34話 変化
「まさか持ってくるなんて・・・。」
殺人現場から解決の糸口となるかも知れない品物を勝手に持ち出して・・・いや盗み出して来て飄々とした表情を崩さないミストの不貞不貞しさにノリアは呆れる。
「どうせ連中では解決出来んよ。なら俺が有意義に使ってやろうって話だ。」
「呆れた・・・。」
ミストは少しだけ楽しそうに笑うノリアに百合の銀細工を突き出す。
「・・・?」
首を傾げるノリアにミストは言った。
「其処でお前の出番だ。」
「? ・・・どういう事?」
ノリアの表情が少し不安げなモノに変わる。
「お前、確か補助の魔術を使えると言っていたな。」
「ええ。」
「ソイツで俺の魔術を強化してくれ。」
「何をするの?」
「この銀細工の記憶を読んでみる。」
「銀細工の記憶?」
訝しげな表情を浮かべるノリアにミストは考えを説明する。
「以前に出会った魔術師が本の記憶を読み取っていた。やれるかどうかは解らんが俺もこの銀細工の記憶を読んでみる。」
ノリアは信じられないと言った表情で訊き返す。
「え・・・。そんな事が出来るの? いえ、もし出来たとしても殺害現場を視るって事でしょう? 大丈夫なの?」
「心配は要らん。人が死ぬ処など算えきれん程に見てきた。今更だ。」
「でも・・・。」
「第一、出来るかどうかも解らん。」
「・・・解りました。」
ミストの言葉に少しだけ逡巡しながらもノリアはコクリと頷いた。
「じゃあ始めるぞ。」
ミストは銀細工に手を伸ばす。
『蒼き月と真なる真名に於いて我が手は潜みし深淵を掴むものなり・・・クエスト』
ミストの詠唱が終わると同時にノリアがミストの手に自分の手を被せるようにして詠唱を始める。
『蒼き月と騒々めく精童の握り手を以て彼の流れに一迅の風を渡せ・・・フォロウ』
ノリアの手から青白い光が溢れ出しミストの手を包んでいく。
「!」
ミストの表情がピクリと揺らぐ。
「ふー・・・。」
やがてミストは銀細工に翳した手を退けた。
「・・・どうだった?」
ノリアが興味津々と言った表情で尋ねてくる。
ミストは眉間を指で押さえると再度溜息を吐いて呟いた。
「ダメだな。」
ノリアは少し乗り出した身を元に戻しながら
「そう。」
と少し残念そうに言う。
「なんだかんだ言いながら興味ありそうだな。」
ミストがそうツッコむと
「ソレは・・・だって物の記憶を辿るなんて興味が出るわよ。」
とノリアは気恥ずかしそうに言った。
ミストは銀細工を摘まむ。
「やはりアイツは違う魔術か何かを使っていたと言う事か。或いは上手く行くんじゃないかと思ったんだがな。」
古代図書館で出会った小生意気なノームの娘を思い出しながらミストはぼやいた。
――あのノームに見せてみるか・・・。
そう思わなくも無いが、それで実際には何も出て来ませんでした、ではセルディナまでの路銀が無駄になる。船を使っての往復となると路銀もバカにならない。
「チッ。」
ミストは詰まらなそうに小さく舌打ちをすると銀細工を放り投げた。
せっかく金の臭いがしたと言うのに簡単に道が絶たれてしまった事に腹が立つ。
銀細工はコロコロと音を立てて床に転がる。
「・・・。」
ノリアは転がる銀細工を無言で眺めた後、ふて腐れた子供の様に背もたれに身を預けるミストに視線を移してクスリと笑った。
「なんだ?」
咎める様なミストの声にノリアは首を振る。
「いいえ、別に。ただ、お店に来てた時の貴男とは随分違うな、と思ったら可笑しくなって。」
「・・・ふん。」
ミストはソッポを向く。
「少しゆっくりしましょうよ。」
ノリアが提案する。
「私、イシュタルを観て周ってみたいわ。」
「今日周ったじゃないか。」
ミストがチラリと視線を投げて言うとノリアは頬を膨らませた。
「今日のはダメ。」
「何でだ。」
「殺人現場の聞き込みを観光だなんてイヤだわ。」
ノリアの返しにミストは息を吐く。
「案内して下さい。」
「わかったわかった。」
ノリアがお願いするとミストははヤレヤレと言った風に頷いた。
翌日、2人はミストが先頭を歩きながらノリアを連れてイシュタルの一部を観て周った。
「アレが大鐘楼塔だ。」
ミストは巨大な建物を指差す。
大鐘楼塔の下には入り口があり人々がその中に吸い込まれていく。
「中に入れるんですか?」
「入ったって何も無いぞ。」
「入ってみたいです!」
ミストの言葉も聞かずにノリアは瞳を輝かせて宣言して入り口に向かって行く。ミストも仕方無さそうにノリアの後を歩いて行く。
塔を登りながらミストはノリアに大鐘楼の説明をしていた。
「この大鐘楼塔はイシュタルでも最古の建物らしい。神話時代の大英雄の働きを讃える為に建てられたと言われている。本当かどうかは知らんがな。」
「・・・。」
ノリアは描かれている壁画を眺めながら言う。
「この竜と戦っている人が大英雄?」
「そうらしい。」
「こんな大きな竜が本当に居たんでしょうか?」
「さあな。少なくとも今の時代には目撃の報告は無いと思うぞ。」
ノリアはじっと壁画をみつめる。
「こんな大きな竜をたった1人で倒したんなら・・・。」
「化物だな。この絵が本当なら人知を超えた存在だ。本当に居たならな。」
大鐘楼塔の最上階は壁が刳り抜かれていて下界が見下ろせるようになっていた。
冬の冷たい風が吹いていて周囲の観光客達も含めて全員がコートの前を締めながら見下ろしている。
「この上には下から見えた大鐘楼が在る。」
ミストが指差す天井にノリアは肩で息をしながら目を向ける。
「ハァ・・・ハァ・・・こんなに上まで上れるとは思ってなかったわ。」
ノリアは流れる汗を拭いながらそう言うと笑って見せる。
「そうか。」
ミストは言うと視線を下界に向ける。
ノリアも釣られて視線を外に向けて瞳を輝かせた。
「高い・・・。」
窓枠に駈け寄ったノリアは冬風に髪を靡かせながら下界を見下ろして呟く。
活気のある町並みを眺めながら視線を上げると遠くに巨大な建造物が聳えていた。
「アレがイシュタル城?」
「そうだ。良くも悪くも凡庸な皇帝が住んでる城だ。」
「凡庸って・・・。」
反応に困った素振りを見せるノリアに構わずにミストは言葉を重ねる。
「凡庸さ。現状維持をするだけでそれ以上にしないならソレは凡庸だ。例えば『余の代で貧民街を無くす』と言いながら未だに手を付けていないのは其処に住まう者からしたら絶望的に期待外れと言うモノだ。」
「・・・。」
「王侯貴族は言うまでも無いが平民も今日明日に命の危険が訪れる事は余り無い。だが貧民街に住む人間は違う。今日明日の食べ物が手に入るかどうかが解らない。病気に罹れば体力の無い貧民には其れが例え只の風邪であっても命取りになる。他にも治安の悪さから暴力の巣窟となり易い貧民街は、今日を生き残る事が出来るかどうかが分からない場所だ。そんな場所を無くすと言われたら貧民街に住む人間は嫌でも期待をする。本当に切実な願いだからな。・・・だが皇帝が玉座に就いてから20数年、その願いを叶える施策は着手すらされていない。」
冬の冷たい風に吹かれながら語るミストの表情は、そんな冬風にも劣らない程に冷たかった。ノリアは何も言えずにミストの話を聴く。
「皇帝はその他の問題に関してはちゃんと手を付けて国を安定させている。解決に向けて順番を付けているだけなのだろうが、恐らく後回しにされている貧民街の問題は結局のところ皇帝が即位してから何も改善されていない。公言したことが全部守られていないのならば、其れはやはり凡庸なんだよ。」
「そうかも知れませんね・・・。」
苦しげにノリアは目を伏せて頷いた。
彼女とてカーネリアで悪王に人生を翻弄された1人だ。ミストの感情と言葉は共感出来るのだろう。
「つまらん話をしたな。」
ミストはノリアの横顔を見てそう言うと違う方向を指差した。
「そしてアレがイシュタル大神殿だ。」
大鐘楼塔を中心に見て王城とは反対側に巨大なドーム状の建築物が聳えている。
尖塔が目立つ王城とは対照的にイシュタル大神殿は丸みを帯びた形状の屋根が目立つ。その建物の中央辺りには天央12神を表す盾と剣を交差させたオブジェクトが飾られていて天央12神の権威を見る者に伝えてくる。
「一説に拠ればイシュタル大神殿には神話時代に英雄が使用した数々の神剣の1本が祀られていると聞く。」
「?」
ノリアは首を傾げた。
「天央12神を信仰する本拠地が、言ってみれば他の神様みたいな存在の物を祀っても良いのかな?」
ミストは意外そうな表情でノリアを見る。
「ほう・・・。」
やはりこの娘は馬鹿では無いな、と思う。
「・・・ああ、お前の言う通りだ。普通はそんな事は絶対にしないだろう。だが大神殿は絶対に剣を手放さない。それ故にイシュタル大神殿が権力増大に固執して腐り始めている、と言う人間も増え始めている。」
ノリアは神殿を眺めながら呟いた。
「・・・どんなに崇高な意識や願いも、時が流れて運営する人間が変わり沢山の人の意思が混じってくれば変質して行くものだから・・・在る意味では自然な流れなのかも知れない・・・。」
その独り言にも取れるノリアの言葉はミストの胸にしっくりと落ちていった。
「そうだな。」
ミストもノリアの視線に合わせて大神殿を眺めながら頷いた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
その夜、カンナは久し振りに自分の家に居た。
小さな身体には見合わない巨大な食欲を充分に満たしたカンナは幸せそうな顔で「ふー」と息を吐いた。
目の前に並んだ大量の皿に載せられていた料理は全てカンナの胃袋に収められている。
「・・・。」
侍女達は未だにカンナの食欲に慣れないのか、普段の澄まし顔を何処かに置き忘れて「ポカン」と口を開けている。
「お・・・お味は如何でしたか?」
侍女の1人がそう尋ねるとカンナはご機嫌の笑顔で
「美味かった。」
と答えた。
セシリーに言われたときは何だかんだ言って使用人を雇い入れる事を渋っていたカンナも今ではこの生活に満足している。
何しろ自分は何もしなくても家の管理やカンナの身の回りの事を侍女達が確りと整えてくれるのだ。
そしてセシリーが予言した通り、国のお偉方や貴族達から呆れるほどの数の招待状が届いたが、其れも家令のビクトールが全て捌いてくれている。
有り難い事この上無い。
お陰で彼女は趣味の資料漁りや新魔法の研究開発に没頭できる。
自分の趣味が王家に認められて保護されている。王宮書庫も自由に利用でき、専用の研究室まで与えて貰った。暇になればビアヌティアンに会いに行って会話を楽しみ、シオン達と交流を深める。
孤高に一人旅を楽しむ生活も悪くなかったが、大勢の人々に囲まれて過ごす生活も中々に悪くない。
自室に入りセルディナの歴史書を読んでいたカンナは、ふと目を上げてそんな事を考えていた。
「・・・ふふふ。」
思わず笑いが零れる。
『コンコン』
扉のノックにカンナは
「はいよー。」
と答える。
入って来たのは家令のビクトールだった。
「お休み前のお時間に失礼致します、主。」
洗練された動きで頭を下げたビクトールにカンナは手を振った。
「ああ、構わんよ。どうした?」
カンナは一番苦手な分野を全てカバーしてくれているこの家令に頭が上がらない。
「はい。主が以前に取り寄せたいと仰られていた七色水晶が入荷されたとの連絡が届きました。」
「え、もう!?」
驚くカンナに家令は答える。
「はい。主からの依頼と知ったら商会長主導で入手に全力を注いでくれたようです。」
「ほお・・・。」
カンナは若干言葉を失った後に気を取り直して口を開いた。
「あーそうかぁ・・・無理をさせたかな・・・。」
権力の様なモノで脅かしてしまったのかとカンナが呟くとビクトールは首を振る。
「いえ、主、違います。レンテン商会は嬉々として依頼を請け負っておりました。カンナ様の覚えを良く出来るとの思惑があった筈ですから渡りに船だったのでしょう。」
「ああ、そう言う事か・・・。」
カンナはホッとしたように頷く。
「まあ・・・じゃあ、また今度何か頼むかな。」
「其れが宜しいかと。きっと喜ぶでしょう。」
「そうか。じゃあそうするか。」
正直に言えばこの辺の付き合い方に疎いカンナはビクトールの判断を指針にしている処が在るので満足げに頷いた。
「!」
突然カンナは立ち上がった。
其の表情は極めて厳しい。
ガタガタと窓際に走り寄ると『ガタン』と乱暴に窓を開けて暗い外を睨み付ける。
「い・・・如何なさいましたか? カンナ様。」
驚いて尋ねるビクトールには答えず、カンナは鋭い視線で宵闇の町並みを左右に走らせながら呟く。
「何かマズいモノが入って来たね・・・・。」
「マズいモノ・・・ですか?」
訊き返すビクトールにカンナは視線を投げると頷いた。
「どうやら正体は解らんが何か面倒なモノがこの公都に入り込んだようだ。」
「面倒なモノ・・・。其れは魔物の類いと言う事でしょうか?」
「恐らくな。」
そう言って部屋の扉に向かい歩き出したカンナにビクトールが尋ねる。
「主、どちらへ?」
カンナは信頼する家令に答えた。
「シオンの家に行く。家のことは任せたぞ、ビクトール。」
敬愛する主に留守を任された初老の紳士は流麗な仕草で一礼する。
「畏まりました、主。」
カンナは頷くと部屋を出た。
杞憂で在れば良い。邪教異変の様な厄介な事に為らなければ良い。
だが・・・と嫌な予感を振り払い切れないカンナは先を急いだ。
※注意
ノリアの詠唱部分に『騒々めく』とあり「さんざめく」と読ませていますが、本来「さんざめく」と言う言葉に当て嵌められる漢字は無いです。
詠唱部分を見た時に字面として「さんざめく」の部分に漢字が欲しかったので私が当て字を使いました。『騒々めく』は言葉の意味から「騒」の文字を私が言葉遊びのつもりで勝手に当て嵌めた造語です。
実際にはこんな当て字は無いのでご注意下さい。
宜しくお願い致します。




