84話 帝都の戦い 4
ルネは剣の柄を握りながら自分の跡をつけている存在に向けて言った。
「それで尾行しているつもりかしら?」
ルネの言葉に尾行者は姿を現した。
「大した女だ。」
尾行に感づかれたアシャは感心した様にルネの感覚の鋭さを賞賛する。
「貴方だったの。」
ルネは剣から手を離した。
「其れなりに気配は消していたつもりだったんだがな。」
「私には通じない。」
「其の様だ。その鋭さはエルフの特性か? それとも戦士として鍛えられた結実か?」
「・・・両方よ。」
ルネは初めて彼を見た時からアシャの放つ気配に戸惑いを感じていた。
光か闇かで分けるなら彼の属性は明らかに闇側だ。
シオン達の・・・特にミシェイルの反応を見て敵では無いと判断をしたが、恐らく何も知らずに1対1で出会っていたら、彼の持つ闇属性の強さからルネは間違い無くアシャを敵と判断しただろう。だが、彼の中には小さいが途轍もなく強い光の力も存在している。
決して相容れる筈の無い力が一人の人間の中に宿っている。主神ゼニティウスでさえ出来なかった芸当を一介の人間が飄々と熟しているのだ。其れがルネには信じられなかった。
「私からも訊いて良いかしら?」
「・・・なんだ?」
「貴方は本当に只の人間なの? 貴方からは闇と光の両方の力を感じる。何故その様な状態で平然としていられるのかしら?」
ルネの問いにアシャは「またか」と言った表情で答える。
「以前にもノームのチビ助達に同じ事を言われた。どうやら俺の血の中には神話時代の大英雄の力が僅かに秘められているらしい。」
「・・・大英雄って・・・あのラグナロクを収めた大英雄の事?」
「ああ。だがまあ、俺にも色々在ってな。この世の全部を潰してやろうと考えていた時期が在った。その時に俺はあんたの言う『闇』に染まったんだろうが・・・染まり切れていなかったと言う事だろうな。」
アシャはつまらなそうに自分の考えを話した。
色々と細かく突っ込んでみたい衝動に駆られるがルネは別の質問に切り換えた。
「何故、私を尾行したの?」
答え次第では剣を抜く必要があると考えながら尋ねるルネにアシャはあっさりと答えた。
「お前を見掛けたからだ。何をやっているのか興味が出て跡を付けた。」
「・・・それだけ?」
「ああ、其れだけだ。」
アシャは頷く。
実際、この荒れた帝都の状況を利用して天央正教を壊滅させてやりたいと不穏な事を考えてはいたのだが、特に有効な手段も思いつかずにブラついていただけなのは事実だった。
ルネは疑わしく感じたが特に精霊が騒いでいない処を見ると、確かにアシャには大した思惑は無さそうだ。
「そう・・・。」
何とも腑に落ちない答えだったが、この帝都の状況に中てられて自分の気が立っているせいなのは理解しているので取り敢えずはアシャの答えに納得して見せた。
そしてルネは何気ない様に視線をアシャから外して遠くを眺めやった。
「何を見ている?」
アシャ尋ねるとルネは視線を戻して首を振った。
「いいえ、何でもないわ。」
今度はアシャが問うてきた。
「お前こそ、この荒れた街中で何をしている。まさか呑気に散歩と言う訳でもあるまい。」
「そんな訳無いでしょう。」
ルネは答える。
「先程、私達の前に知恵を持った悪魔が現れたのよ。奴は逃げてしまったけど何をしでかすか解らないから手分けして街を見回っているの。」
「悪魔・・・。」
アシャは意外な名称を聞いて面喰らった。
オディスにも下級悪魔を召喚する連中は居たが其れと似たようなモノなのだろうか。・・・だがいずれにせよ自分とは関係無い話だ。
「そうか、まあ精々頑張るんだな。」
アシャはそう言うとルネに背を向けて歩き始めた。
悪魔か・・・。
アシャは心の中で呟いた。
去って行くアシャをルネは無言で見送る。
とにかく戦いにならなくて良かった。あの男、戦意は無かったが手練れなのは見て直ぐに解る。女神は軽く一息吐くと帝都の中を見て歩いて行く。
荒れた大通りを歩き、路地に入って行った。
右に、左に。長く暗い通りを抜けると多少広めの空き地に出た。
ルネは再び口を開いた。
「待たせたわね。出て来なさい、2人きりよ。」
空き地の入り口を塞ぐように一人の男が影の中から姿を現した。
「いつから気付いていた?」
「アシャ殿と合流してからもう1つ視線がある事に気が付いたわ。その気配から貴男だと解った。・・・確かカリ=ラーと言う悪魔は貴男を『喰った』と言っていた筈だけど。」
「ああ、喰われたよ。俺の魔力をその根源ごとな。」
「・・・そう言う事か。」
ルネは溜息を吐きたくなった。
あの悪魔、紛らわしい言い方をするモノだ。まあ、しかし・・・。
「どうでも良い事ね。」
そう言いながらルネは愛剣エストナを引き抜いた。
「なるほど。敢えてあの男と別れたのは1対1を望んだからか。」
「ええ。誰にも邪魔されないようにわざと人気の無い場所に誘導したのよ。エクトール。」
エストナをエクトールに向けた。
「此処で終わらせましょう。」
切っ先を向けられたエクトールは口の端を上げた。
「望む処だ。」
おかしい。
ルネはエクトールの自分への拘り方が尋常では無い事に疑問を感じて闇に墜ちたエルフに尋ねた。
「何故、執拗に私を尾け回すのかしら?」
エクトールは渋る事も無く茨の剣を抜きながら容易く答えた。
「そうだな、教えてやろう。・・・嘗てクリソストが2本の宝剣を持っていたのは当然貴様も知っているな。1本は俺が持つ『ソーン』。そしてもう1本は・・・。」
エクトールは剣をエストナに向けた。
「貴様が持つ『エストナ』だ。」
その言葉でルネは納得が行った。
「・・・2本揃えて賢者の石の標を得る・・・。」
「そうだ。精霊人ハイ=エルフに転身するは我らエルフなら誰もが一度は夢見る願望の1つだ。そして『賢者の石』の力を得る事が叶えば、その悲願を達成するのは容易い。」
ルネは首を振った。
「愚かな。亡きクリソスト師は仰って居られた筈よ。『賢者の石』は高等神の身体から生み出された神界の至宝。当然にその至宝も神々が去る際に一緒に持ち去られており、今やこの世界には存在していない。この2本の剣が導くのは『賢者の石』が遺した、神々の力の在り方を伝える宝珠の在処のみだ、と。」
エクトールは鼻で嗤った。
「当然、そんな事は百も承知だ。」
「では何故?」
「解らないか?」
エクトールの双眸に狂気の欲望が滲み出てくる。
「・・・ 神々の力の在り方を伝えると言う事は、真なる神々の力の源流を識る事に繋がる。簡単な事では無いが其れを識るという事は、今となっては失われた真なる神の力を復活させる事も可能にしてくれる筈だ。アートスなどと言う落ち零れの神などでは無い、ラグナロクに参加した正真正銘の神々の力をな。そうなればハイ=エルフへの転化も容易い。いや、それ以上の高次の存在に成る事も出来る筈。」
ルネはゴクリと喉を鳴らした。
この男はなんと途方も無い野望を持っているのか。真なる神の力を手に入れようとは。止めねばならない、何としても。
「それにしても・・・」
エクトールはルネを見遣る。
「俺はダークエルフとなって長寿を得てから随分と永い間、この2本の剣を探していた。ソーンはクリソストの隙を突いて奪えたがエストナは何処を探しても見当たらなかった。何処を探してもな。だが最近になり急にソーンが共鳴を起こし始め、剣の導くままにメルライア大森林に向かったら貴様がエストナを持っていた。・・・お前は今まで何処に身を隠していたのだ?」
「それは・・・」
ルネは察した。
恐らく天の回廊の結界がソーンの呼び声からエストナを遮っていたのだろう。だがルネが下天した故にソーンの呼び声にエストナが反応してしまい共鳴させたのだ。
・・・ならばこの男と戦うのは運命だったか。
敬愛する師が自分に宝剣を託したのはエクトールからエストナを護る為だと今なら解る。そしてルネ1人に託したという事は自分の力がエクトールと同格かそれ以上だと師が認めてくれていたからに他ならない。
嘗て師弟揃って天央12神に選ばれた際に、ルネはクリソストにエストナを返そうとした事があった。だがクリソストは首を振り彼女の差し出す剣を受け取らなかった。
『その剣はお前に託した物だ。ルネ、その剣と供に生きなさい。』
ルネはエクトールを見据えた。
「・・・言う必要は無いわ。」
この男に自分が天央12神だった事を伝える必要は無い。それを知ればエクトールはルネを警戒してこの場を立ち去り兼ねない。
其れよりもルネはエクトールの態度を訝しく思っていた。
ヤートルードから借り受けた神性を以てルネはエクトールを圧倒した。その前回の戦いを彼は忘れたのだろうか?
ルネはあの時に借り受けた神性を未だヤートルードに返してはいない。もしエクトールがあの時のままなら力の差は開いたままの筈。其れでもエクトールはルネの前に姿を現した。
つまり。
彼には何らかの策が有ると言う事だ。彼個人の力が大幅に上昇したか、近辺に手勢を隠す等の罠を張っているか。
「まあどうでも良い。」
ルネの心中など知る由も無くエクトールは肩を竦めた。
「今、俺の前にエストナが在る。重要なのは其れだけだ。ならば俺はエストナの所有者である貴様を殺し宝剣を奪うまで。何も問題は無い。」
圧倒的な悪意がエクトールから溢れ出した。同時にその全身から瘴気が吹き出す。
「!」
ルネも負けじと神性を活性化させ始めた。
「邪悪に堕ちたダーク=エルフがハイ=エルフに成れるとでも!?」
活性化させながら叫ぶルネにエクトールは邪悪な嗤いを返す。
「成れるさ! 正邪とは知有種が生み出した概念だ。もともと神や精霊に正邪の概念などは無い。彼等に在るのは単純な力の強弱のみ。ならば神の力を以てすれば闇に墜ちたエルフとて精霊人にも成れよう!」
瘴気の渦が爆散し嵐を収めたエクトールは言った。
「もっとも、たかがハーフ=エルフの貴様にはどう足掻いても届かぬ話だがな。」
同じく神性のオーラを纏ったルネが言い返す。
「・・・其れでも光を纏うことは出来る。そしてエストナは渡さない!」
戦いはルネの啖呵を合図に始まった。
両者が突進し激突する。
互いの宝剣が激突し、競り合ったまま力比べに入る。
「・・・!」
ルネは前回の戦いとは違う事に直ぐに気が付いた。
エクトールの肉体は純粋なエルフのもの。其れに対してルネはハーフ=エルフであり、エルフよりも筋力に於いて優れる人間の特性が半分混ざっている。
故に彼女の肉体は純粋なエルフのエクトールよりも筋力に於いて優位に在る筈だった。更に言えばヤートルードの神性によって筋力も速度も彼を遙かに上回っている筈だ。
しかし今、ルネはエクトールを押し切ることが出来ない。
ルネの一瞬の動揺を悟ったか、エクトールは渾身の力を込めてルネを押し出し素早く剣を斬り上げた。
ルネの左脇腹から右肩へ斜めに法衣が裂け、薄く血が流れる。
「驚いているな? 前回と勝手が違うことに。」
「・・・」
「確かに前回は不覚にも貴様に圧倒された。あのまま続ければ俺は貴様に殺されていただろう。」
ソーンに付着した血液を振り落としながらエクトールは満足げな表情を浮かべる。
「だが、貴様のあの力は何者かの神性を受けて得られたモノだ・・・」
「・・・。」
流石に気付かれていたか。
ルネは開けた法衣を手で直しながら剣を構え直す。斬られはしたが薄皮1枚だ。大したダメージでは無い。
「・・・そして、俺もあの後に新たな力を得ることが出来た。現状では最強の存在からな。」
其れが何者かは聞く迄も無い。
「・・・最奥のアートス。」
「その通りだ。」
エクトールの表情が愉悦に彩られる。
「貴様に神性を渡した者が誰で在ろうと最奥のアートス以上と言う事は有るまい。」
なるほど・・・。
ルネは合点がいった。
「其れが貴男の自信の理由なのね。私が誰から神性を譲り受けた処で、最強の存在である最奥のアートス以上の存在である筈が無い。ならば私の神性よりも貴男の神性の方が優れている、と。」
「そうだ。そして貴様のその言葉が貴様自身への死刑宣告だと言う事に気が付いているのか?」
確かにその通りだ。
嘗て最奥のアートスはヤートルードの母竜であるノーデンシュードと戦い勝利している。ヤートルードがどれ程のレベルに在るのかは解らないが、同じ竜族で在る以上ノーデンシュードと然程の差は無い筈だ。
ルネが神性を借り受けた時、ヤートルードはルーシーの助けを得て神性の流れを正常に戻している最中だった。其れがどう作用するのかはルネの理解の及ぶところでは無いが、少なくとも最奥のアートスを大きく上回る事は無いだろう。
ならば戦いを決定づける条件は只1つ。
戦士としてどちらが優れているか。
単純に此れしか無いだろう。
女神と闇に墜ちたエルフは再び剣を交えた。宝剣同士が互いに弾かれて火花を散らす。
上から下から縦横無尽に宝剣が舞って相手に襲い掛かる。10合、20合と宝剣同士がぶつかり合う度に光が煌めく。
剣技はほぼ互角。当然だ。嘗て同じ達人に師事し、師からその腕を認められた者同士なのだ。男女の違いは在れど実力に差異など無い。
在るとすれば、戦士としてルネよりも長く生きたエクトールの搦め手にあるか。
「!」
一瞬エクトールのソーンがブレて見え、ルネはほんの僅か戸惑った。次の瞬間、ソーンの刃が束ねた藁が弾けるかの様に柄から拡散して広がり、ルネの全身を切り刻んだ。
「うぁっ!」
何が起きたか解らずにルネは喘ぎ地面に転がった。
「一体・・・何が・・・」
痛みを堪えて身を起こし、冷笑を浮かべたエクトールが握るソーンを見遣ると、宝剣はその刀身から茨の様に無数の棘を生やしていた。
――・・・あの棘が伸びたのか・・・?
ルネの視線を受けてエクトールは言った。
「奥の手は決めるときまで取っておくものだ。」
この男、最初からソーンを持っていたにも関わらず、今この瞬間まで私に見せずに隠していたのか。
ルネはエクトールの狂気染みた執念に悪寒を感じて身を震わせた。
エクトールにしたら実はそういう事では無く、単純にソーンの力を解放する機会が得られなかっただけなのだが。実際は解放する前にカリ=ラーに邪魔をされたり、ルネに追い詰められただけで限界まで温存していた訳では無いのだが、ルネから見ればそうとは解らない。
いずれにせよ、エクトールは漸く訪れた好機に舌舐めずりをした。
「漸く・・・漸くか・・・。永く夢見た2本の宝剣を手にする時が来た。」
「・・・クッ・・・。」
ルネは苦痛から思わず呻きの声を漏らす。
ソーンに付けられた傷から、ジワジワと奈落の瘴気がルネの身体を侵食している。
「ククク・・・自分と反対の属性に侵食されるのは辛かろう。」
確かに耐えがたい苦痛だが、それ以上に信じ難い現実を見せられてルネの意識はそちらに奪われていた。
「信じられない。ソーンに奈落の瘴気の力が秘められていたなんて。」
ルネが苦しげにそう言うとエクトールは嗤った。
「そんな訳が無かろう。ソーンとて最初は茨を伸ばすだけの無属性の剣だったさ。」
「では何故・・・」
「知らんのか? 宝剣は持ち主の意思や属性を敏感に感じ取り、其れに染まって行くという事を。」
そう言う事か・・・。
ルネは次第に霞んでいく視界の中でエクトールを見上げる。
「ソーンは長く俺に所有される事でダーク=エルフたるこの俺の属性を存分に吸い上げたんだよ。結果、ソーンはこの上無く強力な闇の剣に進化した。」
ルネは苦しそうな吐息を吐き出した。
「・・・侵食が早い・・・。最奥のアートスの力は此れほどのモノなの・・・」
苦しげなルネを見てエクトールは嗤う。
「そうとも。如何に落ち零れの神とは言え復活すれば間違い無く最強の存在だ。その神が放つ闇の力が、貴様如きに抗える代物で在る筈が無かろう。」
「アートスは復活するの?」
「無論。俺も詳しくは知らんが、既に眠りからも醒めているらしい。復活も間近だろうな。」
「そんな・・・」
ルネは呻いた。
まさか其処まで進んでいるとは想像していなかった。
エクトールは呆然としているルネを見下ろしながらソーンを握り直した。
「さあ、死出の土産話はもう充分だろう。そろそろ死ね。」
ルネは「フゥ・・・」と一息を吐いた。
「そうね。もうこれ以上の話は引き出せないでしょうから、終わりにしましょう。」
「・・・何?」
悦びに酔ったエクトールの表情が訝しげなものに変わり足下に蹲るルネを見下ろした。
途端にルネの身体が跳ね上がり後ろに一回転して大きく跳んだ。下がり際に回転の力を利用して下から上にエクトールの腕を蹴り上げながら。
「おのれ・・・っ!」
腕を押さえて女戦士を睨んだエクトールは息を呑んだ。
ルネの双眸は黄金に輝き美しさと力強さを身に纏って立っていた。
過去に彼女に屠られた者達が死の間際に抱いた「死と美貌の戦乙女」という感想をそのままに、彼女は美しく輝いた。




