91話 尋問1
憎々しげにロドルフォ司祭を睨み付けるリカルドの激しい息遣いが部屋を満たす中『ギィ・・・』と半開きだった扉が完全に開いた。
ギョッとなって全員が扉を振り返る中、初めから気が付いていたシオンだけがゆっくりと扉の先の人物に声を掛けた。
「此れが数年前にイシュタル帝国で行われた『天央正教に拠る邪教の村の粛正』の真実です、閣下。」
厳しい表情でリカルド大主教を見据えながらディオニス大将軍が頷く。
「君は儂が此処で話しを聴いていた事に気が付いていた様だな、シオン君。」
「はい、故に敢えて閣下を招き入れずに大主教に全てを話させました。」
「うむ。」
老齢の大将軍はその高齢を感じさせない力強い歩みで愕然とするリカルド大主教の前に立った。
「・・・数年前だった。イシュタル大神殿が帝国に何の前触れも寄越さず、突然に一つの村をテンプルナイツを使って粛正したとの情報が入った。本来なら帝国が真実の有無を調査した上でどうするかを決める事態で在る筈が、其れを無視した越権行為とまさかの暴挙に皇帝陛下は大変お怒りになられた。当然帝国側から強い苦情を入れたのだが、返ってきた答えは『信徒に仇なす邪教徒の村を粛正する為の聖戦故に介入は不要』との拒絶のみだった。」
其処まで話すとディオニスはリカルドの反応を見るかの様に一旦言葉を止める。
「大神殿に『聖戦』と言われては流石の帝国も口を出すわけには行かず、また大神殿も村を粛正した後には特段の別行動を採る事も無かった為に沈黙する事にしたのだが・・・」
老将軍の双眸に激しい怒りの炎が燃え上がった。
「其れの真相が・・・四方や此れほどに下らない理由だったとは・・・!!」
その巨大な拳を血が滲むほどに握り締めた大将軍は、太く腹に響く声で大主教に問うた。
「答えよ。その決断に法皇猊下の御意志は含まれていたのか?」
「そ・・・其れは・・・」
震え上がりながらも答えを渋る大主教の態度にディオニスの眼光が苛烈に輝く。
「答えよ!!」
その怒声にリカルドは引っ繰り返りそうになる程、怖じ気づいたが辛うじて言い返した。
「わ・・・私は、天央正教の大主教だ! 仮に私が裁かれる身で在ろうとも、私を裁けるのは法皇猊下のみ! それ以外の者は例え皇帝陛下で在っても捌く事は出来ぬ!」
言い切るとリカルドは自信が付いたのか薄らと下卑た嗤いを浮かべた。
先程のカンナ達に対する開き直りの態度も、この考えが在ったから出来たのか。
つくづく姑息な男だと一同は呆れる。
「・・・そうか。」
だがディオニスは低くそう言うと腰に佩いた鞘から長剣を引き抜きリカルドの顔面に突きつけた。
「ヒィッ!」
剣先を突きつけられて怯えるリカルドにディオニスは言った。
「お前は勘違いしている様だから教えてやろう。その理屈が通じるのは人の生き死にが関わっていない場合に限るのだ。例えイシュタル大神殿が『聖戦』を掲げたとしても、不審な死者が出た時点で解決の責任はイシュタル帝国に移る。つまり『聖戦に拠る死者』では無く『単なる腹いせに拠る死者』が出たと判明した時点で、解決に向ける全ての権限はテンプルナイツからエンパイアナイツに移るのだ。」
「!?・・・そ、其れは・・・」
知らなかった事実に驚愕する大主教にディオニスが再度問う。
「では、エンパイアナイツ・・・イシュタル騎士団の総団長であるディオニス大将軍が改めて問う。村を滅ぼしたイシュタル大神殿の意向に法皇猊下の御意志は含まれていたのか?」
「・・・」
リカルドの顔面から表情が抜け落ち、悪辣の大主教はガックリと肩を落とした。
「大将軍殿。」
「何かな?」
カンナの呼び掛けにディオニスが応える。
「この男を取り調べるのかな?」
「うむ。儂自らが取り調べるつもりだ。」
「同席させて貰っても良いかな? この男には我々も色々と尋ねたい事が在るんだ。」
カンナの申し出にディオニスは小さな伝導者を見下ろしたが、直ぐに頷いた。
「構わんよ。寧ろ其の方が助かると言うもの。」
ディオニスは控える騎士達に命令する。
「筆記官を呼べ。一刻ほど後にこの部屋で取り調べを開始する。」
「は、畏まりました。」
騎士達は一礼すると取り調べに必要な準備を始める為に部屋を出て行った。
この間にイシュタル城に庇護を求めてやってきた大主教達から事情聴取が行われ、カンナ達から幾つかの情報を提供されたディオニスとの打ち合わせが行われる。
やがて尋問の定刻となり、用意された数脚の机と椅子に主要メンバーが腰掛けると呼ばれた筆記官が宣言した。
「此れより天央正教の大主教リカルド殿への尋問を開始します。この尋問の責任者は帝国大将軍であるディオニス閣下で在ります。尚、この取り調べは公式尋問であり、一言一句が筆記官である私の手に拠って文書に残されます。尋問を受けるリカルド殿に於かれましては暮れ暮れも偽りの解答を為さらぬように強く申し付けます。もし尋問に対して虚偽の解答を行った場合は厳しい罰が下されるという事を予め伝えておきます。」
力無く椅子に座るリカルドは筆記官の言葉に悔しそうに俯いた。
「因みに此処に居る竜王の巫女は真実を見抜く眼を持つ。どちらにしても虚言は通用しないぞ。」
カンナはそう付け足すと筆記官に頷いて見せる。
「では閣下、どうぞ。」
筆記官もカンナに無言で頷き返すとディオニスに開始を促した。
「リカルド大主教、尋問を開始する。」
リカルドの声にリカルドは憎々しげに視線を上げた。
「お前達が数年前に滅ぼしたパルウッドの村の真相については既に聞いた。この件に付いては補足として文書に残す。この件はお前達一部の大主教の独断と言う事で間違いは無いな?」
「・・・そうだ。」
既に諦めたのかリカルドは素直に頷いた。
「では昨日の大神殿に於ける混乱についてだ。突如としてゴーレムが出現して暴れ回り、法皇猊下を含む正教の主導者達がその犠牲となった。」
「・・・」
「此れに関してリカルド大主教、お前が法皇猊下を先導してわざわざゴーレムの前に誘き寄せたとの証言も在るが其れは真実か?」
「そ、それは・・・」
其れまでは悔しげに老将を睨んでいただけのリカルドの表情に動揺が浮かび上がった。
「虚言は許されぬ。真実を述べよ。」
ディオニスの鋭い視線が大主教の動揺に拍車を掛ける。
「わ・・・儂では無い。」
ディオニスの視線に苛烈さが増していく。
「其れは妙だな。ゴーレムが移動した先に在った扉が開いてお前達が飛び出して来た時、真っ先に飛び出して来たのはリカルド大主教だったと言う証言が在るのだがな。そして其れに続いて神殿外に飛び出して来た法皇猊下がゴーレムの拳の直撃を受けたのを何人もの大主教が目撃している。」
「・・・」
「更には大神殿の外への脱出を強硬に主張したのもリカルド大主教だったとの証言も得ている。」
口を開閉させながら視線を泳がせるリカルドにディオニスは低い声で言った。
「・・・嘘を申したな?」
「ち、違う! 嘘では無い! ・・・い、いや確かに先頭を走り法皇猊下を誘導したのは儂だ。だ、だが其れは・・・!」
「其れは?」
言葉を詰まらせるリカルドにディオニスは自白を促す。
「そ、其れは儂にそう指示を出した者が居て・・・!」
「ほう、其れは何者だ?」
「そ、其れは・・・」
大主教はまた口籠もる。が、やがて観念したように白状した。
「邪・・・邪教徒だ・・・」
遂に其の証言を引き出した。
先程カンナ達からゴーレムの件についての考察と証拠を見せられてディオニスはリカルドが邪教徒と繋がっていると言う事実を知ってはいたが、本人の口からその事実を引き出す事が肝要だった。
ディオニスは軽く息を吐く。
この男が皇帝陛下と密会に近い話しをしている事は知っている。此処から皇帝陛下に繋げてリンデル皇子の救出に繋げる事が出来れば。
だが其れはともかく今は尋問を続けよう。
ディオニスは続けて問う。
「邪教徒の指示とはどんな指示だ?」
「ほ・・・本当は違う方法を採る筈だったのだ。」
「どんな方法だ?」
「本当は祭儀にて法皇猊下が使用する天央の剣と言う祭具に悪魔召喚を行って呪いを施す筈だったのだ。だが何故か法皇猊下が突然予定を早めてしまったせいで準備が間に合わなくなってしまった。」
「それで?」
「それで邪教徒に尋ねたら元から用意していた作戦を実行しろと言われてゴーレムを動かすしかなくなったのだ!」
「・・・ならば邪教徒が指示したのでは無く、結局は自分が最初から計画していた方法を採っただけではないか。」
「!?」
もはや自分が何を言っているのか解らなくなっているのか。
ディオニスが呆れながらもそう指摘するとリカルドは驚愕した様な表情になる。何にせよ此処まではカンナ達から提供された情報に拠って知っていた事だが、それにしても大主教の言動が間抜けに過ぎる。
「・・・」
カンナは黙って大主教の動揺する姿を眺めていた。
今の一見ふざけている様にしか聞こえない答えは、リカルドが別に間抜けだったという訳では無い。当然だ。いくら動揺しているとは言え、大主教にまで上り詰めた男が此処まで間抜けな受け答えをする筈が無い。
今のは大主教に掛けられた呪いに拠るものだ。尋問を受ける度にリカルドから異様な力が膨れ上がっている。どうやら嘘が付けなくなっている様だ。
「まあ良い。」
ディオニスは溜息を吐いた。
「1つ確認しておきたい。法皇猊下は確か行方不明になっていたと聞いていたが、いつ戻られたのだ? そして猊下は何処に行かれていた?」
「戻ったのは祭儀の当日だ。何処に行っていたのかは解らん。」
「・・・」
ディオニスはチラリとルーシーを見た。
ルーシーが偽りは言っていないと無言で頷くとディオニスはリカルドに向き直った。
「どうも腑に落ちないな。法皇猊下は慈愛に満ちた品格高い御仁で在られたと儂は記憶している。そんな御方が帝国民が苦しんでいる時に祭儀を強硬為されるだろうか?」
リカルドは怒鳴った。
「知るか! 知りたければヘンリークにでも訊け! あやつは法皇の腰巾着だ! あやつなら何かを知っているだろうさ!」
「そのヘンリーク大主教が行方不明だ。」
大将軍の言葉にリカルドはディオニスの顔をマジマジと見た。
「行方不明・・・? あやつはあの後、大神殿に戻っていったんだぞ。探せば居るだろう。」
「・・・他の大主教達にもそう言われたのでな、騎士達が事情を訊きに大神殿へ行ったのだが何処にも見当たらなかったそうだ。」
「・・・」
リカルドは暫く老将の顔を眺めていたが、やがて笑いだした。
「なるほど。口では実に勇ましい事を言っていたが、実際に法皇に凶事が起きれば責任を問われる事が怖くなって逃げ出したか!」
「・・・」
嗤い狂う大主教を一行は思い思いの表情で眺めていたが、カンナが溜息を吐いてディオニスに言った。
「大将軍殿。私からも良いだろうか?」
「もちろんだ。存分に訊かれよ。」
ディオニスの了承にカンナは頷く。
「大主教よ。私からも確認したい事が幾つかある。」
「・・・」
リカルドは警戒心剥き出しでカンナを睨め付ける。
「お前が子飼いにしていた地下研究所の魔術師達は既にイシュタル帝国が捕らえた。」
「!」
大主教の顔がピクリと歪んだ。
「その魔術師達から聞いたが、お前が彼等に出会った時には既にゴーレムと地下研究所を手中に収めていた様だな。」
「一体、いつ誰からあのゴーレムを譲り受けたのだ?」
リカルドはルーシーの紅く光る双眸をチラリと見てから答えた。
「いつ、も何も無い。儂の私室から地下施設に通じている事を神託に拠って知らされ、地下に降りた時には既にゴーレムは置いてあった。」
実際にはパブロス大主教から渡された、ドルオーン大主教の恨み辛みが籠もった古い日記から始まった事だが、何も其処から話す必要もあるまい。
「大いなる存在から譲り受けた、と彼等はお前から聞かされていた様だが?」
リカルドの心中など知る筈も無くカンナは問いを重ねるとリカルドは鼻で嗤った。
「そう言えば箔が付くだろうが。実際、あれ程に毎晩夢に見れば神託も同じ事。大いなる意思が儂を法皇に押し上げようとしているのは明白だ。」
嘘では無い。
あの毎晩の様に続いた夢の告げ事が無ければ、幾ら野心多きリカルドとて法皇暗殺などという大それた企みなど図らなかっただろう。
「ではあの地下研究所も既に彼所に在ったと言うのか。」
「そうだ。」
「お前の私室のタペストリーの裏側に隠し扉が設けられる周到さでか?」
「そうだ。」
「・・・」
カンナはルーシーを見た。
ルーシーは黙ってカンナに頷く。
小さな伝導者は溜息を吐いて「やれやれ」と頭を掻いた。
信じられる筈も無い。こんなに都合の良すぎる話など在る筈が無い。ルーシーが居なければ即座に笑い捨てて「真実を話せ」と迫った事だろう。
しかしルーシーの巫女の眼がリカルドの言葉に真実を見出しているのならば、少なくともリカルドは嘘を言っていないのだ。其れに今は落ち着いて居る様だが、奴は強烈な呪いに身を苛まされている。他者に術者の名前を告げられず、嘘を言えない状態なのだ。
カンナは質問を変える事にした。
「では、もう1つ訊きたい事がある。パブロス大主教は何処に居る?」
その瞬間、リカルドの顔面が怒りの形相に変化する。
「パブロス・・・! あの裏切り者が! 彼奴だけは許さん!!」
縛り付けられた椅子の上で突然狂った様に暴れ始めた大主教の様子に、アリスとノリアが怯えた様な表情で椅子ごと後ろに退いた。
「落ち着け、リカルド大主教。」
「パブロス! あの裏切り者は許さん! 絶対に殺してやる!!」
カンナの言葉など、全く耳に入って居ないのか、リカルドは焦点の合わない視線を虚空に向けて吠え続ける。
大主教が呪いの影響を受けて猛り狂っているのは明らかだ。しかも拙い事にリカルドの強い負の感情に反応したのか、全身から瘴気が再び溢れ出して目や鼻から赤黒い血が流れ始める。
「おい! いい加減に落ち着け! 呪い殺されるぞ!」
流石に慌てたカンナが叫ぶと同時にシオンが軽く片手を振って神性の塊を飛ばすとリカルドの頭を弾いた。
「・・・!」
頭を弾かれたリカルドは仰け反ると一瞬グッタリ椅子にもたれ掛かった。が、直ぐに動き出すと我に返った様に打って変わって静かになる。
「落ち着いたか?」
シオンが尋ねるとリカルドは弾かれた頭を撫でながら恨めしそうにシオンを睨む。そんなリカルドにカンナが声を掛ける。
「シオンに感謝するんだな。あのままだとお前は呪いを通して自分の負の感情に食い潰されていたぞ。」
「!・・・。」
カンナの言葉にリカルドは怯えた表情を見せる。
カンナから見てこのリカルドと言う男、特段に賢い男では無いが此れほど感情に左右される程愚かな男でも無い筈だ。
やはり呪いの影響を強く受けている様だ。そう判断せざるを得ない。とは言え尋問を止める訳にもいかない。
自由と魔術研究に限りない喜びを見出す小さな伝導者は、彼女の好む所とは全く真逆なこの気の乗らない尋問の継続に小さく溜息を吐いた。




