74話 凶変
祭礼の儀は予定通りに進行していた。
来賓客の紹介からヴィルヘルムの挨拶が始まる。
「イシュタル帝国皇帝ヴィルヘルムである。本日はイェルハルド法皇が主催される祭礼の儀に参加出来た事を喜ばしく思っている。」
パラパラと民衆から拍手が起きる。
其れを手で制すとヴィルヘルムは挨拶を続けた。
「皆も知っての通り、昨日は帝都を前代未聞の災禍が襲い少なからずの被害が出た。本来ならば本日より帝都の立て直しに奔走するべきで在ろう。だが、だからこその本日の開催だと余は思っている。此処に居る誰もが激しく傷付いたであろうが、其れでも今日だけは命在った事を神に感謝し心身を休めて欲しい。そしてこの祭礼の儀が明日からの再建に向けて皆の心を奮い立たせる切っ掛けになる事を切望するものである。」
こうして皇帝の挨拶が終わると貴族達を中心に
「「イシュタル帝国万歳! 帝国に幸在れ!」」
とヴィルヘルムの治世を讃える声が響いた。
次に法皇自らが主導して、天央12神の住まう天の回廊に見立てた神壇の黄金で作られた両扉を開かれ、用意された供物が捧げられた。
そしてヘンリーク大主教の手に拠って天央の剣が運ばれてくる。
「・・・。」
その様子を後ろからリカルドは苦々しい表情で見守っていた。
本来ならば、今まさに法皇が手にしようとしている天央の剣に命を奪う呪いが施されていた筈なのだ。ここで法皇は絶命し、苦も無くリカルドに次期法王の座が舞い込んでくる手筈だった。
其れを思うと、如何に気持ちを切り換えて当初立てていた計画に戻したとは言え、胸の内はドス黒い苛立ちに満たされてしまう。
法皇がヘンリークから天央の剣を受け取り、神壇に捧げた。
「チッ・・・。」
リカルドは抑えきれずに舌打ちを漏らす。
そんなリカルドの心中など当然知る由も無くイェルハルドは法皇としての責務を果たすべく祭礼の儀を進行していった。
「では、皆の者。」
イェルハルドが眼下の民達に視線を向けた。
「此れより我らが世界の守護神『天央12神』に祝詞を奏上します。皆は胸に手を当て供に神の祝福に感謝の意を表して下さい。」
民達が胸に手を当てた。
大主教達が法皇の後ろで起立する。
その動きに合わせて皇帝と来賓の貴族達も立ち上がった。
まさに祭礼の儀は佳境を迎えようとしていた。
――此処だ。
リカルドの双眸に途轍もない殺意が宿り、法皇の後ろ姿を睨みつけた。
元々、人形を使って事を起こすつもりだったのだ。問題など無い。ここで動かす。リカルドがペンダントを握り締めると其れは淡い光を放った。
ズン・・・ッ・・・
何処かで地響きが鳴った。
いや、何処か・・・では無い。かなり近い場所だ。
「何だ?」
シオンは視線を走らせる。
法皇は祝詞の奏上を続けている。
大主教達も不審な動きは見せていない。
イシュタル帝国貴族も同じだ。
そして皇帝は・・・同じく微動だにせず法皇を見下ろしている。
ズン・・・ッ・・・。ズン・・・ッ・・・。
続けて起こる地響きに奏上していたイェルハルド法皇の祝詞が流石に止まった。
「何事だ。」
貴族達が、大主教達が、警護の騎士達が漸くざわめき出した。信者達も不安そうに周囲を見渡し始める。
地響きは其の間も続いており、先程よりも確実に大きくなっていた。まるで何か巨大な物が歩いて近づいて来ているかの様に。
そしてソレは現れた。
大神殿の一角を破壊して現れたのは巨大な石の人形で、その身の丈は大人10人分ほどの高さがあり文字通り見上げる巨体だった。
ゴーレムと呼ばれる其れは複雑な魔術式を幾重にも重ね合わせて作られた魔石を積み重ねて造り上げられた、現代に於ける最強の兵器の一角だった。
「動き出したか。」
ディグバロッサが水晶を覗きながら呟く。
急遽、祭礼の儀が早められた事で天央の剣に呪いを施す計画が流れてしまったのは先日の事だった。其れからリカルドを挑発して当初に連中が予定していた『ゴーレムを動かして大勢の目撃者の前で法皇を葬る』という計画を実行させようとしたが。
リカルドから感じる頼りなさも在って、奈落の瘴気を大量に召喚する『召獄の術』を試した。ミストにもイシュタル城に侵入させて協力させた結果は、初めて扱った術にも関わらず上々の出来だった。ただ予想よりは幾分か雲が薄い気もしなくは無かったが、あんなモノなのだろう。
そしてディグバロッサの目論み通り、帝都は瘴気の雲の影響で大混乱を来たし多くの魂を捕獲する事が出来た。何故かその魂は何処かへ消え失せてしまったが、もしディグバロッサが想像する可能性の通りだったら本当に面倒な事になるかも知れない。調査の結果はそろそろディグバロッサに報告される筈だ。
其れまでの暇を潰すためにディグバロッサは水晶を通してリカルドの首尾を視ていたのだが、存外に上手くいくかも知れん。
暗黒の大主教は少しだけリカルドを見直しながら口の端を上げた。
突如出現したゴーレムを見遣ってカンナが呻いた。
「12神のゴーレムだと・・・!?」
「え!?」
カンナの呻きにシオン達は驚愕の声を上げた。
「覚えているだろう、お前達。天の回廊で12神達が待っていた神座の後ろに2体ずつゴーレムが立っていたのを。」
「あ!!」
全員が息を呑んだ。
同じだ。姿形があの時に見た巨像の姿と全く変わらない。
しかし・・・。
「何故、あのゴーレムが・・・いえ、一体誰のゴーレムが・・・」
セシリーが声を絞り出すように誰にとも無く尋ねる。
「・・・。」
当然、誰も答えられる筈も無い。激戦に激戦を重ねたあの回廊では、細かな部分の記憶は曖昧になっていて簡単に思い出せるモノでは無い。
と、誰もが思った時、カンナが答えた。
「私達は天の回廊でそれぞれの12神の部屋に2体ずつゴーレムが立っていたのを見ている。」
「ああ。」
「だが、1神だけ1体しかゴーレムを従えていなかった者が居た。」
誰だ・・・?
全員があやふやな記憶を手繰り寄せようとした時、カンナは言った。
「ゼニティウスだよ。奴の後ろには1体しかゴーレムが立って居なかった。」
「・・・そうだったかも知れん。」
シオンが思い出しながら呟いた。
「じゃあ・・・。」
ミシェイルが近づきつつあるゴーレムを見上げながら言った。
「あのゴーレムはゼニティウスのゴーレムって事か?」
「そうなるな。」
「・・・。」
一瞬の沈黙の後、アイシャが叫んだ。
「いや、ちょっと待ってよ。何でアイツのゴーレムが此処にあるのよ!」
「奴が天央正教の連中に渡したからだろう。まさか天央正教が天の回廊から神像であるゴーレムを盗み出せる訳もないし、だとしたらゼニティウスが自らの意思で渡したとしか考えられんだろう。何の為に渡したかは解らんがな。」
カンナはそう言いながら短杖を取り出す。
「其れよりもあのゴーレムをどうにかするぞ。」
その通りだ。
全員が得物を手にする。
既に騎士団は皇帝や貴族達を護るべく動き出しており、法皇や大主教達もテンプルナイツの誘導の下、退避を始めている。
自分達もいざゴーレムに向かおうとした時、シオンは民衆達が退避の案内も受けられずに散り散りに逃げ出そうとしている姿を目にした。
「拙いな、あれでは民衆に更なる被害が出るぞ。」
シオンが呟くと、カンナが詠唱を始めた。
『阻まれし者、仮初めの衣を脱ぎ捨て大いなる標を示せ・・・セイクリッド=スパーク』
途端に逃げ惑う民衆の頭上に目も眩まんばかりの光が弾ける。
「・・・!?・・・!」
宛てなく逃げ出そうとしていた民衆は、突然弾けた強烈な光に視界を奪われ声にならない悲鳴を上げて動きを止めた。
「今だ、シオン。」
驚いて空を見上げる民衆を見ながらカンナが合図を送ると同時にシオンは走り出しながら民衆に叫んだ。
「バラバラに逃げるな! 俺達が逃げ道を案内するから集まって付いてきてくれ!」
そう叫びながらシオンはイシュタル大神殿の大正門に向かって走る。
「こっちだ! こっちから逃げるんだ!」
シオンの誘導に冷静さを取り戻した民達が従い大正門目指して動き出す。
主旨を理解したミシェイル達も離れた場所に居た民衆に向かって呼び掛ける。
「彼等に付いていって下さい!」
「安全に逃げられます!」
皇帝の側から離れられなかったディオニスはその様子を見てシオン達に心から感謝する。本来ならば騎士である自分達が行わねばならない事を彼等が代わりにやってくれている。恥じ入るばかりだが、今はこちらも早く皇帝を退避させなくてはならない。あの様な化物、何の準備も無しにどうにか出来る代物では無い。
「陛下、此方へ・・・。」
そう言い掛けた時、ヴィルヘルムが信じられない指示を出した。
「イシュタル帝国騎士団よ、あの巨人を倒すのだ!」
「・・・。」
テラスの近くにいた騎士達は一瞬絶句して主たる皇帝を見上げたが
「「お・・・おお!!」」
と皇帝の命に声を上げて応える。
ディオニスは慌ててヴィルヘルムに言上する。
「お、お待ち下さい、陛下。何の準備も無くあの化物に立ち向かうのは余りにも無理が御座います。どうぞお考え直しを!」
だが皇帝は無表情に言い放った。
「問題無い。」
しかし今回ばかりはディオニスも軍事の全てを預かる大将軍として退く訳には行かない。
「このままでは1000人の騎士達を無為に死なせる事になります! デカブツ相手には其れなりの戦い方と言うモノがあります。此処は一旦・・・。」
「問題無いと言っている!」
ヴィルヘルムが苛烈な視線をディオニスに向けて怒鳴った。
「陛下・・・!」
老将軍は思わず言葉を止めた。
何故、皇帝は此処まで強硬な態度なのか。いや、問題無いと言う其の自信は一体何処から来るのか。理解が及ばない。
だが、主が此処まで絶対の命令を下すからにはディオニスも従うしか無い。
「・・・畏まりました。」
分厚い掌を握り締めて歴戦の老将は頭を下げた。
そして自分達を見上げる騎士団に向けて指示を出す。腰の剣を引き抜いて切っ先を天に向けて掲げると腹に力を込めて叫んだ。
「栄えあるイシュタル帝国騎士団よ! 至尊たる我らが陛下からの御下命である! 我らの勇を陛下と帝国の前に示せ!」
「おお!」
騎士団もディオニスに倣って剣を天に向けて叫ぶ。
「な、なんだと!?」
「本気か!?」
テラスから響くディオニス大将軍の騎士を鼓舞する号令に、大正門前で民達を誘導する役目を近くのテンプルナイトに任せていたシオン達は愕然となってテラスを見遣った。
「ディオニス大将軍が何の策も無くあんな指示を出すとも思えん。皇帝からの命令だろうな。」
シオンの隣で逃げる民の様子を見ていたカンナがそう予想する。
「御子様!」
その時、後を任せたテンプルナイトから悲鳴に近い声が上がりシオンは反射的に振り返った。
テンプルナイトが大正門を指差す。シオンもその指先に導かれて視線を大正門に向けると、其処には何か目に見えない力場に阻まれて外に出らない民衆の戸惑う姿が在った。
「何が起きてる・・・?」
シオンの疑問にルーシーが答えた。
「結界が張られている。多分、この大神殿を覆うくらいに大きな結界が。」
「結界が!?」
シオンが訊き返すとルーシーはコクリと頷いた。
「仕方無い。」
カンナは苦虫を噛み潰した様な表情で言った。
「こうなればゴーレムを此方に寄せない様にしながら戦うしか在るまい。」
「・・・よし。解りやすくて良い。」
ミシェイルがデュランダルを引き抜きながら頷く。
「テンプルナイトさん、民衆の方々を大正門前に集めておいて下さい。その方が護りやすい。」
「わ、解りました!」
セシリーの指示にテンプルナイト達は即座に頷き民衆を纏めに動き出す。
「此処はもう良いだろう。いずれにせよ騎士団だけではあのゴーレムには対抗出来ん。強力な魔術の力が必須だ。」
「よし、行こう!」
シオン達は大神殿を崩しながら歩を進めるゴーレムに向かって走り出す。
イシュタル騎士団達はゴーレムの周りを取り囲んではみたが、どう対抗したら良いのか解らず手を出し倦ねている。然もあらん、と言う処だろう。あんな巨体を相手に腰に佩いた剣などでどうしろと言うのか。
ゴーレムに意思があるのかは解らないが、巨大な神像は周囲の騎士など全く意に介さず歩を進めては大神殿を破壊し続ける。
「ルーシー! セシリー! 精霊魔法でゴーレムの動きを止めるんだ!」
カンナの指示で2人の少女が各々の精霊を召喚し精霊達に指示を出す。カンナも同様に精霊を召喚した。
3種の精霊が神像に向かって突き進んだ。
崩れる大神殿の中をイェルハルド法皇の一団が小走りに移動していた。遠くから破壊音が響く度に通路の天井からパラパラと砂埃が落ちてくる。頑強な造りになっている大神殿ではあるが、あのような巨大な力に暴れられてしまっては保つ物も保ちはしないだろう。
『ゴゴンッ!』
強烈な破壊音と供に一際強い揺れが一団を襲った時、リカルドが「堪らず」といった体で法皇に声を掛けた。
「猊下、大神殿内は危険で御座います! 此処は一度外に出て別の道から脱出を図るべきでしょう!」
その進言にリカルド派以外の他の大主教達が異を唱える。
「何を申されるか、リカルド大主教! 今戻ればあの化物と鉢合わせになりますぞ! このまま逃げるべきだ!」
そう言う他の大主教をリカルドは睨め付けて叫んだ。
「黙れ! ではこのまま何時崩れるとも知れぬ大神殿を駆けるつもりか! それに何も戻る必要は無い。西の小門から逃げればあの化物に出会う事もあるまい。」
「し、しかし・・・。」
リカルドの迫力に圧された大主教達が其れでもと渋る中、法皇が口を開いた。
「良い、皆の者。確かにリカルド大主教の言う通りだ。テンプルナイトよ、西門を目指すぞ。」
「「はっ」」
イェルハルドの指示を受けてテンプルナイト達は進む方角を変えて動き始める。
リカルドの口の端が上がった。
そんなリカルドの背中を見ながらパブロスもほくそ笑む。
「・・・。」
ヘンリーク大主教はその一連のやり取りを無感動な視線で見守り、黙って西門へ付いていく。
セシリーの呼び出した火の精霊が炎と化して渦巻きゴーレムを包み込む。
カンナが召喚した光の精霊がミシェイルのデュランダルに更なる光の加護を与え、ミシェイルは其の力をゴーレムの左脚に叩き込む。
ルーシーの呼び出した水の精霊がシオンの身体に底知れぬ力を与え、シオンは全身をバネにして渾身の一撃を右脚に叩き付ける。
セシリーは呼び出した風の精霊を昇華させてゴーレムを嵐の中に包み込み発生させた稲妻でゴーレムを撃ち抜く。
5人の強烈な攻撃を受けてはゴーレムの巨体が揺れる。が、傷付いた神像の足は其れでも止まることは無く石の巨躯は歩を進め続ける。
「・・・まるで何処かに向かっているみたい。」
ゴーレムにラズーラ=ストラを撃ち込んでいたアイシャが神像を眺めてそう呟いた。
惨劇は唐突に起こった。
「猊下、此方です!」
ゴーレムが向かう先の扉から先導したリカルドが飛び出してきたかと思うと、その後からイェルハルド法皇その人が付いて出て来たのだ。
「馬鹿な!」
思わずシオンが叫ぶ。
「出るな! 戻れ!!」
ミシェイルが堪らずに叫びながら、ゴーレムの目と鼻の先に姿を現した法皇の一団に向かって走り出す。
『ヴヲオォォォォォォォォォッ!!!』
途轍もない雄叫びを上げたゴーレムが其の巨大な豪腕を振り上げた。
「「「あっ!!!!」」」
全員が声にならない悲鳴を上げて眼前の光景を信じられない思いで見遣る。
ゴーレムの豪腕は、呆然と其れを見上げる法皇達に振り下ろされ叩き付けられた。
轟音が鳴り響き、大地が爆散する。
無慈悲な鉄槌は、信心深い民衆達の目の前で彼等の敬愛する法皇を奪ったのだった。




