69話 ミシェイルの頼み事
「アイシャ!」
周囲にイシュタル城への避難を訴えながら馬を駆るアイシャの耳に、聞いた事のある声が飛び込んで来て薄い金髪の少女は馬を止めた。
素早く視線を走らせると街角から手を振る大柄の戦士の姿が見える。
「ゼロスさん!」
アイシャが名を呼ぶとアイシャの腰にしがみついていたカンナが尋ねた。
「誰だ?」
その問いにアイシャが軽く説明するとカンナは得心したように頷いた。
「なるほど。ウェストンから指示を受けて紐付き以外の密偵を探っている連中がいると言うのは聞いていたがアイツらがそうか。」
アイシャが馬を寄せるとゼロスが真剣な面持ちで話し掛けてきた。
「あの雲のせいか知らんが急に皆がおかしくなっちまった。アマラもあの通りだ。」
そう言って路地の奥を指差すと長着に身を包んだアマラが苦しそうに蹲っている。
「今はソレーヌの魔法で耐えているみたいだが・・・限界が近そうなんだ。」
「カンナさん、どうにかなりませんか?」
アイシャが後ろに跨がるカンナに尋ねるとカンナはポンと馬から飛び降りてアマラに近寄った。
「おい、アイシャ。あのちびっ子は・・・?」
「彼女はカンナさんです。」
そう言ってアイシャがゼロスにカンナの素性を話すとゼロスは驚愕の表情になったが、直ぐに路地の仲間に声を掛ける。
「お前ら、その子に任せろ。」
「あ、ああ。」
エンディカとジルダは戸惑いながらも了承する。
カンナはしゃがみ込むとソレーヌに尋ねた。
「お前さん回復師だな? この娘の状態はどんな感じだ? お前さんの感じたままに喋って貰って構わないから教えてくれ。」
アマラを指して娘と呼んだ事に若干引っ掛かりながらもソレーヌはカンナの問いに答えた。
「良好とは言い難いわ。『鎮静』の魔術を施しているけどかなり強力に抵抗されてる。イメージ的には湧き上がる水を必死に手で押さえようとしている感じで殆ど効果は見込めていないわ。」
「うん。」
カンナは頷くと翠眼を光らせて俯くアマラの顔を覗き込んだ。
「・・・あ・・・」
カンナを見てアマラは何かを言い掛けるが言葉にならない。
そんな彼女の頭をカンナは優しく撫でた。
「良く頑張ったな、大丈夫だ。お前さんは心が強い。あともう少しは保つ。その間に仲間が安全な場所に連れて行ってくれるぞ。もう少しの辛抱だ。」
「・・・。」
カンナの言葉にアマラはコクリと頷いた。
カンナは立ち上がると厳しい表情でゼロスに言った。
「お前達、この娘を連れて直ぐにイシュタル城へ行け。出来る限り早くだ。」
「わ、判った!」
「ソレーヌと言ったか? お前さんは鎮静ではなく浄化の魔術を施せ。出来るか?」
「は、はい。」
ソレーヌが直ちに魔術を切り換えて浄化の魔術を唱え始めるとアマラの表情が少し和らいだ様に見える。カンナはその様子を確認すると今度はエンディカとジルダを見た。
「お前達2人は早急に馬車を見つけて来い。この状態だ。放置された馬車は幾らでも見つかる。」
「よ、よし!」
2人は立ち上がると駆け出して、あっという間に争乱の只中に消えて行った。
最後にカンナはゼロスに視線を向ける。
「お前がリーダーだろ? いいか? 一刻を争う事態だと知れ。今はあの娘の精神力の強さで何とか保っているがそう長くは続かない。もし『呑まれ』ればあの娘も半狂乱になって魔術を乱発し始めるぞ。」
「わかった。直ぐに連れて行く。」
「イシュタル城に着いたらルーシーと言う娘を訪ねろ。必ず力になってくれる。」
「すまない、助かる。礼は後で必ずする。」
ゼロスはそう言うとアマラの下に戻っていった。
「よし行こう。」
カンナがアイシャにそう言うと、アイシャは頷き敬愛の表情を浮かべながら自分に向かって両手を伸ばす小さな伝導者の腕を取ってを馬上に引っ張り上げた。
帝都は既に至るところから火の手が上がり始めている。大火と呼ぶほどでは無いが赤黒い空と殺し合う民達の様相も相俟って、まるで地獄が現世に出現したかの様だ。
「皆、イシュタル城に逃げろ! 城の中は安全だぞ!」
ミシェイルは馬を駆りながら声の限りに叫んで回った。
ミシェイルの叫びを耳にした何人かがイシュタル城に向かってノロノロと動き始める。彼等はまだ正気を保っている様だ。
彼等の無事を心から祈りながらミシェイルは馬を走らせ続ける。
その時、刻を告げる鐘が鳴った。四回。
ミシェイルは馬を止めた。そろそろ戻らなくてはならない。其れに三の鐘が鳴った当りからずっと走らせ続けて来た馬の方ももう体力が限界だ。
まだ自分が声を掛け続ければ先程の彼等の様に導ける人達が居る筈だ。しかし・・・。ミシェイルは自身の変調にも気付いていた。まだまだ充分に制御は出来るが強い衝動が込み上げてきている。強烈に後ろ髪を引かれながら馬をイシュタル城の方向へ向けた。
そしてその男を視界に収めた。
「アシャ・・・。」
アシャはミシェイルが自分に気が付いた事を確認するとミシェイルに近づいた。
「ご苦労な事だな。」
皮肉交じりの言葉にミシェイルは苦笑いを返しながら尋ねた。
「お前は平気なのか?」
アシャはチラリと空に視線を向けた。
「あの雲の事か? アレは瘴気だろう? 曲がりなりにもオディス教徒だった俺にあの程度の瘴気は通用しない。ただ確かに破壊衝動は普段より強くなるがな。」
「そうか。」
ミシェイルは頷いたがふと興味を持って訊いてみた。
「あの雲を祓う方法は無いかな?」
「・・・。」
アシャは再び双眸を空に向ける。
「知らんよ。瘴気って奴は自然に湧くモノも在れば術者に導かれて発生するモノも在る。アレは多分後者だろうがその場合は術者に祓わせるか術者自身を殺すしか無いな。或いは強烈な相反する力をぶつければ祓えるかもな。」
「そうか、わかった。・・・お前ももし気が向いたらイシュタル城に行くと良い。彼所は瘴気の影響を受けていない。」
「・・・受けていない・・・?」
ミシェイルの助言を聞いてアシャは訝しげに首を傾げた。
「どうした?」
「・・・何故イシュタル城だけ影響を受けていないんだ?」
「ああ、それは・・・」
ミシェイルがカンナから聞いた話しをアシャにするとアシャは眉間に皺を寄せた。
「俺はてっきりイシュタル城が狙いなのかと思っていたが違うのか?」
「イシュタル城が狙い?どういう事だ?」
「オディスは国に混乱を引き起こすとき、必ず国のトップを狙う。今回もその策を使うなら、正にこの雲がその手段じゃないのか、と思ったんだがな。だがイシュタル城だけが無事なのなら違う様だな。」
「確かに・・・。」
ミシェイルも疑念を覚えた。
言われて見れば確かにそうだ。シオンも以前にそう言っていた筈だ。オディス教は国の中枢に入り込み人々の心に毒を流し込んでいくと。
先程までは疑いもせずオディス教徒の仕業だと思っていたミシェイルだったが、アシャに言われて振り返って見れば確かにイシュタル城だけが無事なのは違和感を感じる。
ミシェイルの表情を見た後、アシャはイシュタル城に視線を向けた。
「そう言えば皇帝は中々にクセの強い御仁だと聞いた事がある。」
「・・・?」
突然、話しを切り換えたアシャの言葉の意図が解らずミシェイルは無言で彼を見返す。が、直ぐに彼の言わんとしている事を察して表情を引き攣らせた。
「まさか皇帝陛下がオディス教と繋がっているとでも言うつもりか?」
「・・・俺は何も言っていないさ。クセが強い、としかな。だがそんな言葉1つだけでお前がそう考えるのなら、お前の無意識の内にもそんな疑いが在ったんじゃ無いか?」
「・・・。」
そうかも知れない。
殊、ディオニス大将軍から聞かされたリンデル皇子幽閉の話しを聴いた後では尚更その疑いは自分の中に在ったかも知れない。
ミシェイルはアシャを見た。
「アシャ。一緒に来て欲しい。」
「何を言う。」
アシャは呆れた様な表情でミシェイルにそう返した。が、ミシェイルは引き下がらず真剣な面持ちで食い下がった。
「頼む。お前にやって欲しい事があるんだ。だが、俺の独断で依頼してはお前に迷惑が掛かる。だからお前にも一緒に来て貰ってカンナさんやイシュタル城の人に許可を取りたい。」
「何を馬鹿な事を。お前の頼みを聞いて俺に何のメリットが在るって言うんだ?」
「お前に得は無いかも知れない。だが頼みたい。金は俺が払う。」
「・・・」
何かを探るようにアシャは真剣なミシェイルの顔を無言で見つめていたが、やがて盛大に溜息を吐いて呟いた。
「盛大な馬鹿野郎が居たもんだ。」
アシャは渋々とミシェイルの後ろに跨がった。
イシュタル城の大正門から城までに広がる広大な庭は混乱の真っ只中だった。
看護兵に城の雑務係り、魔術師に神官、侍女や内勤者達までが駆り出され、命からがらで逃げ込んできた帝国民達を急遽仮設された大小様々なテントまで誘導し保護していく。
凶暴化仕掛けていた者達は直ぐに収まりを見せたが、怪我をした者も多数おり此方は直ぐに手当てをされていく。
呻き声と泣き声、血の臭いと薬草の臭い、不安と緊迫感が一帯を包み込み、此処は此処で異様な空間と化していた。
「2人は戻ってきたか?」
アイシャの駆る馬からピョンと飛び降りたカンナは、そんな中で忙しそうに動き回るセシリーに声を掛けた。
「カンナさん、戻ったんですね。」
セシリーが答える。
「シオンとミシェイルは未だ戻って来ません。でもさっき『カンナさんに言われて来た』と言ってゼロスさんのパーティがルーシーに会いに来ました。」
「おお、そうか。無事に着いたのなら何よりだ。あの魔女ッ娘は大丈夫だったか?」
「魔女ッ娘って・・・アマラさんの事ですか? ええ、彼女なら今ソレーヌさんの付き添いの下で眠っています。」
「そうか。・・・あの冒険者達にも話し合いに加わって貰うか。結構強そうだったしな。」
「結構強そうって・・・セルディナでナンバーワンのパーティですよ。あの人達。」
「おお、そんなに強いのか。じゃあ、尚更だな。」
アリスとノリアの手伝いを受けながら、怪我の酷い人々に薬草術と回復術を施し続けるルーシーの背中にカンナは声を掛けた。
「ルーシー、少し休め。お前が疲れては元も子もない。」
「あ、カンナさん、アイシャ。いつ戻って来たんですか?」
ルーシーの問いにカンナは苦笑した。
やがてシオンが馬を駆り戻って来た。その後ろには蒼金の騎士とエルフの女神が付いている。
「ルネ!」
「ルーシー!」
2人が嬉しそうに手を握る横でカンナがクリオリングに声を掛けた。
「天界最強の戦士殿と天央12神の女神も来られるとは心強いな。」
「レシス様の命にて参りました、伝導者殿。この身、存分にお使い下さい。」
「うん、レシス様には感謝しなくてはな。ところでレシス様の状況も後で教えてくれんか?」
「畏まりました。」
クリオリングはカンナに一礼する。
「ミシェイルは「まだ戻って来ないのか?」
シオンがアイシャに尋ねると少女は不安げに頷いた。
「うん・・・。大丈夫かな?」
「仮に争いに巻き込まれた処でアイツがどうこうされる事は無い。ミシェイルはもうそんなレベルには居ない。だが・・・」
シオンは瘴気の空を見上げる。あの雲は確かに不安材料だ。
――様子を見に行った方が良いか・・・?
そう迷った時、大正門から金髪の少年が馬に乗って駆けてきた。
「ミシェイル! 無事だったか・・・。」
シオンは一瞬破顔するもミシェイルの後ろに跨がるアシャを見て言葉を止め神剣残月を引き抜いた。
「ミシェイル、後ろ・・・!」
アイシャも悲鳴に近い声を上げながら腰のダガーを引き抜く。
「待て、待ってくれ。」
2人から溢れる強い警戒心を感じ取ってミシェイルは慌てて弁明する。
「アシャには俺が強く要望して付いてきて貰ったんだ。」
「・・・。」
シオンはアシャを観察し黙って残月を鞘に収めた。アイシャもシオンを見て戸惑いながらも彼に倣いダガーを仕舞う。
「どういう事か説明を求めるぞ、ミシェイル。」
カンナが若干呆れた様な表情でミシェイルに言うと少年は首肯しながら答えた。
「勿論です。実は彼にやって貰いたいと思う事が出来たんだけど、カンナさんが其れについてどう思うか解らなかったのでアシャにも付いてきて貰ったんです。」
「ほう、やって貰いたい事・・・。」
カンナは少し興味を惹かれたのか先を促した。
「詳しく話せ。」
「ちょっと此処では・・・。」
人々でごった返した光景にミシェイルが口籠もるとカンナは頷いた。
「解った。では場所を移そう。さっき大将軍と話したあの控え用の小屋で良いな。ルーシー、セシリー、みんなちょっと来い!」
カンナは少女達を呼ぶと建物に足を向けた。
「で、この男にやって貰いたい事って何なんだ?」
全員が腰を落ち着けた処でカンナが尋ねるとアシャもミシェイルに訊く。
「そうだ。俺はまだお前から何も聞いていないが何をさせる気なんだ?」
ミシェイルは腰に下げた木筒の中の水を飲むと答えた。
「その前に話しておきたい事があります。」
そう前置いてミシェイルはアシャと話した内容を皆に語った。
聴き終えてカンナは腕を組んだ。
「皇帝がオディス教徒と繋がっている可能性か・・・。」
「はい。」
「ミシェイル、お前・・・。」
シオンはミシェイルの考えを察したらしく呆れ顔になった。
ミシェイルは頷いた。
「ああ、アシャには皇帝の身辺を探って貰いたいんだ。彼は潜入が得意なんだ。」
「お前は馬鹿か。」
アシャが間髪入れずにそう言い、其れを聞いたアイシャの眉が跳ね上がる。
「ミシェイルを馬鹿にしないで!」
「いいや馬鹿だな。」
「何を!?」
いきり立つアイシャを押さえながらミシェイルはアシャに尋ねた。
「アシャ、俺がとんでもない事を言っているのは自覚している。が、お前が俺を馬鹿だと言う其の理由を教えてくれないか?」
アシャはフゥと溜息を吐いた。
「いいか? 王族って言うのは優秀な『影』を雇っているんだ。」
「影?」
ミシェイルが首を傾げるとシオンが説明する。
「呼び方は様々なんだがいわゆる護衛だな。ただ近衛隊と違うのは天井裏など誰の目にも触れない場所から密かに主を護り続ける点だ。更には情報収集や敵陣営の攪乱など役割は多岐に渡る。当然、腕は立つんだが戦闘スタイルに決まった形はなく、魔術の使い手であったり剣の使い手だったり様々だ。ただ基本的に熟練の使い手で複数人に囲まれれば生還は難しい。」
「そういう事か・・・。」
ミシェイルは残念そうに呟いた。
アシャがシオンの説明を継ぐ。
「当然、皇帝とも為ればその優秀な影は何人居るか判ったものではない。そんな所に忍び込めば正に自殺行為さ。」
「判った。アシャ、無理を言ってすまなかった。」
「待って下さい。」
考えを取り下げるミシェイルをルネが制した。
「どうした女神殿?」
カンナが尋ねる。
「もし良ければ私が精霊魔法でサポートする事は出来ます。」
「本当か?」
「はい。風の精霊は運び去るものです。その特性を以てこの方の気配を運び去り周囲に気付かれない様にする事は可能です。」
カンナは思案する。
「何処まで気付かれない?」
「シオン様やクリオリング様レベルの人にはあっさりと看破されてしまうでしょうが、少々鍛えた程度では隣りに立たれても気付かないくらいには気配を悟らせません。」
「ほう・・・。」
ノームの娘は興味深そうにルネを見遣った。
「ですが此れはかなり集中力を要する精霊魔法です。なので掛けている間、私は一切動けなくなります。」
「なるほど。」
カンナは再びアシャを見た。
「と言う事だ、色男。潜入の件、引き受けては貰えんか?」
「・・・金貨100枚だ。」
「よし私が出そう。」
断らせる為に出した条件をカンナが是と即答した為にアシャは言葉を失う。
慌てたのはミシェイルだった。
「カ、カンナさん! 俺が言い出した事だ! 俺が出すよ!」
だがカンナは首を振る。
「馬鹿者。こういう時は年長者の顔を立てるものだぞ。若造は引っ込んでろ。」
「だけど・・・」
「ミシェイル、カンナはああ言いだしたら絶対に受け容れない。此処はカンナに任せよう。」
シオンが苦笑いを押し殺してミシェイルを説得する。
「・・・。」
ミシェイルは申し訳無さそうにカンナを見ていたがやがて頷いた。
「有り難う御座います、カンナさん。」
「礼など要らんよ。」
カンナが笑う。
ミシェイルは続いてアシャを見た。
「アシャ、頼む。引き受けて欲しい。俺に出来る事は何でもする。」
「・・・。」
アシャは暫く絶句していたが溜息を吐いてカンナを見た。
「金貨100枚は本気だぞ。」
カンナもアシャを見返す。
「当たり前だ。此方も本気で払う気でいる。」
「よし、引き受けてやる。」
アシャはそう言うとミシェイルを見た。
「お前みたいな馬鹿を見たのは初めてだよ。」
不思議と其の言葉に悪意は微塵も感じられなかった。




