7話 カンナの推測
幼女は蜂蜜色の豊かな髪を掻き上げながら名乗った。
――セルディナの客人・・・。
その自己紹介の仕方ではまるで自分がセルディナ公国の賓客だと言っている様なモノだ。ミストは鼻で笑った。
「まるで自分は国の要人です、とでも言っているかの様だな。」
「まあ、要人と言えばその類いなのかも知れんな。」
しゃあしゃあとカンナは言ってのける。
が、逆にその照らいの無さが真実味を醸し出している。
まさかな、とは思いながらもミストは一応尋ねてみた。
「お前、セシリー=フォン=アインズロードと言う貴族令嬢を知っているか?」
「セシリーは私の友人だが、何故お前が彼女の名前を知っている?」
世の中、誰と誰が繋がっているかなど解ったモノでは無い。そんな事は当たり前に理解していたつもりのミストだったが、改めてその事を強く理解させられた。
が、表情にしては無表情でミストはセシリーからの伝言を伝える。
「その友人からの伝言だ。『いい加減に帰って来い。3日も家を空けるな。』だそうだ。」
「・・・。」
カンナの顔が渋面に彩られる。
「・・・3日も経ったのか・・・。気付かなかった。そう言えば腹が減ってるな。」
どうやら本当に友人同士の様だ。まあ、自分には関係の無い事だ。
「伝えたからな。」
ミストはそう言うと踵を返して書庫を出ようとする。その背後からカンナが声を掛けた。
「おや、調べ物は済んだのか?」
「調べようにも文字が読めん。とんだ無駄足だった。」
答えるべきか暫し逡巡した後にミストはそう答える。
「ふーん・・・。」
カンナはそう言って自分の髪を弄っていたが、
「私が読んでやろうか?」
と提案してきた。
「・・・。」
ミストは不機嫌そうに彼女を見下ろした。見た目は幼女そのモノのカンナにそう言われるのは何とも苛つく話だが、無論彼女が見た目通りの存在では無い事は明らかだ。
――此処は乗っておくか。
「そうだな。では頼むとするか。」
「うむ。」
楽しそうにカンナが頷く。
棚を見ながらカンナが尋ねた。
「で、何を調べたいんだ?」
「空を飛ぶ方法。」
ミストが答えると一瞬カンナの動きが止まり、彼女は胡散臭そうな表情で振り返った。
「お前さん、空を飛んで何をするつもりだ? 空を飛ぶことに純粋に憧れるような無垢な年齢でも無いだろうに。」
「・・・。」
カンナは沈黙するミストを暫く見上げていたが、軽く溜息を吐いた。
「・・・生き物にはそれぞれに与えられた場所がある。人は大地を歩くべきで在って空を飛ぶべきでは無い。空は翼有る者達の物で在るべきだ。世界はそういう風に出来ている。」
「ああ、俺もそう思う。」
ミストは至って生真面目な表情で頷いた。
この男にこう言う反応をされると大抵の者はおちょくられている様な気分になる。果たしてカンナもそんな印象を受けたのか一瞬だけ不快そうな表情になったが、やがて呆れた様に肩を竦めた。
「まあ良いさ。で、何で空を飛ぶ方法など知りたいんだ?」
「とある依頼を受けている。が、何処の誰とも着かない相手に詳細は話せん。」
「そうか。まあ、私としても『飛空』などと言う禁忌に近い魔術を調べるに当たって、詳細がはっきりしない事態に協力は出来ないけどな。」
カンナは飄々とした態度でそう言う。
「・・・。」
ミストはカンナの腹の内を探るような視線を向ける。
「では、詳細がはっきりしたら協力してくれるのか?」
「内容にも依る。」
「・・・。」
ミストは思案する。が、結局は折れざるを得なかった。
「良いだろう。話せる事は話そう。」
そしてミストはセシリーに話した内容をカンナにも話した。
「ふーん・・・空飛ぶローブねぇ・・・。そんな事をしている連中がいるって話は何年か前に聴いたことは在ったけどな。カーネリアがそうとは知らなかった。」
「別に未だ決まった話じゃ無い。」
「無論さ。だからお前さんも調べに来たんだろうしな。・・・解った。協力しようじゃないか。その代わりコッチもセルディナに害が及ぶかも知れないと判断した時には勝手に動かせて貰うぞ。」
「俺の依頼の邪魔をしないなら知った事では無い。好きにしろ。」
「よし。」
カンナはそう言うと最初に見せた笑顔をミストに向けて、棚を見上げた。
「おい。」
「何だ?」
カンナがミストに両手を上げている。
「肩車。」
「・・・。」
「上の方は高くて見えん。」
「・・・チッ。」
ミストは軽く舌打ちするとカンナを肩に担ぎ上げる。そしてそのまま、彼女に言われるが儘に幾つもの棚の前を彷徨う羽目になった。
何冊かの分厚い書物を引っ張り出すと、カンナは松明の下に行くように指示をだした。
其処で2人は本を広げた。もっともミストは古代魔術文字が読めない為、カンナに任せる。書物を読み解きながらカンナが口を開く。
「元々、飛空魔術と言うモノは存在しない。研究する事も禁じられている魔術の1つだ。何故かは解るよな?」
「是れほど悪事を働くのに便利な魔法は無いからな。」
「そういう事だ。盗みも殺しも自在になり護る側は極めて困難な状態になる。国がそんな厄介な魔術の研究を許す筈も無い。もっとも奈落の法術など存在自体が禁忌の魔法などでは、条件付きで定められた場所に飛べる魔法が在るようだけどな。」
「・・・。」
ミストの表情が少しだけ険しくなるが、直ぐに元の無表情に戻る。
カンナは頁を読み進めながら話を続ける。
「其れでも人々の飽くなき探究心は空を飛ぶ魔術を求め続けた。そして密かに研究され続けた結果、誰も空を飛ぶ方法を見つける事は出来なかった。まるで『誰かの意思』に因って其の方法のみが抜き取られたかの様に、スッポリと魔術・・・と言うか魔法そのものの形態に『飛空』が存在して居なかったんだ。」
「誰の意思だ?」
「決まってるだろう?今ではこの星の海の何処にも存在しない真なる神々さ。それ以外にそんな事が出来る者など居やしないよ。」
「・・・。」
「神様達は『互いの領分を侵すな』と言っているのだろうさ。知有種は飛行できない種族が殆どだ。竜種くらいじゃないかな。知恵を持ち翼も持つ種族は。」
「そうか。興味無いな。」
ミストは答える。
「だが、お前の言う様に『天を目指して造られた塔が稲妻に因って破壊されたお伽噺』や『空を飛ぶ事に憧れる余り、お手製の翼で崖から飛び降りて落下死したお伽噺』が有るのは知っている。」
「そうだな・・・。」
カンナは頁を1つ捲りながら頷いた。
「最近では『自分は神だと勘違いした男が長年好き放題やっていて、其れを本当の神様の御子に見咎められて成敗された噺』なんて言うのも有るな。」
「ほう・・・そいつは初耳だ。」
「・・・。」
カンナは黙って頁を捲り続ける。
「おい。」
暫くしてカンナがミストに声を掛けた。
「なんだ。何か解ったのか?」
「腹が減った。なんか食い物を持ってないか?」
「・・・。」
ミストは無言でポケットを漁ると携帯用の練り物をカンナに渡した。
カンナは其れを囓りながら頁を捲っていく。そして。
「・・・なんてこった。」
カンナは呆れた様な声で呟いた。
「・・・此処に在ったぞ。と言っても読めないんだったか。」
ミストに見せようと書物を上下逆にしようとしたカンナはそう呟くと、書物を元の位置に戻す。
「・・・。」
馬鹿にされたような気分になりミストは不機嫌そうな表情でカンナを見遣る。
「そんな顔をするなよ。忘れてたんだ。」
カンナはそう言って書物に目を戻す。
「さっきも言った様に空を飛ぶ魔術は無い。だが、物を浮かす魔術は有る。」
「そんな事は知っている。だが、あの魔術は精々が10歩先の本の様な軽い物を少し動かせるだけだ。しかもその割に魔力の消費も結構大きい。」
「そう。そして此処には、その魔術をどうにか空飛ぶ方法に変える手段は無いかと模索している内容が記されている。」
「・・・。」
ミストは視線でその先を促す。
「浮遊魔術は術者から対象が離れれば離れる程、浮かせる限界重量も軽くなってしまい移動させられる距離も狭くなる。」
「ああ。」
「逆に浮かせる対象に触れてこの魔術を使えば、少年少女程度の重さの物であっても頭上辺りまで浮かせる事が可能だ。」
「だが、そんな重たい物を浮かせれば消費する魔力は絶大だ。あっと言う間に魔力は尽きて地面に落ちる。」
「そうだな・・・。」
カンナはそう言って何か話すのを躊躇う素振りを見せる。
その様子にミストは訝しげな視線を向ける。
「何だ?今更、話すのを躊躇うのか?」
ミストの指摘にカンナは息を吐く。
「解ってるさ。話すよ。食い物も分けて貰った事だしな。だが、その前に訊いて置きたい。」
「何が訊きたい?」
「お前は空飛ぶローブを着て空を舞ったと言う其の少女達の話について、何処に問題が在ると思う?」
カンナの質問の真意を汲み取りきれなかったミストは素直に答えた。
「そうだな・・・実際に空飛ぶローブと言うモノ自体を作るのは不可能じゃ無い。非常に難しくは有るが魔術院辺りが総力を上げればローブに浮遊の魔術の刻印を刻みつけていく事は出来るだろう。問題なのは膨大な魔力を送り続ける事の一点だと思っている。そして其れが不可能だとも思っている。」
カンナはミストの回答を聞いて頷いた。
「なるほど、倫理的な問題では無く真っ先に技術的な問題を口にする辺り、お前は優秀な魔術師の様だな。その通りだ。其の認識で正しい。空飛ぶローブの実現など不可能な話さ。」
「おい。」
ふざけるなとの思いを込めてミストが声低く唸る。が、カンナは気にする様子も無くミストに視線を合わせた。
「但し、其れはお前が真っ当な思考を持ち合わせているから不可能だと思うのさ。お前に邪悪な思考が在ればこの不可能も可能に出来る。そして『此処』にはその方法が記されている。」
「・・・。」
俺に邪悪な思考が無いだと?散々に他人を欺して生きてきた俺に・・・いや、今は其れはいい。
ミストは様々な不満を押しやってカンナに尋ねた。
「言え。どうやるんだ?」
「方法は簡単さ。『魔石』を使うんだよ。」
「・・・。」
何を言ってるんだコイツは。ミストは呆れた表情になる。
「馬鹿を言うな。魔石なんか使った処で得られる魔力量は高が知れている。」
「普通はな。」
カンナは頷く。そして訝しげな表情になるミストを置き去りにカンナは言葉を繋げた。
「お前さんなら知っているだろう。魔力は何処から発生している?」
「・・・生命力だろう。厳密に言えばもっと根源的な『魂』から溢れた『神魔に通ずる力』が魔力と呼ばれるモノだ。」
「そうだ。そして魔石とは、その『魔力を持った者が死して大地に埋もれた際に魔力が鉱石の中に取り込まれたモノ』だ。故に魔石の魔力は『魂の存在』を感じ取るとその魂に従って共鳴を始める。だから、魔石を発動させるには術者が自らの魂を魔石に示す為に直接手で触れる必要があるんだ。」
この娘は何が言いたいのか?
ミストは黙って聴き続ける。
「ではその魂は何処に在る? そう、肉体の中に在る。そして魔石は魂を近くに感じれば感じる程に強い魔力を発生させる。」
「おい・・・。」
ミストの視線が険しくなる。
カンナは構わずに話し続ける。
「つまり同じ肉体の中に魔石を何個も埋め込んでしまえば、強い魔力を常時得ることが出来る。」
ミストは暫くの間、カンナを異常者を見る様な目つきで眺めたが軽く首を振って言った。
「・・・そんな事をしたら、魔石の毒でソイツは死んじまうぞ。其れも猛烈に苦しみながらな。或いは正気を保てずに発狂するか・・・いずれにせよ悲惨な最期を迎える事になる。」
カンナは頷いた。
「だから邪悪な方法なんだよ。そしてコレを見ろ。」
ミストは幼女の指差す先を見る。
頁に折り目が付いている。
「折り目?」
「そう。この折り目が付いている部分に、今の私の話した内容が記されている。誰かが此の頁を参考にしようと印を付けたみたいだな。しかも此の折り目は新しいモノだ。この書物、最近誰かに閲覧されているな。」
「・・・。」
情報が少し煩雑になってきた。ミストはカンナを見る。
「つまり、どう言う事だ?」
「つまりだな・・・。」
カンナは考え考え口を開く。
「もし仮にカーネリアが数年前に空飛ぶローブを開発して、少女達による飛空部隊を結成していたとする。恐らく少女達には当然魔石を持たせていただろう。だが其れでも短時間しか飛ぶ事は出来なかった筈だ。其れでは国の戦力としては期待出来ない。故に頓挫したと考えるのが妥当だろうな。」
「・・・。」
「そして最近になって此の古代図書館が発見された。一般人にはまるでそよ風の様に気にも留められない程度の情報だったが、各国の魔術院にとっては嵐の様な情報だった。沢山の魔術師達がこの場所に来ていたよ。殆どが警備魔法陣に因って追い返されていたがな。そして中に入れた者達も古代魔術語が読めずに帰っていったが・・・。」
ミストが呟く。
「・・・だが、中に入れた1人がこの書物を見つけて印をつけた。もし其れがカーネリアの統治に携わる人間なら・・・。」
カンナは頷き続きを引き継ぐ。
「そして、其の失踪している少女達が魔力を保有する娘達ならば・・・。」
そして2人は黙り込む。
がミストは言った。
「いずれにせよ、仮定に仮定を重ねた話だ。信憑性は無いな。」
だがカンナはニヤリと笑った。
「そうかも知れんが少なくとも私は記憶を辿る事が出来る。」
「なに?」
「この書物に遺る魔力の残滓を辿る事で此処で起きた事、つまり『誰が此の書物を読み、印を遺したのか』を視る事が出来る。」
ミストは唖然とした。
「・・・お前は何者だ。」
「私は只のノームだよ。まあ、コレでも100年ほど生きているがな。」
カンナは飄々と答える。そして再び悪戯っ子の様な笑みを浮かべてミストに尋ねた。
「それで・・・どうする?」
ミストは答えに詰まったが、返答は1つしか無い事は明らかだった。