88話 復讐
魔道棟を出て一行が帝城中庭の小屋に戻るとシオン、セシリー、クリオリング、ルネの4人が座っていた。
「待たせたな。」
カンナが言うとシオンが首を傾げた。
「ミシェイルとアイシャはまだ戻っていないのか?」
「いや、戻っている。」
カンナがそう言って4人に経緯を話すと、流石に4人の表情は厳しくなった。
「ルーシー、ミシェイル君は大丈夫なのよね?」
セシリーが確認するとルーシーは頷いた。
「ええ、入念に治癒魔法を使ったから明日には動ける様になると思う。」
「そう・・・あんなに強いミシェイル君が大怪我を負うなんて。やっぱり異常な相手なのね。」
その台詞を切っ掛けに4人もカンナ達に経緯を伝えた。
「つまり、全員の下に異形の悪魔が現れたという事だな。シオンとセシリーの所には巨人型。ミシェイルとアイシャの所には蜘蛛型と人型。クリオリング殿の所には嘗ての同胞が悪魔化して現れた・・・。そして・・・」
カンナはルネを見た。
「ルネの下には嘗ての兄弟子が現れたと。」
ルネが頷くとルーシーは心配げにエルフの娘を見つめた。
「ルネ、あの人と戦ったの?」
「ええ。」
「・・・斃したの?」
「ええ。」
訊き辛そうな表情のルーシーにルネはキッパリと答える。
「カンナ。」
「なんだ?」
シオンの呼び掛けにカンナが応じる。
「・・・俺達全員が悪魔や闇に墜ちた者達に遭遇した。他にもこの帝都内に湧いていると思うか?」
シオンの問いにカンナは首を傾げる。
「普通に考えればそうだろうな。だが私の感覚には何も引っ掛からないんだよな。」
「じゃあ俺達を狙って現れた可能性もあるのか?」
「寧ろソッチの可能性の方が高いと思う。と言うよりは・・・そうであって欲しい、と望む訳だが。」
「確かに・・・あんな者達がランダムに現れているという方が怖い。我々を狙ってきてくれている方がまだ対処は出来る。」
クリオリングも同意する。
「其れに知性を持った悪魔を大量に生み出せるならとっくにそうしていると思う。何処を攻めるにしても恐らく一瞬で制圧出来るだろうからな。そうしないのは、如何に最奥のアートスが強力な存在とは言え、そこまでの力は持ち合わせていないからだと思いたい。」
「或いは最奥のアートスは目覚めたばかりで、未だ其処まで覚醒していない・・・とか。」
ルネは呟くとセシリーも口を開く。
「もしそうなら、この先はあのカリ=ラーの様な悪魔が大量に発生する可能性も有りますね。」
「ただ、カンナが言う下級の悪魔なら大量に発生する可能性は有るんじゃ無いか?」
シオンがいうとカンナは頷く。
「その可能性は充分に在る。だからルーシーとイシュタル魔術棟の協力を得て一応の対策は立てた。」
「ルーシーの・・・?」
シオンの眉がピクリと動く。
カンナは苦笑いする。
「心配するな。この子に無理はさせん。」
そう言ってカンナは作戦を4人に話す。
「さっき凄く強力な神聖魔法が顕現したのはルーシーが魔道具を使ったからなのね。」
セシリーが少し羨望の思いを乗せてルーシーを見る。
「しかし・・そんな魔道具が在るのか。」
シオンは感心したように唸った。
「まあ・・・アレは魔道具では在るが、禁具に指定されていてな。使い方を誤れば国を滅ぼし兼ねん危うさを秘めている。今回の様な事態にでもならない限りは世に出すべきでは無い代物だな。」
「自由に使ってはならない」という戒めにも聞こえるが、その台詞とは裏腹にカンナは少しはしゃぎ気味な雰囲気を醸し出している。其れは付き合いの長いシオンだからこそ感じ取った事だが、少年は敢えて其れは口にしなかった。
扉がノックされた。
「何か?」
ディオニスが問うと扉が開いた。
ノックをした者は数名の騎士であった。
「閣下、此方にいらっしゃいましたか。」
「どうした?」
少し焦りを見せる騎士達の表情にディオニスは尋ねる。
「申し上げます。リカルド大主教が行方不明に御座います。」
「何? 詳しく申せ。」
眉根を寄せるディオニスに騎士達は恐縮する様に頭を下げて報告を続ける。
「は。我々は先刻閣下のご命令を受けてリカルド大主教を捕らえに向かいましたが、当大主教は皇帝陛下と対談中で在った為、時間をずらして大主教を案内した部屋に向かいました。」
「それで?」
「リカルド大主教の部屋を警護していた兵に用件を伝えたところ、大主教は皇帝陛下の下に向かってから一度も戻って来ていない事が判明致しました。其れ故、先程まで手数を増やして城内を捜索していたのですが・・・」
「見つからなかったのか。」
「は。申し訳ございません。」
まさか失踪するとはディオニスも予想外だった。しかし仮に逃亡したのならば追跡せねばならない。リカルド大主教と最後に会った者と言えば・・・。
「陛下に確認は取ったか?」
「はい。ですが大主教が陛下との対談を終えたのは随分と前の事だと陛下は仰られておりました。」
「むう・・・」
ディオニスは渋面を作って唸った。
こちらの動きに勘付いたか?
それは考え辛いが念のため捜索の手を城外まで広げるか。城外までの捜索となれば本格的な捜索行動になってしまうが、このまま放って置ける人物では無い。
「捜索の手を城外まで広げよ。帝都を囲む外壁の門は閉じてはいるが、変装なりを施されれば脱出される可能性がゼロとは言い切れぬ。急いで捕縛するのだ。」
「はっ!」
ディオニスの視線を受けて大将軍の意図を察した騎士達は表情を改めた。
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リカルドは既に城外に抜けて混乱する街の一角を駆けていた。前を走る小柄な男の背を見ながら。
既に身動きを取り難い法衣は脱ぎ捨てて庶民が纏うマントに身を包みある程度身軽にしてはいるが、普段から全く身体を動かしてこなかった鈍重な身体にこの逃走劇は厳しすぎた。しかし前を走るこの男が伝えてきた情報が事実ならば自分は極めて危険な状況に置かれている事になる。とは言えどんなに必死になっても鈍った身体では粘れる体力もたかが知れている。
限界は直ぐに訪れた。
「ま・・・待て。少し待て・・・!」
息も絶え絶えにリカルドが声を絞り出すと前を走る男が振り返った。
「待っている余裕などありませんよ、リカルド殿。」
「し、しかし、もう走れん・・・!」
「では私だけでも先に行きますよ。」
「ふざけるな! 儂を置いて行く気か、パブロス!」
数日前までは子飼いにしていた筈の小男の、戯けた言葉にリカルドは怒鳴った。
パブロスは嘗ての何事にも追従する様な媚びる表情などまるで見せず、寧ろ呆れるような見下した視線をリカルドに向ける。
「前々から言おうと思っていた事だが、私と貴男は同じ大主教で対等の立場の筈。呼び捨てで怒鳴られる筋合いなど無いのだがな。」
「な・・・何だと・・・?」
パブロスの至極尤もな主張に言い返す言葉が浮かばずリカルドはパブロスを睨み付けた。
「そもそも聖職者はいつ何処から救いを求められるか判らぬ以上、どの様な難所にでも出向いて対応出来る様に常に身体は鍛えておくべきと言うのが常識だ。其れは大主教とて例外では無い。」
「き・・・貴様・・・!」
「・・・況してやこの程度の距離を走ることすら出来ないなど有り得ない事。法皇猊下の様にご高齢でいらっしゃるならばいざ知らず、我々は未だ40を過ぎたばかりだ。はっきり言って怠慢と言わざるを得ないな。」
リカルドの怒りが爆発した。
「パブロス! あれ程に目を掛けてやった恩を忘れたのか! 何れは法皇の座に座らんとする儂に擦り寄ってきたのは貴様だぞ!」
周囲も気にせずに怒鳴り散らすリカルドをパブロスは無表情で眺めやったが、やがて小馬鹿にする様に鼻で嗤った。
「フフフ・・・一体いつの話しをしているのやら。最早お前にそんなチャンスは訪れないよ。」
「何!?」
リカルドはパブロスの豹変ぶりに薄気味悪さを感じながらも反論した。
「チャンスは潰えてなどいない。対外的には法皇はゴーレムに殺された。法皇が不慮の事故で亡くなれば次期法王は必然的に・・・」
しかしパブロスはリカルドの主張を遮った。
「そういう事では無い。」
「・・・何だと?」
「・・・」
無表情に自分を見据えるパブロスを見てリカルドの中に疑念が湧いた。
パブロスと供にイシュタル城を抜け出したのはこの男が切っ掛けだ。
皇帝との対談を終えて宛がわれた部屋に戻ろうとした時にパブロスが駈け寄って来たのだ。
『良かった、リカルド殿。ご無事だったか!』
『パブロス殿、一体どうなされた?』
『悪い報せが。・・・騎士団が貴男を捕らえるべく向かって来ております。』
『どういう事だ!?』
『暴れるゴーレムの前に法皇猊下を誘導したのは貴男では無いか? と疑われている様です。』
『ば・・・馬鹿な!』
『とにかく一刻の猶予も無い。今は逃げるしか無い。誤解だと主張しつつ挽回する余地は後で幾らでもあります。が、今掴まるのだけは非情に拙い! 退路は既に確保しているから、今はとにかく!』
『あ、ああ・・・。』
あの時は余りに突拍子も無い事を聞かされた上に急かされた事もあって思わず逃げてしまったが、今考えればこんな『逃走』などという最悪な行動こそ有り得ない。此れでは後で誤解を解こうにもこの逃走が足を引っ張ることは火を見るより明らかだ。
それに・・・そう。
そう言えば何故この男は騎士団が自分を捕らえようとしている事を知ったのか? いや、その前に本当に騎士団は儂を捕まえるつもりだったのか? もし此れがこの男の虚言だとしたら、この男の狙いは何だ?
「・・・パブロス?」
疑念と漠然とした恐怖からリカルドは猜疑の目を嘗ての仲間に向けた。
「まさか本当に連れ出して来るとはな。」
別の男の声が聞こえてリカルドは身を震わせ、声の主を確認した。
見れば少し離れた場所で、黒いマントを羽織った若い男がリカルドを見ている。
何者だ・・・?
突然現れた見覚えの無い男にリカルドは警戒の色を更に強める。
男はそんなリカルドの警戒など気にも留めずゆっくりと歩み寄ってきた。
「久しぶりだなリカルド、とでも言っておこうか。貴様は俺を覚えてはいないだろうが。」
「・・・何?」
訊き返しはするものの、リカルドは男が放つ氷雪の如き視線に恐怖を覚える。
「パブロス! 此奴は何者だ!?」
堪らず叫ぶリカルドにパブロスは何も答えず、代わりに男が冷酷な嗤いを浮かべてヒントを与えた。
「・・・パルウッドの村。」
「・・・何?」
リカルドは訝しげに眉を顰めた。
男の視線に真剣な怒りが籠もる。
「なるほど。覚えていないか。・・・貴様には其れほどにどうでも良い事だったのだな。」
「何を訳の解らない事を・・・!」
其処まで言い掛けてリカルドは男の拳をまとも喰らい大地に転がった。
「ヒ・・・ヒィィィィ・・・」
悲鳴を上げてリカルドは怯えた視線を男に向ける。
男は煮えたぎる溶岩も斯くやと思わせる程の激しい怒りの炎を視線から迸らせて、転がるリカルドを見下ろしていた。
「・・・ならばもう1つヒントをくれてやろう。・・・『神の教えに逆らい怒りを買った者達の哀れな行く末』。この文言に覚えは無いか?」
「・・・。・・・・・・!」
最初はその言葉を聞いても訝しげなリカルドだったが、やがて何かを思い出した様に表情を変化させた。
「以前に粛正したあの村か。」
「粛正・・・?」
男の顔に強烈な殺意が浮かんだ。
「粛正とは随分な物言いだな。あの村の住民が粛正される程の何をしたと言うのだ。ただただ純朴に善良に毎日を送っていただけの彼等が。」
「そ・・・其れは・・・。」
「言えないか。なら俺が言ってやろう。」
男の顔に冷酷な笑みが戻って来た。
「・・・かつて貴様等は1人の馬鹿なテンプルナイトに自分達の腐敗を暴かれ、其れを法皇に密告されそうになった。焦った貴様等はその騎士を捕らえて拷問し密告を止めるように迫った。しかし苦痛では考えを曲げなかった騎士に貴様等は騎士の故郷を滅ぼすと脅し、流石の愚か者も折れた。」
「・・・」
「不正と悪事の証拠は押収され、騎士は無実の罪でテンプルナイトの称号を剥奪され路頭に放り出された。」
「ま、まさか・・・」
リカルドの顔が驚愕に彩られる。
「・・・失意の果てに元騎士は故郷に帰り・・・凄惨な村の悲劇を目にする事になる。」
「お、お前は・・・」
リカルドの疑問を無視して男は語り続けた。
「『何故だ。俺は取引に応じたのに何故滅ぼした!』誰からも答えを得られない疑問を胸に、全てを失った男は狂った。『オディス教』という邪教に入信し世界の破滅を願った。復讐など生温い。未だのうのうと世界から信仰を集める天央教団も其れを崇める連中も全てを滅ぼしてくれる、と狂気に走った。その男の名前はアシャ・・・この俺だ。」
「ま、待て!」
今や恐怖の色に全身を支配されたリカルドが片手を前に突き出して言い募った。
「あ、アレは違う。儂らがやった訳では無い! アレは仕方無く・・・!!」
支離滅裂な弁解を最後まで言い切ることが出来なかった。
アシャの強烈な前蹴りが大主教の顔面を捕らえ血を撒き散らしながら再度リカルドは地面に転がった。苦痛にのたうち回る大主教の肥満した身体をアシャは見下す。
「・・・貴様のツラを忘れたことは一度足りとも無い。拷問の日々、貴様はいつも連中の中央を陣取って俺が苦痛に呻く姿を楽しんでいた。村を滅ぼす、そう言ったのも貴様だ。そして貴様等の要求を呑んだにも関わらず善良な村を滅ぼしたのは貴様等の単なる腹いせだ。神に選ばれし高貴なる自分達を下民如きが脅すなど許されざるべき大罪だと宣ってな。」
「ち、ちが・・・」
アシャは再びリカルドの顔面を蹴り飛ばした。
「絶対に許さん。」
憎悪に押し潰されんばかりの悪鬼の如き形相でアシャは声を絞り出す。
アシャが左の人差し指を天に掲げるとその指先に黒い瘴気が大量に集約されていく。渦状に指先に集まっていく瘴気は濃度を極限にまで高め、アシャの指先に寄生していく。瘴気は「パキパキ」と音を立ててアシャの指に食い込み無数の小さな触手に姿を変えて暴れ回っている。
「オディス教では人を呪い破滅させる法術を散々教えて貰ったよ。」
アシャはそう言うと周囲を何気なく見渡した。
「・・・今の帝都には瘴気が満ち溢れている。奈落の法術を使うには打って付けの場だ。」
そして指先の黒い塊をリカルドに見せつけながら大主教に近づく。
「コイツは機会が在ればいつか貴様にぶち込んでやろうと思って習得した取っておきでな・・・。貴様が焼いた善良な村人達の痛みや苦しみ、大切な人を目の前で殺された悲しみや怒り、訳も解らずに殺される恨み。それらを俺が今に至るまでずっと大切に胸に仕舞い続けてきた、彼等の怨念の塊だ。」
「や・・・やめろ!」
「存分に味わえ・・・!」
逃げ出そうと後退るリカルドの腹にアシャは指を突き刺した。
「ギャァァァァァ!!!」
凄まじい絶叫を上げるリカルドの口から、鼻から、両眼から、耳から、大量の瘴気が溢れ出す。
「・・・」
無言で指を引き抜いたアシャは元に戻った指をつまらなそうに眺めると、全身から瘴気を吹き出しながら白目を剥き全身を激しく痙攣させて藻掻く怨敵を眺め下ろした。
ふと視線をパブロスに移すと小柄な大主教は既に其処に居なかった。
「逃げたか・・・」
アシャは呟き、瘴気を撒き散らしながら藻掻き続ける大主教を一瞥すると、自分もまたその場を後にした。
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誤字脱字報告を頂きました。
さっそく適用させて頂きました。大変助かります!
有り難う御座いました!




