25話 イシュタル帝国
「疲れていないか、アイシャ?」
前を歩く金髪の少年が少女に振り返った。
薄い金髪をポニーテールに纏めた髪を揺らしながら少年の後ろを歩いていた少女は少年を眩しげに見上げながら笑顔を向ける。
「うん平気だよ、ミシェイル。」
アイシャの笑顔にミシェイルも笑顔を返す。
2人は冬の夕空が町並みを照らす頃、宿屋に戻った。
「今日も何も聞けなかったね。」
椅子に腰掛けたアイシャが言うとミシェイルは苦笑した。
「まあ、まだ2日目だ。ゆっくりやるさ。」
「うん。」
ミシェイルの言葉にアイシャは頷く。
此処は帝都イシュタル。
2人はギルドからの延いてはセルディナ公国からの依頼に拠ってこの超大国の中心に来ていた。
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邪教異変の後、2人は冒険者としての知見を溜めるべく殆ど休む事無く依頼を受け続けていた。
ルーシーを邪教徒達から救出した後にグゼの大森林で焚火を囲んで寝ずの番をしていた時、シオンに言われた『あと10回は依頼を受けて冒険者としての知見を溜めろ』の言葉に従い10の依頼熟す事を目標にミシェイルとアイシャは動き続けた。
「少しは休みなさい。」
とミレイに指摘されても2人は苦笑いを返すだけでとにかく依頼を受け続けた。
駆け出しの頃は依頼を完遂する事が精一杯で他に気を回す余裕が無かったミシェイルも、冒険に慣れ更にはアイシャという心強い相棒も得て心に余裕が出て来ると、1つの依頼を終えた時に駆け出しの頃には理解出来なかった幾つもの『気付き』を得られる。
其れが楽しくて2人は邪教異変が終結した後のこの2ヶ月ほどを夢中で依頼を熟すことに費やしていた。
一度、ギルドを通してアカデミーから報せが届いていた事がある。
2人は『しまった』と言った風に顔を顰めた。
長期休学の手続きをしているとは言え自分達はシオンと違い歴としたアカデミーの学生だ。其れを言ったらルーシーやセシリーも同様だが彼女達は立場が違う。
ルーシーは誰もが知る『竜王の巫女』でセルディナ公国の加護を受ける身だ。そしてセシリーは現宰相の娘にして『ノーブルソーサラー』の称号を国王陛下より賜った身。2人とも最早そんな些末な事に拘る立場では無い。
だがミシェイルとアイシャは敢くまでも只の学生に過ぎない。1ヶ月に1度はアカデミーに顔を出して実績を報告する義務が在った事をすっかり忘れていた。
『退学かな・・・。』
少しだけ残念な気持ちになったのは事実だ。
報せを手渡したミレイが可笑しそうな表情で言った。
「何て顔をしてるの? 良いから中身を読んでみなさいな。」
「・・・。」
ミレイの言葉に2人は顔を見合わせて中身に目を通した。
其処にはレーンハイム学園長直筆の手紙が入っていた。内容は2人の活躍の賞賛とアカデミーの卒園式には参加して欲しいと言う内容のモノだった。
アイシャは首を傾げる。
「学園長は何であたし達の実績を知っているのかしら?」
1度だって報告はしていない筈だ。
「さあ・・・。」
ミシェイルも不思議そうに首を傾げる。
ミレイが可笑しそうに笑った。
「そんなのギルドから報告を上げているからに決まっているじゃない。」
「あ・・・。」
2人は合点が行ったように声を上げる。
「もっと言えば、貴方達2人は純粋にアカデミーの生徒で、冒険者ギルドの中でランクを上げ続けているアカデミー期待の星なのよ。」
「・・・。」
そう面と向かって言われると顔が熱くなる2人にミレイは微笑む。
そんな依頼を熟し続ける日々の中、ギルドから呼び出しを受けたのはつい先日の事だった。
ギルドマスターの執務室に招かれた2人はウェストンから呼び出しの仔細を聞く。
「まあ座ってくれ。」
ウェストンの勧めに従ってミシェイルとアイシャがソファに腰掛けると屈強なギルドマスターは尋ねた。
「どうだ、依頼の方は。上手くいっているか?」
「え?・・・あ、はい。アイシャの助けも借りて何とか。」
「そうか・・・。」
ミシェイルの答えにウェストンは頷く。
そして頭を掻いた。
ウェストンが困ったときに良くやる癖だ。
「あの・・・?」
様子のおかしいウェストンにアイシャが首を傾げる。
「ハァ・・・仕方無いか。」
ウェストンは小さく独り言ちると2人を見た。
「実はな、お前達に行って貰いたい場所がある。」
「行って貰いたい場所・・・?」
2人は顔を見合わせる。
「其れは・・・?」
「イシュタル帝国だ。」
2人の問いにウェストンは答える。
「イシュタル帝国・・・。」
「何でですか?」
「簡単に話そうか。」
ウェストンは1度紅茶を口に含む。
「依頼尽くめのお前達でも最近シオン達が国の大事に関わっている事は知っているだろう?」
「ああ・・・『大干渉』がどうとか・・・。」
「そう。セルディナ公国を始めイシュタル帝国や大陸西側の小国家群が『他国の内政に干渉する権利』を行使しようとしている。で、其の対象はカーネリア王家になるんだが・・・この大干渉を行使するための使節団が間も無くこの国に到着する。さっき言った国々と其れに加えてイシュタル大神殿からも使節が派遣される。」
「・・・。」
2人は黙って聞いている。
「で、カンナ殿の中には『この使節団にビアヌティアン様に対して不埒な真似を働く輩が混じるかも知れない。』という懸念があるらしい。」
「え!?」
2人が驚きに身動ぐ。
「一体誰が・・・。」
「彼女が言うにはイシュタル大神殿が臭いそうだ。」
「嘘・・・。」
アイシャが信じられないと言った表情で呟く。
「だって法皇様は信心深くて情けに篤い方だと聞いているわ。そんな方が指揮する教会が・・・。」
ウェストンは頭を掻く。
「法皇様はアイシャが言った通りの方さ。俺も現役の頃に1度だけお会いしたことが在ったが正しく安らぎの導き手に相応しい方だった。・・・ただ、カンナ殿が何処かで言っていたよな。『組織という物が必ずしも個人の性質を反映するモノとは限らない』と。」
「正央教会自体は信じられないと・・・?」
ミシェイルが言うとウェストンは首を振った。
「いや、其処まで極端な話では無い。困った連中が幅を利かせているのは間違い無さそうなんだが其れもごく一部だ。大部分の教会幹部は信頼の置ける御仁達だと思っている。」
「・・・じゃあ、誰が・・・。」
「噂では法皇猊下の周囲に居る一部の大主教や主教達らしい。」
「・・・。」
2人は黙ってウェストンを見続ける。
情報の整理をしているのは明らかだ。やがてミシェイルが話し出す。
「じゃあ、ビアヌティアン様達に何かを企んでいるのもソイツ等って事ですか?」
ウェストンが一部修正をする。
「いや。敢くまで企んでいると『したら』ソイツ等だろうっていうのがカンナ殿の考えだ。」
「・・・。」
「何処にも確信の無い、敢くまでも仮定に仮定を重ねただけの話なんだが・・・。カンナ殿の勘が何やらキナ臭いモノを感じているらしいんだ。」
「勘か・・・。」
ミシェイルは呟く。
シオンと旅を供にした伝導者。
彼女は何十年もの間、世界を旅して様々な人間と触れ合ってきた事だろう。人の心の酸いも甘いも噛み分けてきた彼女の勘は恐らく人間の持つ勘よりも遙かに信用が置けると思う。
ミシェイルは頷いた。
「解りました。カンナさんがそう懸念するなら其れが真実である可能性は高いと俺は考えます。ウェストンさん、其れで俺達はイシュタル帝国で何をしたら良いんですか?」
ミシェイルの返事にウェストンはホッとした表情を見せる。
ウェストンから見れば、今夢中になってギルドの依頼に集中している2人の邪魔をしたくは無かったのだ。しかしブリヤンから名指しで『2人をイシュタルへ』と言われてしまうと断れない。そんな指示をギルドが出したら2人のやる気を挫いてしまうのでは無いかとヒヤヒヤしていたのだ。
「やって欲しいことは2つ。イシュタル帝国に行って天央正教や主教達の噂話を仕入れて貰いたい。方法は任せる。ただ、教会には関わるな。其処で情報を仕入れるのは危険に過ぎる。敢くまで町中で訊いてくれれば良い。」
「はい。」
「あともう1つは出来たらで構わないんだが・・・法皇周辺の主教達の動きが掴めるようなら証拠も含めて入手して欲しい。」
「解りました。」
頷く2人にウェストンは気遣わしげな視線を向ける。
「言って置くが2つ目の方は本当に無理をしなくて良い。偶々知ったら、で良いんだ。」
まるで父親の様に心配してくるウェストンにアイシャはクスクスと笑った。
「それとお前達とは別行動でBランクパーティのゼロス達もイシュタルに潜り込ませる。現地で困った事が起きたら連中に相談してくれ。」
「解りました。」
2人は頷いた。
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そんな流れを経て2人はイシュタルに来ていた訳だが、この2日は見事に空振りに終わった。イシュタル大神殿の話をそれとなく振ってみても誰も彼もが口を揃えて
「法皇様は立派な方だ。」
としか言わない。
多少の不満が在るには在ったが、どれも『入信しても法皇様に会えない』とか『寄付金が高い』などの取るに足らないモノばかりだった。
「明日はどうする?」
髪を解いたアイシャがベッドに横になりながらミシェイルに尋ねる。
「・・・。」
アイシャは実は髪が長い。髪を解けば背中の上半分を覆ってしまうくらいの長さがある。サラサラと流れる薄い金色の髪もその儘に首を傾げる少女の姿にミシェイルは思わず魅入ってしまうが直ぐに我に返って答える。
「・・・そうだな。明日は少し危険だが教会関係を回ってみようと思う。」
ミシェイルの返答にアイシャは少し不安げな表情を見せる。
「大丈夫かな? ウェストンさんは近づくなって言ってたけど。」
「もちろん少しでも危険を感じたら直ぐに撤退するさ。アイシャも居るんだ。無茶をするつもりは全く無い。」
「・・・そっか。」
アイシャは嬉しそうに微笑んだ。
翌日は冬の割には温かい日だった。
2人は宿から一番近い大きな教会を目指して歩き出す。
セルディナから持って来たオーバーコートは一度も羽織っていない。
元々この超大国はセルディナ公国と較べればかなり温暖な気候だ。その代わり夏は相当暑いため、イシュタルの富豪達は夏の避暑地に良くセルディナを訪れるのだが。
「温かい国だよね、ココ。」
アイシャの言葉にミシェイルが頷く。
「そうだな。でもシオンが言うには世界的にはこの気候が普通で、セルディナやサリマ=テルマが寒い国なんだそうだ。」
「へぇ、そうなんだ。」
セルディナの気候を当たり前として生きてきたアイシャには少し驚きだ。世界は自分達の知らない事で溢れている。
そんな世界を愛する男性と一緒に見て回れるのはきっと幸せな事なんだろう。
「やっぱり旅って楽しいね。」
アイシャの笑顔にミシェイルも頬を染めながら頷いた。
「ああ、そうだな。」
人通りの途絶えた裏道を通って、もうすぐ教会・・・という所でミシェイルは異様な雰囲気を醸し出して此方を見ている男に気が付いた。
アシャが居た。
「!」
ミシェイルは本能的に剣の柄に手を掛けるがすんでの所で腕の動きを止める。
「アイツ・・・。」
アイシャもアシャに気が付いて呟いた。
ルーシーを邪教から救いに行く道中で行く手を阻んだ男が、今2人を物も言わずに佇んで此方を見ている。
だが以前とは雰囲気が違う。決して友好的な感じでは無いが、以前は凄まじい程に放たれていた殺気がまるで感じられない。
恐らく其れに気が付いたからミシェイルも動きを止めたんだろう。
「何か用?」
アイシャが声を掛ける。
嘗てはシオンと互角に剣を交えた程の男である。今襲い掛かってこられたら難敵となる事は間違い無い。だからアイシャは逆にわざと話し掛けた。
「・・・。」
だがアシャは口を開かない。
雄に100は算えられる程の時間が経過した後、アイシャは溜息を吐いてミシェイルに言った。
「行きましょ、ミシェイル。」
「・・・。」
ミシェイルも無言の儘ではあったが歩き出すアイシャに続いて歩き出す。
その時アシャが漸く口を開いた。
「・・・この国に何をしに来た。」
2人は足を止めて再びアシャと対峙する。
「・・・ギルドの依頼だよ。」
ミシェイルが答える。
「依頼だと・・・? セルディナ公国のギルドがなぜイシュタルに来る様な依頼を出すんだ。」
「俺が知るわけ無いだろう?」
「では質問を変える。その依頼とは何だ。」
「言える筈も無い。」
「そうか。」
アシャから急速に殺気が充満していく。
「ならば力尽くで訊きだしてやろう。」
アシャのマントが翻った瞬間、鞘走る音と鉄に反射した陽光をミシェイルは確認して同じように剣を引き抜いた。
「・・・。」
互いに剣先を互いの喉元に突きつけている。
アシャは変えぬ表情に下で少なからずミシェイルの動きに驚いていた。自分が先に剣を抜いた筈だ。なのに相手への牽制はほぼ同時だった。
グゼ神殿で見た時はアシャから見れば大した事の無い剣士だった筈だ。其れが僅か3ヶ月ほどで自分に迫る・・・いや或いはそれ以上の腕を身に付けているとは思いもしなかった。
「・・・。」
そし無言でアシャに愛弓ラズーラ=ストラを構えているアイシャにも視線を向けてアシャは心中で溜息を吐いた。
アシャは無言で剣を退き鞘に納めた。合わせてミシェイルもデュランダルを納める。そして未だアシャを狙い続ける少女にミシェイルは呼び掛けた。
「アイシャ。」
「・・・。」
アイシャは其れでも暫くはアシャを睨み付けて弓を構えたまま動かなかったが、やがてラズーラ=ストラを下ろした。
「付いて来い。」
アシャはそう言うと教会からは逸れた方向に向かって歩き出した。
「・・・。」
2人は無言で顔を見合わせるが、やがてアシャの後を追い始めた。




