってそう言った。


 巨竜と魔人が向かい合う。

 見ればアートスは先程までの焼けただれた全身を回復させており、ヤートルードを見るその双眸には凶悪な光が宿っている。

『アレを受けてもう治り始めているか。大したモノだ。』

 ヤートルードが言うと憎々しげにアートスが唸った。

『竜・・・だと。・・・竜など遙か古に斃した筈だ。』

 その言葉にヤートルードは反応する。

『その竜は我が母だ。』

『!』

 アートスの表情が歪んだ。

『そうか・・・子が居たのか・・・忌々しい・・・。』

 邪神の呟きを聞いてヤートルードから怒気が溢れ出す。

『・・・我が母の仇、存分に討たせて貰う。』

 邪神は嗤った。

『目覚めたばかりの竜が私に勝てるつもりか。母同様に私が死出の旅路に送ってくれよう。』


 アートスの口から巨大な黒炎が吐き出されヤートルードを包み込んだ。炎に内包された瘴気がヤートルードを侵食し炎熱と瘴気の腐敗が同時に巨竜を襲う。

 しかしヤートルードは其の黒い炎の中で傲然と立ち続け、その口を開いた。口内が真紅に彩られ、黒い闇を払う陽光の如く灼熱の炎をアートスに叩き付けた。

『!』

 巨竜の吐き出した膨大な量の炎に包み込まれ邪神がたじろぐ。

 圧倒的な炎に含まれた光の神性が邪神の身体を灼いた。

『おのれ・・・』

 腕を振り炎を打ち消すとアートスはヤートルードを睨み付けた。

 漆黒の巨竜はほぼ無傷に近かった。全身を覆う鱗が炎熱から身を護り、侵食してきた瘴気は光の神性に灼かれて蒸発していく。

 全身から黒い煙を上げながら真紅の双眸を光らせる巨竜の威風堂々たる姿を見てアートスから溢れる神性の量が遙かに引き上げられた。


「!」

 見ていたカンナ達が驚愕の表情に彩られる。

「なんて神性なの・・・!」

 ルネが唸り

「アイツ、本気じゃなかったのか。」

 ミシェイルが驚愕の声を上げる。

 一同が響めく中、ルーシーは一心不乱にシオンに向かって回復魔法をかけ続ける。


 アートスの豪腕がヤートルードの長い首を殴り付けた。爪が何枚もの鱗を引き剥がす。

 蹌踉めくヤートルードにアートスが余裕の笑みを浮かべた。

『大したモノよ。褒美に「力」を見せてやろう。今の力がお前の母を殺したときの「力」だ。』

 更にアートスの渾身の一撃がヤートルードを襲い巨竜の胸部から大量の体液が飛ぶ。

 ヤートルードの腕が唸り鋭い爪がアートスに迫ったが、アートスはその腕を掴むと至近距離で鱗が弾けた傷口に向かって瘴気の炎を叩き込んだ。

『ウォオオオ・・・・!』

 ヤートルードから苦悶の叫びが上がる。

 一方的な攻撃が始まった。

 邪神の拳が、爪が、炎が次々と巨竜を襲う。


「馬鹿な・・・此れほどとは・・・。」

 カンナは絶句する。

 当初、カンナは秘めている神性は両雄ともに同等と感じていた。しかしアートスの神性が跳ね上がった瞬間に戦いの趨勢が決まったかの様な錯覚を覚える程に、両者の神性に開きが出てしまった。

「我々は・・・何て奴を相手にしてしまったんだ・・・。」

 伝説の竜ですら邪神には及ばないのか――――伝導者の呟きに全員が絶望を感じた。


『所詮はその程度・・・』

 アートスが嗤い更に拳を振り上げた其の時。


 ヤートルードから黄金に輝く灼熱のオーラが舞い上がった。

『無駄な事!』

 振り下ろされたアートスの腕が巨竜の手に拠って捕まれた。

『!』

 巨竜の爪がアートスの腕に食い込み体液が噴き出す。と同時にヤートルードの首が伸び巨竜の口が大きく開かれた。恐るべき乱喰い歯がアートスの首筋に食らい付く。そのままヤートルードの口が赤く輝いたかと思えば超至近距離で業火が吐き出された。

 炎に含まれた光の神性が食らい付いた傷口からアートスの内部に撃ち込まれて邪神を灼く。

『ガアアアアァッ・・・!!』

 今度は逆に邪神が苦悶の叫びを上げ、食らい付く巨竜の頭を引き剥がそうとした。

 ヤートルードは其の無防備の胴体に拳を撃ち込むとアートスを蹌踉めかせる。そしてその場でグルリと一回転をし、その肉体に於いて最も強大な威力を誇る強靱な尾をアートスに存分に叩き付けた。

『ズドンッ!!』

 と強烈な打撃音が響き渡り、強かに打ちのめされたアートスは堪らず其の巨体を轟音と供に大地に沈めた。

 巨竜は仰向けに倒れた邪神に向かって追撃の獄炎を叩き付ける。

『ウォオオオ・・・・!』

 再びアートスの悲鳴が業火の海の中に響き渡った。


 しかし業火の中から撃ち放たれた数発の光弾がヤートルードを直撃すると、流石に巨竜の炎が中断された。

 傷だらけとなった邪神が立ち上がる。


「何という強さだ・・・。」

 クリオリングから感嘆の呻きが漏れる。


「神性の差は埋まっていない。埋まってはいないが・・・」

 カンナはゴクリと喉を鳴らす。

「神性の燃焼のさせ方が極まっている。究極の燃焼と言っても良い。・・・神性量の差をこんな形で縮めてしまうとは・・・。」

 此れこそ僅かな神性しか保たない人という種族が目指すべきラインなのかも知れない、と伝導者は感動すら覚える。


 アートスが憎悪の声を絞り出した。

『竜如きが神たる私に・・・』

 それにヤートルードが応える。

『此れが竜の戦い方だ。』


 如何にラグナロクへの参加を認められなかった落ち零れとは言え純然たる神性の塊である神族と、神魔の最終決戦の為に生み出された特別な種族であるとは言え所詮は神々の使いでしかない竜族とが戦えば、勝敗は見えている。

 そう踏んでいたアートスだったが、本気を出した自分が四方や此処まで押し込まれるとは予想だにしていなかった。

 太古のノーデンシュードとの戦いでは、最初に舐めすぎていたせいもあって手痛い深刻なダメージを負うことになってしまった。今回は其の轍は踏まぬと早々にノーデンシュードを斃したときのレベルまで力を引き上げて一気に戦いを終結させる積もりでいたのだが。

 この漆黒の竜はその力さえも悉く跳ね返してしまった。


『貴様は本当にあの竜の子なのか』


 神によって直接生み出された竜種は最初から最高のパフォーマンスを持った状態で生まれるため、人種の様に代を重ねることで力を増していく事は無い。

 親竜が斃れても生まれた子が親と同等の力を引き継いで神に加勢し立ちはだかる。其れが敵対する闇の神族達には脅威だったのだが、逆を返せば親竜に勝てるならば子竜にも勝てるのが常識だった。

 だから嘗てノーデンシュードを斃したアートスが、ヤートルードに対してそう言った疑念を抱くのは当然だった。


 ヤートルードは答える。

『当然だ、竜は偽らぬ。其れが神と契る要故に。』

『ならば何故・・・その力は何だ!?』

 最奥のアートスが初めて激昂した。


 漆黒の巨竜は静かに答える。

『嘗て我が母はラグナロクに参加する為に生み出された。しかし母には欠陥が在り参加は叶わなかった。』

『欠陥だと・・・?』

『そうだ。母は神性の流れに乱れが在ったのだ。故に竜として期待されるだけの力を充分に引き出す事は叶わなかった。』

 ヤートルードの答えにアートスが吠える。

『ならば貴様も同様の状態に在る筈だ!』

『そうだ。私もつい最近までは同じ症状に苦しんでいた。』

『何・・・?』

『しかし我らが偉大なる主、竜王神様の力を継ぐ巫女の癒やしに拠って、我が神性は正常な流れを取り戻した。そして私の竜の眠りを献身的に見守り続けてくれた健気なエルフの娘のお陰で私は・・・こうして目覚めた。』


 アートスの視線が懸命にシオンを癒やし続けるルーシーとルネに向けられた。

 その口が開かれ光弾が吐き出される。

「!!」

 カンナ達全員の顔が引き攣ったが、同時にヤートルードが両の翼をはためかせて神性を交えた突風を巻き起こし、光弾を在らぬ方向へ吹き飛ばした。

『私の誇らしき2人の友人を傷付けさせはせぬ。』

『・・・』

 巨竜の牽制に邪神は憎々しげな視線を向ける。同時にその表情が一変した。

 ヤートルードが一回転して強靱極まりない尾を再びアートスの胴に叩き付けたのだ。

『グアッ・・・!』

 もんどり打って城壁に倒れ込むアートスにヤートルードが灼熱の炎を浴びせる。

『ウォオオオ・・・・!』

 邪神の絶叫が響き渡った。


「・・・昔、子供向けの物語で人間の英雄がドラゴンを討伐するって話を何度も読んだことがあるけど・・・そんな事、出来る訳無い・・・」

 ミシェイルがゴクリと喉を鳴らしながら呟くとカンナは頷く。

「当然だ。竜種は巨人と供に、正負両方の神々の手に拠って直接生み出された神格の存在だ。人間に限らず人種がどうこう出来る存在じゃ無い。」

 セシリーがふと疑問を口にする。

「・・・不思議なのは、そういった物語を民に推奨する役の神話時代についての有識者達が『竜を討伐するのはおかしい』と言わない事ですね。そちらの分野に関しては素人同然の私達の様な人間が何も言わないで受け容れるのは解るんですが・・・」

「神話時代を調べる有識者と言っても意外と知らない事だらけなんだよ。特に人間は他の人種と比べても寿命が短く代替わりが速い。それに加えて神話時代への興味も極めて薄い。だから『竜種は光の神側の存在』と言った様な基本的な事柄も伝承されずに忘れられていくんだ。」

 カンナが答えるとアリスが呟いた。

「まぁ、あの見た目だしね。そういう事を知らずに見たらとんでもないモンスターに見えても仕方ないよね・・・私も知らなかったし。」

 その感想にカンナは苦笑した。

「そう。その感想が全てだ。」


 変化が起きた。

 アートスの神性が急激に燃焼し膨らみ上がる。

『カァッ!!』

 邪神の両腕が前に突き出されて、暗黒色の神性の奔流が吹き出した。奔流はヤートルードの神性を練り上げた黄金のオーラも貫いて巨竜に直撃する。

『グゥオオオオオッ・・・!』

 ヤートルードが苦悶の叫びを上げて大地に倒れた。


 ゆっくりと立ち上がった邪神が両腕を天に翳す。

『貴様がこの程度で斃れるとは思わん。ならば徹底的に砕いてくれよう・・・』

 唸りにも近い声が周囲に響く。

 アートスの身体から幾本もの黒い糸が伸び出した。糸はユラユラと宙を彷徨い、直ぐに大気に溶け込んで行く。糸は加速度的に増えていき、其れに伴い大気に溶けていく量も増していく。いつしか周辺は陽光も遮られる薄暗い空間に変貌した。

 邪神の姿が朧に揺らぎ始め、直ぐに宙に溶け込んで消えた。

 途端にアートスの居た場所を中心に真紅の空間が広がって一帯を呑み込んだ。


「クッ・・・」

 咄嗟にセイクリッドオーラを張ったカンナだが、途轍もない苦痛と不安感が一同を襲った。呻きながら蹲る一同の中で、シオンの神性に拠って身体を形成しているクリオリングだけがこの強力な邪気の結界に耐えられている様だったが苦しげである事に変わりは無い。

『セイクリッドオーラ』

 其れまでシオンの治癒に専念していたルーシーも立ち上がってカンナと共に神性のオーラを重ね掛けるが、苦痛が少し和らいだだけで大した変化は無い。

 その時ルネがルーシーの手に自分の手を重ねた。クリオリングも同様にカンナに手を添える。

「我らの力もお使い下さい。」

 2人の神性がルーシーとカンナに流れ込んでくるが状況は変わらない。

 カンナが叫ぶ。

「駄目なんだ。幾ら神性を貰っても神聖魔法は威力が定まっている。効果の強化は出来ない・・・」

 其処まで言ってカンナはハタと閃いた。

「違う、逆だ。クリオリングはルーシーに。ルネは私に手を貸せ。」

「?」

 2人は戸惑いながらも何故とは問わずにカンナの言う通りにする。

「巫女様、失礼致します。」

 そう言ってクリオリングがルーシーに手を添える。

 カンナが言葉を続けた。

「クリオリング殿は元々シオンの神性を以て復活している。そして其のシオンの神性はルーシーから渡された物だ。つまり、クリオリング殿の神性はそのままルーシーの神性として活用出来る。そして私達は・・・。」

 そう言ってカンナはルネを見た。

「お前、魔術のフォロウは扱えるか?」

「はい・・・え、でも・・・」

 ルネは頷いてからカンナの思惑に気が付いて困った様な顔をする。

「魔術は神聖魔法に干渉できる程の力は有りませんよ?」

「何を言っている。だから私達の神性で強化して放つんだよ。」

「!・・・なるほど。」

 カンナの説明に得心がいったのかルネは直ぐに了承した。

 2人の詠唱が重なる。

『『蒼き月と騒々めく精童の握り手を以て彼の流れに一迅の風を渡せ・・・フォロウ』』

 カンナとルネの強化魔術がルーシーに掛かると、セイクリッドオーラの結界が一際明るく輝いた。

「痛みが・・・消えた。」

 アイシャが助かったとでも言う様に一息吐いた。

「凄いわ・・・」

 セシリーとノリアは4人掛かりの結界に感嘆の声を上げる。


 此れで一先ずの危機には耐えた。

 しかし依然としてアートスが何を仕掛けてくるのかが解らない。まさか此れで終わりと言う事は在るまい。幾ら手を打ったとは言えカンナ達程度で凌げるこの空間がまさかアートスの決め手ではあるまいし、何よりこの程度ではヤートルードには何の影響も無いだろう。


 ――一体何を仕掛ける気だ・・・。


 目覚めないシオンの容態も気になりながら、カンナはアートスの居た空間から目を離せずにゴクリと生唾を飲み込んだ。



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