15話 大干渉
眩しい。
少女は眼を開いた。
「気が付きましたか?」
横から聞き慣れない声がする。
少女はスミレ色の髪を少し揺らして声の掛けられた方向に顔をゆっくりと向けた。
其処には見知らぬ少女が微笑んで座っている。トルマリン色の髪が美しい。
「誰・・・ですか・・・?」
掠れる声もそのままに少女は尋ねる。
「私はセシリー=アインズロード。此処はセルディナの魔術院です。貴女はシーラさんですね?」
少女の問いにシーラは頷いた。
セシリーは微笑むとシーラの額に手を当てる。
「うん、熱も引いたわね。もう安心かしら。」
そう言うとセシリーは後ろを振り返り
「ルーシーとカンナさんを呼んできて貰えますか?」
と控えていた院生に依頼する。
「・・・あの、私は一体どうなったんでしょうか?」
シーラが尋ねるとセシリーは少し思案するような仕草を見せた後に言った。
「そうね・・・。貴女は2日前にカーネリアから馬車で送られて来たんです。そして同行していたミストと言う男性の治療依頼に従って当院で貴女の治癒に当たっていました。」
「2日前・・・。」
その説明にシーラは虚ろな記憶を辿っていく。
あの酷い実験部屋から長身の男性に救い出された事は覚えている。そうか、彼はミストと言う名前なのか。
とにかくそのまま一眠りした後、彼女は朝になって迎えに来た其のミストと言う男性と馬車に乗った処までは記憶に在る。が、その後の記憶が無い。
セシリーは頷く。
「ええ。此処に到着した時点で貴女の傷はかなり確りとした手当てを受けていましたが、魔石中毒に因るショック症状が酷かった。でもソレも随分落ち着いたみたいですね。」
「・・・。」
シーラはもう1つ気になっている事をセシリーに尋ねた。
「あの・・・私には姉が居るんですが・・・そのミストさんと仰る方は姉に付いて何も言ってなかったでしょうか?」
「お姉さん・・・?」
セシリーは首を傾げた。
ひょっとして、以前彼に同行していたあのスミレ色の髪の少女の事だろうか? シーラとも髪の色が同じだし可能性は在る。
しかしミストから何も聞いていない以上、身体の弱っている彼女に迂闊なことは言えない。
「いえ・・・何も聞いていないけれど・・・。」
セシリーが答えるとシーラは目を伏せた。
「そうですか・・・。」
シーラが見せた沈痛な面持ちにセシリーも居たたまれない気持ちになるが、だからといって下手なことは言わない方が良い事も理解している。
「・・・。」
気まずい沈黙の時間が流れた時、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
セシリーが声を掛けると扉が開き、ルーシーとカンナが入って来た。
「目が覚めて良かったわ。」
ルーシーが微笑みながらセシリーが空けた椅子に座る。
シーラの顔を覗き込み首筋に手を当てる。そして右腕の包帯を取って傷跡を確認した。
「気分は如何ですか?」
尋ねるルーシーにシーラは
「悪くは無いです。」
と答える。
ルーシーは頷くと少し躊躇いがちにシーラに言った。
「シーラさん、驚かないで下さいね。」
「?」
首を傾げるシーラをルーシーは見つめる。その紅い双眸が次第に赤く輝き始めた。
「!」
驚いて身動ぐシーラにルーシーは声を掛ける。
「大丈夫、何もしませんから動かないで。」
ルーシーの制止にシーラは動きを止めてルーシーを見つめ返す。
暫く視た後、ルーシーは双眸を閉じた。再び開いた目は元に戻っている。
「・・・まだ生命の『流れ』は正常とは言い難いですが、随分と安定してきています。」
「そうか・・・。」
ルーシーがカンナを見て説明するとカンナはそう呟いた。
そして今度はカンナがシーラを視る。
「うん・・・。彼女自身が生成した魔力とは違う魔力が未だ彼女の中に澱みとして残っているな。」
「そうですか。」
セシリーが少し眉間に皺を寄せる。
「・・・やはり暫くは此処で様子を見る必要が在るな。魔力中毒はそんなに長引くモノでは無いが、引き起こす症状が激しい。毒になっている魔力が完全に抜けるまでの半年から1年ほどは此処に置いて様子を見ておくべきだ。」
「解りました。教導員の方に話して置きます。」
「そうだな。」
カンナは頷く。
そしてシーラを見た。
「お前さんにも幾つか協力して貰いたい事が在る。・・・正直に言えば酷な事を頼むつもりだ。」
シーラはマジマジとカンナを見つめる。
最初に彼女が入って来た時は『何で子供が入ってくるの?』と疑問に思っていたが、この僅かな時間のカンナの振る舞いと2人の少女のカンナに対する態度に、見た目通りの人間では無い事を察していた。
「・・・何をしたら良いのでしょうか?」
シーラは素直に尋ねる。
「うむ・・・。君が今までに遭った出来事を、解る範囲で構わないから詳細に教えて貰いたいんだ。」
「・・・。」
「辛い記憶を辿る事になるのは解っている。ただ、この様な出来事を今後無くす為にも協力して欲しいんだよ。」
「・・・解りました。お話します。」
シーラの了承にカンナは微笑む。
「有り難う。ああ、話すのは今じゃ無くていい。近いうちにこの国のお偉いさんが来るからその人も交えて話をしよう。」
「はい。」
シーラは頷く。
そして彼女は願いを口にした。
「1つ、お願いが在るのですが・・・。」
「うん?」
「私には姉が居ます。今回、私の救出を依頼してくれたのも姉だと・・・ミストさんは仰ってました。姉に・・・お姉ちゃんに会いたい・・・。」
声を震わせるシーラにカンナが頷いて見せた。
「解った。では君の姉君も探してみよう。彼に直接依頼したと言うのならカーネリアの何処かに居るのだろう。後で姉君の特徴を教えてくれ。」
「はい。有り難う御座います・・・。」
横たわるシーラの双眸から流れる涙をカンナは優しく拭った。
シーラが再び眠りに就いた処で3人は部屋を後にした。扉の前には護衛の魔術士が2人立つ。
「カンナさん。」
セシリーがカンナに話し掛ける。
「なんだ?」
「私、あの子のお姉さんに会ってるかも知れないんです。」
「ほう・・・?」
カンナが興味深そうにセシリーを振り返る。
セシリーは以前にミストが連れていた同じ髪色の少女の話をした。
「・・・。」
カンナは眉間に皺を寄せる。
セシリーはルーシーに尋ねた。
「ルーシーどう思う?あの子にこの事を話しても良いと思う?」
ルーシーは首を振った。
「今は話すべきでは無いわ。幾ら身体が落ち着いていると言っても敢くまで小康状態になっただけだから、今気持ちを大きく上下させるのは危険よ。」
「そう・・・そうよね。解った。」
セシリーは頷いた。
「セシリー、お父君はどちらにいらっしゃるかな?」
カンナの問いにセシリーは答える。
「今日も王宮ですよ。最近はカーネリア対策に奔走しています。」
「そうだよな。忙しいかな。」
「カンナさんが話が在ると言えば時間は作ると思いますよ。」
「そうか。では申し訳無いが時間を割いて貰おうか。」
カンナはそう言った。
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シーラが目覚めた翌日、カンナとルーシー、セシリーは王宮の会議室に居た。対面にはブリヤンとアスタルト、そして公王レオナルドが腰掛けていた。
ブリヤンが早速カンナに尋ねる。
「カンナ殿。カーネリアで救出した少女が目を覚ましたとセシリーから聞いたが、話は聴けそうか?」
「ルーシーが言うには彼女の体調を管理出来る者が傍に付いていれば可能だそうだ。」
「うむ。ではルーシー嬢、立ち会いを頼みたい。」
「え!?」
ルーシーの驚きぶりにカンナが呆れた表情をする。
「当たり前だろ。お前さんが適任だ。」
「は、はい。解りました。」
ルーシーが戸惑いながら頷く。
その様子を見てカンナは苦笑しながらアスタルトを見る。
「殿下。その後、あのシャテル子爵と言う男から話は引き出せたのかな?」
カンナの問いにアスタルトは眉を顰めた。
「カンナ殿が言った様に、あの男は魔術か何かで精神を破壊されているのか知らないが、質問の全てに答えてくる。」
馬車で魔術院に届けられたシャテルは放心状態で、此れまで彼自身とカーネリア王家や貴族がしでかした悪事の証拠となる大量の書類を所持していた。
セシリー宛に書かれていたミストからの手紙には『この男は今回の飛空部隊計画に関連する少女失踪事件の関係者だ。』と言った内容と、その詳細と思われる概要が記されていた。
直ちにシャテルはセルディナ王宮に送られ牢屋に入れられた。そして持っていた資料の事実確認等の精査が行われ、つい3日ほど前から尋問が開始されている筈だった。
アスタルトは話を続ける。
「どの話も聴けば聴くほどに胸が悪くなるような内容ばかりだが、カンナ殿の見立てやミストと言う男の手紙の内容とは一部食い違いが見られていてな。」
「ほう?」
「カンナ殿は『数年前に』一度カーネリアで秘密裏にこの飛空部隊を結成しようとして頓挫した可能性がある、と言っていたが、シャテルの口からその事実は出て来なかった。また、資料にも其れらしき内容のやりとりは見受けられなかった。」
「うん。」
「だがその他の資料を調べるに、この飛空部隊がかつてカーネリアに存在したのは事実の様だ。凡そ100年程前の話で、その時もやはり実用に迄は及ばなかった様だが。」
「なるほど。では其れが事実なのだろう。私もミストも正確な情報を元に推測していた訳では無いからな。・・・確かに数年前の出来事であれば、わざわざ古代図書館などに寄らなくても飛行させた方法くらいカーネリアに記録として残っている筈だよな。」
カンナはレオナルドを見る。
「それで陛下は、今回のカーネリアの動きについて如何様にお考えかお聴かせ願えるだろうか?」
レオナルドの表情も厳しく口を開いた。
「特別措置を取る。イシュタル帝国には既に遣いを出している。また今回は西方の小国家群にも協力を要請している。」
「大干渉権と言う奴か。」
カンナは呟く。
5年に一度、世界中の『大国』首長が集まって開かれる世界法会議。
其処で数十年前に『大干渉権』と呼ばれる世界レベルで遵守するべき決め事が制定された。
この決め事は、大国の暴走が進み他国に著しい損害を与える恐れが在る場合に発動出来るもので、その国に自浄能力が失われていると複数の国家が判断した場合に、暴走した国家に対して内政干渉を行う事が出来る強権である。
そして場合に拠っては軍事力を以ての制圧も是とする。
今回の場合は、カーネリアが組織しようとしていた『飛空部隊計画』が、セルディナ公国侵攻の為の下準備であったと言う証言がシャテル子爵から得られた事、また其の証拠とも言えるカーネリア王家連盟の指示書が在った事が1つの決め手となっている。手紙には手紙自体の破棄の指示も出ていたがシャテルは破棄せずに保管していた様だった。
そして更に言えば、カーネリア王国21代国王ゼイブロイの野望が危険度の高さを感じさせるのだ。勿論、本人が公然と口にしている訳では無いがこの王が『カーネリア帝国初代皇帝を夢見ている』事は有名な話だ。
万が一、セルディナ公国がカーネリアに併呑される様な事態になれば、その牙は当然に西方の小国家群にも向けられる。もし其処も呑み込まれれば、海を挟んだ隣国のイシュタル帝国にもちょっかいを掛けてくるだろう。
つまりカーネリア周辺諸国にとっては、この危険な王を排除する絶好の機会なのだ。
「ビアヌティアン殿にこの事は・・・?」
カンナが尋ねるとレオナルドは頷いた。
「無論、報告させて頂いている。我らが守護神もこの地を争乱の地にさせぬ為には致し方無いと思し召しだ。」
「・・・そうだな。ビアヌティアン殿の立場で在ればそう言わざるを得まいよ。」
カンナは遣る瀬無さそうな表情で友の心情を思いやった。
「そう言えば、ビアヌティアン殿の神殿はいつ頃に完成する予定なのだろう?」
ふと思い出した様にカンナが話題を振ると、レオナルドの表情が和らいだ。
「おお、其れについては順調だ。何分、貴族達が積極的に協力を申し出てくれているのでな。当初は春先を目処にしていたのだが、このペースならもっと早い時期に移って頂く事も出来そうだ。」
「ふふふ。貴族達にして見れば、意思疎通の可能な守護神殿の覚えを少しでも良くしたいと考えて居るのだろう。悪い事では無いさ。・・・特に領地を治める諸侯などは中々に他人には言えぬ思いも在るだろうさ。俗世とは無縁な守護神殿に聴いて貰い領主の心の重荷を軽くするのは、結果的にこの国の為にもなるだろう。」
カンナが笑うとレオナルドが気遣わしげに言った。
「其れは有り難い事だが、守護神の御心を騒がせるのでは無いかと心配になる処でもある。」
其れに対してカンナは首を振る。
「陛下、其れは逆だよ。彼の御仁は元々は人間だ。暇や退屈を感じる神なんだよ。だから大勢の参拝客は彼にとって望む処さ。」
「そうか・・・。我らは本当に良き神に巡り会えたな。この幸運に感謝せねばなるまい。」
公王の言葉にアスタルトとブリヤンは頷く。
「さて、問題は山積みだが、1つ1つ片付けて行かねばなるまい。」
レオナルドがブリヤンに言うと、宰相は頷く。
「は。・・・セシリー、カーネリアの少女と話をする段取りを取ってくれ。私が魔術院に赴く。」
「解りました、お父様。」
セシリーが一礼する。
・・・カーネリアの件は、外交という点に於いて、レオナルドは実は大して重要視していない。あの狂王はこの件が無くとも、遅かれ早かれ世界から排除されたで在ろうから。
本当に問題視している国は他に在る。
しかし先に自分で口にしたように、先ずは1つ1つ片付けていくのみだ。