8話 疑惑
ミストは憮然とした表情で目の前の焚火に木片を燒べながら、カンナの言葉を思い浮かべた。
『では、記憶を手繰ろう。何、そんなに時間は掛からんよ。半日も掛からんだろうさ。』
その場で直ぐに出来るのかと思って頼んだのだが、意外と時間が掛かる事に憮然となる。更には人が側に居ると出来ないらしく、ミストは図書館の外に・・・つまり小屋の外まで追い出されたのだった。
只でさえ陰鬱な表情が憮然となる事で更に影を増して、寧ろ情けない表情に見える。
真冬のセルディナの夜は当然だが猛烈に冷え込む。
この辺りで魔物や肉食獣に襲われる心配は無いだろうがこの寒さはそれ以上の難敵だった。ミストはコートの襟下を締め直して寒さに抗う。
「これで大した情報が出て来なかったら・・・あのチビ助、只では済まさん。」
寒さの余りミストは不満を独り言ちる。
そうは言っても何も始まらないので、ミストはもう1人のチビ助の方を思い浮かべる。
自称17歳、いや今年で18になると言っていたか。身長のせいもあるのだろうが、どう見てもそうは見えない。恐らくはアリスの年齢詐称だとミストは踏んでいる。13~4歳の子供は自分を大人に見せたくてそんな嘘を吐くものらしい。どうでもいい事だが。
「あいつは大人しくしてるのか?」
昼間、宿屋に置いて来た時のあの騒ぎっぷりを思い出すとアリスが大人しく宿に居るとは考え難い。
「ハァ・・・。」
ミストは面倒臭そうに溜息を吐いた。
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「おい、終わったぞ。」
ウトウトしていると背後から声が掛かってミストは飛び起き身構えた。
その先には小さなノームの娘が疲れ切った表情で立っていた。
「・・・。」
ミストは無言で構えを解き周囲を見渡す。辺りは暗い。公都で一の鐘が鳴るには未だ幾ばくかの時間が必要だろう。
「・・・随分と疲れているな。」
ミストはカンナに労うつもりでそう言う。
「まあな・・・お、火が在るとは中々馳走だな。暖まるとしようか。」
カンナは笑顔で焚火の側に腰を下ろす。
「それにしても流石に腹が減って目が回りそうだ。お前さん、他に食べ物は持ってないか?」
ミストはその言葉を予想していたかの様に側に置いてあった袋からパンと干し肉、其れに水の入った木筒を取り出して渡す。
「おぉ、気が利くな。」
カンナはそれらを受け取ると早速頬張り始める。
やがて全部食べきるとカンナは水を飲んで一息吐いた。
「・・・その小っこい身体に良くも詰め込んだモノだな。」
カンナの食いっぷりを呆れた様に終始眺めていたミストがそう言う。
「頭脳労働は体力を使うからな。」
カンナは木筒をミストに返しながら言った。
「さて・・・。」
ノームの娘は豪奢な蜂蜜色の髪を掻き上げながら深い翠色の双眸をミストに向けた。
「では、私が『視た』事を話そうか。」
「そうだな。先ずは話して貰おうか。」
ミストが頷く。
カンナは目を閉じて話し始めた。
「先ずあの本を先立って読んだ者が居る。其れは間違い無い。ソイツは私達が読んだ部分、つまり禁忌の頁を念入りに読んでいたよ。そして何とも嫌な嗤い声を立てて呟いていた。『これで上手く行く。陛下の私に対する覚えも良くなると言うモノだ。』とな。」
「・・・。」
「そしてその男の着ていたローブの胸元には紋章が刺繍されていた。こんな形のな。」
カンナはそう言うとポーチから髪と小さなペンを取り出した。貴族等が持って居る小さなペンだ。中に炭の様な物が詰められており、インクを付けずとも少量の文字なら書く事が可能な高級品だ。
ノームには似つかわしく無い俗物的な物を見て、ミストは何とも言えない違和感を感じる。が、此処はカンナの書く物に集中する事にした。
「確か、こんな形だ。」
その小さな手が描き出した図はミストには見覚えのある図柄だった。
盾に薔薇が刻まれた形を形象化した紋章。其処に所属してこそ居なかったが嘗て所属していた組織にて交流の在った組織、カーネリア魔術院。
「・・・どうやら見覚えのある紋章の様だな。」
ミストの表情を見ていたカンナがそう言う。
「そうだな。カーネリア魔術院の紋章だ。」
「やはりそうなのか。どうやらお前さんの話に少し真実味が出て来た様だ。」
事も無げと言った風に答えるミストにカンナは頷いて見せる。そして尋ねて来た。
「で、お前さんはコレからどうするんだい?」
「・・・さてな。」
人の腹を探るのは好きだが自分の腹を探られるのは気に入らない。ミストは素っ気なくそう答える。が、カンナは頷いた。
「そうか。まあ、どちらにせよ『依頼が云々』言っている時点でカーネリア魔術院を探るのは間違い無いのだろうが・・・。」
ミストは不快げに立ち上がると乗ってきた馬の方向に歩き始める。
「おや、行くのかい?」
「用は済んだからな。」
「そうか、では1つ言って置く。場合に拠ってはセルディナも影で動く可能性が在る。覚えておけ。」
「・・・。」
ミストは足を止めてカンナを見据えたが、結局は何も言わずに馬に跨がると走らせ始める。
その後ろ姿を眺めながらカンナは溜息を吐いた。
「やれやれ、レディーをこんな場所に1人置き去りとは中々の紳士だな。」
そう言うとカンナは未だ星の瞬く夜空を見上げながら思案した。
「・・・ブリヤンとセシリーに話しておくか・・・。」
呟いたカンナはまた焚火の側に腰を下ろして木片を放り込んだ。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
「何処に行ってたの!?」
陽が昇りきった頃に宿に戻るとアリスが泣きそうな形相で、ミストに開口一番文句を言ってきた。
「古代図書館に決まっているだろう。」
「・・・。」
ミストが答えるとアリスは黙って後ろを向いた。目が赤いところを見ても恐らく碌に寝ていないのだろう。まあ何を考えて居たかは想像が着く。
「置いて行かれたとでも思ったか。」
「・・・別に。」
「そうか。まあ別にそうしても良かったんだがな。」
「!」
アリスが絶望したような表情でミストを見上げる。
別に嘘では無い。古代図書館に行ったまま戻らない選択肢も頭に無かった訳では無い。だが、まあ。
「金を受け取っちまってるからな。」
「・・・お金足りてないのに?」
「足りているか足りていないかを決めるのは俺だ。お前にどうこう言われる筋合いは無い。俺が『この金額で良い』と言って受け取った以上、契約は成立しているんだ。」
「・・・うん。」
薄いスミレ色の髪の毛が縦に揺れた。
「さて、ではカーネリアに戻るか。」
「え・・・もういいの?」
「今度はカーネリアで調べ物だ。」
ミストが答えるとアリスは首を傾げた。
「セシリーさんに何か教えてあげなくていいの?」
「構わん。古代図書館で会った奴が伝える。」
「解った。」
少女は素直に頷いた。
そして馬車に揺られる事2日。2人はまたカーネリアに蜻蛉返りをしていた。馬車に揺られる中でアリスは頻りに古代図書館での出来事を知りたがったがミストは話さなかった。
陽も傾きかけた時刻、ミストはブー垂れたアリスを連れて高そうな宿に宿泊を決める。
「では、大人しくして置けよ。」
「え、何処行くの!?」
直ぐに出掛けようとするミストに驚いてアリスは尋ねる。
「調べ物があると言っただろう。」
「私も行く!」
「ダメだ。」
「何でよ!私、貴方から何も教えて貰ってない!何処へ行っても『待ってろ』としか言われてない!」
アリスは双眸に涙を浮かべて訴えてきた。
「・・・。」
ミストは暫くその表情を眺めていたが溜息を吐くと椅子に腰掛けた。
「座れ。」
「・・・。」
ミストの言葉にアリスは無言で睨んでいたが、やがて椅子に腰掛ける。
出来れば伝えずに済ませたい。そんな思いがミストには在った。其れは別に彼女の身を案じての事では無い。
この激情型の娘に詳細を伝えれば恐らく激昂するだろう。それで勝手に動かれでもしたらミストの行動に支障が出てくる可能性が在る。
「お前が不穏な出来事を前にして不安に震える性格だったらやりやすかったんだがな。」
まだ怒りの形相を解かないアリスの顔を見ながらミストが呟く。
「何よソレ。そんな大人しい性格じゃ、私もシーラも生き抜く事なんて出来なかったわ。」
アリスの言葉にミストは眉を寄せて目を瞑った。
「そうだな・・・そうかも知れん・・・。」
そう小さく独り言ちる。
やがて目を開いたミストはアリスを見て尋ねた。
「妹を助けたいか?」
馬鹿にしているのかとアリスは眉を撥ね上げた。
「は? ・・・何言ってんのよ。当たり前でしょ!?」
怒鳴るアリスを手で制してミストは言った。
「だったら、コレだけは忘れるな。話を聴いている間は主観を捨てて客観的に事態だけを把握しろ。」
「・・・どう言う意味よ。」
「妹の事は考えるなと言っているんだ。感情は判断を濁らせる。今は聴いた事実だけを繋ぎ合わせて把握しろ。妹を助けたいならな。」
「・・・。」
長い沈黙の間が訪れる。
アリスのスミレ色の双眸が揺れながらミストを見つめ続ける。
「・・・解ったわ。」
やがてアリスはそう言った。
ミストは説明を始めた。
「古代図書館で解った事は2つだ。1つは人を飛ばせる方法。そしてもう1つはソレを調べていた人間が最近居るって事だ。」
「他にも居るって・・・誰が・・・?」
「カーネリア魔術院の人間だ。」
「魔術院の人が・・・?」
「そしてコレはハッキリとはしないが王家が絡んでいる可能性も在る。」
「・・・。」
アリスは黙った。彼女なりに今の情報を咀嚼しているのか。
やがて彼女は口を開いた。
「つまり、魔術院と王家が組んで人を飛ばす方法を探っているの?」
「かも知れんと言う事さ。」
アリスは首を傾げる。
「・・・でも、何でソレでシーラが掠われる事になるの?」
「人を飛ばすと言っても、重すぎる者は飛ばせない。成人の男なんかは重すぎる。小柄な女、或いは成長が始まった辺りの少年少女くらい迄が限界だ。」
「でもだからってシーラを掠う理由には・・・。」
アリスは納得出来ない。
ミストは核心を話す事にした。
「いいか、そもそも国が何かに費用を投じるのは、其れなりの理由が在るからだ。今回の件も当然、理由が在る。」
「理由・・・?」
アリスは首を傾げる。
「国が率先して動く理由なんて歴史を振り返れば大凡は2通りしか無い。『経済や産業の飛躍的な発展が見込める』か『戦力の増強や革新が望める』場合だ。」
「・・・。」
「今回の場合は後者だ。」
「!」
アリスの眉間に皺が寄る。
「戦いに於いて頭上からの攻撃ほど怖いモノは無い。其処に例えば空を飛び回る『魔術師部隊』が現れたらどうなると思う?」
「其れにシーラが利用されているの・・・?」
ミストはアリスを見た。
「1つ訊くがシーラに魔術の適正は在ったのか?要は魔力を持っていたのか?」
「・・・私の妹だもん。持ってたわ。」
「そうか。」
「でも魔術は使えなかったわよ。学んでなかったし。そもそもあの子は魔術を学ぶ気が無かったわ。」
アリスの訴えにミストは首を振る。
「本人の経験とかやる気とかは関係無い。国が強制するんだから逆らえはしないさ。嫌でも習得させられる。」
「そんなの酷いわ!」
アリスが立ち上がって叫ぶとミストは顔を顰める。
「俺に怒鳴るなよ。俺がやった訳じゃ無い。」
「うん・・・。」
アリスは頷いて椅子に座り直した。
「此処まで話せばある程度の事態は察せるだろ? 調べ物とは言ったが魔術院に『潜入』するんだ。お前にゃ無理だ。」
「・・・。」
アリスは俯いて涙を零し始める。
「泣くなよ、鬱陶しい。」
ミストは溜息を吐く。
「判ったよ。じゃあお前にも頼む事がある。」
「!」
ミストの言葉にアリスが涙に濡れた双眸もそのままに顔を上げる。
「何!?」
「夜食を作っておけ。」
「・・・え?」
「魔術院から帰ってくるのは夜中か明け方になる。多分、腹が減っているからな。腹に詰め込めるモノがあると助かる。」
アリスは微妙な表情になった。恐らくは調査の手助けを言われると思っていたのだろうが、こんな未熟な少女を潜入調査に混ぜる訳には行かない。
「いいな?」
ミストが念押しするとアリスは諦めた様に頷いた。
「判ったわ。」
頷くとミストは窓からもう薄暗くなった空を見上げて立ち上がった。潜入するには頃合いだろう。