63話 変貌
『ギィ・・・』
ヘンリークの両腕に力が籠もり重々しい音を立てて両扉がゆっくりと開かれていく。
「!!」
扉が開いた途端にルーシーとカンナが反射的に杖を構えた。
「どうした!? ルーシー! カンナ!」
2人とほぼ同時に残月を引き抜きながらシオンが尋ねる。
やや遅れてミシェイルもデュランダルを引き抜き、他の者も訳が解らないながらも慌ててそれぞれの得物を構える。
「・・・。」
ルーシーとカンナは暫く無言で杖を構えていたが、やがてルーシーが視線をカンナへ向けカンナもルーシーに視線を向ける。
「・・・勘違いじゃ無いですよね?」
ルーシーが尋ねるとカンナは力強く頷いた。
「間違い無い。お前も感じたなら確実だ。」
2人は杖を下ろした。
其れに合わせて他の者も武器を下ろす。
「どういう事だ?」
シオンが尋ねるとルーシーがシオンを見た。
「あのね、この部屋に一瞬だけど凄く濃い瘴気を感じたの。魔物がいるのかと勘違いするくらいだったわ。」
「魔物だと・・・。」
シオンは玉殿に一歩踏み入り殿内を見渡した後にカンナを見た。
「・・・セロ公爵の牢屋に突入した時と同じか?」
そう問われてカンナは「ああ・・・」と思い出した表情を浮かべる。
「そうだな。あの時と同じだ。・・・ただ感じた瘴気の強さはアレなど比較にならんレベルだったけどな。其れこそ魔王でも飛び出してきそうな程に強烈だった。」
「俺は何も感じ取れなかったな。」
自分も御子である筈なのに何も気付かなかった事に少しショックを受けながらシオンが言うとカンナが其れに答えた。
「確かにお前も竜王神と関わりを持った人間になるが・・・ルーシーが竜王神の慈愛を受け継いだ巫女なら、お前は戦士だ。敵意や悪意が無ければ反応は出来ないだろうよ。」
其の答えにシオンは首を傾げる。
「瘴気は悪意の塊みたいな物ではないのか?」
「少し違う。」
カンナは少し思案したあとそう答える。
「瘴気とは確かに憤怒や憎悪の象徴の様に扱われるが、其れは真実を捉えているとは言えない。瘴気の本質は知恵有る者達の行き過ぎた欲望の成れの果てなんだ。憤怒や憎悪といった其れらは後から味付けされた物に過ぎない。」
「欲望か・・・。」
シオンは再び殿内に厳しい視線を向ける。
「其の瘴気は今も感じますかな?」
ヘンリークが尋ねるとカンナが答えた。
「いや、今はもう感じない。ヘンリーク殿が扉を開けた瞬間に消えた。法皇猊下は無事だろうかな?」
ノームの懸念にヘンリークは頷くと殿内の奥へと進んでいく。
しかしイェルハルド法皇は私室にも祈りの間にも、この広い空間の何処にも居なかった。
「何と言う事だ・・・。」
ヘンリークが珍しく困惑した声で呟く。
「此れは貴方の失態ですぞ、ヘンリーク大主教。」
そんなヘンリークをパブロスが厳しい視線で責め立てる。
「常に法皇猊下のお言葉を直接賜る栄誉に溺れて、猊下が行方知れずとなった事にも気が付かぬとは、一体如何様にして責任を取られるお積もりか?」
「パブロス大主教の仰られる通りですな、ヘンリーク大主教。此れは天央正教どころか世界を揺るがす事態ですぞ。」
リカルドがパブロスの追求に乗るとヘンリークは2人を見た。
「では、どうされると?」
「決まっている。貴方には退いて頂く。」
「止さないか、御三方。今は法皇を探すのが先決だろう。」
カンナが眉間に皺を寄せて少し大きめの声で大主教達を諫める。
「何を、この・・・。」
吠えかけたリカルドはカンナの正体を思い出したのか忌々しそうに口を噤む。
「さて、ヘンリーク大主教。どうやって法皇を探す? 当ては在るのか?」
カンナの問いにヘンリークは首を振った。
「いえ、恥ずかしながら。こうなってはテンプルナイトを総動員してお探しするしかありませんな。あとはイシュタル騎士団にも動いて頂く必要があるでしょう。」
「イシュタル騎士団だと!? 帝国を絡ませるお積もりか!?」
リカルドが「とんでもない」と言った風に問い質すとヘンリークは頷いた。
「法皇猊下のお命が掛かっているのです。面子など関係在りません。受けるべき恥と罰は私が全て引き受けましょう。」
ヘンリークの覚悟を決めた様な返答にリカルドは毒気を抜かれた様な表情となり僅かに口の端を上げた。
「ほ・・・ほう・・・。其れは殊勝な心掛けですな。良いでしょう。其処までのお覚悟が在るのなら私は何も言いませぬ。帝国にも協力を仰ぐとしましょう。」
リカルドの承諾を得るとヘンリークは溜息を吐いた。
「此れほどの騎士団を動かせば嫌でも帝国全体に知られてしまいますな。帝国の民達を不安に陥れる事になってしまう。」
その呟きにリカルドが静かに嘲笑する。
「皮肉なモノですな。『迷える者に安寧を与えるのが聖職者の努め』と日々仰っていた貴方が誰にも成し得ない程の巨大な不安を世界に与えてしまうとは。・・・さて、私は私と志を共にする方々と対策を練る事に致しましょう。」
リカルドはパブロスを引き連れて玉殿を出て行く。
「ヘンリーク大主教。」
カンナがやや虚ろなヘンリークに話し掛けた。
「こうなっては考えていても仕方あるまいよ。貴殿が言われた通り、先ずは法皇猊下を探し出すのが先決だ。後の事は其れから考えても良かろう。」
「・・・そうですな。」
ヘンリークは頷く。
「先程ルーシーと私が感じた瘴気から推察するに、恐らくだが法皇猊下は邪教徒の手に落ちたと私は考えている。ならば一刻の猶予も無いぞ。」
「解りました。何としても法皇猊下だけはお救いせねばなりません。私はテンプルナイツを動かしましょう。」
ヘンリークの言葉にシオンが応えた。
「解りました。ではイシュタル帝国には俺が話をして騎士団を動かして貰えるかリンデル皇子殿下に伺ってみましょう。」
「宜しくお願いします。皇城までは大神殿の馬車をお使い下さい。」
ヘンリークはシオン達に頭を下げた。
イシュタル大神殿を出たシオン達は大神殿の大型馬車を借り受けると、そのまま一途イシュタル皇城を目指した。その道すがらカンナはルーシーに尋ねる。
「どうだ、ルーシー。ヘンリーク大主教の発言の真偽は判ったか?」
その問いにルーシーは首を振る。
「そうか、やはりダメか。」
「はい、やっぱりポッカリと黒い穴が空いてる様にしか視えませんでした。」
「・・・『巫女の視線』すら躱すとは一体どんな術を使っているのか。」
カンナは呆れた様な表情で呟いた。
「イェルハルド法皇猊下が行方知れずだと!?」
驚愕したリンデルが椅子から立ち上がった。
「・・・どう言う事なのだ。」
何とか自分を落ち着かせたリンデルが静かに尋ねるとシオンが一連の出来事を話す。
「そうか・・・。」
話しを聴き終えたリンデルは眉間を指で摘まみながら眉間に皺を寄せる。
「話しは解った。もちろんイシュタル騎士団は陛下に願い出て動かす様に手配しよう。法皇猊下の捜索であれば陛下も否とは言うまい。」
「感謝致します、殿下。」
シオンが頭を下げると一同も倣って礼を施す。
「君達はどうするんだ?」
リンデルが尋ねるとカンナが答える。
「私達も捜索に協力するよ。」
「うむ、済まないが頼む。」
リンデルは戸惑うような表情を少しだけ貌に浮かべながらぎこちなく頷く。
最初にシオンからカンナの紹介を受けてはいたが、ノームを初めて見るリンデルには幼女が対等な口調で自分と話している様な錯覚を受けて違和感を拭い切れない。しかも世界に1人しか存在しない伝導者なる神秘の存在らしい。
更にアスタルト公太子から聞いた話では彼女が邪教異変を直接鎮めた3人の1人だとも言う。
神話時代の神の力を受け継いだ者が3人も目の前に居ると言う事実が偶然であるとはとても思えない。何らかの意思の力が働いているのかも知れない。
「よし、ではそれぞれに動くとしよう。何か解ったら知らせて欲しい。いずれにせよ祭礼の儀は明後日に迫っているのだ。手を拱いている暇は無い。」
「はい。では俺達は此れで失礼します。」
「うむ。」
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闇の塊の中から姿を現したミストは赤い双眸を輝かせながら保管庫の中に降り立つ。グルリと見渡せば壁面の一箇所に重厚な鉄扉が嵌まっている。その外にはイシュタル帝国の衛兵が数人は立っている筈だ。
此処はイシュタル帝国の保管庫だ。各種事件の証拠となり得る重要証拠物件が所狭しと犇めき合いながら保管されている。
棚に置かれている物、箱に詰め込まれている物、鍵付きの分厚い金属箱に厳重に保管されている物など様々な形態で保管されている証拠品の数々には見向きもしないでやり過ごしミストは一番奥を見据えた。
そして陽光も入らず松明すら設置されていない上に足下の良くない暗闇の中を、ミストは見据えた先から視線を逸らさずに静かに歩みを進める。
やがて最奥に置かれた鍵付きの分厚い金属箱の前まで来るとミストは足を止めた。
「・・・。」
じっくりと箱を観察したミストは徐ろに解呪魔術の詠唱を始める。
『旧き海燕の御霊を以て微睡みし灰老よ目覚め給え。その息吹を彼の地へ届けよ・・・アンリミテッド』
途端に目の前の空間がパチンと弾け飛んだ。
知らずに手を伸ばせば張られていた不可視の結界に拠って大怪我をさせられていた事だろう。ミストは口の端を上げると今度は懐から握り手の付いた細く先の曲がった鉄の串を取り出した。其れの先端をを金属箱の鍵穴に差込むと「カチャカチャ」と音を立てながら動かし始める。やがて「カチリ」と錠が開く音がした。
串を懐に収めるとミストは金属箱の上蓋をゆっくりと持ち上げた。
中には連日の殺人事件で遺体の上に置かれた百合の銀細工が複数個仕舞われていた。恐らくは帝国が此れ等を回収した後に調べていたら何か魔術的な力を感じ取ったのだろう。だが調べてもどんな魔術が籠められているのかが解らない。
結果、最重要危険物としてご丁寧に結界魔術まで張って保管していたに違いない。
ミストは「クッ」と冷笑を漏らした。
「お前達では解らんよ。この魔術が理解出来るのは奈落に墜ちた者だけだ。」
そう呟くとミストはディグバロッサから受け取ったアミュレットを取りだした。そして首飾りの部分を形成している翡翠の小石を1つだけ抜くと其れを銀細工の上に置いた。
するとアミュレットから黒い霧が溢れ出して銀細工達を包み込んでいく。此れで明日にでもイシュタルは驚愕に包まれる事になるだろう。そしてその先は・・・。
「いずれにせよ、ご丁寧に『契石』を纏めて置いておいてくれるとは手間が省けて良かった。」
ミストはそう呟くと来た時と動揺に眼前に現れた闇の中に足を踏み入れて呑み込まれていく。その闇も直ぐに空間に呑まれる様に消え去った。
こうして誰にも気付かれぬ内に引き金は引かれた。
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テンプルナイツとイシュタル騎士団の慌ただしい捜索に因って、瞬く間にイシュタル帝都は騒然とした不安に包まれる事になった。
情報に聡い商人達や情報屋が仕入れ先で噂話を耳にし、其れが売り先で世間話として話されていく。其れを聞いた別の人間達が・・・と言った感じで、耳聡い者や口さがない者達の立てた噂話が馬の速さに乗じて帝都中に拡散されて行く。
何しろ此処は帝都イシュタルだ。情報の拡散速度は国の思惑を遙かに超えて早かった。
『法皇が居なくなったってよ。』
『祭礼の儀が早まった矢先じゃない。』
『何か悪い事が起きてるんじゃ無いか?』
過去を振り返った時、祭礼の儀が執り行われるに当たってイレギュラーが発生した事は1度も無い。其れが今回は何の前触れも無く急に開催時期が早まった。その上、今度は法皇が居なくなったと言う。法皇が居なくなるなど祭礼の儀云々の前に前代未聞の事態だ。
何がどうなったらそんな事になるのか。
イシュタル大神殿は一体何をしているのだ。
イェルハルド法皇の人気が高い事に加えてその周辺を固める主教達への此れまでの反感が相俟って、大神殿への大きな不信感が帝都を席巻する。
そしてそんな大きな不信感が
「法皇猊下に何かあったら大神殿はどう責任を取るのか。」
と言った大神殿への攻撃的な感情に変化していく。
そして夕刻を迎える頃には帝都は殺伐とした雰囲気に包まれていた。
既に気の早い帝都の民達の一部が大神殿の門前に集まりデモを始めていた。そんな彼等を解散させようとテンプルナイト達が門前に立ち塞がっている。
そんな様子を大神殿の上階から眺め下ろすリカルドが貌を引き攣らせながらボヤいた。
「たった一日でこんな騒ぎになるモノなのか・・・?」
そのボヤきにパブロスが答える。
「宜しいではないか。連中のあの怒りも全てヘンリーク大主教が引き受けると言っているのだから。」
「・・・あの言葉を覆さない保証は無いではないか。彼奴が『そんな事は言っていない』と言ったら問い詰める手段は無いぞ。」
リカルドは忌々しそうにそう返す。
「別に其れでも構わんでしょう。其れなら其れで当たり前に大神殿全体で不満を受けるだけですからな。」
「其れはそうだがな。」
リカルドは不承不承といった感じで頷いた。
「寧ろこんな時に民衆に誠意ある行動を取って見せれば次期法王の座にも座りやすくなるのでは?」
「其れもそうだな。」
リカルドの双眸に貪欲な光が宿る。
「其れよりもこの事態は正に好機なのでは?」
「好機?」
「テンプルナイツとイシュタル騎士団に先んじて法皇猊下の身柄を確保出来れば、全ては闇の中に出来る。生かすも殺すも我々次第になりますぞ。」
「其れは儂も考えていた。本来なら民衆の前で死んで頂くのが絶対条件ではあったのだが・・・この事態は利用出来る、とな。」
「流石はリカルド大主教。」
パブロスの賞賛にリカルドは若干満足そうにほくそ笑む。
そして心に余裕を取り戻したリカルドは再度、眼下のデモを眺め下ろして冷笑を浮かべた。
「まあ、あんな連中がどう騒ごうがどうでも良い。どうせ何も出来やしない。其れよりもパブロス殿の言う通り、猊下を他に先んじて発見するのが先決だな。」
「正に。既に我々に付いているテンプルナイト達には指示を出して置いておりますからな。」
「うむ。」
パブロスの提案にリカルドは頷いた。
そして翌朝、帝都民達は目覚めて見上げた空を見て絶句する事になる。
「何だ、あの空は・・・。」
空は赤黒い雲に覆われて恰も地獄の如き様相を呈していたのだ。




