36話 再会
「10ヶ月ぶりくらいか・・・。」
港に降り立ったシオンは呟いた。
イシュタル帝国が誇る巨大港ラーゼンノット。
40隻以上もの大型商船を同時収容でき、それぞれの積み荷を混乱無く捌けるだけの倉庫と市場を擁した世界最大級の港である。
1ヶ月に降ろされる物資の量は100万人の人々が文化的な生活を半年に渡って送れるほどの量であり、積まれる物資も他の港とは桁違いの量になる。その他周辺諸国の大型客船も受け容れており物資と人が常に流れ込むイシュタルの経済の要所でもあった。
「10ヶ月前・・・?」
銀髪を潮風に靡かせながらルーシーが小首を傾げて訊き返す。
シオンは微笑む。
「ああ。ギルドの依頼で来た事が在るんだ。その帰りにキャラバンで君と出会ったんだよ。」
「あ・・・。」
一瞬でルーシーの頬が染まる。
「そっか・・・。あの時か・・・。」
嬉しそうに微笑んだルーシーがソッとシオンの手を握る。
シオンはその繊やかな手を確りと握り返しながら言った。
「行こうか。」
巨大港の名前をそのまま町の名前にした港町ラーゼンノットの喧噪の町並みを2人は歩いて行く。
「大きい町だね。」
ルーシーが目を輝かせながら通りに並ぶ露店を眺めている。
「そうだね。ラーゼンノットだけで人口は15万人居るらしいけど、今も移住してくる人数は増え続けていてどんどん町の大きさを拡大させて居るんだ。」
「じゅ・・・凄いね。セルディナの公都と同じくらい居るんだ・・・。」
「うん。それに此処は帝都イシュタルの目と鼻の先だから帝都イシュタルと拡大を続けるラーゼンノットは何れくっついてしまうって言われてる。」
「町と町がくっついちゃうなんて凄いね。・・・でも、そうするとこのラーゼンノットって言う名前も消えてこの辺りもイシュタルの名前に変わるのか・・・。」
興味深そうに呟くルーシーにシオンは首を振った。
「いや、そうはならないと思う。」
「そうなの?」
「ああ、多分だけどね。何しろラーゼンノット港の名前は世界中に強く認知されている。実は有名な場所の名前を変えると言うのは繊細な問題でね。名前を変えた事によって此れまでと勝手が変わって自由な商売が出来なくなるんじゃ無いかと商人が不安を感じてしまう可能性が在る。そうなってしまうと入ってくる人と物の量が落ちかねない。だから帝国はラーゼンノットの名前は消さないと思う。」
「へぇー・・・。」
ルーシーが感心したようにシオンを見上げる。
「何?」
「ううん。シオンって何でも知ってるなーって思ってさ。」
シオンは照れ臭そうに笑う。
「はは・・・いやまあ、幼い頃に受けた貴族教育でソレなりに学んではいたからね。」
「・・・。」
黙ってニコニコと見上げるルーシーが言った。
「強くて色んな事を知っていて優しくて・・・シオンは凄いな。」
「いや・・・そんな事は・・・。」
シオンは珍しく顔を赤くしながら視線を泳がせる。
「ふふふ。」
そんなシオンを見てルーシーも頬を染めながら笑った。
ラーゼンノットは喧噪と笑い声で溢れている。
商館を出入りする豪奢な服に身を包んだ富豪達、露店で客を呼び込む者達、買い物に意欲を燃やしている者達、走り回る子供達、路地裏で怪しげな取引を持ちかける者達。
様々な欲望と思惑と感情が入り交じってラーゼンノットは正に活力に満ち溢れた町だった。
そんな町並みを眺めながらシオンはカンナの言葉を思い出す。
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夜遅くにシオンの家にやって来たカンナは、翌々日シオンを魔術院に呼び出した。
「度々済まないな、シオン。」
「いや、別に構わないが何か在ったのか?」
部屋に入ったシオンはルーシーも同席しているのを確認しながらカンナに尋ねた。
「ルーシーも居るが・・・?」
「ああ、2人に話しが在るからな。」
カンナは頷くと本題に入る。
「一昨日の晩、怪しい気配を感じた云々の話をしていただろ?」
「ああ。」
「あの晩にその『気配』が原因と思われる殺人事件が起きた。」
「・・・!」
シオンとルーシーの表情が険しくなる。
「お前達相手なら話も早いから詳細は省くが、殺害された者達は周辺の者達から鼻つまみ者扱いされていたチンピラ達でな。見た者の話では『黒い影が現れて、チンピラ達に取り憑いて爆散させて行った』らしい。」
「人じゃ無いって事だな。」
「悪魔の類い・・・でしょうか?」
「多分な。」
カンナが頷く。
「ソレを俺達に討伐して欲しいという事か?」
シオンが尋ねるとカンナは首を振った。
「いや。ソレなら私とセシリー、それに魔術院の人間でどうとでもなる。お前達に頼みたいのは別のことだ。」
「ほう・・・?」
カンナは紅茶で口を湿らせると再び口を開く。
「実はな、ソレと同様の被害がイシュタルでも起きていたんだ。1週間以上も前にな。」
「つまり、先にイシュタルで被害が出て、次にセルディナが被害に遭ったって事か。」
「そう、そして被害は2日に1回ほどのペースで起きているらしい。」
「2日に1回・・・じゃあ・・・。」
ルーシーが言った。
「・・・セルディナでも今日辺り、また同様の被害が出る可能性が在るって事ですか?」
「そう。」
カンナが頷く。
「だから今日は朝からセシリー達に頼んで公都中に結界石を敷きに行って貰っている。今晩は私は徹夜だな。」
「俺達も何かした方が良いか?」
シオンが心配げに提案するとカンナは首を振った。
「いや、此方は先程も言った様に私達だけで良い。お前達にはイシュタルに向かって欲しいんだ。」
「イシュタル・・・。」
「イシュタルから来た使者は『竜王の御子と巫女に対応を願いたい』と言って来たそうだ。」
「随分と勝手な言い草だな。」
シオンが不快げにそう言うとカンナは苦笑いをした。
「私もそう思ってこの話を私に伝えてきたブリヤン宰相に同じ事を言ったよ。そしたら宰相殿は言っていたよ。『イシュタルとしては此れを機に竜王の御子と巫女と懇意にして置きたい』と言う考えが在るのだろう、と。」
「懇意って、そんな呑気な・・・。自分の国が危機なのに・・・。」
ルーシーが信じられないと言った感じで呟く。
「勿論、イシュタルもコレを危機とは捉えているだろう。だが、同時に英雄を国に招くチャンスでも有ると捉えている筈だ。国家って言うのは様々な状況を自分達の望む方向に導く様に動くモノだ。だから長期的には国の利益になると判断したら、時として第三者から見たら悪を取り込む様に見える事もやるんだ。」
「・・・難しいですね・・・。」
複雑な表情でルーシーが呟く。
「まあ。その辺は陛下や宰相殿に任せておくとしよう。それにセルディナ側としても当然打算はある。イシュタルに借りを作ると言う打算がな。」
「なるほどな。」
シオンが得心行った様に頷き言った。
「まあ、思う処が無いワケでは無いが・・・俺は冒険者だ。報酬が貰えれば特に不満は無いさ。」
「ソレは心配要らん。宰相殿が言うには『イシュタルに向かうだけでBランク相当の依頼として報酬を出す。原因を取り除いた場合はAランク依頼に格上げして追加報酬を出す』だそうだ。」
「了解だ。」
シオンが了承するとルーシーが不安げに言った。
「でも・・・シーラさんの看護はどうしましょうか。」
現在、アリスの妹シーラの魔力中毒の治療をメインで行っているのがルーシーである為、彼女としてはシーラから離れる事に不安が残るのだろう。
カンナはそんなルーシーの不安を払う様に言った。
「心配は要らない。ルーシーが毎日彼女を看てくれていたお陰で、そろそろ彼女の症状も落ち着いてきている。急変するような症状はもう現れないだろう。ソレならば私でも充分に対応出来る。」
「そうですか・・・。」
ルーシーはホッとしたような表情になる。
カンナは微笑んだ。
「成り行きだったとは言え、今まで良くやってくれたな。ルーシーには本当に回復師としての高い素質が在るようだ・・・とマリーが言っていたよ。」
「マリーさんが・・・。」
ルーシーは師と仰ぐ女性からの快い評価を聞いて嬉しそうに頬を染めた。
そして頷く。
「解りました。そういう事なら私もシオンと一緒に行きたいです。」
「わかった。序でにシオンにイシュタルを案内して貰って楽しんでこい。」
カンナが言うとルーシーはシオンを見た。
シオンが微笑むとルーシーも微笑む。
「まあ、お前達2人が行けば事態はアッサリ解決しそうだな。」
カンナの言葉に2人は苦笑した。
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「シオン=リオネイル様とルーシー=ベル様でいらっしゃいますね。」
待ち合わせのモニュメントの前で平服を着た男が話し掛けてきた。
平民を装ってはいるが逞しい肉体と隙の無い挙動は明らかに鍛えられた騎士のモノだ。
「はい。」
「ええ。」
シオンとルーシーが口数少なく答えると男は静かに一礼する。
「遠路遙々お疲れ様です。私はイシュタル聖騎士団、第一騎士団所属の騎士長アイマル=マリスカルです。イシュタル城までご案内致します。」
アイマル騎士長はそう言いながら手で2人の視線を誘導する。
その先には1台の馬車が用意されていた。
「シオン・・・。」
ルーシーの双眸が不安げに揺れている。
「どうした?」
「私の見た目・・・イシュタルの人達に怖がられないかしら?」
ルーシーの懸念にシオンは苦笑した。
「大丈夫だよ。君の銀髪も紅の瞳も綺麗だよ。」
「シオンはそう言ってくれるけど・・・。」
ルーシーは得心出来ずに少し俯く。
テオッサの村で『忌み子』『気味が悪い』と幼い頃から言われ続けたルーシーの環境を鑑みれば仕方が無いとは思うが。
一刻ほど馬車に揺られて2人は帝国の誇る荘厳な巨城の門を繰々った。
遙かに神話時代より世界の中心国だったと言われているイシュタル帝国。その王城としてこの地に聳え続けた名城は、その歴史も然る事ながら大きさでも有名な城だった。
周囲を歩くだけでも半日以上掛かると言われるほどの広大さを誇る王城には、騎士団や兵士団の訓練場や溜り場、軍馬達の厩舎、資材倉庫、幾つもの離れや広大な後宮、色取り取りの花が咲き乱れる中庭の数々などが所狭しと収まっている。
働く人の数は3000人を超え、常勤する騎士団や兵士団の数まで合わせると15000人を超えると言われており強大な帝国を支える王城に相応しい巨城だった。
そんな中を2人はアイマルに先導されながら歩み進め、やがて一室に案内された。
「こちらで暫しお待ち下さい。」
アイマルは一礼すると部屋を退出した。
やがて姿を現したのは――――。
「久し振りだね、シオン=リオネイル。」
「殿下。お久しぶりで御座います。」
親しげな笑顔で挨拶をする帝国第3皇子リンデルだった。
返礼するシオンと慌ててソレに続いて礼を返すルーシーを笑顔で受け容れるとリンデルは2人の向かいの席に腰を下ろす。
「遠路遙々済まなかったね。良く来てくれた2人とも。」
リンデルはそう言うとルーシーを見た。
「貴女が竜王の巫女殿にしてセルディナ公国の聖女殿か。お初にお目に掛かる。イシュタル帝国第3皇子のリンデルだ。」
「あ、ルーシー=ベルと申します。」
ルーシーは恐縮しながら頭を下げる。
「なるほど噂通りお美しい。」
「え!?」
意外な言葉が皇子の口から飛び出してルーシーは驚きの声を出してしまう。
「?」
リンデルが首を傾げるとシオンが苦笑しながら言った。
「ほら言っただろ、ルーシー。君の見た目を怖いと言う者の方が少ないって。」
「怖い・・・?」
リンデルは理解し難いと言った表情になったが直ぐに気を取り直した様に表情を改めた。
「2人にイシュタルまでお越し願ったのはイシュタルで最近起こっている事件の調査だ。」
「はい、伺っております。正体不明のモノによる殺人事件が2日に1回のペースで起きているとか。その調査ですね。」
「その通りだ。人の仕業とは思えない様な凄惨な現場でな。イシュタル魔術院の人間が言うには『強力な邪念の様なモノを感じる』と言っている。しかも力が強すぎて彼等では対応が難しいとの事だ。」
「・・・。」
シオンがルーシーを見た。
ルーシーが頷いて緊張した面持ちで口を開く。
「で、殿下。」
「ん?」
「私達もセルディナで予測していたんですけど、多分犯人は人間では無いと思います。」
「ほう・・・?」
「セルディナでも同じ様な事件が起きているんですが・・・。」
「何、本当か?」
リンデルの表情が険しくなる。
「はい。少なくともセルディナで起きた事件の犯人は恐らく悪魔の類いだろうと考えてます。私ともう1人がそう言った存在に対して反応出来るので、多分そうだろうと。」
「・・・。」
リンデルは驚嘆したようにルーシーを眺めた。
「大したモノだ・・・。我が国の知恵者達が頭を寄せ合っても予測すら立てられなかったのだが。巫女殿の感性は驚くべきモノが在るな。聖女と呼ばれるのは名前だけでは無いと言うことか・・・。」
「あ、いえ、そんな事は・・・。」
赤くなって俯くルーシーに微笑むとリンデルはシオンを見た。
「カーネリアでも思った事だが・・・竜王の御子殿と巫女殿の存在は素晴らしい。是非にも我が国に欲しい存在では在るが・・・。」
「殿下・・・。」
シオンが少しだけ表情を顰めるとリンデルは笑った。
「解っている。敢くまでも私の個人的な感想だ。実際に実行しようとしたらセルディナ公国と事を構える事になろうし君達が本気で抗ったら到底まともに立ち向かえるモノでも在るまいよ。流石にデメリットが大きすぎる。」
「・・・。」
シオンも苦笑する。
「だから次点の策として今回2人を呼ばせて貰ったんだ。シオン君は政治的な話も理解出来る様だから話すが『イシュタルは竜王の御子殿と巫女殿の2人と懇意にしている』というアピールが出来るからな。更には実際に君達にもイシュタルに慣れて欲しいという狙いも在る。・・・ああ、勿論この事件を解決して貰いたいと言う当面の依頼もあるがな。」
まるで事件解決が序でとでも言う様なリンデルの言い様に2人は苦笑いするしか無い。
「大凡のイシュタルのご意向は理解しました。この上は事件解決に向けて全力を尽くしましょう。」
シオンはそう言うと一礼した。




