9話 潜入
空に真っ黒な墨が流された様な夜の曇り空は月の輝きも星の瞬きも隠しており、全身を黒いスーツで固めたミストの姿を見事に周囲の景色から掻き消していた。
「さて・・・。」
ミストは自分の身長の2倍は在りそうな魔術院の石壁を見上げる。先ずはこの高い壁を越える必要があるのだが。
彼は数歩退がると軽く助走を付けて飛び上がった。途中、2歩ほど壁を蹴り上げると難なく壁の天辺に身を置く事に成功した。
彼の普段の言動や陰鬱な表情からは想像出来ないほどの優れた身体能力だが、彼は殊更にこの体力を隠して生きていた。本業に差し支えが出ないように。
ミストは鋭い視線で壁の奥の中庭に視線を投げるが、警戒すべきモノは見当たらない。彼は中庭に飛び降りて茂みに隠れると改めて周囲の気配を探った。
『クエスト』
探索の魔術を発動させるが彼の感覚に引っ掛かるモノは無い。
彼はそのまま院の裏口に近づいた。
セルディナの魔術院は外と中を繋ぐ扉には魔術に因る施錠が為されていたが、カーネリアはどうか。だが果たしてカーネリア魔術院の扉には魔術に因る施錠は為されていなかった。単純な鍵が掛けられているだけの様だ。
まあ、これが普通であってセルディナが厳重過ぎるのだ。
ミストは口元に冷笑を浮かべ懐から握り手の付いた細く先の曲がった鉄の串を取り出す。そして錠穴に串を差込むと暫くガチャガチャと動かす。
やがて「ガチャリ」という音が鳴り錠が開かれる。
扉を開けてそっと中の通路を伺うが人の気配は無い。ミストはスルリと身を忍ばせると扉を静かに閉めた。
行き先は決めてある。
セルディナ魔術院に身を置いていた頃に交流会で此処に招かれた際、立ち入り禁止区域が置かれていたのを確認している。
組織である以上立ち入り禁止区域が在るのは当然で、其処には機密の資料や装置などが置かれて居るのが通常だ。
今回の『空を飛ぶ方法』と『国と関わっている証拠』も、あるとしたら恐らくその区域の筈だ。
もっとも魔術院自体が国と繋がっているかは未だハッキリとはしていないが、カンナが視た光景の中で男が吐いた『これで上手く行く。陛下の私に対する覚えも良くなると言うモノだ。』という台詞は、少なくともその男と国の某かが繋がっている可能性が極めて高い事を示している。
周囲の気配を探りながらミストは進入禁止区域に足を踏み入れる。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
「そう、彼は古代図書館に来たのですね。」
アインズロード公邸にてカンナの報告を受けたセシリーは頷いた。
「その男、信用は置けるのかね?」
ブリヤンが尋ねるとカンナは首を振った。
「いや、まったく。」
「・・・。」
「如何にも『今まで悪い事をして来ました』って貌をしていたな。」
「ふむ・・・。」
「まあ、でも頭の良い奴だったし、腹を空かせた私に食い物をくれるくらいの優しさは持っている男だったぞ。」
カンナは目の前に置かれた紅茶を口にする。
「それよりもカンナ、その方法で『人を空に飛ばす』なんて事が本当に出来るのか?」
とシオンが尋ねた。
「うん。」
カンナは表情を曇らせながら頷いた。
「禁忌と言っても良い方法だがな。確かに其の方法なら体重の軽い者なら飛ばす事は出来る。」
「だからと言って女の子を学園から掠うなんて・・・。」
青ざめた表情でルーシーが呟く。
カンナはルーシーとセシリーを見た。
「事の真偽がはっきりするまで、セシリーとルーシーは絶対にカーネリアへ行くなよ。」
カンナの言葉を聞いてシオンとブリヤンの表情が険しくなった。
男2人の表情を見てカンナは相好を崩した。
「まあ、お前達2人がその表情が出来るなら大丈夫だろうさ。・・・それに、片やセルディナを代表する大貴族の娘でありアインズロード侯爵家次期当主の婚約者。片や竜王の巫女の名は伏せているモノのセルディナ公国が認めた聖女様だ。掠いはしないだろうがな。そんな事をしたらセルディナ公国とカーネリア王国の間に戦争が勃発しかねん事くらいはどんな馬鹿でも察しが着くだろうさ。」
「だが油断できる事では無い。」
「そう言う事だ。」
シオンの戒めの言葉にカンナが頷いた。
「あと、カンナ。お前もだからな。」
シオンはノームの娘を見て言った。
「何?」
カンナは首を傾げる。
「お前もカーネリアには行くなよ。」
シオンの言葉にカンナは可笑しそうに笑った。
「アハハ、何を言ってる。私は平気・・・。」
「ダメです!」
ルーシーとセシリーが同時に叫ぶ。
「お・・・おお・・・なんだ・・・?」
カンナが驚いて娘2人を凝視する。
「掠われた少女達の条件を聞くとカンナさんもピッタリ当て嵌まるじゃないですか!」
「寧ろ身体が小さい分、私達よりも危険です!」
「そうだな。私もカンナ殿が1人でカーネリアに赴くのは反対だ。どうしても行く要件が出来た場合は必ず護衛を伴って貰う。」
ルーシーとセシリーだけでなく、ブリヤンにまでそう言われてはカンナも黙るしか無かった。
そんなカンナの様子を見てシオンは少しだけ微笑むとブリヤンを見た。
「閣下。結局のところ、セルディナとカーネリアの関係は現在どんな状況なんでしょうか?この3人を護る為にも、差し支えなければ知って置きたいのですが。」
「うむ・・・。」
ブリヤンは少しだけ眉間に皺を寄せて逡巡する様子を見せたがやがて頷いた。
「そうだな。シオン君には知って置いて貰おう。」
そう言うと話し始める。
「・・・最近のカーネリアとセルディナは微妙な関係が続いている。」
ブリヤンは一度紅茶で口を湿らせてから再び口を開いた。
「元々セルディナは従の立場だった鉱山都市が独立して興った国だからな。今でも生粋のカーネリア貴族の中にはセルディナを属国と見做して下に見ようとする者達も居るくらいだ。」
シオンは首を傾げる。
「以前も思った事ですが、よく当時のカーネリア王はセルディナの独立を認めましたね。普通は版図の縮小にも繋がる『独立』など余程の理由が無ければ決して認めないでしょう?」
「うむ。」
ブリヤンは頷いた。
「普通はな。だが当時は色々な事情が重なっていた。先ず当時のカーネリアの重要な収入源でも在ったセルディナの銅鉱脈が枯渇した。そしてその頃のカーネリアは大陸外の大国との交易が盛んになり出した頃であり、また王国の南部に金鉱脈が発見された事も在ってセルディナの重要性が極めて低下したんだ。」
「・・・。」
シオンは腕を組んだ。
そして腑に落ちない表情で言う。
「しかし、それだけでは独立を認める理由としては些か弱い気がします。セルディナに鉱山都市としての価値が無くなったとしても、そこに住む沢山の人達の労働力と土地がもたらす経済効果は捨てがたいモノなのでは?」」
その疑問にブリヤンは満足そうな笑みを浮かべる。
「ふふふ、その通りだ。やはり大したものだな。君はその年齢にしては状況を推し量る能力に突出している。そう、今話した事が理由の全部では無い。」
「閣下もお人が悪い。」
シオンは苦笑する。
「そうですわ、お父様。」
セシリーが抗議する。
「いや、すまん。理由は他にも在ってだな。元々セルディナ周辺は知っての通りの寒冷地で作物の育ちが悪い。今でこそ芋や畜産で潤ってはいるが、当時は今ほど農畜産業は発展していなかった。更にその北も高地アインと低地アインの不毛地帯しか無く、その向こうは魔物が闊歩するグゼの大森林で開発不可能な土地だ。」
「つまり土地そのものの利用価値が低かったと。」
「まあ、敢くまで温暖なカーネリアから見ればの話だがな。」
「なるほど・・・。」
「更に最大の理由が在った。・・・それは時の国王とセルディナ地方を治めていた大公が犬猿の仲だった事だ。当時のカーネリア王と叔父に当たるヘクトール大公は表面上は協力し合って見せていたが、裏では啀み合う仲だったとか。そしてヘクトール大公が病で亡くなったあと、その地位を継いだのがヘクトール大公の1子であり、我がセルディナ公国の国父にして建国王のエーリッヒ大王陛下であった。」
「エーリッヒ大王陛下・・・。」
セシリーが呟く。
「そう。我らセルディナ貴族が片時も忘れる事は無い偉大なる御名だ。とは言え大王陛下も当時は18歳の若者に過ぎず、憂さを晴らすかの如きカーネリアからの圧政に苦しまれたそうだ。だが、陛下は心を民に定めて決起し、信の置ける少数の仲間との危険な旅路の果てに、遂にカーネリア王家の弱みを掴まれた。その弱みが何だったのかは未だ解明されていない。だがカーネリア王家の存続も危ぶまれる程の弱みだったと伝えられている。そして其の弱点を盾に密かにカーネリア王に独立を迫ったのだ。」
「・・・。」
「カーネリアにしても既述した国益上のメリットが薄い理由も在って渋々と独立を認めたとか。」
「では決して平穏な中での独立では無かったと言うことですね。」
「そうだ。」
ブリヤンは頷いた。
「だが其れでも歳月を重ねるに連れ、セルディナとカーネリアの仲は良好と言っても差し支え無いところ迄行っていたのだ。・・・現国王ゼイブロイ三世の代になる迄はな。」
ブリヤンは一度口を閉じて紅茶を口に含んだ。
「現国王ゼイブロイ三世は懐古派に属する王でね。嘗ては大陸の宗主国だったカーネリアの覇権を復活させたいと望んでいる王なんだよ。」
「・・・何とも時代錯誤な王だな。」
カンナが溜息を吐く。
「そう、時代錯誤も甚だしい。だが彼の王は本気でそう思っている。経済力でも戦力でもセルディナを上回り屈服させるか、取り込むかを目論んでいる。そう成れば西の小国家群は物の数では無いからな。そしてその代表的な策の1つがシャルロット王女をカーネリアの第1王子の妃に出せと言うモノだった。」
「姫殿下を!?」
セシリーが驚く。
「そんな話、初めて聞きましたよ!?」
ブリヤンが頷く。
「そうだろうな、ごく一部の人間しか知らん事だ。その他にも些細では在れ、色々と不穏な動きが在った。もっとも其の拐かしの件は私も初耳だったがな。」
ブリヤンは腕を組んだ。
「そして今回の『邪教異変』に因ってセルディナは国力を落とすだろうとカーネリアは期待していた筈だ。だが逆にセルディナは竜王の御子の出現と守護神ビアヌティアン様の加護に因って他国の興味を強く引き、今まで弱かった交易関係が強化される始末となった。恐らくは焦っているだろうな。」
「すると・・・。」
シオンは言った。
「今回の少女拐かしは焦ったカーネリア王家の意思が絡んでいると。」
「私はそう考えている。無論、調査は必要だが。」
一同は表情暗く押し黙った。
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カーネリア魔術院の立ち入り禁止区域は其れほどの広さは無く、ミストは既に粗方の潜入調査を済ませていた。
「これか・・・。」
ミストは一枚の紙片を手にして呟いた。
場所は教導員室の1つ。
教導員とは魔術院に於ける指導者的立場の者達で魔術院院長の指示の下、院生達の先頭に立って魔術研究や魔道具の作成に当たるのが役割となる。
ミストが持つ紙片の中身は要約したらこんな内容であった。
『今回送る娘の数は6名。そろそろ成果を出せと陛下もご立腹だ。幾ら平民娘とは言え、此方としてもそう何度も送る訳にも行かん。シャテルもこれ以上は怪しまれるから無理だと言ってきた。今回、或いは次回までに結果を出せ。然もなくば汝は栄達どころかその身の破滅にも繋がろう。心して掛かれ。』
宛先は教導員マテュー。送り主はアルド=キュビリエとなっている。
「キュビリエ・・・カーネリアの伯爵家にそんな家名が在ったな。あとは・・・シャテル・・・?」
聞き覚えがあるな、と考えた処でミストは直ぐに思い出した。
カーネリアに来て直ぐにクズ魔道具で大金を騙し取らせて貰ったあの子爵か。あの男はあの時、用心棒を集めていたが、そうか・・・この件で身が危うくなり掛けていたのか。
繋がりが少し見えて来る。
王命にてキュビリエ伯爵が恐らくは『飛空部隊』の編成の任を与えられた。キュビリエは何かの縁故が在るマテューに飛空魔術研究の依頼を持ちかける。そしてその研究に必要な人材をシャテル子爵に命じて掠わせる。恐らくマテューには地位と名誉をチラつかせ、シャテルには金を掴ませたのだろう。
だが研究は上手く進んでいるとは言い難い様だ。
あのノームの娘が『視た』と言う男がこのマテューと言う男ならば、古代図書館での発見は天の助けと言った処かも知れない。間違い無く直ぐに実行に移すだろう。
もし手紙にある「6人の娘」の中にシーラが混ざっているとしたら・・・マズいかも知れん。
ミストは手紙を懐に仕舞うと更にマテューの研究室を調べ始める。
『クエスト』
探知魔術を使ったミストの感覚に引っ掛かるモノが在った。
床の一部を念入りに調べると其処が蓋になっている事に気付く。鉄串を取り出して錠を開け、蓋を持ち上げた。
何とも在りがちな地下に続く階段が現れる。
「・・・。」
ミストはそのまま無言で下りて行き、突き当たりの扉をそっと開けた。
そして眼前に映った光景にミストは思わず呻いた。
「何だコレは・・・。」