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神の去った世界で  作者: ジョニー
第4章 混沌のイシュタル
161/214

65話 皇帝と皇子



 帝都イシュタル。




「・・・。」


 最初は通りに出て響めきながら空を見上げていた人々もやがて其の口数は減っていき、暫くすると皆無言で空を見上げるばかりとなった。


 そしてやがては1人2人と通りから立ち去り、何事も無かったかの様にいつもの生活に戻って行った。




「余り騒ぎになりませんね。」


 シオンを見送ったあと、人々の様子を伺っていたカンナ達だがアリスが訝しげにそう呟いた。


「妙ね。空があんな風になっていると言うのに。」


 ノリアも首を傾げる。


「みんなあの雲が瘴気の塊だと言う事を知らないにしても、あんな不気味な空を見たらパニックになってもおかしくないのに・・・。」


 アイシャも納得いかない表情だ。


「カンナさん、なんで皆あんなに落ち着いて居られるんだろう?」


 ミシェイルがカンナに尋ねるがカンナも首を傾げるばかりだ。


「解らん。私もあの雲が悪影響を及ぼすとしたら人々に不安感を与えてパニックを引き起こす類いのモノだとばかり思っていたが・・・。」


 カンナもそう答えながら周りの人々を見た。彼等は不安を感じるどころかとても穏やかな表情を浮かべている。


 だが。今のこの状態でまるであの空の変化を忘れてしまったかの様に日常生活を送り始めた人々に、カンナは逆に狂気染みた異常さを感じた。


「・・・とにかく注意しながら行こう。」


「行くって何処へ・・・?」


 尋ねるセシリーにカンナが答える。


「セーラムウッド教会だ。」


「セーラムウッド教会ですか? もう司祭様はお城に呼ばれていらっしゃらないですよ?」


 ルーシーが首を傾げるとカンナは首を振った。


「いや、司祭に用があるんじゃない。用があるのは彼所に置かれて居る天央の剣だ。この空はひょっとしたら天央の剣に呪いを施す為の儀式か何かなんじゃないかと思うんだ。」


「あ・・・!」


 ルーシーが弾かれたようにハッとカンナを見る。


「そうかも知れませんね。」


「だろ? 急ぐぞ。」


 カンナはそう言うと一行の先頭を歩き始めた。






 異常な空の色以外はいつもと何も変わらない日常。


 人々は知り合いに会っては和やかに挨拶を交わし、店に入っては冗談を言いながら買い物を済ませ、仕事に向かっては程良い緊張を胸に秘めてその日に為すべき事を熟していく。帝都全体には地面に薄い靄が漂い始めていたがまるで誰も気が付いて居ないかの如く其れを気にする様子も無い。




 そんな当たり前の生活が送られる中、少しだけ揉め事が起きた。


「おい、痛ぇじゃねぇか。」


 人々が擦れ違う雑踏の中で体格の良い男同士の肩がぶつかり片方がぶつかった相手に文句を言ったのだ。


「そっちがぶつかって来たんだろうが。」


「ああ?」


 睨み合う2人。


 良く見る光景だ。




 だが今日はいつもと違った。


「・・・。」


 突然片方の男が虚ろな表情で手にしていた大きな片刃の短剣を相手の胸に突き立てたのだ。


「!?」


 刺された男は驚愕の表情で自分の胸に突き立てられた短剣を見た後、刺した男を見た。


「おま・・・え・・・。」


 何かを言い掛けた男は口中から大量の血液を溢れさせて地面に倒れ伏した。


「キャーッ!!」


 悲鳴が上がる。


 其れを切っ掛けに街道に異常な喧噪が広がっていく。


「死んだぞ!?」


「人殺しだ!」


 その響めきに短剣を手にした男の表情が一変する。


「ウゥゥゥオォォォッッッ!!」


 魔獣の咆哮の如き途轍もない叫び声を上げると焦点の定まらない双眸に凶暴な光を宿らせて周囲の人々に襲い掛かった――。




 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆




「殿下に申し上げます。」


 騎士がリンデルに報告する。


「うむ。」


「現在、帝都の複数箇所で暴動が発生しております。」


「何だと。詳しく話せ。」


 険しい視線で尋ねるリンデルに騎士はやや緊張した面持ちで答える。


「は。帝都の至る所で人々が突然凶暴化し周囲の人々に襲い掛かっています。死傷者数は確認出来ていませんがかなりの数に上ります。また現在、帝国騎士団と兵士団で対応して居りますが報告に拠れば凶暴化した人間以外の帝国民達も全員殺気立っているとの事です。」


「・・・あの雲が原因なのか?」


 リンデルは外に視線を移し、忌々しそうに赤黒い空を見上げる。


「解りませんが恐らくは。」


「瘴気の塊・・・クソッ!」


 リンデルは拳を机に叩き付けた。


「殿下・・・。」


 心配げに言葉を掛ける騎士にリンデルは視線を向けた。


「とにかく動かせる騎士達を総動員して民達を止めよ。彼等はあの雲の影響を受けているだけの可能性が高いのだ。」


「は。」


 退室した騎士を見送ると、リンデルは数日前に交わした第2皇子イアンとの会話を思い出した。




『リンデル、私はもしかしたら殺されるかも知れん。』


『!? どう言う事ですか、兄上。一体誰に?』


 驚いて訊き返すリンデルに兄皇子は首を振って答えた。


『まだ言えない。だが、もし私が殺された場合は王室書庫で銀栞の本を探して欲しい。其処に私が調べた「とある人物」の悪事の証拠を隠している。』


『兄上・・・。』


 病弱ではあったが3兄弟の誰よりも聡明だった第2皇子。


 皇太子のヴェルノも「イアンがその叡智で内政を助けてくれるから俺は皇帝になる事に何の不安も感じて無い」と豪快に笑いながらリンデルに話してくれた事がある。


 皇太子からも信頼厚いイアンが普段の温和な表情を消して真剣な眼差しをリンデルに向ける。


『頼んだぞ。』


 リンデルはあのイアンの眼差しを忘れる事は無いだろう。


 そしてイアンが殺されリンデルは兄皇子の遺言に従って王室書庫に向かい知る事になった。イアンがリンデルに託したかった事を。




 リンデルは立ち上がった。


 ――やはり確認せねばなるまい。


 悲壮感さえ漂う程の覚悟を滲ませながら帝国の第三皇子は執務室を後にした。






 ヴィルヘルムは窓から赤黒い空を見上げていた。


 あの雲は邪教徒共の仕業なのか?


 いや、そうとしか考えられまい。未だ嘗てあの様に禍々しい雲に帝都が覆われた事実など在りはしない。勿論、過去の文献にも其の様な記録は無い。少なくともヴィルヘルムは聞いた事が無かった。で、在ればあの雲は超常の現象だ。魔法か何かは判らないが、とにかく自然の摂理に拠って発生したモノでは無い。


 そして問題はあの雲が帝国にどのような影響を与えるかだ。


 近衛の報告に拠れば帝都の至る所で暴動が発生していると聞く。現在、騎士団が懸命に対処している様だがアレが邪教徒の操る怪しげな術の類いならば沈静の効果は期待出来まい。


 邪教徒は『騎士団を使い我らの用意した脅威を討ち払え』と言っていた。だがあの雲は騎士団などで対処出来るようなモノでは無い。其れでは邪教徒の指示と今の現状が咬み合わない。


 ではアレは邪教徒とは関係無く発生したモノなのか?邪教徒の作戦が判らないヴィルヘルムは其処に不安を感じる。




『・・・陛下。』


 思案に耽るヴィルヘルムに天井裏から低い声が漏れてきた。


「影か。」


『は。』


「如何致した。」


『リンデル殿下が此方に向かっております。昨日、殿下は王室書庫で例の資料をご覧になられております。其れについてでは無いでしょうか?』


「・・・。」


 影の言葉にヴィルヘルムは一瞬だけ表情を顰めるが「去れ」と片手を振って見せた。天井裏から気配が消え、暫くすると近衛兵からリンデルの来訪が告げられる。




「父上、朝のお忙しい時間に申し訳在りません。」


「構わん、どうした。」


 帝国で最も高貴な親子は豪奢なソファに身を預けて言葉を交わす。


「現在、帝都内部で混乱が起きています。」


「聞いている。民の一部が狂った様に暴れ回っているそうだな。騎士団が対応していると聞いているが。」


 ヴィルヘルムの認識にリンデルは首肯する。


「はい。ちょっとした揉め事から殺人事件に発展してしまい大騒ぎになる、といった騒ぎが至る箇所で起きているそうです。」


「うむ。」


「原因は未だ不明ですが、あの雲が原因だと私は思っています。確証は在りませんが。」


「対応は其方に任せる。良きに計らうがいい。」


「は。」


 リンデルは皇帝の命に頭を下げる。




 ヴィルヘルムは内心で息を吐いた。その事での報告か、と。


 あの件についてで在れば只で済ます訳には行かなかったが、現状の報告で在れば其れで良い。




「それと父上。」


 リンデルは頭を上げながら呼び名を変えた。その視線には先程とは違う激しい感情が秘められていた。


「・・・なんだ。」


 何かを感じ取ったのかヴィルヘルムの表情も自然と厳しくなる。しかしリンデルは皇帝の威圧に怯む事無く言葉を繋ぐ。


「イアン兄上の死について父上に確認したい事があります。」


「・・・。」


「イアン兄上はご存知の通り、先日突然発狂したプリンスガードに惨殺されました。そしてその騎士も黒い血を吐き散らして絶命しました。」


「そうらしいな。」


 ヴィルヘルムは空々しく首肯する。


「・・・。」


 その態度にリンデルの表情は厳しくなったが直ぐに表情を元に戻して話しを続ける。


「黒い血を高名な薬師や魔術師達に調べさせましたが何も解りませんでした。」


「うむ。」




 そうだろうな、とヴィルヘルムは思う。


 どの様にして掛けたかは知らないが自分達が得意とする術に人を発狂させる魔法があると邪教徒は言っていた。そして連中の扱う術は専門的に研究している者にしか判別出来ないらしい。まさかプリンスガードが其の邪教徒の術に掛かっていたとは思うまい。


 その術を使ってでもイアンは始末する必要が在った。


 確かに我が子では在るが別に自分の跡目を継ぐ息子はイアン1人では無い。其れよりもイアンがヴィルヘルムと邪教徒の密会に勘付いてしまった事実をどうにか処理する事の方が重要だった。それにその他の事でも自分の周辺を嗅ぎ回っていたイアンはいつか始末しなくてはならず、今回の邪教徒の提案はそんな事情を抱えるヴィルヘルムには都合が良かったのだ。


 兎にも角にも邪教徒に精通していない限りは原因を掴む事は出来はしない。皇族として皇城に居る事が殆どのリンデルでは邪教徒に気付く事は在るまい。


 その筈だったが――。




「ですが私の知人が1つの可能性を挙げてくれました。」


「・・・可能性?」


「はい。」


 ヴィルヘルムは嫌な予感に囚われる。


「あのプリンスガードが発狂したのは魔術のせいでは無いか、と。」


「・・・フ・・・。」


 リンデルの台詞にヴィルヘルムは鼻で笑った。


「何を戯けた事を・・・。」


「セルディナを襲った邪教異変の中心に居たオディス教徒なる者達は『奈落の法術』と呼ばれるケイオスマジックの一種を得意としていたそうです。」


「!」


「その術は死者の怨念を利用して様々な不可思議を可能にするそうです。そして奈落の法術は人の心に悪しき作用を施す事も簡単に行えるとか・・・。」


 リンデルは其処まで言って父皇の表情を伺った。


 そして確信する。


 ――当たりか・・・。


 深刻な情けなさが彼の胸に去來する。


「恐らくは何者かがプリンスガードにこの術を施しイアン兄上を殺害させた。」


「何者も何もそのオディス教徒なる者達がしかけたのだろうが。」


「無論。いつ、どの様に仕掛けたかは不明だとしても直接仕掛けたのは其者達なのでしょう。だが其の事実の裏でそうなるように手引きした者が居る、と私は踏んでいます。」


 ヴィルヘルムは凄まじい視線をリンデルに向けたが、リンデルも負けじと鋭い視線をヴィルヘルムに向ける。


「其れは貴方だ、父上。」


「リンデル! 何を証拠に其の様な世迷い言を抜かすか!」


 皇帝が吠えた。


 其の怒号を皇子は受け流すと静かに口を開いた。


「イアン兄上は貴方の此れまでの世には出せぬ行いを調べていらっしゃいました。其の1つ1つを挙げていては切りが有りませんが、1つ決定的に見逃せぬ行いを貴方はしており兄上は其れに感づいていらっしゃいました。」


「・・・。」


「父上。邪教徒と繋がっておられますね?」




 ヴィルヘルムは眼を閉じた。


 そしてその眼を開けた時、皇帝の双眸には極めて冷酷な光が宿っていた。


「残念だよ、リンデル。」


 その声はゾッとするほどに低かった。


「余は2人もの息子を失わなくてはならない運命に憤りを感じずには居られない。」


「・・・。」


 ――良く言う。


 嘯くヴィルヘルムにリンデルは激しい怒りを覚える。


「だが余には皇太子たるヴェルノがいる。」


「だから知ってはならない事を知ってしまった私もイアン兄上同様に始末すると?」


 リンデルの問いにヴィルヘルムは直接は答えず口の端を上げるに留めた。そして扉の外の近衛兵達に声を掛ける。


「誰かある!」


 扉を開けて入室してきた近衛兵にヴィルヘルムは命じた。


「リンデルが乱心した。この乱心者を牢に入れておけ。」


「・・・。」


 近衛兵達は予想外の命令に困惑し互いに視線を交わし合うが、理由はどう在れ至尊たる皇帝の下命である。


 彼等はリンデルを拘束した。




 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆




「たった1日で・・・。」


 リカルドは絶句した。




 大主教の眼下には狂った様に大神殿に押しかける人々と其れを必死になって押し留めるテンプルナイツの衝突する光景が広がっていた。


 昨日も法皇周辺の人間達に不満を持つ者達がデモで集まってきていたが、昨日集まった者達は其れでも冷静だった。


 だが今、下に集まっている連中の眼はどうだ。血走っており誰一人冷静な人間は居ない。中には棒の様な物を手にしている者まで居る。下手をしたらテンプルナイツの制止を突破して来そうな勢いだ。




「どうするか・・・。」


 リカルドが青ざめて呟くとパブロスが余裕の表情を浮かべて言った。


「テンプルナイト達に任せましょう。いくら連中が殺気立っているとは言っても所詮は只の平民だ。テンプルナイトの敵では無い。」


「そう・・・だな・・・。」


 パブロスの意見にリカルドも納得しきっては居ないが頷いた。




 それにしても何という変化か。この変化はやはりあの空の色に関わりがあるのか。


 そう思いながらリカルドは眼下の様子を眺め続ける。




 破綻は唐突に起きた。


 テンプルナイトの一人が棒を持った男に殴り倒された。途端に堤防が決壊したかの様に人々は怒号を上げながら他のテンプルナイトを押しのけ大神殿内部に突入した。


「法皇猊下を救い出せ!」


「主教達を捕らえろ!」


「悪党に裁きを!」




 そして長い歴史を誇るイシュタル大神殿は混沌の渦に呑み込まれて行く。









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