64話 動揺
「ふぅ・・・。」
シオンは宿屋のベッドで目覚めると溜息を吐いた。
昨日はカンナの提案で天央12神の主神レシスに法皇の居場所を尋ねてみた。
正直に言えば「何を言い出すんだ、コイツは。」と思わなくも無かったが、カンナは本気で呼び掛けるための魔法陣を宿泊部屋の床に描き始めた。
『多分、出来る。』
とノームの娘は宣言をして本当にレシスと言葉を交わし始めた時には絶句したモノだが。いや、絶句していたのはシオンだけでは無くその場に居た全員だったが。
『お久しぶりですね、カンナ様。』
呼び出されたレシスの声は全員の頭に直接響いてきた。
「だ、誰!?」
「誰の声ですか、コレ!?」
混乱するアリスとノリアをセシリーが落ち着かせてから「黙って聞いている様に」と諭す。2人が怯えた表情をしながらも頷くのを確認するとカンナはレシスに話し始めた。
『うん、久しぶりだレシス様。』
無礼の権化の様なカンナもレシス様にはちゃんと「様」を付けるんだな、とシオンは意外な気持ちで2人のやり取りを聞く。
カンナはレシスに現在の状況を伝え、レシスに法皇の所在が判るかを尋ねてみた。が。
『・・・法皇を感じる事は出来ません。』
『そうか・・・。何処かに隠されていると言う事で良いのだろうか?』
『そうですね。』
『殺されている、と言う事は無いだろうか?』
その問いに少し間を置いてレシスは返答して来た。
『・・・イェルハルド法皇の魂は迎えていません。』
『判った、なら良いんだ。地道に探すしかないな。』
『私の方でも何か出来る事を検討しましょう。』
『助かるよ、主神殿。』
カンナとレシスの会話はそうやって終了した。
この世界を守護する主神にまで協力を求めたカンナのクソ度胸には呆れるばかりだが、レシス様に現状を把握して貰っただけも心強い。
シオンは隣のベッドで寝ているミシェイルを起こそうと自分のベッドを抜け出して立ち上がった。その時、廊下を走ってくる複数の足音に気付く。
『どうなってんだ!?』
『悪い事がきっと起きるぞ!』
慌てふためく幾つもの声が駆け抜けていった。
「なんだ?」
シオンはミシェイルを起こすと着替えて部屋を出る。
他の宿泊客は皆、宿の外に出て行った様だ。
「何か起きたのか?」
ミシェイルと訝しげに宿の入り口に向かって歩き出す。途中でルーシー達とも合流すると一行は宿の外に出て絶句した。
「なんだ、あの空は・・・。」
漸く其れだけを喉から絞り出す。
天空を覆い尽くす赤黒い暗雲が低く・・・本当に低い位置に垂れ込めている。その赤黒い雲から漏れてくる陽光が雲の色を纏って帝都全体を毒々しい赤に染め上げていた。
「何なんだよ、あの雲の色は。」
ミシェイルも言葉少なく呻く。
「・・・雲では無い・・・。」
翠眼を光らせて空を睨んでいたカンナが掠れた声で呟いた。その額には汗が滲んでいる。
「あれは・・・。」
同じく紅眼を光らせていたルーシーがカンナの言葉を継ぐ。
「瘴気の塊だわ・・・。」
シオンはルーシーを見て訪ねた。
「瘴気って、あの邪教徒達が操る瘴気の事か?」
「ええ。」
ルーシーが頷き、カンナが滲んだ汗を拭いながら言った。
「信じられん。あんな量の瘴気が生まれてしかも雲のように上空を覆い尽くしているなんて光景は流石に見たことが無い。」
シオンはジッと見上げる。
「其れほどなのか・・・?」
シオンから見れば、瘴気は奈落に溜まる大気の様なモノだとカンナから説明を受けていた。だから大量に瘴気が出て来たこと自体は余り不思議に感じなかった。
「あのくらいの量は在るんじゃないのか?」
「・・・こと量に限って言えば寧ろあんなモノじゃ無いだろうさ。ただあの量を地上に上げて雲のように空を覆い尽くすなど・・・一体どんな術を使えばあんな事が出来るのか・・・。奈落の法術とは底無しなのか?」
激変した帝都の状況に圧倒された上、カンナの戸惑う様な声に一同は更なる不安を掻き立てられる。
「カンナさん、アレは悪影響を与えてくるのでしょうか?」
セシリーの問いにカンナは首を振った。
「解らん。過去の伝導者達の記憶の中にもこんな風景は無かった・・・と思う。少なくとも私は見ていない。が、可能性として1つ懸念する事がある。」
「・・・。」
セシリーは不安げに生唾を飲み込む。
「瘴気って言うのは不安、憎悪、怒り、悲哀、殺意などの、要は生物の負の感情の塊の様なモノだ。だから瘴気に近づけば人は凶暴さを増してくる。」
「・・・暴動が起きやすくなるって事ですか?」
セシリーが確認するとカンナは頷く。
「起きやすくはなるだろうな。危険な状態だと言える。」
「一体、どうしたら・・・。」
「今、私達に出来る事は無いだろうな。もう1度レシス様に訊いてみたい処だがもう神性が足りんしな・・・。」
「俺やルーシーの神性を合わせれば足りるんじゃないか?」
シオンが提案するとカンナは首を振った。
「其れは駄目だ。何が起きるか解らん時にお前とルーシーまで神性を失っている状態でいるのは極めて拙い。」
「・・・そうだな。」
シオンは納得した様に頷く。
「ではとにかく警戒を怠らずに動くか。あとリンデル殿下に連絡も取った方が良いかもな。」
「じゃあ其れはお前が行け。後のメンバーは固まって行動だ。」
「解った。」
一瞬だけルーシーを見たシオンだが直ぐに頷いた。
「ミシェイル、皆を頼む。」
「解った、任せとけ。」
ミシェイルが頷く。
「合流はどうするの?」
アイシャが尋ねるとカンナがポシェットから石を1つ取り出してシオンに渡した。
「コイツを渡しておく。片方をルーシーに渡しておくから神性を使って念じろ。ルーシーと簡単な意思疎通が出来る。」
「解った。・・・よし、じゃあ行ってくる。出来るだけ早く戻る。」
そう言って背中に意識を集中させた瞬間にカンナがシオンを止めた。
「待て、シオン。飛ぶのはナシだ。神性は出来るだけ使うな。」
その制止にシオンはハッとなった感じでカンナを見ると頷いた。
「そうだな、走って行くか。」
そう言うとシオンは空を見上げて騷めいている人々の間を走って行った。
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兵が駐在する詰所で借りた馬を駆って帝城に辿り着いたシオンは、直ぐにリンデルの下に案内して貰った。
「おお、シオン君。来ると思っていたぞ。」
「殿下、何度も申し訳在りません。」
出迎えたリンデルにシオンが頭を下げるとリンデルは首を振った。
「いや、良く戻って来てくれた。あの空は一体どうした事か解るかね?」
流石のリンデルも持ち前の度胸が形を静めており、だいぶ焦りが見える。
シオンはカンナから聞いた事をリンデルに報告した。
「カンナが言うには帝都を覆っているアレは雲では無いそうです。」
「雲では無い・・・? カンナと言うのはあのノームの伝導者殿の事だな。彼女がそう言ったのか。」
「はい。」
「ではアレは何なのか。」
窓から見える赤黒い景色に視線を移すリンデルに釣られてシオンも視線を外に向けた。
「アレは瘴気の塊だそうです。」
「瘴気の塊・・・。」
リンデルにして見れば本当に予想外の答えだったらしく呆然と呟く。が、直ぐに思考を回転させ始めて質問を絞り出す。
「其れであの瘴気の塊は我々に何か悪影響を与えるのだろうか?」
「瘴気は悪意の塊だそうでして・・・放って置けば人は凶暴化するそうです。」
シオンの答えにリンデルの視線が険しくなった。
「凶暴化・・・。対策は在るのかね?」
「いえ、我々も解りかねている状況です。カンナも解らないと言っていました。」
「そうか・・・。では今は凶暴化に対して対処していくしかないのか。」
「ええ、残念ながら。」
「・・・解った。騎士団と兵団を動かして警戒する事にしよう。」
「お願いします。瘴気の雲を払う方法が見つかれば良いのですが、今の段階では解らないので。」
シオンの言葉にリンデルは軽く溜息を吐いた。
「仕方が無いさ。瘴気については此方で対策を練ってみよう。」
「我々の方でも模索してみます。」
「済まないな、頼む。」
「は。」
シオンは一礼するとリンデルとの面会を終えた。
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セルディナ王宮をアスタルトは表情も険しく足早に歩いていた。やがて彼は公王の私室の前で足を止めると護衛の近衛兵に来訪の用向きを伝えると了解を得て入室した。
「父上。」
「アスタルトか。如何致した?」
起きたばかりの公王は息子の只ならぬ表情を見て取り尋ねた。
「朝早くに申し訳在りません。礼を失する事は承知の上で参上致しました。・・・外はご覧になられましたか?」
アスタルトの言葉にレオナルドは私室の窓に視線を投げた。
「いや、まだだが・・・。良い朝焼けだな。だが、そう言う事では無いのだろう?」
「はい。イシュタル帝国の方面に異常事態が発生しています。」
「イシュタルだと?」
公王の私室からはイシュタル方面を臨む事は出来ない。
レオナルドは取り敢えずガウンを身に纏うと
「案内せよ。」
と息子に命じた。
アスタルトを先頭にレオナルドが続き、2人を護衛する為に近衛兵達が続く。やがてイシュタル帝国を臨めるバルコニーに出ると公王は帝国方面に視線を向けて眼を見開いた。
イシュタル帝国が在る方面の空が赤黒い雲に覆われて不気味な赤色に染まっている。
「何だアレは。」
問うレオナルドにアスタルトは首を振って見せる。
「現段階では何も解って居りません。現在、登城したブリヤン卿を中心に調査を進めて居りますが結果を知るには時間が掛かるかと。」
「カンナ嬢はどうしている?」
「彼女も現在はイシュタル帝国に赴いております。先程、イシュタルへの遣いは出しましたが。」
「ビアヌティアン様にお伺いを立ててみるか。」
「既にカンナ殿から譲り受けた色で緊急を知らせる魔石を使って、ビアヌティアン様の護衛団に連絡を出しては居りますが・・・何かが直ぐに解ったとしても、其れを公都に持ち帰ってくるのは早くても夕刻辺りになるかと。」
「其れを待つしか在るまいな。」
「然り。」
2人はイシュタル帝国の在る方角を見遣る。
あの赤黒く染まる空は明らかに凶事の前触れだ。其れもイシュタル帝国の壊滅までも想定せずには居られない程の不吉さを漂わせている。
「最悪の事態も考えて置かねばなるまいか。」
「・・・はい。」
もしそうなった時の事を思うと到底考えたくは無かったが、王族の一員として考えて置かない訳にはいかない。
アスタルトはレオナルドに聞こえない様にそっと溜息を吐いた。
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「レシス様、クリオリング、只今戻りました。」
蒼金の鎧を身に纏った天界最強の戦士が主神レシスの下に参上する。彼の後ろには黄金の鎧を纏ったドワーフとエルフの戦士が控えている。
レシスは三人の戦士を見て嬉しそうに微笑んだ。
「クリオリング様・・・。皆様も良く戻られました。」
「は。」
3人は頭を下げる。
レシスはシオン達を下界に下ろした後にルネと同じ控えとして刻の袋小路に眠っていた残りの従神を呼び寄せて連環の法術を執り行った。
土の精霊魔法と大斧を操るドワーフの重戦士ラスゴルテ。
風と水の精霊魔法と長剣を操るエルフの魔法戦士レズネア。
そして既に召喚されている風と雷の精霊魔法を操る魔法戦士のルネ。
3人の従神を従えた主神レシスは天の回廊の最下層に佇む巨大なクリスタルの力を解放して彷徨う魂達の一部を天に導いた。大魔法を操りレシスの神性は空になってしまったが時を置けばまた神性はまた溜まってくる。
1400年前の報われなかった魂達、そして今回の邪教異変に因って彷徨っている魂達。全ての魂達を正常な連環に戻すには時間が必要になるだろう。
だが何度でも連環の法術を行い必ず全ての魂を連環に戻す決意をレシスはその胸に秘めていた。
その後、下天したルネを見送るとレシスはクリオリング達に目に付く奈落の残滓を掃討するように命じ、彼等は其れを成し遂げて戻って来たのだった。
「クリオリング様、戻った矢先で申し訳無いのですが下界イシュタル帝国に不穏な動きがあるようです。伝導者のカンナ様からその様に連絡を頂きました。」
「カンナ殿から・・・。」
「はい。シオン様とルーシー様も御一緒の様です。どうか彼等の力になってやっては頂けないでしょうか?」
申し訳無さそうにクリオリングを見るレシスに蒼金の騎士は力強く応えた。
「お任せあれ。」
――相変わらずお優しい方だ。
クリオリングは内心で苦笑する。
申し訳無く思う必要など無いのだ。心より敬愛する主の、況してや貴女のご命令と在らば、このクリオリングはどんな役目でも果たそうモノを。
「クリオリング様、我々も同行させて頂きたい。」
2名の従神が言い募るがクリオリングは首を振った。
「いえ、あなた方にはレシス様を御護りして頂きたいのです。」
その言葉に2人はハッとなり直ぐに頷いた。
今回の戦いを通じてクリオリングはこの2人の従神の実力を把握していた。剣については未だ伸びしろが有るにせよ彼等が扱う精霊魔法と組み合わせると絶大な戦闘力を発揮する。この2人が護衛に付いていれば余程の敵でも来ない限りレシス様に危険が迫る事は無いだろう。
「ではレシス様、行って参ります。」
「はい・・・。どうかお気を付けて。私はセルディナ公国の守護神になられたビアヌティアン様に連絡します。」
クリオリングの言葉にレシスは一瞬だけ寂しげな表情を見せたが直ぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
「畏まりました。」
クリオリングは立ち上がるとレシスに一礼した。
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「しゅ・・・守護神様にお、お伺い致します!」
護衛隊がビアヌティアンの座す間の扉口でそう奏上するとビアヌティアンの声が響いてきた。
『解っている。公王に伝えよ。邪悪の鳴動を感じると。』
「は?・・・ははっ!」
『そして竜王の巫女様と御子殿、伝導者殿と彼の勇者達の力を結集させよ、と伝えるのだ。』
「畏まりました!」
護衛隊の面々は守護神の間から離れると全力で遺跡の入り口を目指して駆け出した。




