73話 祭礼の儀
薄暗く広大な空間。其処には様々な魔道に関する様々な設備が置かれていた。リカルドが秘密裏に準備した魔道研究所である。
その中をリカルドとパブロスは気もそぞろに早足で歩いていた。
「人形はどうだ。」
焦りを隠しきれない様子のリカルドが奥で作業をしていた魔術師然の男に首尾を尋ねる。男はリカルドに口の端を上げて見せると
「万端ですよ。いつでも行けます。」
と力強く返した。
パブロスは頷くと釘を刺すように周囲の男達を見渡して言う。
「お前達は過激な研究に没頭して魔術院を追い出された者達だ。本来ならば魔術禁止の印を身体に刻まれ『外法術師』の汚名を着せられて放り出されていた筈が、リカルド大主教の厚情に拠って此処に居られるのだ。其れを忘れてはならんぞ。」
「解っていますとも。」
男達は愛想笑いで応える。
「リカルド大主教に拾って頂いたお陰で研究の続行が可能になり、金銭まで頂いている。況してや此れほどの『遺物』を扱わせてくれると為れば、生涯お二人に付いていく所存ですよ。」
その返答にリカルドも少し落ち着いたのか満足そうな表情を浮かべて頷いた。
「解っているなら何よりだ。此方としてもお前達のような有能な者とは良き関係を築いていきたいからな。此度の件が上手く進めば私は次期法王だ。そう為ればお前達にももっと働いて貰わねばならん。」
「おお・・・。」
男達から期待の声が上がる。
「では我々の仕事はまだ在ると・・・?」
「当然だ。山ほど在る。」
「おお・・・!」
今度は歓喜の声が上がった。
外法術師の一人がリカルドに言う。
「我々もリカルド『法皇猊下』の快進撃をお祈りしていますよ。」
「・・・フフフ・・・リカルド法皇猊下か・・・。悪く無い、悪く無いぞ。」
リカルドは欲深そうな視線を人形に向けると、来た時とは裏腹に上機嫌となって祭礼の儀に出席するべく秘密の研究所を出て行くのだった。
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出発の指示を貰う為にディオニスは再度皇帝の私室を訪れた。そして皇帝からの指示にディオニスは言葉を失う事になる。
「全ての騎士団を出すと仰られるのですか?」
「そうだ。」
頷く皇帝を信じ難い思いで見返す。
今帝都では沢山の民と兵士が傷付き疲弊し、何よりも生命を失った者の数が量り知れない。建物への被害も甚大だと報告も上がっている。皇帝たる立場の者が其の現状を把握して居ない筈は無い。
そしてこれ等の問題を処理する為には、短時間での経済的な被害及び負傷者と死者の人数を把握した上で大まかな対策を練り対応していく事が急務と言える。
つまり国が出す暫定的な対策方針の主旨を理解した上で、現場レベルで発生する様々な問題に即座に指示が出せる人間を多数配置しなければならないのだ。となれば騎士団の力が不可欠だというのに、それらを承知の上でまさか祭儀の参加に全てを割り当てようとは。
「しかし、現状で即座に動かせる騎士団は1000名ほど。常勤している帝都護衛騎士団の数としては通常の10分の1にも届きませんが。」
「・・・仕方あるまい。ならば1000名で良い。」
「それに帝都内の混乱を収める為には、その中からかなりの数の騎士を割く必要が在るかと思いますが。」
聞き入れないだろうとは思いながらもディオニスは一応進言してみる。が、予想通りでヴィルヘルムは当然の様に言い放った。
「其れは兵士達に任せよ。具体的な対策はサルーンに任せる。」
「しかし・・・。」
「良いな。」
「・・・は。」
反論は許さぬ、とばかりに鋭い視線をぶつけてくる皇帝ヴィルヘルムの言葉を受けて,、老将軍は静かに一礼するしか無かった。
だが宰相サルーンの人柄を思えば今ひとつ不安が残る。
サルーンは外交対策と経済政策立案には優れた手腕を発揮して見せるが、得意分野外については臆病な面が顔を覗かせるフシがある。特に今回の様な非常事態への対応についてはかなり凡庸で頼りにならない御仁だ。
そもそも皇帝の指示には違和感しか感じない。
幾ら法皇と呼ばれる世界でも最高クラスの重要人物が自分主催の祭礼の儀を執り行うと言っても、突然沸き起こった此の混乱と危険の最中で強行すると言われれば、統治者としては「成功をお祈りする」と伝えて自国の立て直しを優先させる筈だ。少なくとも皇帝自身が足を運ぶ必要は在るまい。更に言えばヴィルヘルムはイェルハルド法皇を好ましく思ってはいないのだ。
ならば帝都内の混乱を放置してまで皇帝自らが祭儀に出向く必要は無いだろう。況してや立て直しの要ともなる騎士団を全て連れて行くなど正気の沙汰とは思えない。
何か狙いでも在るのか? と穿った考えが頭を過ぎっても無理ない事だ。だが、至尊たる皇帝がそう言うならば従う他は無い。
遂に溢れ始めた失望の念を無理矢理に押し込めながらディオニスは皇帝の御前を退がると、騎士団を招集するべく歩き始める。その老将軍に声を掛ける者が居た。
「ディオニス大将軍。」
その声に振り返ると先程名前が挙がった宰相サルーンが立っていた。初老に入った痩身の男は特徴的なギョロ目をせわしく動かしながら老将を見ている。
「これはサルーン殿。如何なされた?」
「大将軍、お忙しい処申し訳無い。既に陛下から聞かれたかと思いますが・・・。」
サルーンの言葉にディオニスは「ああ・・・」と内心で同情する。
「聞いております。陛下と我々が大神殿に出向く間の舵取りを任されたとか。」
「はい。しかし何分にも私はこの様な事態での総指揮を任された事は無く、ディオニス殿のご助言を頂ければと考えまして・・・。」
ディオニスは頷く。
サルーンは非常時に於いて頼りなくはあるが、この様にプライドに邪魔されず素直に助けを求めて来られる点は高く評価出来る。
「そうですな。儂も別に専門と言うわけでは在りませんが、先ず優先しなければいけないのは寝床の確保でしょうな。火事が至る所で発生したと聞いています。今の時期、まだ夜は寒い。住まいを焼かれた人々への寝床の提供は急務です。出来れば今日中に対応を済ませたい処でしょう。様々な公的施設を開放して人々を其処に誘導する等で当面は凌げる筈です。」
「なるほど。」
「後は食糧難という訳ではありませんが数日分の食料の配布は必要でしょう。またこう言う混乱が起きると必ず火事場泥棒の類いや堂々と店舗を襲撃強奪する輩が発生します。此れ等の行為を警戒する為にも兵士を多数配置する必要があるでしょうな。」
「ふむ・・・。」
「其れと今民が最も望んでいるのは、この突然起きた混乱への説明と国がどう考えどう対応するのかでしょう。此れについて少しでも公表して置く必要が在ります。」
「しかし、何と公表したら・・・。」
サルーンは参ったとでも言う様に尋ねてくる。
ディオニスとて其処については未だ断定的な事は何も言えない。
「明確なことは儂にも言えません。ただ黙っている事が拙い。だから『この混乱については国が全力を以て調査中である。何か解れば必ず告知するから暫し発表を待て。』とでも今日中に触れて置く必要がある。そうして置けば『放っておかれている訳では無い』と、少しは民も落ち着く事でしょう。」
「解りました。」
不安そうな表情ながらも頷くサルーンにディオニスはニッと笑って見せる。
「なに、余り心配なされるな。我らが出掛けると言ってもイシュタル大神殿は帝都の外れ。何か有れば直ぐにでも駆けつけられるのですから。」
「そ、そうですな。」
頷くサルーンを見ながらディオニスは思った。「・・・とは言ってもやはり頼りない御仁である事に変わりはない」と。
イシュタル城から皇帝を乗せた馬車が出発した。其れを取り囲む様に現状で直ぐに動ける騎士団1000騎余りが追従していく。
痛ましい帝都の惨状を眺めながらシオン達も馬に跨がり行軍に加わり大神殿に歩みを進めた。
多くの人々が動かぬ骸となって道端に転がっている。命有る者も傷付いた身体を建物などに寄り添わせながら意識も朦朧とした表情で苦しげに喘いでいた。ただ、そんな彼等も突然街中を進軍する騎士団を目にすると畏怖と戸惑いの視線を投げてきた。
建物も多くが半壊し、中には全焼して焦げた残骸を晒しているものもある。
「・・・酷い・・・。」
馬を操るシオンに掴まりながらルーシーの呟く声が後ろから聞こえる。
「そうだな・・・。」
シオンも頷くしか出来ない。
「まるで戦火に焼かれた後の様だ。」
「え?」
「・・・サリマ=テルマが滅んだときもこんな感じだった。・・・もっと酷かったが・・・。」
シオンの言葉にルーシーが無言でギュッと抱き締めてくる。
「なんでこの人達を放っといてまで大神殿に行かなくちゃならないの!?」
憤慨した様子でアイシャが馬を操りながら文句を言う。
「わからん。大神殿に行くのは良いが、なんで動ける騎士団の全員を連れて行くんだ? この半分も居れば充分だろ。」
ミシェイルも明らかに納得がいかない表情で返す。
「・・・何かあるんでしょうね。」
セシリーがアイシャに掴まりながら言った。
「何か・・・って何が?」
「此れだけの軍勢を率いなければならない何かよ。」
セシリーも若干不機嫌そうだ。
「その何か、が問題だな。」
ミシェイルの腰にしがみついたカンナも思案する。
「騎士団を必要以上に連れて行くという事は軍事に関する事だろうが・・・。」
「まさか祭礼の儀をどうにかするつもりでしょうか?」
意外にも馬を操れるノリアがアリスを乗せて会話に入ってくる。
「いや、流石に其れは無いと思うが・・・まさかな・・・。」
カンナは否定しきれず考え込む。
一行の不安も他所に皇帝を擁した騎士団はイシュタル大神殿を目指す。
イシュタル大神殿前の大広場には1000人単位の帝国民が傷付きながらも集まってきていた。想定していた人数よりは遙かに少ない人数だったろうが、この状況でも集まってきている事に逆に驚く。
高台に特別に設置された大祭壇も所々破壊されているがそのまま使用するらしい。法皇側がどれだけ出席してくるのか不明だが、舞台が曲がりなりにも整っており信者が多少なりとも集まっているのであれば確かに祭儀は行える。
大神殿に皇帝一行が到着すると迎えたヘンリーク大主教とテンプルナイトが皇帝を神殿内に案内して中に入っていった。シオン達も騎士団と供に皇帝を護衛する場所に位置取る。
やがて大神殿のテラスに皇帝とディオニスが出て来て用意された席に腰掛けた。同時にそのテラスの下からは招待された帝国貴族達が貴賓席に腰を下ろす姿が見られる。席は予め決められているらしく自席を探しては腰掛けているがその席の空き具合を見れば半数以上の招待客が欠席しているのが判る。まあ無理も無い事だが。
テンプルナイツの声かけで次第に広場が静まっていく。
一応とは言え、場は整った。
そして遂に第121代イシュタル法皇イェルハルドが大主教達を引き連れて大祭壇に姿を現した。外の混乱などまるで気にしていないかの如く悠然とした態度に、逆に集まった民衆達は感動の声を上げる。
「おお・・・。」
「法皇様だ・・・。」
「法皇猊下だ・・・。」
民衆から上がった響めきにイェルハルド法皇は穏やかに微笑んで見せ、口を開いた。
「偉大なる天空の12神に信仰を重ねる敬虔な信者の皆さん。ようこそイシュタル大神殿にいらっしゃった。私は第121代イシュタル法皇イェルハルドです。」
イェルハルドの言葉にカンナが眉を顰める。
その表情に気が付いたシオンが尋ねる。
「どうした、カンナ。」
カンナはシオンを見上げた。
「何だ、あの平然とした台詞は。こんな事態になっている中を強行していると言うのに、其れに対しての詫びも無しか。民など疲弊しながらも集まってくれていると言うのに。」
「・・・そうだな。」
シオンも同意した。
確かに違和感は感じていた。
まるで予め用意していた文言をただ読み上げている様に聞こえる。勿論そういったお偉方も無数に居るが、あれ程に凄惨かつ原因不明の災難が起きた直後で、仮にも法皇たる者が出だしの挨拶から「如何にも恙なく祭礼の儀が始まった」かの様な言い回しには不自然さを感じる。其れにイェルハルド法皇は昨日まで行方知れずだったのだ。シオンも振り返って見たとき、自分の中で色々と腑に落ちないままこの場に居る事も確かだ。
ふと思いついてシオンはカンナに尋ねた。
「アレは本物の法皇猊下なのか? 何かタチの悪い幻術とか・・・。」
だがカンナは首を振る。
「いや、幻術が発動している気配は全く無い。少なくとも彼所に居るのはイェルハルド法皇だろう。」
「そうか・・・。」
その時、シオンの左に立っていたルーシーがシオンの左腕の裾を引っ張った。
「どうし・・・」
言い掛けてシオンは口を噤んだ。
ルーシーの紅色に光る双眸が法皇を見つめている。
「シオン、法皇様の心が見えない。ヘンリーク大主教と同じだわ。」
「なんだと・・・?」
彼女の言葉にシオンは眉根を寄せてイェルハルド法皇を見遣った。
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「猊下、大変で御座います。魂を集めた瘴気が消えてしまいました。」
主教の報告にディグバロッサはゆっくりと振り返った。その表情は驚愕を押し殺して平静を保ったものだったが、激しい怒りの炎が双眸に浮かんでいた。
「・・・なんだと?」
その恐ろしく低い声に主教は声を強ばらせながら再度報告する。
「た、魂を集めた瘴気が消えてしまいました。」
「・・・何故だ。」
「げ・・・原因は解りません。ただ捕獲した魂を確認しようと『器』を確認しに行った処、魂どころか瘴気そのものまで在りませんでした。」
「最初から無かったと言うのか。」
「は・・・はっ」
普段は感情を面に出さないディグバロッサが唸り声を上げながら怒りを露わにする場面など、初めて目にした主教は生きた心地がしないまま地に伏せて震え上がる。
そんな主教の様子など無視してディグバロッサは尋ねた。
「召喚口から器までに『漏れ』は無かっただろうな。」
「そ・・・其れは今調べておりますが・・・恐らく大丈夫かと・・・。」
主教がそう答えた瞬間ディグバロッサの右手が昏く輝き主教の身体が吹き飛んだ。
「グ・・・ウグッ・・・。」
呻きながら起き上がろうとする主教にディグバロッサは冷酷に言い放つ。
「早急に魂の行方を探れ。汝等の命を賭けてな。」
「か・・・畏まりました。」
フラつきながら出て行く主教を無感動に眺めやりながらディグバロッサは思案を始めた。そして其の思案はやがてディグバロッサに1つの仮説を導き出させた。
「まさか・・・な。」
そう呟く暗黒の大主教の表情はこれ以上は無いという程に深刻な焦燥に塗れていた。




