97話 大主教の焦り
「ドラゴンマジックを纏っている・・・?」
シオンはカンナが何を言っているのか理解が及ばずに訊き返した。
「そうだ。」
カンナは重々しく頷く。が、やはりシオンには要領を得ることが出来ない。
「言っている意味が良く解らないが・・・ドラゴンマジックと言う事は俺がザルサングに使ったあの破壊の魔法の事を言っているんだよな。あんな魔法を身に纏っていたって事か? ・・・冗談だろ?」
破壊の魔法をわざわざ自分に掛けるなど正気の沙汰では無い。しかも無意識に。
シオンの主張に初めてカンナも迷うような表情を見せる。
「お前の言う事は解るし普通では有り得ない。・・・だが、私がお前を『視た』らザルサングに使った魔法と同じ力が、確かにお前の周りに揺蕩っていたんだよ。」
「・・・そんな事が在るのかよ・・・。」
シオンは絶句するが直ぐに疑問を口にした。
「でも、じゃあ何で俺は平気だったんだ? 破壊の魔法を身に纏っていたんだったら俺の身体も崩れ去るんじゃ無いのか?」
「勿論だ。だからザルサングに使ったあの破壊魔法その物を身に纏っていたとは私も思わないが、其れに似て非なる力を纏っていた可能性は考えられる。」
「俺が違う魔法を使っていたって事か?」
「んー・・・」
少年の問いにノームの娘は暫く思案した。
「・・・例えばだが・・・神話魔法に限って言えば攻撃的な魔法を身に纏うことは出来た。元々が神話魔法とは神性を使って神々の力を顕現させた技である以上、『自らの神性を使って攻撃的な力を発動させて、その力を自分を含んだ任意の誰かに掛けて対象者の力に変える』魔法は在った。」
「そんな魔法が在ったのか。」
「在った。その魔法が掛かった者は巨人にも負けない圧倒的な筋力と破壊力を手にしたと言う。・・・私も神話時代に一度だけその魔法を見た事があるが・・・アレは尋常では無かった。」
シオンはカンナを見つめた。
「・・・じゃあ俺もその魔法を使ったってお前は言いたいのか?」
カンナは頷く。
「断言は出来ないが、そうじゃ無いかと私は思っている。もちろん私が過去に見たような、あんなとんでもない魔法では無いが・・・明らかにディグバロッサを押し返した時のお前の力は常識の枠から外れていた。」
「・・・そんな積もりは無かったけどな。」
シオンは何気なく自分の手を見ながら呟いた。
「ドラゴンマジックは竜王の御子独特の魔法で確立された形態を持たない。御子が望むままに、或いは無意識下に望むままに神性を自在に変える事が出来る。確立された形態を持たない以上、神性の消費の仕方は莫迦にならないが其の自在性が今回の現象を生み出したのではないか、と私は考えている。」
「・・・」
「お前はディグバロッサと対峙したとき何を思っていた?」
「ブン殴る。」
シオンの明快な返答にカンナは苦笑しながら言った。
「其れに呼応したのかも知れん。」
「ふーん・・・。」
シオンは良く理解していなさそうな表情で曖昧に返事をした。
「・・・余り良く解っていなさそうだな。」
カンナの指摘にシオンはムッとした表情になる。
「そんな事は無い。お前の言ってる意味は解った。解ったが・・・。」
少年は其処で一旦言葉を止める。
「・・・其れじゃあ何でも出来るって事にならないか?」
シオンの問いにカンナは頷く。
「大概は出来るよ。現に回復魔法を上回る回復を私達に施したり、空を飛ぶなんて事もサラッとやっているだろう? この2つの行為を『代償無しで行う』と言うのは人々がどんなに望んでも出来ない事だ。回復魔法は『時間を掛けて』癒やすのが限界だし、飛行に関しては忌まわしい行為を施さねば浮くことすら叶わない。」
「・・・なるほど。」
アリスとシーラの件を思い出しながらシオンは頷く。
「だからと言って過信するなよ。持っている神性以上の事は出来ないからな。例えば死者を蘇生させるとか昼夜を逆転させるとか、そんなとんでもない事は出来ない。」
其処まで聞いてシオンは漸く納得した様に頷いた。
「了解した。要は出来る事と出来ない事を見極めれば良いんだな?」
カンナはニッコリと笑う。
「そういう事だ。」
3人が笑った時、セシリー達が顔を覗かせた。
「ルーシー?」
セシリーの呼び掛けに3人が視線を送るとトルマリンの髪色の少女が訝しげな表情で此方を見ており、その後ろにはアリスとノリアが立っていた。
「どうしたの?」
「急に帝都を覆っていた魔法が消えたからどうしたのかな、と思って。」
セシリーの言葉に3人は顔を見合わせたが、ディグバロッサが攻めてきた事をセシリー達に伝えた。
「オディス教の大主教が・・・」
グゼ神殿で見せつけられたザルサングの圧倒的な力を思い出したのか、セシリーは絶句して不安げな表情を見せる。
「大丈夫なんでしょうか・・・?」
セシリーの漠然とした問いは尤もなのだが、此処に来てカンナは別の可能性を見出していた。
「無論、大丈夫とは言えない。だが・・・」
一呼吸置いてカンナは言葉を繋げる。
「・・・私は大主教の突然の来襲に1つの可能性を見ている。」
「可能性?」
「ああ。不思議に思わないか? 邪教異変の時と違って今回のオディス教徒達は今まで事を起こしても姿を見せる事は極力避けている様に見えていた。其れがルーシーの魔法が展開された今回は、突然に敵の頭領が姿を現してルーシーを狙ってきた。」
「其れはそうだ。」
シオンが若干の怒りを滲ませながら頷く。
「つまり、今回の作戦だけは邪魔されたくなかったんだ。例え大主教が自ら動く事になったとしても成功させたかった。と、言う事は『悪魔の大量投入』こそが敵の本筋だったので無いか?」
「なるほど・・・」
セシリーが感心したように頷く。
「じゃあ此処を凌ぎきれば敵は攻め手を失うと言う事か。」
「確信は持てないが可能性は高い。」
「・・・!」
全員の双眸に期待の光が灯る。
「ルーシー、魔法の効果はあとどの位保つのかしら?」
セシリーの問いにルーシーは首を傾げる。
「拡散機が破壊されてからそんなに経ってはいないから、暫くは保つと思うよ。」
「シオンよ、各拠点に於ける情勢はどうなんだ?」
カンナの問いにシオンは答える。
「流石は勇猛果敢を以て鳴るイシュタル騎士団と言ったところだ。ルーシーの魔法が効いている間なら総崩れは先ず無いと感じた。」
シオンの答えにカンナは頷き独り言ちる様に呟いた。
「その間に敵が打ち止めになってくれれば一先ず勝利と言う訳か。」
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魔法陣から瘴気が吹き出し渦を巻く。
渦が四散すると其処には傷付いたディグバロッサが立っていた。
「・・・おのれ・・・!」
表情を歪めながら苦々しげに吐き捨てるとディグバロッサは目の前の小さな祭壇を叩き壊した。
四方や竜王の御子があれ程の力を持っているとは想定外だった。
幾ら難敵だと予想はしていても、もう少し真面な戦いになると思っていたが・・・結果は全く話にならなかった。
帝都を覆い尽くした竜王の巫女の魔法を止めるため、巫女と序でに伝導者の抹殺を決めたは良いが御子をどうするか決めかねていた。最悪は教徒どもを帝城に突入させて混乱を招き入れる事も考えたが・・・考えて見れば巫女の神性魔法が展開された時点で役立たずどもは死に絶えたか重傷を負って転がっている筈だ。
・・・仕方が無い。無傷は諦めて御子との戦闘も辞さぬ積もりで出向こう。そして隙を付いて巫女だけでも殺し退散する。・・・そう言う心積もりでディグバロッサは帝城への侵入を決めた。
出入り口は決めてある。瘴気の雲を帝都に召喚した『あの穴』が未だ使える筈だ。彼所を使う。
こうして帝城に侵入したディグバロッサだったが、結果は散々だった。
直接にやり合ってみて判ったが巫女と伝導者はどうにかなる。あの2人はもちろん侮れないが、この肉体を以てすれば砕くことは可能だ。しかし御子は駄目だ。アレは手に負えない。
其れに用意した悪魔の残数ももう少ない。
ディグバロッサは深く息を吐いた。
もうこうなっては手段どうこうなどと言っていられない。
「誰か居るか。」
ディグバロッサの求めに応じて数人の主教が姿を現す。
「此処に。」
主教達は静かに頭を下げた。しかし頭を上げてディグバロッサの漆黒の顔を見た全員の顔が驚愕に支配される。
「猊下、そのお顔は・・・」
主教たる彼等が大主教の漆黒に染まった顔の意味を知らない筈は無い。大主教が本気で奈落の瘴気と一体化しなければこの顔にはならないのだ。彼等の驚愕の理由は、敬愛する大主教が何の為に其処までしたのかの理由が解らなかったからだ。
ディグバロッサもその辺は心得ており彼等の疑問に答えた。
「帝都に向かい竜王の御子と一戦を交えた。」
「おお・・・。」
主教達が響めく。
其れならば納得が行く。あの忌まわしき御子と戦ったのならば偉大なる主とて本気で臨まねばならないだろう。そして大主教が漆黒に身を預けて戦ったのならば如何な御子でも敵う筈が無い。当然に御子を斃したのだろう、と期待の視線がディグバロッサに集まる。
「・・・」
ディグバロッサは無言でローブの裾に隠していた腕を主教達に見せた。シオンに拳を砕かれたままの腕を。
「結果はこの通りだ。」
「!?」
ディグバロッサの言葉に今度こそ彼等は本当に驚愕した。
「げ・・・猊下、その腕は・・・」
「御子に砕かれた。」
大主教はそう答えると腕をローブの裾に再び隠す。
「一戦交えて解ったが、アレは手に負えぬ。正真正銘の化物だ。人知が及ぶ力では到底対抗出来ぬ。」
「・・・」
主教達は言葉も無く主の顔を見る。
この世に抗える者など居るはずも無いと最強を信じて止まなかったオディスの大主教がそう言うのか、と彼等は信じ難い気持ちで聞く。
「・・・で、では如何為さいますか・・・?」
1人が恐る恐る尋ねるとディグバロッサは両の眼を真紅に輝かせた。
「魔人アートスを動かす。」
その瞬間、主教達に恐怖の表情が浮かぶ。
「げ・・・猊下・・・。」
「何だ。」
ディグバロッサが訊き返すと1人が伏して進言する。
「不敬を承知の上でお訊ね致します。ま、魔人アートスは・・・わ、我らにとっても破滅の権化に御座います。魔人アートスが竜王の御子を斃した後・・・彼の魔人を如何致すお積もりで御座いましょうや?」
主教の問いは至極最もで在った。
ディグバロッサは蒙昧なる主教達に考えを話した。
「・・・お前達に話した事は無いが、真なる神々と言うのは神性の塊だ。動くこと1つ取っても莫大な神性を必要とする。故に彼等は長時間の行動を可能とするために長い眠りを必要とするのだ。」
「・・・」
「其処でだ。仮に最奥のアートスと竜王の御子が戦えば、如何なアートスと言えどかなりの神性を消費するは筈だ。そして消費した神性は補充しようとする。況してや単なる獣に堕ちたアートスならば本能的にそうするだろう。」
主教達の要領を得て居なさそうな表情を見てディグバロッサは答えた。
「だから御子を斃したアートスの前に餌を撒く。」
「・・・餌・・・で御座いますか?」
「そうだ。」
未だ解らぬか・・・と吐きたくなる溜息を呑み込んでディグバロッサは頷いて見せた。
「戦い終えたアートスの前に瘴気で穢した大量の魂をばら撒くのだ。瘴気は神性に人々の負の感情が混ざり込んだ穢れだ。その瘴気で穢れた魂ならばアートスは其れを取り込もうと釣られる筈だ。アートスにはそのまま奈落まで釣られて貰う。」
「な・・・なるほど・・・。」
主教達は納得した様に頷くが1人が首を傾げた。
「し・・・しかし、その魂は何処から用意するのでしょう?」
尤もな主教の問いにディグバロッサは冷笑を浮かべる。
「その辺は考えてある。」
無論、その他にも幾つかの細工は施すが主教達に話しても意味が無い。
ディグバロッサは主教達を見渡すと彼等を呼んだ本題を伝えた。
「お前達は神殿内の教徒全員を連れてイシュタル帝都内に入り、混乱を引き起こせ。私はアートスの下に出向いて地上までの穴を通す。」
大主教からの下命に主教達は恭しく頭を垂れた。
「全ては偉大なる大主教猊下の御心の儘に。」
主教達が姿を消すとディグバロッサは大祭壇が在る広間に向かった。
最奥のアートスを祀る為の大祭壇の前に描かれた魔法陣を発動させると、ディグバロッサの身体は吸い込まれるように立ち消えた。
次に彼が降り立った場所は大祭壇の広間とは打って変わった深淵の闇の中だった。
静寂の大空間には至る所に精巧な人々の石像が立っている。人間、エルフ、ドワーフ・・・。様々な種族の石像はどれも恐怖と嘆きに満ちており、彼等の絶望の程が窺えた。
この石像達はアートスに戦いを挑み負けて魂を喰われた冒険者達の成れの果ての姿で、ディグバロッサは此れ等の像を見て愉悦に浸るのが大好きだった。
「・・・?」
ディグバロッサは1つの石像を見て違和感を覚えた。
頭部だけが破砕されている。
アートスが破壊したのか?
あの狂獣が動き回ってる中で巻き込まれて壊れたのか? ・・・しかしあの巨大な獣がやったとして頭部だけを破壊するなどあるだろうか? この周辺の石像全部が壊れるのが自然ではないか?
しかし邪教の大主教は生じた疑問を考える事は出来なかった。
そんな些末な事などどうでも良くなるほどの信じられない異変に気付き、それどころでは無くなったのだ。
「馬鹿な!!」
空間を睨み付けて思わず吠えた。
獣のように這いずり回っていたアートスが居ない。
この広大な空間の何処にも居ない。
「何処だ! 何処へ行った!?」
ディグバロッサは吠えながら深淵を歩き回った。
しかし・・・最奥のアートスを感じる事は遂に出来なかった。あれ程の巨大な存在を何処にも感じる事が出来ないなど有り得る事だろうか。
ディグバロッサの額に冷や汗が流れる。嫌な予感が脳裏を駆け巡る・・・が、やがてディグバロッサは戻るために踵を返した。
居ないのならば仕方が無い。
幾ら獣に堕ちたと言えども元は神で在る。ディグバロッサでも最奥のアートスが「何が出来るのか」を把握している訳では無い。神が行方を断った以上、追いかける術など無いのだ。
帝都を攻める。
攻めて大勢の民の命を奪い、其れを餌にアートスを呼び寄せる。無論、竜王の御子達が邪魔してくるだろうが連中を避けながら、兎に角アートスを呼び寄せる。呼び寄せる事さえ出来れば、竜王の御子はアートスと戦わざるを得なくなる。
此れしか無い。
ディグバロッサの身体に奈落の瘴気が吸収されていく事にも気が付かず、邪教の大主教は歩を進めた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
――翌朝。
「・・・ミシェイル?」
少女の呼び掛けに微睡んでいた意識が覚醒してミシェイルは眼を開けた。少年の視界にアイシャの心配げな顔が映る。
「・・・アイシャ・・・」
愛しい少女の名を呼ぶとアイシャは嬉しそうに微笑んだ。
「良かった・・・。」
涙を拭う少女にミシェイルは微笑むと身体を起こした。
多少の痛みは覚悟の上での行動だったが、不思議なことに全く痛みを感じなかった。
「起きて大丈夫?」
アイシャの問いにミシェイルは頷いた。
「ああ、全然痛みが無い。」
そう言いながら自分の全身を確認するが、あれ程の深手を受けていた身体に疵が1つも付いていない。
「驚いたな・・・傷が無い。」
少年の呟きにアイシャが答えた。
「ルーシーが来て傷を治してくれたんだよ。」
「そうだったのか。・・・本当に凄い回復師になったんだな、彼女は。」
「うん、世界一の回復師だよ。あの子は。」
ミシェイルは頷きながら立ち上がる。
アイシャの評価は強ち過言では無いのだろうな、と思いながら。




