83話 帝都の戦い 3
ウラバールの手から放たれた一際大きな黒球は民家を爆散させ、周辺を瘴気渦巻く黒に染め上げた。其処を更に粉塵が覆い被さる光景を目にしてウラバールは愉悦の表情を更に色濃くした。
「流石は奈落の神の力。これこそ私に相応しい。」
黒球を放った右手を見ながら恍惚と呟く。
「さて・・・。」
ウラバールは視線を帝城の方向に向けた。
未だアビス=カレントの効果が身に宿っている。あのクリオリングの視界と勘すら狂わせたこの強力な幻惑の魔法にウラバール自身の剣が加われば、正にやりたい放題と言うものだ。
「逃げ惑う下民どもが未だ其処ら中に群れている筈だ。」
残虐な笑みが滲み出る。
「最奥のアートスの望み通り、存分に殺し尽くしてやろう。」
ウラバールが一歩踏み出した時だった。
揺蕩っていた瘴気と粉塵が一気に吹き飛ばされた。
「!?」
驚いて振り返るウラバールの視界に蒼金の騎士の姿が映る。
「なるほど、其れが貴様が帝都に来た狙いか。」
「生きていたか。」
ウラバールは憎々しげに呟く。
しかしクリオリングは深手を負っているのか立ち姿が少し蹌踉めいて見える。白亜の騎士は口角を上げた。
「とは言っても最早私と戦う余裕は無さそうだな。」
「・・・。」
クリオリングは剣をウラバールに向けた。
「答えろ。最奥のアートスは何故動き出した。」
ウラバールは自分の優位に酔い痴れるようにクリオリングに冷笑を向けた。
「どうせ死んでいく身。ならば死に土産に持っていくが良い。最奥のアートスは星の海から真なる神々が消え去る時に、其れから逃れるために自身の力を徹底的に削ぎ落とした。そして其処から再び力を取り戻すのに1000年以上の歳月を掛けていたのだよ。」
クリオリングは首を傾げた。
ルネは、ヤートルードの母竜であるノーデンシュードがアートスと戦っており其の戦いが原因で命を落としていると話していたが。
「妙だな。過去に一度、竜と戦っている筈だが。」
クリオリングの指摘にウラバールはわざとらしく目を見開いて見せた。
「ほ、良く知っているな。そうだ。その時傷付いた身体を癒やし復活するまでに凡そ500ほどの歳月を要したらしい。邪神とは言うが竜如きに遅れを取るのだから、私に言わせれば大した事は無い。」
ウラバールは傲岸不遜に言い放つ。
『流石は奈落の神の力。これこそ私に相応しい。』
先程は自分でそう言っていたのでは無かったか?
クリオリングは全てを自分より下に見たがるウラバールの傲慢さに呆れて溜息を吐きたくなる。が、此処は話を続けておこうとクリオリングは話の続きを催促する。
「それでアートスは傷を癒やしていたのか?」
「そうだ。最奥のアートスは地底深くで眠り続け、漸く傷を癒やして行動し始めたのだ。」
「其れが『今』と言う事か。」
「そう言う事だな。」
今、最奥のアートスが動き出した理由は解った。では・・・。
「では最奥のアートスは何処に居る?」
「訊いてどうする? まさか斃しに行くとでも言うのか? 神を。」
呆れた様に蔑みの視線を投げてくるウラバールにクリオリングは首を振った。
「其れを決めるのは俺では無い。」
「どちらにせよ居場所など答える訳も無かろう。」
ウラバールは小馬鹿にしたように肩を竦めて見せた。
「ならば質問を変えよう。俺達が刻の袋小路から放り出された後に拠点としたあの地底城。彼所は異様な場所だった。地底にあれ程の巨城を建てられるだけの大空間が存在した事。そして誰が建てたかも知れない巨城の存在。貴様ならアレの詳細を知らされているのでは無いか?」
「さてな。」
「俺は常に考えていた。レシス様達は真なる神々のご加護に拠って強い神力をお持ちになって居られた。既に神が去ったあの頃でもその力の残滓はあの方々の身に残り続けて居た。そんな彼女達が何故にああも容易く瘴気に冒されてしまったのか、と。如何にゼニティウスがゴブレットを送ったからと言って其処に封じられた瘴気は髙が知れたはず。」
「・・・」
警戒したようにウラバールの視線が厳しくなる。
「其処で俺は今の世に知り合った賢者殿の話を聴いていて思ったのだ。ひょっとしてあのゴブレットは『容れ物』では無く『出入り口』だったのでは無いか、と。」
ウラバールは鼻で嗤って見せた。
「随分と飛躍した考えだな。」
「そうでも無いさ。今回の様に奈落の瘴気がイシュタル城に造られた『ゲート』を通って、出たり入ったりしていたのを見れば思いつく。」
「!」
白亜の騎士の視線が本格的に厳しさを増す。
その視線にクリオリングは一定の自信を得て自分の考えを話し続けた。
「・・・ゴブレットは瘴気の出入り口だった。そして其処に瘴気を送り込んだのは、グースールの聖女様達を一度に奈落の瘴気に染める事が出来る程の存在。と、なれば自ずと誰がやったかは絞られてくる。最奥のアートスか其れに近い存在が最も納得の行く答えだ。・・・あの時、俺達が数年に渡って立て籠もっていた地底城の下には最奥のアートスが居たのでは無いか?」
クリオリングの問いにウラバールは深刻な殺意を秘めて嗤った。
「フフフ。だったらどうだと言うのだ。確かにあの時、最奥のアートスは俺達の居た地底城の遙か下に潜んでいた。だが今は既に移動している。」
「やはり地底城はアートスの居城だったのか。」
「黙れ。もう話す事は無い。貴様をズタズタに引き裂き帝国中の民衆を殺して回る。俺の予定に変更は無い、と言う事だけが今の真実だ。」
ウラバールは若干声を荒げてそう言うと剣を構えた。
クリオリングはフルフェイスのマスクを降ろすと仮面の奥の双眸を光らせた。
「文字通り悪魔に身を堕とし、其の魂を外法に染めた貴様を相手にもはや遠慮の二文字は無い。」
「何が『遠慮』か反撃の力も残るまい・・・」
「・・・斬る!」
ウラバールの台詞を遮ってクリオリングは鋭く言い放つ。
「やって見せろ!」
ウラバールが吠えた。
実体を伴うかの如き強烈な残像を残しながらウラバールがクリオリングに迫り剣を振るう。2人の身体が交叉し、ウラバールは後方へ抜けて行く。
鎧に守られていなかったクリオリングの右肩から鮮血が迸る。
「どうした! 口だけか!?」
まともに反応出来なかったクリオリングの動きを見てウラバールが嗤う。
――もう一度だ。
クリオリングは怯む事無く再びウラバールに剣を構えてみせた。
恐れを見せないクリオリングの態度に、ウラバールの表情は一瞬憎々しげに歪むが直ぐに残忍な笑みを浮かべた。
「敢くまで強がるか。いいだろう、嬲り殺してくれる。」
ウラバールは再度突進する。
再び鮮血が・・・今度は右腿から吹き出した。
振り返ったウラバールの顔には悦びが満ち溢れている。
「どうした。セイントガードの隊長とも在ろう者がこの程度も見切れずに死んでいくのか?」
完全に優位に立ったと確信したウラバールはクリオリングを嬉しそうに挑発する。
クリオリングは三度、剣をウラバールに向けた。
歴戦のクリオリングは人間だった頃に経験した数多の戦いの中で何度も魔術に苦しめられた。その中には幻惑の魔術も存在していたが、ウラバールが使っている魔法は明らかにクリオリングが知る幻惑の魔術では無い。
クリオリングの知る幻惑の魔術は、視界の中に本体以外の何かが映り込んだり薄い靄の中に正体不明の影が動いていたりと、精々が集中力を欠かせたり視覚を惑わせる程度のものだった。そして、それらのどれも非情に脆く、術者に拠っては裂帛の気合いで吹き飛ばせる様な軟弱さだった。
しかしウラバールの使っている幻術は違う。
残される残像の全てが本体と変わらぬ存在感を放っており、視覚どころか他の感覚まで狂わせてくる為に気配を察知させない。勿論、軟弱さなど微塵も感じられない。
此れほどの幻術にはクリオリングも出会った事が無かった。
しかし、二度の交叉を経てクリオリングは漸く掴んだ。
「さて、終わらせるか。私も神に頼まれた用事が有るのでな。」
ウラバールの言葉にクリオリングの構えが深くなる。
「死ね!」
ウラバールが突進して来た。
そして二人の身体が交叉した瞬間
『ギィィィンッ!!』
激しい金属の衝突音が鳴り響き、火花が周囲を明るく照らし出した。
クリオリングの長剣はウラバールの交叉を許さず其の攻撃をまともに受け止めていた。
「な・・・何!?」
慌てて2撃、3撃と撃ち込むがクリオリングはその全てを防いで見せた。
戸惑うウラバールの顔面にクリオリングの拳が飛ぶ。
「グッ」
ウラバールは呻いて後方に退った。
「な、何故だ。」
優位が崩され掛けてウラバールは動揺した。
「何故、俺の動きが掴めたんだ!」
クリオリングは静かに答える。
「お前の其の魔術は奈落の法術だろう? 確かに驚く程に強力な魔術だが、お前自身から放たれる邪気を捉えたんだよ。二度の交叉を経て、残像に存在感を持たせる事は出来ても貴様の薄汚い邪気までは出せていない事に気付いた。」
「な・・・。」
余りの事にウラバールは絶句する。
そして怨嗟の声を歯軋りの間から漏らした。
「・・・化物め。」
実際、ウラバールの言う通り人間の頃のクリオリングなら『邪気を感じ取る』などと言った、雲を掴むかの如き人間離れした芸当は出来なかっただろう。竜王の御子から生み出された神性に因って肉体を再構築した『今のクリオリング』だからこそ出来た芸当と言える。が、其処まで答えてやる必要を認めないクリオリングは
「貴様ほどでは無い。」
とサラリと受け流して長剣を構えた。
ウラバールも合わせて剣を構えるが先程までの余裕は感じられない。
気迫の差はそのまま結果へと繋がった。
今度はクリオリングが前に出てウラバールに剣を振り下ろす。ウラバールは其れを受け止め弾いて逆に自分が振り下ろす。クリオリングは其れを半身にして空を斬らせ、下から斬り上げる。
強烈な斬撃がウラバールの鎧ごと切り裂き黒い鮮血を吹き出して白亜の騎士は仰け反った。傷は即座に溢れ出す瘴気の力で泡立ちながら修復していくが、クリオリングの攻撃は完全回復を許さずに次から次へと斬撃を繰り出してウラバールに傷を与えていく。
嘗てはクリオリングと二強を名乗ったウラバールは良く凌いだが、遂にクリオリングの一撃がウラバールの左腕を吹き飛ばした。
黒い体液を撒き散らしながら宙に舞った左腕はそのまま霧散して消え去る。
「おのれ!」
ウラバールは強引に横薙ぎの一撃をクリオリングに放つとそのまま後方に跳んで退く。
「観念しろ。」
クリオリングがそう告げた時、ウラバールの肉体に異変が起きた。
全身がブルブルと震え、ボコリボコリと身体の表面を泡立たせながら大きさを増していく。異臭を辺りに漂わせながらウラバールの肉体が纏っていた白亜の鎧を呑み込んでいき、茶褐色の不気味な肉体に変化していく。吹き飛ばされた左腕からは腕らしきモノが2本生えてきてその奇怪さを増していき、遂にはクリオリングの2倍は有ろうかと言う程の巨体とやけに上半身が発達した異形の化物に変貌を遂げた。
ウラバールは自分の肉体に腕を突っ込むと巨大な戦斧を引き摺り出して残忍な笑みをクリオリングに向ける。
「其れが貴様の望んだ姿か。」
クリオリングのその声には僅かに哀れみが含まれていた。が、次には眼光鋭く嘗てのセイントガードを見据えた。
「良いだろう。化物退治こそセイントガードの得意とする処だ。」
『ウォォォォッ!!』
獣の如き咆哮を上げて嘗て仲間だったモノは戦斧を振り下ろした。
衝撃が石畳を粉砕し、その下の大地を割った。
あれ程の剛力、受ける訳には行かない。しかしクリオリングを捉えられる動きでも無かった。更に言えば変身したせいかアビス=カレントの効果も切れている。
「哀れな・・・。」
クリオリングの口から遂にその言葉が漏れる。
「あれではオーガと変わらん。」
蒼金の騎士は跳躍してウラバールに迫った。振るわれる戦斧を宙で長剣を滑らせてやり過ごすとそのままウラバールの首を撥ね飛ばした。
異変はその直後。
首を撥ね飛ばされた部分から腕が生えた。
「何だと!?」
着地するかしないかのクリオリングに巨大な掌が迫り騎士の身体を鷲掴みにした。
常識を逸脱した握力がクリオリングを握り潰そうと締め上げてくる。
「グッ・・・」
思わず声が漏れるが蒼金の騎士は体内の神性を燃焼させて自分を握り締める巨大な掌を力ずくで弾き飛ばした。此れで掌は粉砕された筈だったが、砕けた指から更に細い腕が生えて来た。
「・・・」
クリオリングは絶句するが、怯む事無く次々と攻撃を繰り出す。
残った右腕を斬り飛ばし、両の脚も膝の辺りから両断する。更に全身を切り刻むが、その全ての切断面から強靱な腕が生えてきて増々訳の解らない姿になっていく。
「これは・・・。」
流石に蒼金の騎士も呻く。
これ以上攻撃を繰り返しても埒が明かない。ならば・・・。
――消滅させるしかない。
クリオリングは一旦後方に跳んで退がると剣を収めた。
異形の悪魔が逃すまいと突き進んでくる。
クリオリングは焦る事無く両腕を前に突きだし精神を研ぎ澄ます。周囲の空間に自らが溶け込むが如き虚構を思い描く。
蒼金の騎士が神性の身体を得てから手に入れた技。
クリオリングの姿が薄くなり形が崩れ光球に変化する。
其れはクリオリングの魂が宿る前の神性。天の回廊にてシオンが生み出した瞬間の最も純粋な竜王神の神性の残滓だった。
そして其れはウラバールだったモノに激突する。
「・・・!?・・・!!」
何の声も上がる事無く異形の悪魔は一瞬で光球に呑み込まれその姿を消滅させていった。
悪魔を消滅させた光球はそのまま元の蒼金の騎士に戻って行く。
「・・・。」
クリオリングはウラバールが消滅した場所に視線を送ると僅かに首を横に振り、その場を後にした。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
馬を駆けながらルネは人々がある程度の人数で固まって休んでいる姿を幾つも目にした。彼等は寄り添い、火の勢いが弱まった建物の近くで暖を取りながら夜を越そうとしている。
今夜に限れば、なるほど其れが一番良いかも知れない。火事場の近くは危険に違いないが凍死を避ける為、今晩だけは仕方が無いと言える。
問題は明日以降だ。
イシュタル城は何か策が打てるのだろうか。まさか帝都民の全員を城内に収容するわけにもいかない以上、何らかの策を速やかに打たなくてはならないのだが。
昨日の今日で完全な対策など打てるはずも無いが、少なくとも雨風を凌ぎ暖を取るために必要な仮の住居と水食料だけは用意しなければ、明晩以降に間違い無く大量の死者を生み出す事になる。・・・のだが、どうも大将軍の話から得られる皇帝の人物像を想像すると、民が第一とは為りそうに無い。
「・・・」
ルネはメルライアの大森林が在る方向に視線を投げる。
せめて彼の大森林が近ければ、森の民達に願い出て多少なりとも救援を頼めたかもしれない。
だが、森に住むエルフ達は強欲な人間を嫌っている。ルネが頼めば同種族の仁義に基づいて動いてくれる可能性はあっただろうが、嫌いな種族の為にわざわざ遠い帝都イシュタルまで物資を運んではくれないだろう。
――それでも
と、ルネはエルフ間で通じる思念波を簡単な魔法陣に乗せて飛ばした。今回の旅で知り合った森の住人達の何人かでもルネの願いを感じ取ってくれれば、と。
「さて・・・」
ルネは呟くと剣の柄に手を置いた。




