17話 カーネリア王の狼狽
「何だと・・・?」
王宮騎士からの知らせを受けてカーネリア王国宰相デイダックは耳を疑った。
セルディナから使者が来たというのだが、その使者がセルディナ公国の外交大臣本人であると言う。使者に大臣がやって来るなど、本当ならば尋常な事態では無い。
デイダックは信じられずに疑念を抱きながら会談室に入ったものだ。
だが果たして其処には本当にセルディナ公国の外交大臣であるオルトウィン本人が待っていた。
「ご無沙汰してます。デイダック殿。」
「此れはオルトウィン殿、お久しぶりです。」
「本日はとある件に関しましての先触れの使者として参った次第です。」
――先触れに外交大臣が来るだと?
そんな話は彼が宰相職に就いてから一度足りとも聞いたことが無い。
――・・・一体、何事だ?
動揺を隠しながらデイダックは和やかに挨拶を返す。
だが其処で彼から聞かされた内容は想像を絶しており、デイダックは被った冷静の仮面をアッサリと剥がしてしまう事になる。
「だ・・・大干渉・・・ですと?」
「はい。」
セルディナ公国の外交大臣であるオルトウィンは頷く。
「近くイシュタル帝国とイシュタル大神殿の法皇猊下の使いを中心とした使節団がカーネリア王国に到着致します。カーネリア王国に於かれましては、此れを迎え入れる準備に入って頂くよう要請致します。なお、此れは『大干渉権』に基づく行動であり周辺諸国も承知の上での行動となって居りますれば、使節団への応対はゼイブロイ陛下御自らがお務め頂きますよう併せて要請致します。」
オルトウィンの言葉にデイダックは青ざめながら頷いた。
大干渉に否の返事は有り得ない。
拒否をした場合、問答無用の軍事的制裁が待っている事は火を見るよりも明らかなのだ。セルディナ公国単体とならば互角に争えるとしても、世界でも1位2位を争う程の超大国であるイシュタル帝国を相手取って敵う筈が無い。況してやこう言った政治的事情には原則介入はしない筈のイシュタル大神殿までが出て来るとなれば尚更だ。
・・・いやそれ以前に『大干渉』を拒絶した場合、世界中の大国を敵に回す事になる。
受け容れるしか道は無い。
「・・・承りました。カーネリア王国は使者団の方々を受け容れる準備に入ります。」
重臣は頷くと言葉を続ける。
「宰相殿の賢明な御返答に感謝致します。では貴国には使節団との会合に先んじて幾つかの質問が許されて居ります。何か在ればどうぞ。」
「そ、その前に陛下にお伝えしたく・・・。」
宰相の希望にオルトウィンは首を振った。
「其れは後になさって下さい。ご存知とは思いますが、大干渉の対象となる人物に事前質問は許されておりません。この質問は敢くまでも貴公を中心とした準備に入る方々の混乱を防ぐ為に許されている物であり、当大干渉をスムーズに行う為の物です。従って質問の機会は『今この時のみ』とご理解頂きたい。」
「・・・。」
デイダックは脂汗を拭った。
「では何故、大干渉権が発動したのか、その理由をお聴かせ願えますか?」
「宜しいでしょう。」
オルトウィンは予期していた質問に頷くと『飛空部隊結成からのセルディナ侵略構想』に始まるシャテルが漏らした情報の数々を宰相に伝える。
「なお、事の真偽に関しては此方で入手している証拠と証人の情報とを併せて、既に吟味は終了致して居ります。」
「・・・左様で御座いますか・・・。」
宰相は初めて知った侵略構想に愕然とする。
オルトウィンは若干の同情を双眸に湛えたが、直ぐに表情を消して会談を切り上げた。
「使節団は既にセルディナ公国に到着して居ります。貴国には4日後を目処に到着の予定で在れば、そのお積もりで。」
立ち去るオルトウィンの馬車影を見送りながらデイダックは正しく寝耳に水とも言えるこの稚拙な侵略構想に絶望していた。
――我が王は、此程までに愚かだったのか。
怒りが沸き起こる。
セルディナ公国を侵略するにしても、やり方は他に幾らでも在った筈だ。
元々、セルディナ公国とカーネリア王国の単純な戦力差は皆無に等しいが、国力そのものは巨大港と大きな金鉱を擁している分だけカーネリアが上なのだ。況してや大陸公路マーナ・ユールの守護者としての立場は大いに利用出来る筈だった。
焦らずに自分の代で下地作りを施し、次の代か或いは其の次の代にでも穏やかに経済的な合併を実現させれば彼の名は賢王としてカーネリアの歴史に名を残せたモノを。
そもそも宰相たる自分を差し置いて『飛空部隊』等と言うそんな100年も前の頓挫した与太話をコソコソと引っ張り出して侵略を企むなど王の所業では無い。
此れが何より腹立たしかった。
――あの愚王に野心を持つ資格は無い。
デイダックは怒りも露わに王の座す執政室に向かった。
「大干渉・・・だと・・・。」
宰相デイダックからの知らせに、カーネリア王国21代国王ゼイブロイは愕然となった。
「何故だ。何故そうなった。」
「何故・・・ですと?」
デイダックは双眸に隠しきれない怒りを讃えて、専用の椅子に座る男を見上げた。
「陛下。不敬を承知でお尋ね致します。・・・私に隠して何か事を進めて居りませぬか?」
「・・・何の事だ。」
一瞬だけ驚愕の表情を見せたゼイブロイだったが直ぐにシラを切った。
しかし其の一瞬見せた表情だけで充分で在った。
「陛下。セルディナはもちろんイシュタル帝国にも西側諸国にも陛下が為さった事は周知されているとの話。大干渉は陛下が数名の貴族と進めていた『飛空部隊結成』に始まる一連の事件を糾弾する為のモノに御座います。」
「馬鹿な!其れだけで大干渉など発動して堪るか!」
「通常で在れば。しかし陛下が常日頃からカーネリアの『帝国化』を夢見ていらっしゃる事は、余りにも有名な話に御座います。・・・今回の『この件』は良い機会だと各国が踏んだ結果でしょう。」
「・・・。」
ゼイブロイは激怒の視線をデイダックに飛ばすが、何も言えず肘掛けを握り潰さんばかりに握り絞めるのみだった。
「陛下。飛空部隊の結成など所詮は夢物語なので御座います。」
デイダックは王が諭して自省する様な人間では無いと知りながらも言わずに居られなかった。
この王朝は潰える――。いや潰えるべきだ。そうでなければこの愚か極まり無い計画の為に無為に失われてしまった、大勢の少年少女達の魂が報われない。
デイダックはそう思わずには居られなかった。
その日、カーネリア王国に使節団が到着した。
其の構成はイシュタル帝国の帝使を筆頭に、セルディナ公国の公使、西側諸国の国使、其れにイシュタル大神殿の法皇の勅使も加わり、各国の総意を携えた彼らを護る騎士団800名を擁した一大使節団だった。
ゼイブロイは王城の物見場から此方を目指して突き進んでくる使節団を絶望の眼差しで眺めていた。その隣に控えたデイダックが青い顔でゼイブロイに話し掛ける。
「陛下、そろそろ玉座に向かいませんと使節団を迎えられません。」
血走ったゼイブロイの目が忙しなく動き、王は声を絞り出した。
「・・・デイダック、其方が代われ。余は体調が優れん。」
――この後に及んで、なんと情けない事を仰るのか。
宰相は漏れそうになった溜息を辛うじて呑み込んだ。ゼイブロイはデイダックに使節団の対応を任せている隙にこの国を逃げ出そうと考えているのだ。
デイダックは首を振った。
「其れは為りません。そんな事をしたら使節団は一方的な要求を突きつけてカーネリアを喰い物にし、栄光あるカーネリア700年の歴史は塵と消えてしまいます。」
「!」
ゼイブロイは怒りの視線をデイダックに向ける。
「では貴様は余に死ねと言うのか!?」
「・・・」
そう言う処の察しは未だ付くのだな、とデイダックは感心した。
ゼイブロイの洞察は間違っていない。
使節団の要求は聞かずとも解る。現王朝の解体だ。ゼイブロイを玉座から引き摺り下ろし、無害な王を据える。その後に臣に降りたゼイブロイの所行を糾弾して処刑する。此処までやらねば大干渉を発動させる意味が無い。
つまり最終的にはゼイブロイの首が物理的に飛ぶのだ。
近年の愚かな言動に忘れてしまいがちだが、元々のゼイブロイは愚かな男では無い。当然だ。本当に愚かな人間が玉座に座れよう筈も無い。
ゼイブロイも冷酷だが謀略に長けた頭の切れる男だったのだ。だからこそ玉座を巡る壮絶な争いでも兄王子達や弟王子達を陥れて命を奪い勝ち残った。しかしその知恵も気概も玉座に座った事で枯れてしまったようだった。
もはやゼイブロイに王者の知恵も誇りも無い。
だからこそデイダックは激しい怒りを感じる。
――愚か且つ身勝手な野望の為に、あたら若い命を無為に散らし続けて来た男が何を言うか!
と。
デイダックは別に失われた若い命を『哀れに思う』と言った情に揺さぶられてそう思っているのでは無い。哀しみなどは特に感じてはいない。
だが失われた命は此れからのカーネリアの生産に寄与し、子を為して人口を増やし、国の繁栄に貢献する筈の命だったのだ。
其れが無為に失われたと言う事実に為政者の1人として此程に残念に思う事は無いのだ。
「陛下。」
怒りを隠さずにデイダックは主を見た。
「参りましょう。」
デイダックの迫力に呑まれゼイブロイは肩を落とした。
使節団の中で黒髪の少年が公使たる外交大臣のオルトウィンに話し掛けた。
「信じがたい事です。」
「何がですかな?シオン殿。」
オルトウィンは少年に穏やかな視線を向ける。
少年の名はシオン=リオネイル。セルディナを襲った邪教異変の中で、竜王の巫女より寵愛を受けて竜王の御子となり異変を解決した救国の英雄である。
この数日、シオンは公国宰相ブリヤンの特命を受けて神性を操りカーネリア内部を調査していた。
カーネリア魔術院、キュビリエ伯爵邸、研究所と称して作られていた王都外れの実験場。シャテルの証言に出て来る名前や場所を調べる中で事実確認を行ったのは彼だった。
そして直接関わっていたとされる連中が何者かに無残に殺害されていた事実も、その時に初めてセルディナは知る事となった。
シオンは言葉を続ける。
「カーネリアの悪王が許し難い人間である事は確かですが、裁く対象の案件が王を裁く規模の案件とは思えない事がです。」
「ほう・・・?」
「許されざる悪行では在れど、一国の王を糾弾するには弱い案件ではないかと思うのです。」
少年の言葉にオルトウィンは面白そうな表情で笑う。
「渡りに船なのですよ。」
「それは・・・?」
「シオン殿が仰る通り、今回の件だけでは確かに弱い。しかし、各国の王にも思う処はある。此れまでにも各王達はカーネリア王の稚拙且つ野蛮な言動に悩まされていたのです。だから、何処かの国が責任を背負って糾弾に立ち上がってくれるのを待っていた。」
「・・・。」
「セルディナ公国は今や世界中の国が注目する国です。竜王の御子殿と竜王の巫女様がセルディナに現れた事実。意思疎通が可能な守護神ビアヌティアン様から加護を頂いた事実。これらが図らずともセルディナの発言力を高めてくれた。今回偶々の流れからでは在るが、そんなセルディナ公国が『大干渉』を提案した。・・・となれば、この流れに乗り世界平和の観点から邪魔な存在を排除しようとなるのは当然の帰結です。況してや此の提案に賛同したのが超大国イシュタルで在れば、その他の国々も静観するのは当然。」
シオンは顔を顰めた。
「勢い任せではないですか。」
オルトウィンは笑った。
「ハハハ、正にその通り。だが、その勢いを強化するべく、各国も様々な糾弾内容を山ほど携えて来てくれています。今回の大干渉は恐らく成功するでしょう。問題は・・・。」
オルトウィンは其処まで言うと口を閉じて頭を振った。
「いや、今は止めて置きましょう。先ずは大干渉を成功させる事だけを考えましょう。」
「・・・。」
オルトウィンの態度にシオンは訝しげな視線を向けたが、黙って頷いた。
これ以上、面倒事に首を突っ込んでルーシーとの時間を邪魔されたくない。酷く個人的な事情だが至極真っ当な理由からシオンはオルトウィンの話に突っ込むことを控えた。
「それにしても・・・。」
シオンはもう1つの疑問を口にする。
「そう言う事で在れば、カンナとルーシーも連れて来たら尚の事効果は在るのでは無いですか?」
その疑問にオルトウィンは苦笑する。
「その通りなのですが・・・巫女様と伝導者殿には守護神様の護衛に就いていて貰って居ります。」
「は?」
シオンは首を傾げる。
「付け加えるので在れば、セシリー様主導の下に魔術院の魔術師団とセルディナ騎士団にも護衛に就いて貰って居りますよ。」
「何か在ったのですか?」
シオンの視線に厳しさが籠もる。
「他国からの賓客が一時的にとは言えセルディナ公国に集まりますから、御心を騒がす事が無いようにと言う陛下の采配です・・・。」
オルトウィンの返事にシオンは納得しなかった。相も変わらずに厳しい視線を送り続けるシオンにオルトウィンは溜息を吐く。
「やれやれ、本当に聡い少年だ。・・・今のは表面上の理由です。実際には別に懸念事項が在る。あわよくばビアヌティアン様を拐かす連中が紛れ込んでいるかも知れないと言う懸念が在るのです。」
「何ですって!?」
流石にシオンも驚いた。
「しかし、其れを確信する材料は無い。だからコッソリとお護りしていると言った現状です。」
「・・・。」
「当初はルーシー様とカンナ殿のお二人にはどちらに就いて貰うかで悩みましたが、シオン殿の性格を考えれば『より危険な方に自分を回せ』と仰るのは容易に察しが付きます。」
「当然です。」
「ですからシオン殿には使節団に加わって頂き、御二人にはビアヌティアン様の護衛に就いて頂いたのです。」
「つまり使節団の方が危険は大きいと・・・?」
「遙かに。」
「良く解りました。ならば何も異存は在りません。」
シオンは視線を和らげて頷いた。
カーネリアの巨城はもう目の前だ。出迎えのカーネリア騎士団の影も見え始めている。
他国の王を弾劾すると言う、未曾有の事態が間も無く始まる。