71話 管理庫
カンナは呪法痕を念入りに調べ始める。
「なるほど・・・コレが切っ掛けになった訳か。この中央に置いて在る奴が引っ張り上げる・・・。」
カンナは双眸を翠色に光らせながらブツブツと呟いていたがやがてルーシーを呼び寄せた。
「ルーシー、『巫女の眼』で此処を見てみろ。」
「?・・・はい。」
ルーシーは双眸を紅色に光らせると呪法痕に視線を向ける。
「!」
途端にルーシーはビクリと肩を震わせて後ろに倒れ込んだ。シオンが慌てて彼女を抱き止める。
「何が見えた?」
カンナが尋ねるとルーシーは体勢を整えながら答えた。
「穴です。とても深くて昏い穴。引き摺り込まれるかと思って驚いてしまいました。」
「うん。やっぱりか。」
ノームの娘も同じ物が見えていた。
「カンナ、どういう事だ。」
シオンが説明を求めるとカンナは少し整理しながら話し出す。
「そうだな、先ずはこの銀細工の百合が何なのかは判るよな?」
そう言ってカンナは円を描くように置かれた銀細工を指差す。
「連続殺人事件で殺された人達の胸に置かれていた物ですよね。」
ノリアが答える。
彼女にしてみれば、コレをミストが殺人現場から盗み出した処から全てが狂いだした様な気までする代物だ。判らない筈が無い。
「そうだ。お前とミストが手に入れた銀細工が1つ。その他に此れだけの銀細工が在った。」
「そうですね。」
「そもそも、私達がイシュタルに来たのも奇妙な殺人事件が発端で、銀細工の百合はその象徴みたいな物だった。コレに一体どんな意味が在るのか?と。死体に此れを一々置いていた意味は解らないが最終的にこの銀細工が何なのかは解った。」
「・・・。」
「この銀細工は大掛かりな召喚を行う際に使われる『契約石』と呼ばれる役割を果たすモノで、召喚の入り口を造るモノだな。そして・・・このアミュレットらしき物が召喚する対象を引っ張り出す役割を果たしたみたいだな。」
カンナはおっかなびっくりと言った風に呪法痕を覗き込むような素振りを見せた。シオン達には見えないが其処には深い『穴』が空いているのだろう。
「恐らくだがこの『穴』の先は『奈落』だ。謂わばこの呪法痕は『地獄の門』とも言える。つまりこのイシュタル城は今地獄と直結されている状態なんだ。」
「地獄だと・・・そんな物語染みた事が現実に起きるモノなのか・・・?」
ディオニス大将軍が呻いた。
余りに想像を超えた事態を前にして歴戦の老将軍も流石に声を失う。
「そしてこのイシュタルを覆う瘴気の雲は此処から吹き出したんだ。」
「な・・・なんだと・・・!?」
驚愕の声をディオニスは上げた。
国を護り治める為の要衝とも言うべきこの帝国の主城から、まさか国を滅ぼしかねない程の邪悪が撒き散らされていたとは。
帝国を護る為。その想いを胸に1つ抱いて、長きに渡り軍を纏め率いてきた老将には受け容れがたい事実だろう。
「其れは間違い無いのだろうか?」
「恐らく間違い無い。そうと示す痕跡が此処には在るのだ。」
「そうか・・・。」
長く重苦しい吐息が老将軍の口から漏れた。
カンナの眼に深い同情の色が宿る。が、言葉にしては話を続けるしかない。
「不思議なのはこのアミュレットらしき物を形成している球が7つだと言う事くらいか。」
「7つ? 其れが何か関係あるのですか?」
セシリーが尋ねるとカンナは頷いた。
「召喚に使う得物は何でも良いんだが、数は契約石の数に合わせるのが当たり前なんだよ。此処に在る契約石は8つだから本来8つ無いと召喚は不完全になってしまうんだが・・・何か別に目的が在るのか?」
カンナは首を傾げたが答えが見つからなかったらしく話を続けた。
「・・・まあ良いか。それとな、更に言えば先程は『死体に銀細工を一々置いていた意味は解らない』と言ったが、ここまで話せば1つ推測も立てられる。シオン、解るか?」
悠久の賢者に解答を求められ、シオンは答えた。
「連続して死体の上に銀細工が置かれれば『此れは何の意味が在るのか?』と国は1ヶ所に・・・城に集めて調べるだろうな。つまり自分達の手を下さずとも、国の人間が勝手に召喚の儀式に必要な契約石を城に集めてくれる訳だ。」
「そういう事だ。後は契約石に籠められた瘴気を辿って此処に移動し、瘴気の雲を召喚させて仕舞えば良い。」
「何と狡猾な!」
ディオニスは初めて語気を荒げた。
「でも、何でお城で召喚しないといけなかったんだろう?」
アリスが尤もな疑問を口にする。
「其れは・・・。」
言い掛けてカンナはハッとなった。
「しまった・・・!」
そう言ってカンナは宝物庫の出口に向かって走りだす。
「どうした、カンナ!」
「いいから来い!」
シオンの問いにも碌に答えずノームの娘は走る。
管理庫を飛び出したところで、カンナは走ってきた騎士に撥ね飛ばされてポーンと横に吹っ飛んだ。
「痛デデ・・・」
尻を摩りながら起き上がるノームの娘の耳に騎士の報告が入ってくる。
「ディオニス閣下、吉報です! イシュタル城上空の雲が晴れました!」
「おお、そうか!」
報告を受けてディオニスが喜色を湛えた声を上げる。
反対にカンナは顔を顰めた。
「おい大丈夫か、カンナ。」
抱え起こすシオンの首にしがみつくとカンナは痛みで顔を顰めながら騎士に確認する。
「騎士殿、其れは本当か?」
「え、ええ。本当です。」
騎士もカンナの存在は聞いていたのだろう。戸惑いながらも丁寧に返す。
「やられた・・・。」
カンナは天を仰いでそう漏らした。
「・・・やられた?」
賢者の予想外の反応に全員が注目する。
「やられたって言うのはどういう事だ?」
シオンが尋ねるとカンナは軽く息を吐きながら答えた。
「城の上空が晴れたと言ったな。想像して欲しいんだが、イシュタル城上空の雲だけ急に晴れたら民はどう思うだろうか。今は良い、混乱の最中だ。救いを求める正気の人間達は城に自ら逃げ込んで来て助かったと喜ぶだろう。だが時間が経って冷静になれば『何故イシュタル城だけが難を逃れているんだ?』と言う疑問が必ず湧き出てくる。」
「其れはそうかもな・・・。」
「其処に『この騒ぎはイシュタル城が原因だ。その証拠にイシュタル城だけは何の被害も受けていないではないか』と噂を流したら民はどう思うのだろうな?」
「まさかそんな矛盾だらけの流言に・・・」
「流言という奴に筋の通った理屈は必要無い。矛盾していようが、理屈がおかしかろうが、『その時』に人々が求める耳心地の良い噂を流してやれば民は食いつくもんさ。」
その通りかも知れん。が、ディオニスは敢えて反論を口にしてみた。
「しかし、その程度の流言ならば打ち消す事も可能な筈だ。」
「確かに噂を否定する事は出来る。だが其れは此れまでのイシュタルの政策が民達にある程度の満足感を与えており、信頼を得ていたらの話だ。其処が微妙ならば『イシュタル城だけが被害を受けていない』という厳然たる事実がある以上、人々の心から疑念を完全に吹き飛ばす事は出来なくなるだろう。」
「・・・。」
「国を揺るがせる最も効果的な方法は、指導者側と民の間に埋めがたい溝を作る事だ。そして混乱を引き起こす。これで国は簡単に内側から崩壊する。」
ディオニスは黙り込んだ。
正に今のイシュタルはその状態になり掛けている。
「こう考えると最初に幻術を施してまで城の上空に雲を作って見せた理由が解るよ。最初に逃げ道を塞いでおいて、正気を残した人間達に狂人化した人々が殺し合う姿を見せつけ、絶望を与える事が目的だったんだ。そうした上で今話した展開に持ち込めば、生き残った人間達は皇城を憎悪するだろうからな。」
カンナが口を閉じるとセシリーが尋ねた。
「カンナさん、何とかそうならない様に回避する方法は在りませんか? イシュタル帝国の混迷はセルディナ公国を始めとする周辺国に深刻な影響を与えてしまいます。何としても防ぎたい。」
セシリーの真剣な双眸に見つめられてカンナは困った様に髪を掻いた。
「と、言われてもな・・・。下手な小細工は『敵』の揚げ足取りに使われるだけだ。其れよりも今はあの雲をどうにかして祓う事が最優先、としか言えんよ。その後は『敵』に先んじてイシュタル城の働きを民に訴えるしかない。」
カンナの言葉にシオンも頷く。
「そうだな。いずれにせよ、先ずはあの雲を祓うしか無い。そうしなければ城側が何を言っても民衆の心には響かないだろうしな。」
「そういう事だ。・・・さて、どうやってあの忌々しい雲を祓い退けるか・・・。」
カンナが考え込んだ時、クリオリングが口を開いた。
「レシス様にお願いしてみましょう。」
「クリオリング様・・・! レシス様は・・・。」
ルネが制する様にクリオリングを見る。
「どうかしたのか?」
カンナが訝しげに2人を見るとルネが説明した。
「皆さんが下界に帰った後、我々はレシス様を中心にして連環の法術を執り行いました。」
「ああ、その様だな。早速執り行われるとは流石だと感心したもんさ。」
伝導者からの良い評価にルネも頷く。
「はい。ただ、連環の法術は途轍もない神性を消費するのです。」
「うん。」
「連環に戻す作業自体は天の回廊の最下層に配置されたクリスタルの神性を使用するのですが、法術を発動させるには術者の神性が必要となります。その折りにレシス様はシオン様から頂いた神性の殆どを使い果たしてしまわれました。」
「え!?」
ルーシーが驚きの声を上げる。
「レシス様は大丈夫なのですか!?」
「大丈夫です。ただ、神性そのものは大分失われてしまって元の状態を取り戻すまでにはある程度の時間が必要なの。」
「クリスタルの神性は・・・?」
シオンが尋ねるとクリオリングが答える。
「私が地上に降りてきた時点ではそんなに溜まっていませんでした。ただ、僅かな神性でも幾らかはこの雲を祓えるかもしれない。」
「やってみる価値はあると言う事か。」
カンナは唸る。
正直に言えば期待しているレシスに余り無理を言いたくは無い。しかし、大勢の人々の命が掛かっているこの場面で手を拱く理由も無い。
仕方ない。
「頼んでみて貰えるか? クリオリング殿。」
伝導者の依頼に蒼金の騎士は一礼した。
「承知。」
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
美しき女神はピクリと身体を揺らした。
彼女が最も信を置く騎士をとても身近に感じたのだ。
「クリオリング様・・・?」
『御心を騒がしてしまい申し訳在りません、レシス様。』
「いえ、良いのですよ。ご無事ですか?」
『はい。』
「そうですか、良かった。」
人として生きていた頃、一度は密かに想いを寄せた騎士との会話にレシスの心が自然と弾む。が、今は天央12神の主神として従属の騎士に使命を課した身だ。如何を問わねばならない。
「それで、どうかされたのでしょうか?」
『実は・・・』
クリオリングはレシスに先のやり取りの内容を伝えた。
「そうですか、クリスタルを・・・。」
『はい。まだ余り神性が溜まっていない事は承知していますし、次の連環の法術を行う為の大切な神性である事も承知していますが・・・。』
クリオリングの申し訳無さそうな声にレシスは首を振った。
「いえ、地上を視たクリオリング様がそう御判断為されるのならば、其れが正しいと私も判断出来ます。クリスタルを動かしましょう。」
「感謝します、レシス様。」
天遠く離れた女神にクリオリング様は頭を下げた。
レシスの声が聞こえなくなるとディオニスは呆然とした声でクリオリングに尋ねた。
「騎士殿。今の女性の声は一体・・・?」
クリオリングはルネとカンナを見る。
2人が頷くのを見て蒼金の騎士は大将軍に答えた。
「今の方は天央12神の主神で在らせられるレシス様です、閣下。」
「そんな馬鹿な・・・。」
「信じられぬのは無理ない事。今は静かに変化を待ちましょう。上手く行くにせよ行かぬにせよ、空に何らかの変化が起きるはずです。」
「・・・。」
生真面目な男と視た騎士の冗談とは思えぬ言葉にディオニスは若干気圧されながらも黙って頷いた。
天の回廊の巨体が分厚い雲海を掻き分けて悠然と動き出す。
目標地点のイシュタル帝都まではほんの少しズレるだけで届く筈だ。
最下層にて玉座に座り、意識を集中させたレシスの身体が青白い光を放ち始める。最下層の床が次々と消えて行きクリスタルを包んだ巨大なオーブが沈んで行く。
やがてオーブは外界の冷気に晒された。
レシスの神性を受けてクリスタルが青白く輝き始める。光は次第にオーブの内部に充満し始め、やがてその密度が限界点を超える。
女神の両眼が薄く開かれるとその美しい双眸がチラリとイシュタルの方向に向けられた。
『大いなる神々の慈愛よ。私レシスの名前に於いて請い願います。混乱と邪悪に嘆く地上の人々に希望の光を与えたまえ。昏く閉ざされた空に一迅の光明を。』
彼女が念じると、その思念がクリスタルを刺激し激しく光輝いた。と同時に轟音が天空に鳴り響き強烈な光がオーブから放たれる。
光は雷光の如き速度で天空を突き進むと、イシュタル上空に蠢く瘴気の雲に照射された。
「おお・・・。」
空を見上げていたディオニスが驚嘆の呻き声を上げた。
赤黒い雲に覆われた毒々しい空に薄陽が差込んだのだ。光はやがて幾本かの光条となって雲を貫き、地上に降り注がれた。その数は次々と増していき、光条が増える度に青空が見え始める。
正気を失わなかったイシュタルの民達は、最初は怯えた視線を、そして雲が少しずつ晴れ始めてからは期待を込めた視線を空に向けた。
狂気の度合いが低かった者達も争いを止めて呆然と空を見上げる。
人々が見守る中、雲を貫く光条の数は増えていき続け・・・やがて止まった。光条によって貫かれた雲の合間から顔を覗かせていた青空が再び閉じられていく。
天の回廊にてレシスの双眸が開かれる。
「これが限界・・・。」
悔しそうな呟きが女神の唇から零れた。
クリスタルは光を失い、ただオーブの中で静かに佇んでいる。彼の水晶には最早一欠片の神性も残されていない。再び溜まるには相当の時間を要する事だろう。
「あと一歩だったな・・・。」
天を見上げる伝導者から残念そうな声が漏れる。
「駄目だったのか・・・。」
カンナの表情を見てシオンも表情を暗くする。
しかしルーシーが強い光を双眸に宿らせて言った。
「でも、レシス様は可能性を見せて下さいました。強い神性を与えればあの雲は祓えます。」
「ルーシー・・・。」
シオンが感嘆するように愛する少女の横顔を見つめた。長い間、たった1人で辛い運命に立ち向かいながら生きてきた少女の折れない強い心に全員の思考が導かれていく。
「確かにルーシーの言う通りだ。こうなれば俺とルーシーの神性を使ってでも雲を祓う事を考えよう。」
シオンがカンナを見ながら提案するとクリオリングとルネも頷いた。
「その時は私の神性も使って頂きたい。もとはシオン殿の神性だ。遠慮は不要です。」
「私の神性もヤートルード様からお借りした物です。是非使って下さい。」
4人の視線を受けてカンナは顔を顰めた。
「・・・気は乗らないが・・・仕方無いのか・・・。」
若き勇者達の貴重な神性を一気に失わせたくは無い。ノームの伝導者は本当に気が進まなかったが、渋々了承するしか無かった。
「ならば・・・。」
カンナは決断し方針を口にする。
その時、空が動いた。




