56話 異変
カンナと別れた後、シオンとルーシーはリンデルに面会希望の伺いを立てた。
本当は直ぐにでも会見したい処だったが、リンデルが隣国の王族である事を考慮して正規の段取りを取っていく事にしたのだ。其れに対してのリンデルからの返答は4日後の正午に時間を作るとの事だった。
2人は「ならば其の間に話しの根拠を強化させておこう」と、4日掛けてセーラムウッド教会で発見したオディス教の紋章と天央正教の繋がりを調べた。
そしてリンデルが時間を取れると返答のあった正午に皇城を訪ねた。
「待たせて済まないね。」
暫くして護衛を連れた帝国の第3皇子がその長身を現した。
「お時間を作って頂いて感謝致します、殿下。」
「構わないさ、何か掴んだのだろう?」
リンデルはやや疲れた様な表情で笑って見せる。
「・・・お疲れの様ですが。」
シオンが気遣わしげに言うとリンデルは首を振った。
「いや気にしなくて良い。帝国にも色々あるという事さ。其れよりも先ず話しを聴こうか。」
促すリンデルの言葉にシオンは頷いた。
「畏まりました。ではご報告させて頂きます。」
そう前置いてシオンはセーラムウッド教会で調査した内容をリンデルに伝えた。
「天央正教の教会内に邪教の紋章が掲げてあっただと・・・?」
リンデルの整った顔に怒りの表情が浮かぶ。
「はい。」
「そして法皇猊下暗殺に用いる天央の剣も其処に在るのか。」
「ええ。そして天央の剣に施す呪いを完成させる為に、先に話した邪教の紋章を掲げておく必要があるそうです。」
シオンが補足を加えるとリンデルは唸った。
「あの大主教2人はこの事を知っていて黙っていたのか?」
「リカルド大主教は知っているでしょう。恐らくはこの事態の首謀者と思われますから。ヘンリーク大主教については解りませんが対立している事を考えれば恐らくは知らされていないかと。」
「そうか。」
リンデルは暫く思案してから言った。
「リカルド大主教を放って置く訳にはいかないが・・・相手が大主教クラスの高位聖職者となると帝国で糾弾する事は出来ないな。」
「・・・となると揺るがぬ証拠を用意した後にそれらを法皇猊下にお渡しして裁いて頂くと言う事になりますか?」
シオンの問いにリンデルは首肯する。
「そうなる。セーラムウッド教会に出向いて司祭の身柄と天央の剣を押さえるか。」
それを聞いてルーシーが緊張しながら口を開いた。
「あ・・・あの、リンデル殿下・・・。」
「ん? 何かあるかな、巫女殿?」
リンデルが尋ねるとルーシーは怖ず怖ずと答える。
「司祭様は善良な方です。リカルド大主教の計画に加担しているのは間違い在りませんが、あの方なりの苦悩がありました。捕まえるとしてもご配慮をお願いしたいと思います。」
「ふむ・・・。」
チラリと向けられたリンデルの視線を受けてシオンも答える。
「私からもお願いします、殿下。それとルーシーは人の言動の真偽を見分ける眼をもっています。其れは直感とかそう言った類いのモノでは無く、竜王の巫女特有の神懸かりの能力です。その彼女が言う言葉なら信憑性は高いと考えて良いと私は考えます。」
「なんと・・・。」
リンデルが感嘆の声を上げながらルーシーを見た。
「竜王の巫女殿にそんな能力があるとは驚いた。」
その言葉を受けてルーシーは顔を赤らめて俯いた。
「国を治める者としては喉から手が出るほど欲しい魅力的な能力だが・・・いや・・・。」
リンデルは首を1つ振ると頷いた。
「そうだな。そう言う事なら巫女殿の要望を受け容れよう。司祭は敢くまで情報提供者という扱いで王宮に来て貰おう。」
其れを聞いてルーシーは安堵したようにホゥと息を吐くと頭を下げた。
「有り難う御座います。」
「いや、こちらとしても余計な疑いを掛けずに済むのは一手間省けて助かる。因みにだがリカルド大主教の考えを読む事は出来るのかな?」
リンデルの問いにルーシーは首を振った。
「いえ、私に判るのはその人が嘘を吐いているかどうかだけです。心中を視る事は出来ないんです。」
「なるほど。いや、真偽が判るだけでも素晴らしい能力だ。」
リンデルは頷くと紅茶を口に含んだ。
「さて、ではこの件に関して幾つか君達の耳にも入れておきたい事がある。」
「俺達にですか・・・?」
「そうだ。」
リンデルは頷く。
「先ず1つ。法皇猊下主催の祭礼の儀を執り行う日時が早まった。」
「早まった? 来月の初週・・・えーと・・・確か2週間後だと聞いていますが・・・。」
「そう。本来は来月初週の予定だったが、大神殿側の都合で祭礼の儀は6日後に変更になった。」
「な・・・。」
シオンは絶句した。
異常としか言いようが無かった。
神殿側の祭儀とは言え法皇主催の祭儀ともなれば、其れは国儀と言っても良い。其の重要な儀式の予定日を幾ら主催者側の理由とは言え、こんな直前にまで早めてしまうモノだろうか。
此れでは神殿以外の団体の準備は間に合わないだろう。
「幾ら何でも早すぎませんか? 其れでは時間がなさ過ぎて人は集まれないと思うのですが。せいぜい皇都の住人が集まれるくらいでしょう。」
「恐らくな。」
「下世話な話かも知れませんが、法皇主催の祭儀ともなれば帝国全体から相当な集客が望める筈です。そうなればイシュタルの経済効果も期待出来ますし大神殿自体もメリットは大きい筈。其れを捨ててまで早める意味が在ったのでしょうか?」
シオンの疑問にリンデルは首を振った。
「判らん。帝国からも質問を投げているがハッキリとした返答は無かった。法皇猊下の体調が原因と言ってはいたが、もしそうならば早めるのではなくて延期にするだろう。」
「そうですね。その言い方では、まるで今後回復する見込みが無いから体力がある内に済ませようとしている様にしか聞こえませんが。」
「ああ、随分と雑な返答だ。まあ以前からそんな態度は良く取られてはいたが。」
「・・・帝国の質問に対してですか?」
信じられないといった表情のルーシーにリンデルが頷いた。
「イシュタル大神殿は帝国内に在るとは言え天央正教の総本山だ。その存在は政治に一切干渉しない代わりにどの国からの支配も受け付けない組織だからね。そう考えれば返答を返してくるだけマシと考えるべきだろう。」
リンデルの言葉にシオンは納得の表情を見せる。
「なるほど。確かに独立した存在で在りながらも帝国を無視しないと言う事は、少なくとも帝国の存在を大神殿も重視してはいると言う事でしょうか。」
「そう思いたいな。だが今の状況でもそんな態度で返すのは止めて欲しかったものだが。」
リンデルは渋い表情で答える。
「祭礼の儀もリカルド大主教が主導して時期を早めたのでしょうか?」
「可能性はある。が、幾ら大主教とは言え法皇主催の儀式を早めるには、其れなりの理由で法皇猊下を頷かせなければ出来ないだろう。もしリカルド大主教が本当に主導したのならば果たしてどんな理由を法皇猊下に提示したのか気になる処だ。」
「あの・・・。」
ルーシーが再び口を開いた。
「私が見に行きましょうか?」
「な・・・何言ってるんだ、ルーシー?」
シオンが若干慌てた様にルーシーに訊き返す。其の様子にルーシーも少し戸惑った様に答えた。
「あ、いや、イシュタル大神殿は法皇猊下の体調が悪いと回答して来たんですよね。」
「うむ、その通りだ。」
リンデルは頷く。
「だったら私が・・・竜王の巫女が『イシュタル帝国の依頼で体調を視に来た。』と言えば大神殿の人達も受け容れざるを得ないのではないでしょうか。」
「・・・なるほど。」
ルーシーの提案は極々自然な提案に思えた。
セルディナ公国から招いた唯一無二の巫女を法皇の体調を癒やす為にわざわざ遣わしたとなれば神殿側も帝国側の誠意を受け取らない訳にはいかないだろう。況してや自分達から法皇の体調に言及した以上、巫女の訪問を先ず断れまい。
確かに妙案と言えよう。
リンデルはシオンに視線を投げた。
シオンは軽く溜息を吐くと頭を下げた。
「解りました。神殿の事情を計るという一点に絞れば、確かにルーシーの提案が一番良策に思えます。当然俺も一緒に行きます。」
「済まないな。帝国側からも使者団を用意しよう。その者達と一緒に行けば余計なやり取りも省けるだろう。いずれにせよ法皇暗殺を阻止する為に6日後・・・いや5日後までには何らかの対策を打たなくてはならない。」
「宜しくお願いします。」
「うむ、2人には明日大神殿に向かって頂く。同時に此方はセーラムウッド教会を制圧する。」
「解りました。」
リンデルは満足そうに頷いたあと、再び表情を改めた。
「・・・更にもう1つ話して置こうと思う。これは絶対に他言無用に願いたい。」
「・・・。」
表情もだが声も低くなったリンデルの様子に2人は思わず姿勢を正した。
「・・・私には2人の兄がいる事を知っていると思う。長兄のヴェルノは皇太子で現在は友好国であるルオン=デルシア王国を訪問中だ。そして次兄のイアン兄上は、ヴェルノ兄上が皇帝となった時に内政面を補佐できるように様々な公務に就かれている。」
「はい、存じ上げております。」
シオンは頷く。同時にイシュタルで小耳に挟んだ噂も口にした。
「ただ、最近はイアン殿下が公務にお姿を見せられないと言う噂を耳にしました。」
「うむ・・・。」
リンデルの表情に苦々しさが浮かぶ。
「実はイアン兄上は亡くなられた。」
「え・・・。」
2人は流石に言葉を失った。
「・・・お体が悪かったのですか?」
「いや。」
ルーシーの問いにリンデルは首を振る。
「確かに疲れやすい方では在ったが体調は健康そのものだった。」
「では・・・。」
「害された。」
リンデルの返答に2人は息を呑む。
「兄上を害したのは兄上付きのプリンスガードの1人だった。日中の皇城内で護衛騎士の1人が突然発狂して兄上に斬りかかった。兄上は即死だったそうだ。そのまま発狂した騎士は黒い液体を大量に吐き散らしながら絶命したと聞いている。」
「なんて事・・・。」
ルーシーが青ざめながら呟いた。
「発狂した原因は判ったんですか?」
「いや、はっきりした事は判っていない。ここ数日は其れの対応に追われていてね、君達に会う日も今日になってしまったという訳だ。」
リンデルは眉間を指で摘まみながらフゥと息を吐く。
「騎士が発狂した原因も識者を呼んで調べていたんだがはっきりした事は判らなかった。騎士が吐き散らかした黒い液体も実は血液だったようなのだが、あんな色の血など見たことが無いと全員が首を捻っていた。」
「黒い血・・・。」
シオンは呟いた。
過去にシオンは黒い血を見ている。
哀しみと怒りに囚われていた恐るべきあの蒼の騎士も地底で戦った時には黒い血を流していた。
「以前に俺はその黒い血を持った者と戦った事があります。」
「何、本当か!?」
眼を瞠るリンデルにシオンは頷いて見せた。
「はい。その者は奈落の力に囚われて魔物と化していました。長年に渡り身体に集積していった瘴気が彼を魔物に変えていったのでしょう。」
「瘴気・・・魔物・・・。確かにそうかも知れん。」
リンデルは頷いた。
「騎士の死体を見たが・・・まともな死に様では無かった。其れに騎士が発狂した時に周囲に居た騎士達からも『何か黒いモヤの様な物が漂っているのが見えた様な気がする』との証言が在った。酷く曖昧な表現だった故に検証の材料からは外していたのだが・・・。」
「その騎士様の死体が在るなら私が視ましょうか?」
ルーシーの言葉にリンデルはハッとしたように巫女を見た。
「そうか・・・君なら判るという事か。是非頼みたい。」
「判りました。良いよね、シオン。」
「そうだな。」
尋ねるルーシーにシオン頷く。
そして遺体安置所に置かれた騎士の干からびた遺体を見てルーシーは即座に言った。
「とても濃い瘴気が渦巻いています。もうこの方は人間では在りません。時間が経てば魔物と化して再び動き出すと思います。」
「・・そうか・・・。」
リンデルは若干青ざめた表情で頷いた。
「もし良ければこの方に巣くっている瘴気を祓ってあげたいのですが。そうする事でこの方の魔物化を防げますので。」
「頼む。」
リンデルの承諾を得てルーシーは遺体に手を差し出して詠唱を開始する。
『灰に座せし偽りの羊よ。奏でられし羽音を纏いて安らぎの豊穣を齎せ・・・セイクリッドオーラ』
ルーシーの掌から溢れ出した淡く温かな光が騎士の遺体を包み込むと、黒い霧がドッと吹き出して消滅していく。
「・・・これで大丈夫です。」
暫くしてルーシーがリンデルにそう告げると第三皇子は我を取り戻したかのようにハッと息を呑み頷いた。
「う・・・うむ。了解した。それにしても素晴らしい。これ程までに温かみのある魔法を見るのは初めてだ。聖女の名は飾りでは無いな。」
リンデルの本心からの賞賛にルーシーは恥ずかしげに頭を下げた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
「ヘンリーク殿。」
呼び止められたヘンリークは声の主へ振り返った。
「リカルド殿。何か?」
ヘンリークの言葉にリカルドは怒りの表情を向ける。
「何か・・・ですと? 随分と悠長でいらっしゃいますな。」
「はて、何を其れほどに憤っていらっしゃるのか。」
「憤りもする! 何故に法皇猊下は急に祭儀の日時を早められたのか!」
リカルドには予定外も甚だしかった。法皇暗殺に向けて着々と準備は進んでいたのに1週間以上も早められてしまっては計画に支障を来す。
天央の剣に呪いを施すには4日掛かると邪教徒には言われていた。もし仮に今から邪教徒を呼び寄せて直ぐに連中は来れるものなのか。
最悪の場合は別の手段を講じる必要がある。
だがその前に日時が早まった理由が気になる。まさか計画が法皇にバレて早められたのでは在るまいな。
思い通りにならない苛立ちと不安からリカルドはヘンリークに怒りをぶつける。
しかしヘンリークは困った表情を浮かべるのだった。
「何故にと訊かれても私の方が知りたいくらいです。」
「何を仰るか!」
リカルドの怒号が通路に響く。
「法皇猊下と連絡のやり取りをしているのは貴方である筈。その貴方が知らぬ筈はあるまい!」
叫び終えるとリカルドの荒ぶった息が大神殿の通路に木霊する。
黙ってリカルドを見ていたヘンリークが口を開く。
「落ち着きなさい。私も本当に知らないのです。確かにリカルド殿の仰る様に私は法皇猊下のお言葉を頂く役目を賜っている。しかし其れも猊下の私室の前で扉越しにお声を頂いているに過ぎません。猊下が現在どうされていて何を思われているのかは皆さん同様に判らないのです。」
「クッ・・・。」
リカルドは憎々しげにヘンリークを睨み付けると足音も荒く立ち去って行った。
そのいきり立った後ろ姿を見ながらヘンリークは溜息を吐いた。
「やれやれ、何を慌てているのやら。」
思惑は1つとは限らない。
幸せを望む者が居れば不幸を望む者とて居る。破壊を望む者が居れば再生を望む者とて居る。世に命あらばその数だけ思惑は発生するのだ。
ヘンリークは法皇が座す私室の方向に視線を投げた。
「・・・時間か。」
呟くと彼は再び通路を歩き始めた。




