100話 真実
「貴様、何者かと聞いている!」
再び誰何の声を上げるディグバロッサにヘンリーク大主教は無言の笑みを浮かべるだけで返事は返さなかった。
「ヘンリーク大主教、今まで何処に居たのですか?」
シオンの問いに漸くヘンリーク大主教は口を開いた。
「様子を窺っていたのですよ。」
「様子・・・?」
「ええ。」
訝しげに首を傾げるシオンにヘンリークは頷く。
「イシュタル大神殿でゴーレムが暴れ回った後、私はリカルド大主教と一言二言、言の葉を交わして大神殿に戻りました。そしてそのまま用事を済ませて直ぐにイシュタル帝都に足を踏み入れました。」
「え、帝都に居たのですか?」
「ええ、居ましたよ。巫女様が広範囲の魔法補助を掛けていたのも、皆さんが強い悪魔達を相手に奮戦されていたのも全部知っています。」
ルーシーが尋ねた。
「法皇猊下を放って置いて帝都に来たのですか? 貴男は色々と不思議なところはある方でしたが、そんな事は為さらない方だと思っていました。」
「ああ・・・」
ヘンリーク大主教は今気が付いたかの様な表情を見せた。
「法皇猊下ですか・・・。確かに惜しくはありましたが・・・運命とあらば致し方無き事なのですよ、巫女様。」
「そんな・・・惜しいだなんて・・・。」
ルーシーは信じられない表情で絶句する。
「彼には彼の役目があった。其処な邪教徒達が色々計画を練っていた様だが・・・まあ、意味無い事ではあったな。」
ヘンリーク大主教の言葉にディグバロッサが反応する。
「我らの計画に意味が無いと言うか、髙が天央正教の大主教風情が。其れにゴーレムを暴れさせて法皇を抹殺すると言う計画を立てたのは貴様の仲間の大主教であるぞ。」
「しかし、リカルド大主教をそう誘導したのはお前達だ。其処に転がるパブロスを使ってな。」
「・・・。」
ディグバロッサの表情に強い警戒心が宿った。
「貴様、一体・・・。」
「パブロスが入れ知恵をしたのか」
片やパブロスの正体を知ったシオン達は然もあらんと納得する。
「・・・お前の目的は何なんだ?」
カンナが翠眼を光らせながらヘンリーク大主教に尋ねる。
「シオンから聞いた話では天央正教に置いても随分と開明的な考えの持ち主だったと聞いている。『此れからの時代には様々な考え方を取り込まなくては天央正教が時代に取り残されてしまう。』とシオンとリンデル皇子の前で保守的なリカルド大主教と激しく舌戦を繰り広げたらしいではないか。」
「ああ、そんな事も在りましたな。」
「・・・実際に大神殿やらで何度かお前と言葉を交わしてみたが、少なくとも法皇猊下に対しては真摯な対応を取る人間だと思って居たのだがな。・・・其れが法皇猊下の安否もはっきりしない今、お前の其の態度は腑に落ちない。」
「ハハハ。」
ヘンリーク大主教は笑った。
シオンの双眸に火が灯った。
「1つ尋ねたい。リンデル殿下の前でリカルド大主教と天央正教の在り方について口論していた貴男の言葉には本物の憂いが感じられた。・・・アレは嘘だったのか?」
「いいえ、嘘ではありませんよ。天央正教は大きく変わるべきなのです。来たるべき未来の為に。」
「来たるべき未来・・・」
「そうです。来たるべき未来です。ですが今のままの天央正教では駄目だ。もっと大きく変質しなくてはならない。沢山の信者を抱える天央正教が私の思うように変わってくれれば世界は変わる。」
遂に本心を語り始めたヘンリーク。その表情は穏やかだが、口にしている言葉からは何やら焦臭さを感じる。そんな彼に対してカンナの中で激しく警鐘が鳴らされていた。
「・・・お前がどんな未来を思い描いているのかは知らん。しかし世界が大きく、しかも急激に変化する時には必ず大きな犠牲が伴うものだ。そして犠牲になるのは、大抵の場合は事を起こした当事者では無く無力な民だ。」
「仕方の無い事なのですよ。」
「仕方が無いだと・・・?」
若干の怒りが混じったカンナの声にもヘンリーク大主教は動じる事無く言葉を繋げる。
「無論、彼等の犠牲を・・・その魂を無駄にする事は決して在りません。其の者達の魂は新しい地平に生み出される世界の尊い礎となるでしょう。」
「事を起こす者達の極めて独善的な論理だな。犠牲になる者達はその『尊い犠牲』とやらに決して為りたいとは思って居らんぞ。『平々凡々で良い、平和に生きていきたい』・・・必ずそう願うはずだ。」
カンナの台詞にヘンリーク大主教は首を振った。
「しかし運命には誰も逆らえないモノです。」
「ハッ、運命だと?」
カンナは呆れた様に鼻で笑った。
「人為的に引き起こされる混乱を運命とは誰も呼ばんよ。」
「しかし民衆から見れば、自分の力及ばぬ処から巻き起こされる混乱に巻き込まれるのは運命と変わらないでしょう?」
堪らずセシリーが叫んだ。
「貴男が危険な思想を持っている事は解りました。でもそんな事を法皇猊下がお許しになると思っているのですか!? いえ、他の聖職者の方達だって・・・。」
ヘンリーク大主教が笑った。
「心配は要りませんよ。法皇猊下は無事に天に昇られて居りますから。」
「!」
一同はヘンリークの言葉に衝撃を受ける。
「心配要らないとは、どういう・・・いや、其れよりも安否が確認出来たのか?」
「安否も何も法皇猊下は数年前に崩御されて居ります故に。」
「・・・!?」
次々と明かされる事実に一同は絶句するしか無かった。
「崩御・・・だと!? しかし祭礼の儀では確かにイェルハルド法皇は生きて居られたぞ。」
シオンの指摘には答えずヘンリーク大主教はルーシーを見た。
「竜王の巫女様。貴女はあのイェルハルド法皇の心を覗きましたか?」
ルーシーは首を振る。
「いいえ。あの時は巫女の視線は使っていません。」
「其れは残念。あの時視ていれば彼の心が視れなかった事に気付けたでしょうに。」
「・・・どういう事ですか?」
ルーシーの問いにヘンリークはルーシーの紅眼を見る。
「アレはね、人間では無かったんですよ。人形だったんです。」
「人形!?」
いつの間にか意識を取り戻していたパブロスが頓狂な声を上げる。
「おや気が付かれたか、パブロス大主教。いや、オディス教のパブロス主教殿。」
「貴様・・・」
虚仮にする発言にパブロスは怒りの表情を見せたが、直ぐに問い直した。
「いや、其れよりもアレが人形だったと言うのか!? 所作から癖からいつもの法皇と変わらなかったぞ。あそこまで精巧な人形など・・・」
「最も近くに居た大主教の皆さんにも気付かれない様に苦労しましたからねぇ。・・・実はあの人形、身体だけは本物の肉体だったんだよ。所作や癖は身体が覚えていた自然の行動だと思われる。それに自由行動を採らせていたから、あなた方の目には本物の法皇猊下に見えていた筈だ。ただ、私の手を離れないようにあの人形が寝ている折に定期的に自らの役割を思い出させる為の会話を必要とはしていたが。」
「人形を洗脳していたのか・・・」
ディグバロッサが唸る。
「まあ、脳を持たない人形に洗脳と言うのも妙な感じですが・・・命令の重ね掛けといった処でしょうかな。」
「・・・」
全員が押し黙る。
カンナも長く生きてきたが、人1人に対してこんな不安を感じたのは初めてだった。
間違い無く世界の平和に祈りを捧げる天央正教の敬虔な聖職者では無い。寧ろ其の思想はオディス教の様な混沌に近いモノを感じる。しかし実際にはオディス教徒でも無い。
では何なのか。オディス教以外の邪な集団の徒なのか。それとも個で動く破滅思想の人間なのか。
その正体について全く予測が立てられない事に小さなノームの娘は恐怖を感じた。
シオンが尋ねた。
「では法皇猊下が・・・いや、その人形が行方不明になった事を嘆いていたのはなんだったんだ。」
「無論、演技だよ。人形は私だけが知る場所に隠してあった。」
少年の問いにヘンリークはいとも簡単に白状する。
「では祭礼の儀の当日に法皇猊下が姿を現したのも・・・」
「全て計画通りの事。アレでリカルド大主教の決意を揺るがぬモノにさせたかった。」
これではっきりした。
ヘンリーク大主教はシオン達が抱いていた様なイメージの人物では無かった。彼等の前で見せていたヘンリーク大主教の姿は全て演じられたモノだったのだ。
「貴男の言う『新しい地平に生み出される世界』とはどんな世界なのですか?」
ルーシーが紅眼を輝かせながら尋ねる。
ヘンリークは微笑んだ。
「私が望む世界。其れは『全てが融合した世界』だよ。」
「融合・・・?」
「そう。人も魔も神も秩序も奈落も混じり合い、光も瘴気も入り交じった、何の境界も無い世界だ。」
「・・・抽象的すぎるな。」
「ならば考えてみると良い。其処では正義も悪も存在せず、其処に存在する者達全てが己の思うが儘に生きていくのだ。そして彼等を制する何物も存在しない。全てが自由で生きるも死ぬるも全てが当たり前で消えるままに消えていく。其れこそ正に全てが開かれた自由の世界なのだよ。」
「人は其れを混沌と呼ぶのだがな。」
「そう、混沌。其れこそが正に此の世界に必要なモノなのだ。」
自分の考えに心酔している訳では無い。敢くまでも其れが当然だ、とばかりに語るヘンリークの表情に一同は薄ら寒さすら覚える。
「ふざけるな!」
シオンが吠えた。
「その混沌とやらが生み出した象徴が其処に倒れている最奥のアートスだろうが! お前は其の魔人の存在を認めるのか!」
「アートス・・・」
ヘンリークは倒れ伏す魔人の頭部を眺める。
「可哀想に。随分と痛めつけられてしまった様だ。」
最早、何から突っ込んで良いのか解らない。
「可哀想だと? 本気で言っているのか!?」
ミシェイルの言葉にヘンリークは頷く。
「勿論本気だとも。君達は赤子を打ちのめして勇を誇る愚を犯すのかね?」
「・・・」
次から次へとヘンリークの口から飛び出して来る信じ難い言葉の数々にシオン達は絶句するが、ディグバロッサだけは聞き逃せない言葉を聞いて反応する。
「赤子だと・・・? どういう事だ。」
ディグバロッサから漏れた問いに初めてヘンリークは邪教の大主教を見た。
「そうだ、赤子だ。此処に居るアートスは肉体と感情があるのみで、知性や経験がそっくり抜かれている状態だ。そんな存在は謂わば赤子と同じでは無いか。彼は訳も解らずに地上に呼び出されて手痛い歓迎を受けてしまい途方に暮れている赤子なのだよ。」
信じられん。
だが適当な事を言っている様には聞こえない。
「何故、アートスから知性や経験が抜け落ちていると解るのだ?」
「・・・何故だろうな? だが彼が此処に現れた理由は『知性と経験』に呼ばれたからだよ。」
ヘンリークは笑みを浮かべると再びシオン達に向き直った。
「さて、先程の御子殿の質問は何だったかな? そうそう『其の魔人の存在を認めるのか?』だったな。そうだな、その質問に対しての答えは『YES』だ。彼の存在を『私だけは』否定するわけに行かない。彼にはこの後も大活躍を期待しなくて貰わなくてはならないのでね。」
「大活躍か・・・。」
カンナの視線に蔑みの感情が宿る。
「その魔人に出来る事と言えば『破壊』くらいだろうにな。」
「無論だよ。」
頷くヘンリークにセシリーが怒りを押さえ付けるような声で指摘する。
「そのせいで大勢の命が奪われますよ。」
「致し方無い事。」
「お前の言う『混沌の世界』に未来は無い。」
クリオリングが断じるとヘンリークは口角を上げた。
「立場が変われば望ましい世界だ。」
ルネが怒りを湛えて問うた。
「失われた魂はどうなる。」
「無論、余すこと無く糧にさせて貰うよ。」
最早確信に近かった。
有りと有らゆる質問に対して澱みなく破滅に向かいかねない答えを繰り返した。その何れの答え方も『然も当然』とばかりに。
そして何よりもアートスの現状に対して『知性と経験が抜け落ちた赤子に等しい状態』と言ってのけた事。普通なら知りうる筈も無い情報を何故提示して見せる事が出来たのか?
なり損なったとは言え、真なる神々の系譜を継ぐ正真正銘の神の内情など誰にも知りようが無い筈なのに。
御神体と崇めてきたオディス教の大主教であるディグバロッサでさえ其れは知らなかった事なのだ。
だが此の男は示唆して見せた。
「そうか・・・。」
ミシェイルが唸る。
「そう言う事だったのか・・・」
カンナが見事に欺された事に対する悔恨の表情を浮かべながら声を漏らした。
「お前が・・・」
「お前が・・・」
全員の理解が1つの答えに結びつく。
ヘンリークが壮絶な笑みを浮かべて嗤った。
「そう、私が最奥のアートス。君達が本当に斃すべき相手は・・・」
ヘンリークから巨大な神性が吹き出す。
その双眸が正視し難い程の真紅に染まる。
「この私なのだよ。」




