77話 最奥
何処まで行ってもその存在が見え隠れするオディス教の名前に一行が言葉を失うなか、魔術師達は縋るようにシオンに言い募った。
「な、なあ。名前を白状してしまった以上、我々は邪教徒に命を狙われるかも知れない。情報提供に協力しているんだから助けてくれるよな?」
単なる個人の欲求の為だけに人を何人も殺しておいての此の言い草に、シオンは不快感を感じたが頷いて見せた。
「やれるだけの事はやろう。だが知ってる事は全て話して貰う。お前達の証言内容がお前達自身の運命を決めると理解して話せ。」
シオンの殊更に威圧的な物言いと態度に魔術師達は喉を鳴らすと思い思いに話し始めた。
「つまり要約するとこう言う事か。」
シオンは魔術師達の話を纏める。
彼等は出身はそれこそ違えど各国の魔術院の魔術師だった。
魔術院に登録を許された魔術師達は、能力は勿論のこと人格に於いても信頼に値する人間として世間に認識される存在であり、彼等はその誇りを胸に日々の魔術研究に臨むものだ。
だが中には例外も居る。
今シオン達の前に居る彼等はそんな誇りを持つことも無く、欲望のままに禁忌の業に触れたり、金に目が眩んで魔術を使った暗殺に手を貸したりしており、凡そ魔術師の風上にも置けぬ振る舞いに手を染めていた。そして其れが明るみに出た事で各魔術院から『外法術師』の烙印を押された者達だったのだ。
慣習として外法術師と認定された魔術師達はそのまま処刑されるか、魔術を生涯に渡って封印されて追放されるかするのだが、希望を出せばイシュタル大神殿に送られて罪を贖う機会が与えられる。
此れは魔術という希有な能力を持った者達を、簡単に処刑で消したり魔術不能にしたりせず「あわよくば改心した魔術師達を奴隷として飼い殺しにしたい」と言う権力者達の、極めて傲慢且つ身勝手な発想の下に取り決められた救済措置だった。
今シオン達の目の前に居る彼等はその救済措置に乗った者達だったのだ。
そしてそんな彼等に目を付けたのがリカルドだった。天央正教の大主教は贖罪にやってきた彼等1人1人に内密に声を掛け、甘い条件と禁忌の実験の魅力を耳元に囁いて手下にした。
そして彼等は件の実験に勤しむことになる。
予定日である今日を迎えた魔術師達は、打ち合わせ通りリカルドの合図を待ってゴーレムを起動させると、地下通路を使ってリカルドの私室に入り、混乱に乗じて大神殿の外に出て来た。
本来はそのまま大神殿の外に逃げ出す手筈だったが、自分達の実験の成果を確認したかった彼等は、身を隠しながらゴーレムが目標を仕留めるまでを観察していた。
予定通りの結果に満足した彼等は手筈通りに大神殿を出ようとしたが、テンプルナイツが警戒態勢に入ってしまい逃げ出すタイミングを失ってしまったのだった。まごまごしている内にミシェイルに見つかってしまい今に至る。
「・・・と、そういう事だな?」
シオンが確認すると魔術師達は大きく頷いた。
少年は手にする書類をペラペラと捲りながら
「リカルドとの繋がりはお前らがリカルドに宛てて出した報告書が証拠になる。では、そもそもの話になるがあのゴーレムは何時、誰から譲られた物なんだ?」
と尋ねる。
魔術師達は視線を交わし合った。
「其処は良く解らない。だがリカルド大主教が言うには、途轍もなく巨大な存在から譲り受けた神像だと言う話だった。」
「巨大な存在か・・・。」
やはりゼニティウスが譲ったのだろう。
「何時リカルドは譲り受けたんだ?」
更に問えば魔術師達は首を横に振った。
「其れは全く解らない。我々があの地下施設に案内された時には、もうあのゴーレムは台座に据えられていた。」
1人がそう答えると他の1人が口を開く。
「だけどあのゴーレムは彼所に据えられてからかなりの年月が経っている様に見えたわ。少なくとも年単位で彼所に置かれて居たと思う。」
また別の者も疑問を口にした。
「以前から思っていたが、あの施設にあんな巨大な物をどうやって運び込んだんだ? あれだけの大きさの物を運び込む為の入り口があの施設には無かった。結局、ゴーレムが出て行った時も施設の岩壁に刻まれたあの螺旋階段を上っていき上の建物を破壊して外に出ていったが、其れはつまりアレを運び込む入り口は存在していなかったと言う事の証じゃないのか?」
言われて見れば確かにその通りだ。あの神像の出入り口が存在していない。
あのゴーレムを運び込んでから天拝廊を造ったのか? いや其れは有り得ない。あの建造物は建立されてから数百年の年月が流れていると聞いている。
では、もしゴーレムが本当に数百年前にゼニティウスから天央正教に確かに譲られていて、その上に天拝廊が建てられたとしたら。
そして其のゴーレムの存在をリカルドが何処かで知らされていたか、偶々発見するなりしていたとしたらどうだろうか。
・・・其れならば話は通じそうだ。結局ゼニティウスが何故ゴーレムを譲ったのか、その理由は解らないままだが。
「大体の話は解った。みんなは何かあるか?」
シオンが全員に視線を投げると皆はカンナを見た。カンナは首を傾げる。
「1つ確認したい事がある。リカルドからお前達に向けて指示書の様な物は出ていないのか?」
「全てではないが一部の指示書は地下施設に保管してある。」
魔術師の回答にカンナは頷いた。
「よし、後で帝国軍に調べて貰おう。後は特に無いな。後々にでも疑問が出て来たらまた訊くさ。」
シオンは頷くと魔術師達に視線を戻した。
「お前達にはイシュタル城まで来て貰う。其処でお前達は国の要人達に色々と証言する事になるだろう。その時のお前達の態度が、お前達の首と胴体が永遠の別れを告げるかどうかの最大の分け目になるのだと理解して臨むが良い。」
「わ、わかった。」
魔術師達は完全に萎縮しながらシオンの言葉に頷いた。
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「思いの外、上手くいっているでは無いか。」
ディグバロッサは水晶に映る光景を眺めながら口の端を上げた。
そもそもディグバロッサはリカルドの企みが彼の望み通りの結果を出すとは思っていなかった。
仮にこの企みに謀略のプロフェッショナルが入っていれば上手くいった可能性は在るが、何しろ欲に溺れた大主教が考えて研究欲に囚われれた魔術師達を手足に使っただけの企みである。穴だらけにも程があった。
だからこそ利用価値が在る。法皇を殺したのが大主教だと世に知れれば天央正教の権威その物が地の底まで失墜する。世界最多の信者を持つ天央正教の途轍もない不祥事が世界に与える衝撃は途方もないものになる。混乱や嘆き、怒りで世界中が満たされるのは想像に難くない。そのタイミングこそ我らオディス教が介入する絶好の機会である。
「猊下、ご報告申し上げます。」
配下の教徒がディグバロッサの下に参上する。
「・・・瘴気の行先は解ったか?」
ディグバロッサは振り返る事なく尋ねた。
「はい、瘴気の器となる『神撫での腕』の底に瘴気を引き込む『穴』がありました。恐らく何者かが一度
『神撫での腕』に集められた瘴気を更にその穴から吸い取ったのだと思われます。」
ディグバロッサは主教を見た。
「では神撫での腕は確かに瘴気を集めはしたのだな?」
「はい。」
主教の返答にディグバロッサは思案する。
ディグバロッサが造り出した『神撫での腕』はオディス教の虎の子と呼んでも過言では無いほど優秀な魂の集積装置だ。これ1つ在れば大掛かりな奈落の法術の使用も可能になってくる。其れだけに外部からは勿論だが内部からの横槍も一切受け付けない程の強固な捕獲機構を取り込んでいる装置だ。
其れを打ち破って魂を捕獲した瘴気を引き抜くための『穴』を造り出すなど容易な事では無い。
「・・・その穴は何処に繋がっていたのだ?」
「解りませぬ。捕らえた人間の贄を20匹ほど放り込み行方を追ってみましたが、我らの感覚でも届かぬ程に深い奈落の底まで贄供は落ちていってしまったのでそれ以上は追えませなんだ。」
「奈落・・・。」
ディグバロッサは唸る。
アートスの仕業か?
しかしあの魔人は既に理知を失い単なるケモノと化している。嘗ては真なる神々の系譜を継ぐ唯一の神だったらしいのだが、ディグバロッサがアートスを見つけた時には単なるケモノに堕ちていた。
当然あのケモノが我らの計画を知る事は無いが、ケモノの本能が大量の魂を集めた神撫での腕を感じ取ってその手を伸ばして来たのだろうか。いくら今ではケモノに堕ちたとしても元は異次元の存在である以上、その能力は量り知れない。
仕方が無い。此処で神撫での腕に拘りすぎて最奥のアートスを刺激するのは避けたい。後でディグバロッサ自らがアートスの様子を伺ってくるしかあるまい。
「解った、其方は良い。それと地上の方は上手くいっている様だ。」
ディグバロッサが話題を変えると主教も邪悪な笑みを浮かべた。
「はい。法皇が亡くなったと騒ぎになるのも時間の問題だと思われます。」
主教が同意する。
「これで彼の国を混沌に包み込むのも更に容易くなったな。」
「・・・如何致しましょう、猊下。今の混乱状態を一気に破滅へ導く為に我々も動きますか?」
「・・・。」
ディグバロッサは思案する。
まだ少し早い。
彼の北の大国もそうやって滅ぼしたとは言え、アレも最高のタイミングを見計らったが故だ。全ての物事には時宜と言う物がある。時宜に適わずば得るものは少なく、見間違えば得るどころか多くの物を失う事にも為りかねない。
況してや今回は竜王の御子がいる。巫女も侮れないが、グースールの魔女を倒しザルサングをモノともしなかった御子の存在は脅威だ。イシュタル帝国と言う人間界最強の帝国を滅ぼす又とない好機が近づいてきているのは間違い無いがオディスが御子と事を構えるのは望ましくない。
だからこそ以前に試した事を実行する時だとディグバロッサは判断した。
「アートスの影を使う。」
「なるほど。」
主教は納得して頷いた。
イシュタルとセルディナで試した遠隔地に於ける悪魔召喚の儀式。下級悪魔ではあるがアートスの肉体を利用して憑依させた悪魔である以上、其処らの聖職者に祓う事は出来ず人間と言う軟弱な存在に対してその脅威は折り紙付きだ。
「アートスから切り取った肉片はまだ50~60個ほどあった筈だ。全部使え。」
「畏まりました。では早速準備に入ります。」
「急ぐが良い。落ち着いてしまっては効果も半減するからな。」
「は。」
退がる主教を見送るとディグバロッサは祭壇を見上げた。
「貴方は何もしなくて良いのだ。何も知らずに地の底を永遠に這いずり回っていれば良い。」
とは言え魔人の様子を見てくる必要はあるだろう。気は進まないが。
広大な空間に巨大な化物が這いずる回っている。
転移装置を使って降りたったディグバロッサはその化物を遠くから眺めた。
「・・・。」
漂ってくる神性が尋常ではない。最後にあの化物を見たのは数ヶ月も前の事だが、その時よりも明らかに力を増していた。
しかしそれ以外に変化は見られない。
ディグバロッサが最も警戒していた知性の宿りも見られない。力の増し方からみても、神撫での腕から瘴気を奪ったのは恐らくこの化物なのだろう。が、其れも単なるケモノの嗅覚に因って行われただけであり、知性が戻ったわけでは無いのならば良しとしよう。
大量の魂を横取りされたのは痛いが其れはまた集め直せば良い。其れよりも下手にアートスを刺激してしまう方が恐ろしい。
それにしても。
「あの姿・・・アレが嘗ては2級神と呼ばれた真の神々の系譜を継ぐ者の末路とはな。」
ディグバロッサの双眸に蔑みの色が浮かぶ。
神話時代が終わり真なる神々が星の海を去る際にも、アートスが持って生まれた特性である『最奥』の能力で巻き添えを避けたと言われる落ち零れの神。
だが落ち零れたのは敢くまでも神話時代レベルでの話で、創世記以降の世界に於いては比類無き神性を持つ絶対神として君臨したと聞く。
『最奥の能力とは何でしょう。』
オディス教にて頭角を示しその卓越した能力を買われて側に付く事を許された、若き日のディグバロッサが師事した大主教デストニードに尋ねた処、彼の大主教はこう答えた。
『其れは全てを欺き、その偽りの幻影の最奥に自らを隠す能力よ。』
『隠す能力・・・。』
『左様。故に彼の魔人の真のお姿を拝謁できた者は居らぬ。だがその御力は厳として我らと供に在る。』
ディグバロッサはもう1つ気になる事を尋ねた。
『猊下、もう1つお伺いする事をお許し下さい。』
『何だ?』
『常々疑問に思っておりました。我らが神、最奥のアートス様には神守りの大主教がいらっしゃらないのは何故で御座いましょう?』
神守りとは崇拝する邪神を復活させる為に軸となって動く者である。必ず大主教がその任に当たるのだが、アートスには其の役割に当てられた大主教が居ない。
其れをディグバロッサは問うたのだが、デストニードは首を横に振った。
『其れは誰にも解らぬ。大主教達の間でも意見は分かれていてな、存在すると言う者も居れば存在しないと言う者も居る。』
この異能の集団とも言える彼等でも掴めない事が在るのか。況してや彼が師事するデストニードはオディス全体を指揮する惣領とも言える男なのだ。そんな強大な力を持つ彼をして『存在が不明』と言わしめる者が居るのかと、ディグバロッサは舌を巻いたものだった。
やがて時は流れて、師事したデストニードが崩じると各大主教は各々の神を求めてイシュタルの本殿から袂を分かつ事となった。ディグバロッサもデストニードの跡を継いで大主教の座に就き暗躍を始めるのだが、遂に今日の今日までアートスの神守りに出会った事は無かった。
だがアートスの『成れの果て』には巡り会うことが出来た。何故か理由は解らぬが、理知を失い単なる神性の塊と化していたアートスはディグバロッサにとってこの上ない便利な「道具」だった。
真なる神々すら欺く程の力を持っていた魔人も理知を失えば単なる巨大なケモノに堕ちてしまう。
「無常とは斯く在るか。」
ディグバロッサは呟くが、その声には昏い喜びが感じられた。
真なる神の末裔でさえこうなのだ。況してや人の世の如きが変わらぬ事など在るまい。其れが例え滅びで在っても変化は必ず起きるのが当たり前なのだ。其れを我らの手で行って何が悪い。
全てが滅んだ後には我らの理想郷を創り上げようではないか。そして其れすらも何れは滅びの時を迎えよう。
其れは其れで良い。
その時には――。
ディグバロッサの表情に見る者を絶望に突き落とすような壮絶な笑みが浮かんだ。
「――滅べば良いのだ。」
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「そうか。そういう事だったか。」
黒尽くめの男が狭い小部屋の祭壇に祀られた腕輪に手を添えながら呟いた。
そういう事なら此方にも動き様はあるというものだ。
さて長居は無用だ。誰かに見つかり捕縛でもされたりしたら、其れこそ馬鹿馬鹿しい。黒尽くめの男はそっと祭壇を離れると小部屋を後にした。




