54話 ミストのメモ
アリスとノリアに付いて4人の護衛騎士を連れたカンナとセシリーがマルキーダに到着したのは、ミストが消えてから1週間以上も経過した頃だった。
「ちょっと前にシオンとルーシーに会うためにイシュタルに来たと言うのに、何日も経たずにまたトンボ返りするとはな。」
カンナがぼやく。
「結局、シオン達と話していた内容については調べられたんですか?」
問うセシリーにカンナは首を振って見せる。
「いや、役に立ちそうな情報は掴めなかった。古代図書館の資料まで写して調べたのにな。」
シオン達と別れた後、カンナは直ぐにセルディナに戻って古代図書館に向かった。
現在では秘教中の秘教とも言えるオディス教も、この古代図書館が設立されたと思われる創世記頃であれば活発に活動していたのではないかと考え、オディス教の全体像について本格的に調べたのだが大した進展は見られなかった。
カンナは『オディス教は元々は巨大な一組織で、派閥などにより幾つかに分裂して世界中に散っていったのではないか』と考えており、そうならば其の軌跡が文字などに起こされた書物が古代図書館辺りに納められていても可笑しくは無いと思っていた。
しかし邪教の記録は何処を探っても出て来なかった。
カンナにとってその事実はオディス教の危険さを再認識する機会でもあった。
セルディナ公国で起きた邪教異変は、計画の最後の要であるグースールの魔女の覚醒を叶える為に必要だったからこそ連中は表立ってセルディナ侵略に動き出したのだ。
連中から見ればもう計画はほぼ邪魔される心配は無いと判断できる程に遂行されている段階だったから正体もある程度露わにした。
だが今回は竜王の巫女が覚醒し、竜王の御子を産み出した。その事実は連中には本当に計算外の事だっただろう。その隙を突けたのは大きかった。そして真なる神の力を以て邪教異変はギリギリの処で食い止める事が出来た。奇跡的に。
そう『奇跡的に』なのだ。
本来ならば誰も食い止める事は出来ないまま、グースールの魔女は目覚めて大主教ザルサングの邪悪な意思のままに、今頃はカーネリア大陸全体が魔女の呪いに呑み込まれていただろう。
巫女だけでは・・・ルーシーだけでは邪教異変は止められなかった。巫女が御子を・・・シオンを産み出し、更にシオンが竜王神の力に目覚めたからこそ異変はギリギリの処で止められたのだ。
当然、その流れは今回のイシュタルのオディス教徒達も把握しているだろう。ならば彼等は竜王の御子を警戒して本当に直前まで姿を見せはしないだろう。
狡猾な邪教徒達は人間の姿をした魔物と何ら変わらず、実際に人間である彼等は見ただけでは邪教徒と判断が付かないのは極めて厄介であり、人間社会にとって最も危険な敵と言えた。
「せめて『連中』の最終目的が何なのかが判れば良いんだがな。」
カンナが溜息雑じりに言うとセシリーが首を傾げた。
「最奥のアートスの復活では無いのですか?」
「うーん・・・違うと思うんだよな。」
カンナは考え考え言った。
「最奥のアートスはグースールの魔女とは違う。如何に最下位の存在だったとは言っても、正真正銘、真なる神々の系譜に連なる神だ。その神性は我々の量り知れるモノではない。・・・と言うよりも真なる神々とは神性そのもので在り、最奥のアートスも当然そういった存在だ。ルーシーやシオンが我々から見た時に如何に莫大な神性を持っている様に見えても、恐らく最奥のアートスから見れば『その程度の神性しか無いのか』と見られるだろうな。」
「・・・つまり・・・?」
カンナの言わんとしている事が掴めずにセシリーは先を促す。
「つまり、ソレだけの存在を復活させた処でオディス教徒達に最奥のアートスを制御出来るとは思えんのだよ。」
「彼等は世界の破滅を願っているのでしょう? なら制御などしなくても良いのでは?」
うーん・・・と、カンナは首を傾げる。
「確かにオディス教の教義は『世界の滅亡』と聞いてはいるんだが、どうもザルサングを見ていたらそうでは無さそうだったんでな。」
「どういう事です?」
「オディス教徒達がこの世界を1度徹底的に破壊し尽くす事を望んでいるのは確かなのだろうが、その先にも何かを見ている様に思う。」
セシリーが眉を寄せた。
「まさか、その後に自分達に都合の良い世界を創るとか・・・?」
「多分な。」
「そんな身勝手な!」
セシリーは嫌悪感も露わに叫んだ。
「まあ落ち着け。敢くまでも私の想像だ。」
カンナは苦笑してセシリーを宥める。
「・・・私も長く旅をした。其の中では、大なり小なりの・・・『邪教』とまではいかなくとも周辺の人々に忌み嫌われる教えに従う集団に会った事がある。そして連中の其のほぼ全てが『破滅の後の再生』を口にしていた。規模こそ違うがオディス教も本質的には同じなんじゃないかな、と最近は思うようになったんだ。」
「・・・。」
「其処でさっきの話しだが、もし破壊の後の再生が最終目的だった場合、最奥のアートスの復活は連中にとっても非常に都合が悪いと思わないか? 何しろアートスが世界を滅ぼしたら今度は自分達が滅ばされぬようにアートスと戦わねばならなくなる。そしてその場合、勝ち目はゼロだ。」
カンナの考えにセシリーは思案した。
「・・・つまり、彼等が狙っているのはアートスの復活では無く・・・アートスに関わる何かを狙っているんじゃないかって事ですか?」
「私はそう思っているんだ。」
「・・・なるほど・・・。」
セシリーが考え込む。
「・・・。」
突然始まった2人の談義をアリスとノリアはポカンと口を開けて聞いていた。
「あの・・・?」
話しが終わったのかどうかが判らずアリスが恐る恐ると口を挟むとカンナが苦笑いした。
「ああ、すまんな。そのミストが居なくなった宿まで案内してくれ。」
「あ、はい。」
少しホッとしたようにアリスとノリアは頷いた。
「此処です。」
宿に着いたアリスとノリアはカンナとセシリーをミストが消えた部屋に案内する。
「・・・。」
カンナは黙って部屋に入った。
「此処には誰か入ったりしているのですか?」
セシリーが2人に尋ねるとノリアが首を振る。
「いいえ。セルディナに向かう時に宿の人に金貨を渡して部屋をそのまま維持する様に頼んでおいたのですが、先程確認したらずっと誰も入れない様にしてくれていたそうです。」
暫く周囲を見回していたカンナだが
「ダメだ。魔力痕も何も感じられない。仮に何か魔術的なモノを使用していたとしても少し時間が経ち過ぎたな。」
「そうですか。」
アリスとノリアは残念そうに承知した。
更に部屋を見ていたカンナが机の上のメモ類に目を止めた。
「これは?」
「ミストが自分で集めた情報を纏めたモノみたいです。色々と書いてあるので確認しに行きたかったのですけど・・・内容が少し把握し難いのと、恐らく女の身には危険と思われる場所で入手した情報の様で確認に行けてないんです。」
「・・・なるほどな。」
カンナは紙片を確認しながら頷いた。
奈落街の近況、銀細工が置かれた連続殺人事件の概要、殺された連中の共通点と思われた『マルキーダ出身』の件はフェイクである可能性が出て来た事、「単なる予想に過ぎないが」と前置きを付けた上で「此れを仕掛けてきたのはカーネリア王国かセルディナ公国ではないか」と言ったミストの考えなど、カンナが知らなかった情報が山のように詰め込まれている。
そして、天央正教の儀式に参加したいと帝都の奈落街を取り仕切るシュレットメッサ-の一味に密かに接触してきたセルディナ公国の貴族の件。
此れ等はマルキーダの奈落街で入手したモノのようだ。コンラードと言うのは人名か場所の名前かだろう。
次の紙には蟻隠れの塚と書かれている。
「蟻隠れの塚か・・・。」
カンナは呟いた。
遙か昔に足を踏み入れた事が在る。確かに彼所ならば様々な裏情報を集める事も可能だろう。
現に其処でミストはセルディナ貴族の名前を特定していた。その名はニゼラ伯爵家。どうやら二ゼラ伯爵家はオディス教の情報を他国の貴族に流していたらしい。
セルディナ公国の宮廷貴族の間で怪しげな連中と付き合いのある貴族が増えていた事。その怪しげな連中と言うのが邪教徒だったと言う事。そしてニゼラ伯爵が其れに絡んでいるのかは不明だが、何やらやたらと法皇主催の祭礼に参加したがっていると言う事。不可能だと解ったら酷く残念そうな顔で引き下がった事。
そして法皇暗殺の噂が流れている事。
「この二ゼラ伯爵とやらは、とんでもないな。」
「・・・はい。」
セシリーも深刻な表情で頷いた。
「セシリーはこの二ゼラ伯爵を知っているのか?」
「知っています。余り良い噂を聞かない人物です。」
「そうか・・・其方はブリヤン殿に動いて貰うか。」
カンナはそう呟くと宿の外で待機している騎士達を呼び寄せた。
ミストの書き残したメモに長めの手紙を添えるとセシリーのサインを貰って、カンナは4人の護衛騎士に其れを預けた。
「此れを宰相のブリヤン殿に届けてくれ。」
「しかしカンナ様の護衛は・・・。」
「私は大丈夫。此れでも100年近く世界中を1人で旅して回った身だ。其れよりも今はセルディナとイシュタルの交友関係の危機を回避することが重要だ。解ってくれるな?」
4人の騎士達も其れは充分に心得ている。
「畏まりました。必ず届けます。」
「頼む。良いか、暮れ暮れも全員離れるなよ。必ず4人で行動しろ。お前達に危険が迫る事もあるかも知れん。」
「畏まりました。お任せあれ。」
騎士礼の形を取る4人にカンナは護符を渡すとセルディナに向けて送り出した。
騎士達の出発を見送りながらカンナは今後の行動を思案した。
今考えられる行先は2つ。
奈落街か蟻隠れの塚だ。が、カンナはマルキーダの奈落街の場所を知らない。大概は貧民街の辺りに在る事が多いが娘3人を連れて歩くような場所では無い。となれば行先はカンナも勝手を知っている蟻隠れの塚に決まりだろう。
カンナは3人へ振り返った。
「さて、では私達も出掛けるか。」
マルキーダ領都の中央から少し外れた場所、その閑散とした街並みの一角が蟻隠れの塚と呼ばれている。
嘗ては賑やかだったで在ろう街並みも人口減少に因って廃墟と化した建物に変わっており、其処にはイシュタル帝国やカーネリア王国、セルディナ公国の貴族や商いに失敗した元富豪など嘗ては地位の有った者達が身を寄せている場所になっていた。
其処は奈落街とは違って無法者が居らず、代わりに敗残者の汚名をなけなしのプライドで隠した人々が住んでいるのだ。
嘗ては紳士淑女だったと言うなけなしのプライドが残っている蟻隠れの塚の方がまだ幾らか奈落街よりはマシと言うカンナの判断で3人も一緒に連れて来て貰っていた。
とは言え、陰気な雰囲気の中に少しギラついた視線を送ってくる人々の群れは流石に気味が悪い様で3人は少し身を寄せ合いながら先頭を歩くカンナの後を黙って付いてきている。
「カンナさん、何処まで行くんですか?」
セシリーが少しだけ怯えた様な口調で尋ねると、カンナは指を前方に見える時計塔に差し向けた。
「彼所に古びた時計塔が見えるだろう。彼所の下にちょっとした酒場らしいモノが在るんだが其処に行く。私が蟻隠れの塚で知っているのは其処だけだからな。」
「・・・。」
セシリーは正直に言えば「付いてくるんじゃなかった」と言いたい処だが、カンナを1人行かせる訳にも行かない。
アリスとノリアは早くミストの行方を掴みたい、その一心でカンナに期待している。
何にせよ今はカンナに任せるしかない以上、3人は黙って小さなノームの背中を追いかけた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
ルネは僅かな風の動きに眠りから意識を覚醒させた。
眼前に蹲る巨竜は変わらず双眸を閉じている。神性の流れはどうなっているのだろうか?
エルフの娘は巨竜を見上げながら、今視ていた夢を思い返していた。
あれは何を意味するのだろうか。
見た事も無い異形の怪物や巨人達が光を纏った戦士やドラゴン達と凄まじい闘争を繰り広げていた。しかも信じられない事にその中には数人の人間と思われる戦士達の姿も在った。
夢であったにも関わらず其処から感じられる質感は圧倒的で、ルネは自身が消し飛んでしまうのではないかと恐怖してしまう程に強烈な身の危険を感じる夢だった。
まさかとは思うがアレは神話時代に起きたと言われるラグナロックの一齣だったのだろうか?
ルネも神話時代の生まれではあるがラグナロックの遙か後の時代、神話時代の終焉に生を受けた身であるため、ラグナロックは古の昔話くらいにしか感じられなかった。が、幾ら夢の中とは言えこうして其れらしき一場面を視てしまうと其の桁違いの凄みをまざまざと感じてしまう。
そして恐らく時代も場所も飛んでいるのだろうが違う場面も視た。
何か小さな黒い塊がモゾモゾと蠢いていた。ソレは何かから逃れるかの様に直ぐに地に潜る。そして深く深く沈んで行った。やがて広く暗い場所に落ちてくるとソレは安寧の地を得たとばかりにゆっくりと小さな触手を無数に伸ばし始めて周囲を飛び回っていた蟲を次々と捕らえて身体の中に取り込んでいく。
そしてソレはどんどん大きさを増していき・・・。
其処でルネは目を覚ましたのだった。
前半の夢は何となく理解出来るが、後半は全くもって理解が出来ない。一体何の夢だったのか。
「ハァ・・・。」
考えても解るはずも無い、と彼女は軽く息を吐くと歩き始めた。
洞穴の入り口まで歩くと冷風が吹き寄せてきてルネの黒く長い髪を弄んだ。空を見上げればこの森では珍しく雲が少し途切れて、夜空が顔を覗かせており星が瞬いていた。ここからは見えないが、明るい月も浮かんでいるのだろう。
眠気を払う様にスゥッと森の冷たく澄んだ空気を肺一杯に吸い込んだ時、視界の一角が揺れ動いた。
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誤字脱字の指摘を頂きました。
早速適用させて頂きました。有り難う御座います。
大変助かります。
極力、誤字脱字が無いよう頑張ってまいります。
今後もどうぞ宜しくお願い致します。




