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神の去った世界で  作者: ジョニー
第4章 混沌のイシュタル
168/214

72話 鳴動



「カンナさん!」

 アイシャの叫び声にカンナは振り向いた。

「どうした!?」

 尋ねながらアイシャが指差す通路の壁に視線を向ける。


 アイシャの指差す先は採光と通風の為に作られた切り窓だった。その先では赤黒い雲が空を覆いながら揺蕩っていたが、今その雲が変化を見せ始めていた。

 上空を覆っている雲が渦を巻き始めていたのだ。渦は次第にイシュタル城上空に中心を移し始めどんどん其の回転の速度を上げていく。


「何が起きている・・・?」

 鋭く空を見上げながら呟くカンナにシオンが言った。

「解らんが・・・城から退避した方が良さそうだな。」

「でも・・・私達は良いとして、他の人達は何処に逃げれば・・・?」

「其れは・・・そうだな・・・。」

 セシリーの疑問にシオンも言葉が詰まる。

 神性を持つシオン達はイシュタル城を離れても然程の問題は無いと思われる。しかし城内の人々はあの雲の瘴気がもたらす狂気から逃れる術は無いのだ。だが、あの雲の動きは明らかにイシュタル城に何か良くない事を起こそうとしている。

 緊急の問題が切迫する中「だが、しかし」と詰まるばかりでどうしたら最良の行動となるのか判断が付かない。

 

「見て、雲が・・・。」

 その時、興味津々の態で切り窓から身を乗り出して空を見ていたアリスが空を指差した。

 其の言葉に導かれる様に全員がアリス同様に身を乗り出して空を見上げる。


 渦を巻く瘴気の雲は何時の間にか途轍もない厚みを増しながら巨大な球状にその威容を変化させ、イシュタル城の上空に・・・シオン達の居る位置の真上に集結していた。そのせいか雲が晴れた帝都の端の空には既に青空が広がり始めている。逆に此処は赤黒さが増して周囲の全てが夕闇の中に包まれている様だった。

「まずい・・・まずいぞ・・・。」

 ミシェイルが無意識にアイシャを抱き寄せながら呟いた。

 

 変化は唐突だった。

 渦の中心が急速に真下に伸びてイシュタル城に直撃したのだ。


 衝撃・・・!


 本能的に死の危険を感じて全員が身動いだが、衝撃は皆無だった。


「・・・。」

 全員が呆けたように雲の動きを見つめる。

「あの雲、まるでイシュタル城が帰る場所であるかの様な動きだな・・・。」

 やがてカンナが小さくそう呟く。

 そしてハッとなった。

「まさか・・・。」

 カンナは管理庫に走って行き部屋を覗いた。


 イシュタル城を直撃した雲は其のまま城内をすり抜けて、先程まで調べていた呪法痕の中に猛烈な勢いで吸収されていた。


「・・・。」

 全員は呆然と其の異様な光景を眺める。

 その間も瘴気の雲は呪法痕に吸収され続け、かなりの時間を要しながら全てが呪法痕の中へ還って行った。


 イシュタル帝国を混乱させた瘴気の雲は、出現した時と同様に唐突に其の姿を消し去ったのだった。


「終わった・・・のだろうか・・・?」

 イシュタルに広がる青空を眺めやりながら誰にとも無く尋ねるディオニス大将軍の声にカンナが頷いた。

「・・・クリオリング殿の決断とレシス様の尽力に感謝だな。」

 その瞬間「ハァ-・・・」と全員が大きく息を吐き出して通路にへたり込んだ。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


 一息入れた一行は長時間の精霊使役で疲弊したルネをルーシーに任せ、イシュタル城の一室にて今現在の段階で出来うる限りの総括を執り行った。

 時は既に夕刻を過ぎ、本当の夜の帳がイシュタル帝国を包み込んでいる。


 部下達に応急の指示を与えて一同の下に戻って来たディオニス大将軍が尋ねた。

「伝導者殿、今回の件はやはり邪教徒の仕業と考えて良いのだろうか?」

 その問いにカンナは歯切れ悪く答える。

「そう言って差し支え無いとは思うが・・・正直何とも言えん。ただ、アシャ・・・いやルネが放った精霊の話では、皇帝は怪しげなアミュレットを使って何者かと密談を交わしていたと言う。流れから考えれば相手は邪教徒である可能性が高いし、この雲の異変も其れを端に発した事と考えても無理は無いと思うがな。」

「ふむ・・・。」

 ディオニスの表情は厳しい。

 カンナが皇帝を呼び捨てにし敢えて敬称を外した事にも気付いていたが、其れを殊更咎めなかった辺りにディオニスの複雑な心境が滲み出ていた。

 今度はセシリーが尋ねた。

「カンナさん、何故、正気を失った者と正気を保てた者が居たのでしょうか? 何か違いでも在ったのでしょうか?」

 カンナは答える。

「其れは然程難しくない。瘴気・・・と言うか奈落や闇に属する性質のモノは、似たような物に取り憑き易いんだよ。」

「似たような・・・?」

「ああ。例えば『本能』は負の属性『理性』が正の属性に分けられるんだが、理性と本能は等しく私達『知有種』の中に存在するだろう? それらは負の属性が悪と言う訳では無いし、正の属性が必ずしも善と言う訳でも無い。両方が大切なモノでどちらが欠けても駄目だ。だが間違い無く肯定されないモノが在る。」

「其れは何ですか?」

「利己的な負の感情だ。奈落に潜む者達は我儘の権化と言っても差し支え無いような連中だから、自分達と同じくする其れらの感情が大好物なんだよ。」

「利己的な負の感情?」

 ピンと来なかったセシリーが首を傾げる。

「そうだな・・・例えば、自分より下に見ていた者が自分を超えていった時に感じる嫉妬や敗北感・・・は、まぁ大丈夫だが『憎悪』とか『怨嗟』なんて感情を持ってしまえば、そういった感情は標的にされるだろうな。あとは自分の利益や権力を守りたいだけの為に他者に対して殺意を持つ、なんていう感情は大好物だろうさ。」

「なるほど・・・。」

「つまり簡単に言えば度を超した我儘は奈落の餌食になり易い。通常はそう言った感情を持っていても理性で押さえ込んで感情と折り合いをつけていくのが普通の知有種なのだが、中には其れを放棄して本能や欲望のままに行動する連中も居る。」

「じゃあ・・・。」

 セシリーの察した様な表情にカンナは頷いた。

「そうだ。今回の瘴気の雲に影響を受けたのは、大なり小なり利己的な不平不満を強く抱いていた者達だろうな。」

「不平不満を・・・あれ程の数の民達が、其の様な不満を抱えていたのか・・・。」

 考え込んでいたディオニスが再びカンナを見つめる。

「別に珍しい事じゃ無いさ。統治する側は、ともすれば民を子供の様に純粋だと見てしまう傾向にあるが、民とて当たり前に善悪の両方の性質を持っているし賢愚の両方が居る。私が言った利己的な負の感情を持つ者など幾らでも居るさ。」

「そうか・・・そうだったな・・・。」

 ディオニスは過去を思い返すかの様に深く頷く。

「でも、騎士様や兵士さんはそういう感情とは無縁そうなのに、狂ってしまったのは・・・。」

 アイシャが不思議そうに呟くとディオニスは苦笑いしながら首を振った。

「いや、そうでも無い。確かに日々の厳しい訓練で心身を鍛え上げているし彼等は我が国が誇る自慢の戦士達だが・・・兵士は血気盛んな者が多いし騎士にしても名誉欲の強い者が多いから、カンナ殿が言った様な者は実は多い。日々の訓練はそう言った我欲を弱める意味も込めて敢えて厳しいメニューにしているんだが・・・こうも魔術的な罠を仕掛けられてはな。」

「仕方の無い事でしょう。だからと言って日々の訓練に加えて魔術対抗の訓練までを騎士達に課す訳にはいかないでしょうから。」

 クリオリングの言葉に大将軍も頷く。

「その為に魔術院が在るんです。魔術面での補助が出来る様に。」

 セシリーも口を開く。

「私もこの雲の件はセルディナに戻ったら研究課題として魔術院に持ち帰りたいと思っています。」

「其れは良いな。ノーブルソーサラーからの発案ならセルディナ公国とイシュタル帝国の魔術院での共同研究にし易いだろうし、魔術研究なら私も協力したい。」

 カンナが賛同する。

「・・・被害はどれ程なんだろう?」

 ミシェイルが深刻そうに呟く。

「今、調査に向かわせてはいるが、何分にももう夜だ。ある程度の正確な数字は明日になるだろう。」

「・・・とにかく今日はもう休もう。元気が無ければ解決出来るモノも出来なくなる。」

「確かにな。」

 カンナの提案に一同は頷き、宛がわれた寝室に戻っていった。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


「四方や天の回廊が動き出すとはな。」

 苦々しい声が薄闇の中に響く。


 ディグバロッサにしてみれば計算外も甚だしかった。この数百年、一度たりとも地上の為に動くことは無かったと記録される天の回廊が、瘴気の雲を祓うために突然『神威の光』を放ったのだ。


 そもそも計画は其処までは上手く運んでいたのだ。

 数年前から目を付けた駒達を仄めかして、契約石が最終的にイシュタル城に集まるように仕組んでいた。様々なブラフを撒き散らすことでオディス教の存在をイシュタル帝国に悟られぬ様にしながら。

 そして漸くイシュタル城に契約石が集結した事を確認すると、瘴気を呼び出す為の契約石を使った『門』が形として固定されるのを待った。そして時が来たときミストに瘴気を導く為のアミュレットを持たせ瘴気召喚の儀式である『召獄の術』を行わせたのだ。

 その結果、問題無くイシュタル上空に『狂気の雲』を発生させる事が出来た。狂気の雲が放つ邪気に当てられれば、比較的に闇寄りの人間達はちょっとした切っ掛けを皮切りに殺し合いを始めるだろう。

 そうなれば後は殺された者達の魂を狂気の雲で吸い上げ、オディスの礎の素にするばかりだ。更に言えば狂気の雲を還す際にも殊更目立つようにイシュタル城内に戻して見せれば、民の国に対する不信感は量り知れないモノとなるだろう。

 順調だった。

 天の回廊が動く迄は。


 雲が光に焼かれ吸収した魂の一部が解き放たれてしまった。

 解放された量は大したモノでは無いだろうが、折角捕獲した魂をこれ以上失うのは避けたい。何故か短時間で光の照射は止まったが、主神がゼニティウスからレシスに変わった事を知らないディグバロッサにして見れば、天の回廊の意向が不明な以上その行動が不気味で在る事に変わりは無い。

 出来ればもう少し回収したかったが、ディグバロッサが渾身を籠めて作り出したアミュレットの力を以て召喚したあの瘴気量ならば、かなりの魂と邪念が回収出来た筈だ。

 後ほど確認しなくては正確な量は解らないが、少なくとも20000以上の魂は捕獲出来ただろう。充分と言えば充分だ。其れよりも再び神威の光を照射された時の方が痛い。

「やむを得ん。」

 ディグバロッサは狂気の雲を奈落に回収したのだった。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


 大神殿の混乱を避けて地下に退避していたリカルド大主教は、パブロス大主教と子飼いのテンプルナイト達を連れて未だ夜明け前の地下室を出た。


「コレは・・・。」

「酷いものですな。」

 絶句するリカルドの言葉を継ぐようにパブロスが唸る。

 大神殿の通路は血の海と死体の山で埋め尽くされていた。粗末な得物を持った民達と100を超すテンプルナイツが息絶えている。壮絶な殺し合いが繰り広げられていたのは想像に難くない。

 まさか此れほどの数の民達が発狂して乗り込んで来るとは考えていなかった。ざっと算えても300は下らないだろう。

 この事態をどう処理したら良いのか。リカルドは頭を抱える思いだったが、取り敢えず早急に対処しなければ為らない事がある。

「とにかく今日の祭礼の儀は延期せねばなるまい。猊下も居られぬ中で祭儀もクソもない。当然、例の計画も延期だ。」

「そうですな。では祭儀延期の報をイシュタル城に出しましょう。あちらとて此の騒ぎでは祭儀どころでは在りますまい。」

 リカルドの言葉にパブロスも賛同したその時。


「祭礼の儀は執り行う。」

 聞き覚えのある声を聞いて大主教達は振り返った。

「!!?」

 そして一同の表情は驚愕一色に塗り替えられる。

「げ・・・猊下!?」

 其処には先日から突如として行方を眩ましていた第121代イシュタル法皇イェルハルドが立っていたのだ。その後ろにはヘンリーク大主教が控えている。

 リカルドはハッと我に返ると尋ねた。

「げ、猊下。今まで一体どちらへ!?」

「知る必要は無い。」

 しかしそんな問いなど不要とばかりにイェルハルド法皇は切り捨てる。そして再度宣言した。

「もう一度言う。祭礼の儀は執り行う。その旨、イシュタル城に報せよ。」

「は、ははっ!」

 彼等が知る法皇とはまるで別人の様な威圧感にリカルド達は冷や汗を流しながら片膝を付いて頭を下げる。

 とにかく今は法皇に従うしか無い。

 そう考えて立ち上がった時、更に信じられない言葉がリカルドの耳を叩いた。

「その命を以て汝の大主教としての役目は終わる。」

「は!?」

 驚いてイェルハルドに視線を投げたが、彼は既に踵を返しており法皇の表情を確認することはリカルドには出来なかった。無言のヘンリークが冷たい視線をリカルドに投げつけながら法皇に従う。

 法皇の後ろ姿が見えなくなるまで呆然と見送っていたリカルドはやがてゾッとする程に低く昏い声を喉から絞り出した。

「・・・パブロス。こうなれば計画は予定通りに行う。祭礼の儀に間に合わせるのだ。」

「仰るままに。」

 パブロスは口の端を上げて一礼した。



 翌日、目覚めた一同は信じられない報告をディオニス大将軍から受ける事になった。


「祭礼の儀を執り行う・・・?」

 シオンが信じられないと言った表情で訊き返す。

「儂も信じられない思いだが、法皇猊下の立っての御言葉で予定通りに執り行う事になったそうだ。」

「そんな馬鹿な。法皇猊下は行方不明の筈では!?」

「いや、本日未明に突然大神殿に戻られたそうだ。」

「戻られた!? ・・・いや、だとしても法皇猊下は今のイシュタルの現状を把握されていないのか?」

「そんな筈は在るまい。だが予定通り行われるお積もりのようだ。現状では満足な数のイシュタル騎士団を出すことは出来ないと使者に伝えているのだが、延期の報が未だ届かぬ処を見るとやはり執り行うつもりなのだろう。」

 シオンに返答するディオニス大将軍の表情も厳しい。

 カンナは溜息を吐いた。

「しかし敢くまでも執り行うと向こうが言っているのなら、こちら側としてもせめて必要最低限のメンバーだけは出さざるを得ないだろうさ。」

「うむ。既に皇帝陛下にはお伝えして在る。陛下は参加されるお積もりの様だ。」

 ディオニスはそう言うとシオン達を見た。

「部外者の君達にこんな事を願い出るのは忍びないが、君達にも参加願えないだろうか。」

「・・・。」

 シオンはカンナを見た。

 カンナは「お前の好きにしろ。」とでも言う様に肩を竦める。

 正直に言えば嫌な予感しかしなかった。かなりの危険が待ち受けている様に感じるのだ。自分1人なら良い。此処まで関わったのだ。事の流れも気になる以上、即座に了承しただろう。だが、其処に大切な仲間達まで連れて行くのは気が退ける。

 その時力強い声がシオンの背中を押した。

「行こう、シオン。」

 ミシェイルが強い光を湛えてシオンを見ていた。

 シオンは一同を見る。皆、反対する積もりは無い様だ。この場に居ないルーシーとルネも同じ反応をするだろう。

 少年は決断してディオニス大将軍を見た。

「解りました。同行させて頂きます。」

 シオンの返答にディオニスは漸く少しだが相好を崩した。

「有り難う。感謝するよ、若き勇者達。」



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