6話 セシリーの導き
先を歩くトルマリンの髪を眺めながらミストは思案する。
信じ難いが自分達を先導するこの少女は、間違い無く自分よりも魔法の腕は上なのだろう。
ノーブルソーサラーはその国の王から下賜される称号で国に1人しか定められない。況してや魔術研究に関しては世界でも名だたる実績を持つセルディナでノーブルソーサラーの名を下賜される為には、知識や経歴の実績だけでは充分とは言えない。
寧ろその辺の実績は皆無でも良いから、優れた魔法技量と魔力総量を示すことが大事な筈だ。
「此方ですよ。」
少女が振り返り腕を1つの棚に指し示して見せる。ミストは少女に導かれて視線を棚に向けた。
大陸史――棚のプレートにはそう書かれている。
「どうも有り難う、ええと・・・。」
ミストがそう言って少女に視線を送り、名前を訊かせろと態度で暗に示してみた。
少女は微笑むとカーテシーをして見せる。
「そう言えば名乗っていませんでしたね。私はこの魔術院の院生の1人でセシリー=フォン=アインズロードと申します。」
「!」
ミストは若干目を見開いた。
只者では無いと思っていたが、まさかそんな大物の家名が出てくるとは思わなかった。この国の重鎮の家名が確かアインズロードだった筈だ。其処の娘だろうか。
「これは失礼しました。私はミストと申します。嘗てはこの魔術院で世話になった事も在る者です。」
「そうでしたか。」
セシリーは頷く。
「では私の先輩に当たりますね。私はつい先月、此方の院生として認めて頂いたばかりなので。」
セシリーはミストとアリスを見比べて若干の興味を持った様だった。
「もし、差し支えなければ1つお伺いしても?」
「どうぞ。」
「何故、大陸史などを調べていらっしゃるのでしょう。魔術院に来る方で魔法書ではなく、わざわざ大陸史書の閲覧を希望される方など珍しいもので、少し興味を惹かれました。」
「ああ、大した事では・・・。」
『・・・ありませんよ』と誤魔化し掛けて、ミストは言葉を一旦止めた。そしてアリスをチラリと見て言葉を続ける。
「大した事ではありませんよ。カーネリアに不穏な気配を感じたので気になって調べに来たのです。」
「!」
アリスが仰天したような表情でミストを見上げる。『そうだったの!?』とでも言いたいのだろう。
「不穏・・・?」
セシリーの表情から笑みが消え、代わりに眉根が顰められる。
「ええ。」
ミストは頷いた。
「カーネリアには妙なお伽噺があります。『悪い王様が魔法を使える少女達を掠って空飛ぶローブを着せ、飛空部隊を編成していた』と。」
「・・・。」
「お伽噺とは得てして、本当の話が元になる事が多い。そして最近、カーネリアの学園で少女ばかりが行方不明になる事件が起こり、しかもその事を学園も国も知らぬ存ぜぬで押し通そうとしているフシが在る。」
「・・・。」
セシリーの眉間に刻まれた皺がより深くなっていく。
「無論、なんの証拠も無く、私が偶々知った断片的な情報を繋ぎ合わせたに過ぎない。だからこそ興味を惹かれて個人的に調べてみようと思っただけですよ。」
セシリーは無言で思案していたがやがてミストにたずねた。
「なるほど。国が関わっている場合、カーネリアの魔術院では調べ辛いという事ですね。」
「仰る通りです。」
「では何故、大陸史を・・・?」
セシリーが首を傾げる。
「そのお伽噺の元になりそうな史実はカーネリアに在るのか。そして在るならソレはいつ頃に起きた話なのかを知りたいと考えまして。」
「なるほど・・・。」
セシリーは得心がいった様に頷く。
そしてミストに言った。
「そのお伽噺の元になるかは判りませんが、カーネリアが少女達を集めて何かをしている、という話は確かに以前に在ったそうです。」
「!」
今度はミストが眉根を寄せる番だった。
「それは・・・いつ頃の話でしょうか?」
「ほんの数年前の話です。」
やはり最近の話か。
花売りの店でノリアが話したその様子からして其れほど昔の話では無いだろうと察してはいたが。
そしてセシリーもまた、父親のブリヤンから少し前にその話を聴かされていた。『失踪事件の真偽がはっきりする迄はカーネリアには決して近づかない様に。』とそう締め括られる形で。
だが、空飛ぶローブの話は知らない。
無論、目の前の男が言う様に只のお伽噺に過ぎない可能性の方が高いだろう。しかし、もし其れが事実なら、空飛ぶローブの存在が謎となる。
人類は未だ空飛ぶ魔法は開発出来ていない。ケイオスマジックにも無いそうだ。セシリーが知る限り人間で空を飛ぶ手段を取得しているのはシオン=リオネイル以外にはいない。
人間に出来るのは、精々が物を浮かす魔法が限界だ。ではどうやって人を飛ばしているのか?
この一癖ありそうな、だが無能とは縁遠そうな男ならその謎を解き明かすだろうか?
「もしその空飛ぶローブが実在したとして、貴方はその正体について見当が付いているのでしょうか?」
「いいえ。まったく。」
ミストは首を横に振った。
「そうですか・・・。」
セシリーは暫くミストを見ていたが、やがて口を開いた。
「・・・この公都の西の端に、最近発見された『古代図書館』と呼ばれるケイオスマジックに護られた書物庫が在ります。」
「ほう・・・。」
「其処には古代の魔法について記された書物が少数ですが遺されているそうです。持ち出しは不可能ですが閲覧する分には問題無い場所です。」
「・・・。」
「丁度、私の友人も其処に向かっているでしょうから・・・と言うよりも其処にはその友人くらいしか出向きませんが、もし出会う事が叶えば力になってくれるかも知れません。」
ミストは警戒の衣を心に纏う。
無条件の親切などこの世には殆ど存在しない。交換条件は何だ?
「大変有り難い情報ですが、何故そんな事を教えて貰えるのでしょう?」
ミストが尋ねるとセシリーは微笑った。
「もし、空飛ぶローブの正体が解ったら教えて頂きたい、と思ったからです。」
「・・・なるほど、解りました。『解ったら』お教えしましょう。」
条件としては一番真っ当で当然の条件だ。其れだけならば構わない。
「有り難う御座います。」
セシリーは頭を下げて更に言葉を繋げる。
「それと、もし友人に出会った時には『いい加減に帰って来い。3日も家を空けるな。』と伝えて下さい。」
「解りました。」
2人が踵を返した時、セシリーが後ろから声を掛けた。
「そちらのお嬢さん。」
「はい?」
アリスが振り返る。
「貴女は行かない方が良いと思います。」
「・・・え?」
「古代図書館の警護魔法陣は熟練の魔術師以外の入館を激しく拒みます。無理に侵入を試みれば怪我では済みません。」
「・・・。」
アリスがミストを見上げた。
ミストは知らん顔をしている。アリスの留守番は決定した。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
付いて行くとギャーギャー駄々を捏ねるアリスを宿屋に放り込んで、ミストはセシリーが案内した古代図書館とやらに足を向ける事にした。
公都の西の端とは言っても実際には公都を出た先にあるらしく、一度公都を囲む防壁の外に出る必要がある。
ミストは1日銀貨1枚で馬の貸し出しもしている冒険者ギルドで馬を1頭借りる。馬の借り受け場には先客が居た。
この辺りでは珍しい黒髪の少年が、隣に寄り添う銀髪の少女と楽しげに話をしている。年齢はアリスと同じくらいだろうか?もっともアリスが年齢のサバを読んでいなければの話だが。
『まるで銀月だな。』
黒髪よりも更に珍しい髪の色を目にしてミストはそんな感想を抱きながら馬に跨がる。
そんな事よりもさっさとその図書館とやらに到着しなくてはならない。
余り悠長にしている時間は無いのだ。5日後にはまたカーネリアの学園に戻らなくてはならない。セルディナからカーネリアまでの行程に2日を要する以上、遅くとも3日後にはセルディナを発たなくてはならない計算になる。
ミストは乗馬に大通りの中央を疾走させた。外壁の西門を出て更に西へ馬を走らせる。
先日に降ったらしい雪が街道横にまだ積もっていた。そのせいか空気は冷え切っているが澄んでいて反って心地良く感じる。
道は南に折れ曲がり大陸公路マーナユールに続いているが、ミストは曲がらずに突き進み鬱蒼とした森の中に馬を進めていく。
やがて旧びた建物が見えてきた。然程に大きくも無く、ともすれば廃墟と化した個人宅にしか見えない。
「これか・・・。」
ミストは呟くと、大木に馬を繋いで建物を見上げた。
こうして見ると増々ただの廃墟にしか見えない。本当にコレが古代図書館なるものなのだろうか?
「・・・。」
ミストは廃墟に足を踏み入れる。
中はやはり只の廃屋そのものだった。
『担がれたのか?』
一瞬そう考えるがセシリーはそんな下らない事をする少女には見えなかった。
思い直してミストは周辺を探索する。・・・までも無く直ぐに地下への入り口を発見した。
地下階段から吹き上げてくる風の向こうからは乾いた埃の臭いが漂ってくる。
「ここか。」
ミストは呟くと階段を降りていく。
階段を降りきると短い通路があり、その奥には空間と書物の棚が見えた。セシリーの言葉が思い出される。
『古代図書館の警護魔法陣は熟練の魔術師以外の入館を激しく拒みます。無理に侵入を試みれば怪我では済みません。』
とてもそうは見えない。
とは言え、ミストは一応慎重に通路に足を踏み入れる。途端に、足下、両サイドの壁、天井に魔法陣が浮かび上がった。
「!」
ミストは咄嗟に足を止める。
・・・が、それ以上は何も起きない。どうやらミストは警護魔法陣に魔術の力量を認められたようだった。
ミストは軽く溜息を吐くと冷や汗を拭った。
書物の棚が幾つか置かれた空間はそれなりに広く、反対の端に辿り着く迄に30~40歩ほど歩みを進める必要があった。とは言え『図書館』と呼べるような代物では無い。
「精々が書庫室だな。」
ミストは呟くと棚を1つ1つ見て周り始める。
そして気が付いた。壁に据えられたランプ差しの1つに明かりが灯されている。
「・・・。」
ミストは慎重に歩みを進める。と、調子の少し外れた少女の鼻歌らしきモノが聞こえてくる。棚の影から其方を覗きこんだ。
明かりの下に幼女と思しき娘が1人、腹ばいになって寝転がって自分の身体とそう変わらぬ大きさの魔道書を読んでいた。
楽しげに足をパタパタと動かしながら読んでいる姿が微笑ましい。が、其れは普通の場所であればの話だ。こんな場所でそんな姿を見せられても異常な光景にしか見えない。
『なんだアレは。』
ミストは眉間に皺を寄せて暫く娘を観察する。
当然、見た目通りの存在では在るまい。熟練の魔術師しか入れない場所にいる時点で只の幼女で在る筈が無い。人間では無いだろう。エルフなどの亜人種の類いか、或いはそもそも人種ですら無いかも知れない。
アレがセシリーの友人だろうか?
「・・・。」
ミストは暫く思案して見なかった事にしようと決めた。ソッとその場を離れて、棚に並ぶ書物に視線を走らせ始める。
『古代図書館』と教えられた時点で予測はしていたが、やはり現在使用されている魔術用語で記された書物は存在して居なかった。ケイオスマジックで護られていると言う事は、少なくとも其れらが使用されて居た創世記辺りの魔術用語に違いない。
「・・・帰るか。」
読めないのでは意味が無い。
飛んだ無駄足を踏まされたモノだ。
「おい。」
「!」
唐突に声を掛けられて、ミストは身を翻した。
振り返ると、先程の幼女が此方を見て立っていた。
「・・・。」
警戒するミストに幼女は不機嫌そうな顔を向けた。
「何の因果か、こんな辺鄙な場所で出会った人が居たと言うのに挨拶も無しか。」
何を言っている。挨拶だと?ふざけているのか?
「・・・こんにちわ。」
「はい、こんにちわ。」
ミストは良く解らない言い掛かりを付けられて混乱するが素直に挨拶をする。幼女は其れに対して挨拶を返してくる。
「・・・。」
何がどうなっているのか良く解らない。ミストは取り敢えず気になった事を尋ねる事にした。
「お前は誰だ?」
幼女は答えた。
「私か?私はカンナ。セルディナの客人さ。」