40話 イシュタル大神殿
セーラムウッドの教会を訪ねた日の翌日。
シオンとルーシーは世界最大の宗教組織の総本山に乗り込んだ。
世界で最も多くの信仰を集める天央正教。
天央正教は創世記の時代より人々の心の拠り所として社会を精神面から支え続けて来た、現在まで続く教団の中では最も古く権威の在る教団だ。
だが、肥大化した教団組織は様々な人々が関わる事に拠って腐敗の一途を辿っているのも知る者達の間では有名な事実である。
イシュタル大神殿は、そんな心彷徨い悩める人々を慈愛にて導く清廉な教団だった時代から富と権力に目を眩ませるに至ってしまった現在までの、教団の移り変わりを静かに見守り続けて来た巨大且つ荘厳な大神殿だ。
1000年の歴史を誇る大神殿は改修と増築を繰り返しながら、皇城イシュタルにも引けを取らない現在の威容を手にしたが、天央正教を快く思わない人々からは「姿を変える度に、大きさを増す度に聖職者達の傲慢さを表す醜い鏡の様だ。」と揶揄されてもいる。
シオンとルーシーはリンデル皇子から渡された皇家の紋章が入ったブローチを入り口の門兵に見せる。
「少々お待ちを。」
門兵は何か言いたげな表情ながらも丁寧な応対で2人を待機所に案内する。
待機所の造りも中々に金が掛かっている様で金細工や宝石が至る所に散りばめられている。
「・・・。」
ルーシーはそれらを怪訝そうな表情で見ていた。
「どうした? ルーシー。」
シオンが訪ねるとルーシーがポツリと疑問を口にする。
「・・・神殿の施設にこんな派手な装飾が必要なのかしら? もっと静謐なモノかと思っていたわ。」
シオンは少し思案しながら答えた。
「そうだな・・・。例えば王侯貴族などは自分達の力を誇示する為に華美な装飾を好む傾向にあるけどな。其れは俗世に於いてはそういった誇示が効果的だからさ。」
「でも神殿は俗世に関わってる訳じゃないしこんなに飾る必要は無いんじゃ・・・」
「・・・確かに俗世とは余り関わらない存在だけど、そうは言っても此処まで大きな集団になると自衛の意味も含めて多少は必要だと思うよ。でもルーシーの言う様に普通は此処まで飾る必要は無いだろうな。・・・確かに此れは飾りすぎだな。」
シオンも見渡しながらそう言う。
ルーシーも改めて見渡す。
「・・・別にね、飾ったら可笑しいなんて言う気は無いの。やっぱり神様をお参りする人だって綺麗な所に祀られてる方が安心するだろうし。でも・・・此れは・・・ちょっと飾りすぎな気がするの。」
暫く待つと迎えの聖職者がやって来た。
「お待たせ致しました。我が教団の大主教がお待ち致して居ります。」
こうして案内に続いて2人は大神殿に足を踏み入れた。
大神殿内は更に華美な装飾に彩られていた。
黄金で作られたシャンデリアが高い天井に並んでおり其処では松明が燃えている。周囲の壁にはヒカリゴケを大量に封じたガラスのランプが掛けられており、それらの明かりが照らし出す壁画には天央12神が活躍した混沌期のモノと思われる風景が描かれていた。
太い柱にはきめ細かい彫り物が刻まれ、神像を象った彫刻なども置かれている。
この通路だけでも一体どれ程の金貨が注ぎ込まれたのか想像出来ない。
ルーシーの釈然としない表情を見てシオンは彼女の心情に思いを馳せてみる。
彼女の母親はセルディナの高名な女神官だったと聞いている。ルーシーの話を聴くに彼女の母親は静謐を重んじる性格だったのだろう。彼女の父親と知り合って聖職の身である事を捨てたがその信条には変わりは無かった様だ。そんな母からの教えを受けてきたルーシーから見たら神殿が過剰に装飾されているのは受け容れがたいのかも知れない。
「此方です。」
聖職者はやがて豪奢な扉の前で立ち止まり2人にそう告げた。
彼は扉をノックすると中に向かって声を掛けた。
「御二人をお連れ致しました。」
「中へお通ししなさい。」
扉の奥からやや嗄れた声が聞こえてくる。
「どうぞお入り下さい。」
聖職者は扉を開けて2人に道を開ける。
扉の奥は広い執務室になっていた。その奥。席に座っている初老の男が立ち上がった。
シオンはその男の名を口にする。
「ヘンリーク大主教・・・。」
「お久しぶりですな、御子殿。」
カーネリアで会った大主教が笑顔で2人を迎え入れる。
ソファーに座った2人にヘンリークは笑いかける。
「やはり貴男方はこのイシュタル大神殿にいらっしゃいましたな。」
「・・・。」
シオンは黙って微笑む。
捉えどころの無いこの大主教はどうも苦手だ。
「シオン、この人と会った事有るの?」
ルーシーがシオンに小声で尋ねると耳聡くヘンリークがルーシーに答える。
「ええ、そうですよ。お嬢さん。貴女が竜王の巫女様ですな?」
「え・・・は、はい。」
ルーシーは慌てて返事をする。
「御子殿とはカーネリアの大干渉使節団の場でお会いさせて頂きました。」
あ、この人が。
ルーシーは以前に大干渉の報告の時にシオンがその名を口にしていた事を思いだした。
ヘンリークはシオンに視線を戻す。
「私の言った通りだったでしょう?」
「そうですね。まるで貴男にはこの未来が予め視えていた様だ。」
シオンが答えるとヘンリークは笑った。
「はっはっは。まさか。私には未来透視の力など在りませんよ。純粋な予測です。」
「予測・・・?」
「はい、ある程度の情報と状況把握。この2つが出来ていればある程度確度の高い予測は出来るモノです。」
訝しげなシオンにヘンリークは答える。
「例えば我々はセルディナ公国がイシュタル大神殿に対して脅威を感じている事を随分以前から察知していました。」
「察知していた・・・?」
シオンは警戒心を視線に宿らせるがヘンリークは然程には気に留めずに話し続ける。
「ええ、察知していましたよ。各国が他国に『紐付き』を放って情報収集をしている様に、我が教団も各国の信者から教会に寄せられる情報に拠って色々と世界の動きを把握しております故にな。」
「ほう・・・。其れは下手な紐付きよりも遙かに優秀な情報源になりそうですね。」
「まさか。我々は彼等を情報源だなどと思ってはおりませんよ。彼等は敢くまで大切な信者の皆さんです。」
「・・・。」
シオンは無言でヘンリークを見つめる。
やはり奥底が見えない。悪党だとは思わないが無条件で信じられる相手でも無い。
シオンはルーシーをチラリと見た。
彼女の双眸が僅かに光を宿している。なら後でルーシーに確認してみよう。
「・・・話が逸れましたな。まあそう言う訳で、そう言ったいくつかの情報と前回の大干渉使節団に於いてイシュタル大神殿から急に使節・・・つまり私の事ですが・・・を出した事実から、きっとセルディナは此方を綿密に調査しようとするだろうと考えた訳です。そして誰が選ばれるかと言えば、実力と地位を持っているある程度自由に動ける人間、つまり貴男が派遣されて来るであろう事はあの時点で予測出来ていた訳です。」
「・・・なるほど。」
まだ引っ掛かる点は有るがシオンは一端は頷いておく事にした。
「其れでは此方に御来殿頂いた用向きをお伺い致しましょうか?」
ヘンリークが尋ねる。
シオンは頷くと端的に用向きを伝えた。
セルディナで人の手に拠って引き起こされたとは思えない様な凶悪な殺人事件が起こった事。
イシュタルでも同様の事件が起きており自分達は皇家の要請で調査に来た事。
そしてイシュタルで事件が発生した現場を見ると全てが教会の近辺で起きている事。
未だ起きていないのは帝都内だとイシュタル大神殿近辺のみだと言う事。
話し終えるとヘンリークは感心した様に首肯した。
「なるほど・・・教会の近くで・・・そんな事実が有ったのですね。私もそう言った事件が起きているのは知っていましたがそんな関連性が有ったとは気付きませんでした。」
「そうですか。何か心当たりでも有ればと思ったのですが・・・。」
シオンが言うとヘンリークは首を振った。
「残念ながら今のところは思い当たる事は有りませんな。」
シオンは頷くともう1つ尋ねてみたい事を口にした。
「ヘンリーク大主教。もう1つお伺いしたい事が有るのですが。」
「どうぞ、なんなりと。」
「貴男は天央正教の中でも開明的な考えをお持ちであるとか。其れもあってリカルド大主教達とは意見が合わないと聞きましたが。」
ヘンリークは苦笑した。
「よくご存知ですな。確かに彼の御仁とは中々に意見が咬み合わず話合いも苦労している部分はありますな。」
「意見の違いと言うのは?」
セーラムウッド教会で聴いたロドルフォ司祭の話と同じなのか、食い違うのか。
シオンの思惑など知る由も無くヘンリーク大主教は口を開く。
「・・・元々、天央正教は天央12神のみを信仰し全てを12神に捧げる排他的な宗教です。リカルド大主教はその考え方が在ったればこそ長きに渡って変質もせずに教えを守ることが出来たと主張していますな。そしてその意見は確かに一面の真理ではあるでしょう。」
「・・・。」
「しかし時代は流れ今は変動の時期です。歴史が究明されて過去には様々な神々が世界の再創造に関わっていた事が明らかになって来ています。その中で人々は天央12神以外にも目を向ける様になって来ました。我が教団もいつまでも排他的な考えで推し進めていては時代から取り残されていく。」
「なるほど、其れはそうかも知れない。」
シオンは同意する。
「それ故に私はリカルド大主教と対話を重ねているのです。天央正教も変革の時だと。あらゆる方面に教団を解放し他宗教との部分的な融合とて辞さずに更なる発展を目指すべきだと。」
ヘンリークは熱っぽく語る。
そんな彼にシオンは言った。
「俺には宗教の事情と言うのは良く解りません。だが今聴いた限りでは貴男の考えは其処まで対立を生む様な意見では無い様に感じますが・・・。」
ヘンリークは首を振った。
「だが新しい意見と言うのが受け容れ難いモノで在るのも事実なのです。実際、リカルド大主教の主張にも見るべき点はある。だからこそ彼等と粘り強く話合いを続け理解を得ていく必要があると私は考えている。」
「・・・なるほど、お話は良く解りました。」
シオンは頷くと話をしてくれたヘンリーク大主教に一礼した。
底が知れないのは変わりない。
だが一定の理念に基づいて行動している御仁だと言う事は確認出来た。
事件そのものについての情報は得られなかったがヘンリーク大主教の話はセルディナに報告する価値が在るのかも知れない。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
所用が有ると言うヘンリーク大主教に別れを告げると2人は大神殿の門を出た。
『本当は法皇猊下にもお会い頂きたい処ですが・・・今は猊下は何方にもお会いすることが出来ない故に、其れはまた何れ・・・。』
ヘンリークは別れ際にそう言った。
恐らくは暗殺計画が関わっているのかも知れない。
シオンはルーシーの様子が気になっていた。
ヘンリークと会話をしている途中からルーシーの様子がおかしかった。何か妙に緊張している様子だったのだ。
「ルーシー・・・どうした?」
シオンが尋ねるとルーシーはシオンに少しだけ笑いかけた。が、明らかに無理をしている。
「ルーシー・・・?」
シオンが更に尋ねるとルーシーは口を開いた。
「さっきの会話の時、『巫女の瞳』を使ってみたんだけど・・・。」
「ああ、解っている。・・・何か『視えた』のか?」
シオンの問いにルーシーは首を振った。
「視えなかった・・・何も。」
「何も?」
ルーシーは頷く。
「うん。何も。嘘とか真実とかそう言う前に何も無かった。」
「無かったって言うのは?」
「イメージで言えば・・・心が視える場所にポッカリと穴が開いている感じ。」
「穴が開いている・・・。」
シオンは思案する。
「ヘンリーク大主教がルーシーの瞳を防げる結界みたいなモノを張っていた・・・とか?」
ルーシーは首を振った。
「解らないわ。」
シオンは頷いた。
「そうか。いずれにせよヘンリーク大主教の話が本当かどうかは解らなかったと言う事か。」
「うん、ごめんなさい。」
「いや、ルーシーが謝る事じゃない。解らないなら大主教の話の裏付けを取れば良いだけの話だ。」
気落ちする素振りを見せるルーシーにシオンは微笑む。
さて、次の一手をどうするか・・・。
シオンがそう考えた時、2人の前に意外な人物が姿を見せた。
黒く長い髪を1つ束ねにした、エルフにしては長身の娘。
「・・・ルネ殿。」
シオンがその名を呼ぶ。
「お久しぶりです。シオン様、ルーシー様。」
ルネは静かに一礼する。
「何故、貴女が此処に?」
シオンが尋ねるとルネは2人を見た。
「天の回廊での作業が1段落着いたのでレシス様にお許しを頂いて下天しました。下天した理由は亡きクリソスト師の導きに従い、為すべき事を為すために。」
「そうでしたか。」
頷く2人にルネは言葉を続けた。
「ですが私が為そうとした事は私の手に余るモノでした。」
「手に余る・・・? 一体何を為そうとしているのです?」
「最奥のアートス討伐です。」
「!」
シオンの視線が厳しくなる。
「天の回廊にてゼニティウスの話を聴いた時、この世に残る最大の災厄はアートスだと私は理解しました。故にその魔神討伐を以て世界への贖罪にしようと考えていたのですが、アートスは私の手に負える存在では在りませんでした。」
「まさか、戦ったのか!?」
シオンが驚いて尋ねるとルネは首を振った。
「いえ、アートスを知るであろう方にお伺いを立てたのです。」
「ああ、なるほど。それでアートスを知っている者がいるのですか?」
「はい、古の竜です。」
2人は絶句した。
「竜・・・ドラゴン?」
「はい。」
ルーシーが首を傾げる。
「ドラゴンってもう居ないとカンナさんから聞いた事が在るんですが・・・。」
「・・・いえ、竜は居ます。が、確かに極少数しか存在していません。しかもそれぞれの竜が人の目を避ける為に結界を張ったり人が来ない様な場所に潜んでいたりしますから、人系の種族で彼等の存在を認知している者は少ないのかも知れません。」
「そうだったのか・・・。」
シオンは思案してから言った。
「其れで良いのかも知れないな。特に人間は竜と聞いたら不良冒険者達が手軽に名誉と富を手にしようと考えて彼等の生活を侵害し始めるだろうからな。」
「そうですか・・・到底敵う筈も無いでしょうに。」
ルネは少し呆れた様な表情で呟く。
「其れで、その竜はアートスについて何と言っていたのでしょう?」
シオンが話の続きを促すとルネは頷き、ヤートルードと交わした会話の内容を伝えた。
「竜と1対1で戦って勝利してしまうのか。」
シオンは呻く。
聴いた限りではグースールの魔女をも凌ぐ強さと言うのは本当なのだろう。
「其れで、アートスが動き出してしまった場合にはどうしたら良いと竜は言っていたのでしょうか?」
シオンが尋ねるとルネはルーシーを見た。
「ヤートルードはルーシー様を連れて来るように言われて居りました。」
「私を・・・?」
「ルーシーを?」
2人が訊き返す。
「はい。其れでルーシー様をお迎えに上がった次第なのです。」
「そういう事か・・・。」
シオンは頷く。
無論、竜の言葉に従う事に異論は無い。況してやルネの迎えであるなら尚更だ。しかしイシュタル帝国の依頼はどうするべきか。
「シオン、私、ルネさんと行ってくるわ。」
ルーシーがシオンに言った。
「ルーシー・・・いや、しかし其れは・・・。」
シオンは不安げな表情になる。
「多分だけど、急いで行った方が良いと思うの。巫女の感覚と言えば良いのか解らないけど・・・ルネさんの話を聴いてから、其のヤートルード様に呼ばれてる様な気までするの。」
ルネがルーシーに頭を下げた。
「ルーシー様、有り難う御座います。・・・シオン様、私がルーシー様を必ず御護りします。」
「・・・」
シオンは迷った。
ルネの実力は知っている。彼女は類い稀な魔法戦士だ。天の回廊で戦った時の様な神性はもう感じないが彼女の基礎的な身体能力と戦闘センスは理解しているつもりだ。
そしてルーシーの魔法使いとしての実力は疑うべくも無い。
大概の困難は彼女達の実力で在れば切り抜けられるだろう。
だからと言って不安が無い筈は無い。しかし・・・。
「分かった。」
シオンは了承した。
実際、ルネは1度は1人で向かっているのだ。しかもその向かっている過程で森の住人達も味方に付けて居るとか。
「俺も此方の件を片づけたら早急に後を追いかける。」
シオンが言うと2人の少女は頷いた。
「うん。」
「解りました。」
行動を別にする事が吉と出るのか凶と出るのか。
一抹の不安を抱えながらシオンも頷いた。




