5話 魔術院へ
アリスは圧倒されていた。目の前で展開される、とんでもない茶番劇。白々しい化かし合いに絶句していた。自分は一体何を見せられているのかと。
えっと・・・なんだっけ?
彼女は頭の中で今の話を整理する。
自分は駆け落ちした大貴族の娘の子で、『妹のシーラが居なくなった』と訴えて死んでしまった?そして此の男が自分の叔父?そう言えば彼の名前も訊いていなかった。
余りにも突拍子の無い展開に目眩を起こしそうだった。
「それで・・・。」
ミストが話を再開し始めてアリスは気を引き締める。この後、どんな作り話が繰り広げられてしまうのか。気を抜いている暇が無い。
「・・・私としてはアリスの願いを無視する訳にもいなくてね。何しろ縁を切ったとはいえ実の妹の娘だ。しかも若くして亡くなってしまった姪の願いだ。せめてシーラだけでも引き取ろうと、こうして伺った次第なんだよ。」
「さ・・・左様で御座いましたか・・・。」
ジョセフの顔面からは隠しようも無い程の動揺が見て取れた。
――・・・この程度で狼狽えるのか。
ミストはこの男の小心振りに嗤いを禁じ得ない。
「シーラに会わせて貰えるかな?」
「い・・・いや、其れは・・・。」
「・・・どうかしたかね?」
ミストは尋ねてから追い打ちの様な言葉を掛ける。
「言って置くが、こうして身分を明かした以上、仮にもイシュタルの貴族の要望を無碍にする様な事が有れば、其れなりの覚悟を持って頂く事になるが?」
「も・・・勿論で御座います。」
ミストの口調にジョセフは平身低頭して見せる。
「閣下の仰る様に致します。ただ私も急な事態故、恥ずかしながらシーラ嬢の事を把握致しかねて居ります。何卒、少々のお時間を頂きたいと存じます。」
「ふむ・・・。」
ミストはソファに尊大に身を預けて見せる。
そして初めてチラリとアリスを振り返った。
『本当か?』
彼の視線はそう訊いている様に見えた。アリスは眉間に皺を寄せて不快感を彼に示して見せた。
ミストは平身低頭のジョセフに視線を戻す。
「其れはおかしいな。アリスは『副学園長なら知っている筈だ』と言っていたんだがな。」
「そ・・・それは・・・、そう申されましても、判りかねますので・・・。」
ジョセフは敢くまでシラを切るつもりの様だった。
「良いだろう。」
ミストは会話を切り上げる。
「ならば、私は是れからセルディナに用が在って出向かなくてはならない。7日後にまた此処に来る。その時には彼女を引き渡して貰おう。」
「は・・・。」
「良いな!?」
「は、は!」
ミストの強い口調にジョセフは身体を震わせて頷いた。それを見てミストは厳しい表情を崩してジョセフの肩に手を置く。
「君は1つ勘違いをしている様だ。」
「え?勘違い・・・?」
ジョセフが青ざめた顔を傾げる。
「私の要望は『シーラの引き渡し』だ。それ以外は問うていない。仮に君達が是れまでシーラに酷い事をしていたとしても、そんな事は私の知った事では無いのだ。貴族としての面子さえ潰されなければソレで良い。」
「・・・。」
「・・・言っている意味が判るな?」
ジョセフの視線が激しく揺れ動く。
「ひ・・・1つだけ宜しいでしょうか?」
「言い給え。」
「もし、シーラ嬢が貴方様に何かを訴えられたとしたら・・・。」
「知った事では無い。我が家に迷惑が掛からないのなら、そんな訴えは黙殺だ。」
「・・・畏まりました。」
ジョセフは頭を下げた。
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学園を出るとアリスがホッと溜息を吐いた。
「無事に出られて良かったわ。」
呟く彼女にミストは言った。
「フードは被っておけ。」
「・・・!」
アリスは外し掛けたフードを慌てて被り直す。
「話を合わせるぞ。」
「・・・。」
アリスは再び緊張させた表情で頷いた。
「まず、お前が学園から門前払いを喰らったのが10日ほど前だ。」
「ええ。」
「其処で追い出されたお前は、以前から存在を知っていた叔父の俺に会うために、その日の内にイシュタルへ船で渡った。カーネリアからイシュタル迄は4日程で着く。風と波の状況に因っては3日で着くこともある。仮に3日で到着したとする。1日でお前は俺に会い要件を告げて死んだ。俺は渋々その日の内に船に乗って4日かけてカーネリアへやって来た。そして宿を取って、今日学園を訪ねた。そんな流れだ。」
「・・・ええ。」
アリスは頷く。
ミストはアリスの視線に気が付く。
「何か言いたげだな。」
「そうでは無いけど・・・。」
「無いけど、何だ?」
「・・・良くあんな作り話がポンポン出てくるなと思って。あと、何であの副学園長は私に気が付かなかったのかしら。」
アリスの呆れた様な感心した様な視線に、ミストは不本意そうな表情を一瞬見せたが直ぐに答えた。
「あの話は別に彼所で考えた訳じゃ無い。此処に来る迄に考えていたんだ。それからあの男がお前に気付かなかったのは、俺が出会い頭にあの男に幻惑の魔術を掛けたからだ。」
「え!?」
「だからあの男にはお前が別の女に見えていた筈だ。」
「・・・。」
「序でに言って置こう。」
ミストは話を続ける。
「今回あの男に揺さぶりを掛けた事と、昨日のお前の話を考慮に入れて、幾つか判った事がある。」
「え!?何が判ったの!?」
アリスが泡喰って尋ねてくる。
大きな声を出されてミストは顔を顰める。
「大声を出すなよ。・・・学園は間違い無くシーラの失踪に絡んでいる。最初はあの男の単独行動かとも思ったが、あの小心ぶりでは先ずやれまい。アレは誰かの指示無しには動けない無能だ。」
「・・・。」
「ソレと俺達の所在や身元を確認しようと動くだろう。所在は今泊まっている宿屋の人間が証言してくれる。身元の確認はイシュタルに誰かを派遣しなければならない。つまり俺達の詐称がバレる迄に最低でも8~9日は要する訳だ。ソレまで連中は大胆な動きは取れない。シーラに何かをしようとして居たとしても中断せざるを得ない。」
「・・・もし中断しなかったら?」
アリスの表情は不安に満ちている。
「中断するさ。」
「何でそう言い切れるの!?」
事も無げに言うミストにアリスが叫ぶ。
「落ち着けって言ってるだろ。何度も言わせるな。」
「・・・ごめんなさい。」
スミレ色の頭が後悔したように俯く。
「いいか。あの副学園長との最後の話を思い出せ。俺は殊更に『シーラの状態など関係無い。引き渡せばソレで良い。』と強調した筈だ。『大事なのは貴族の面子だ』と。」
「ええ。聴いていて腹が立ったわ。」
「ああ言う事で連中に逃げ道を与えたんだ。追い詰めてシーラに余計な事をしない様にな。人間、逃げられる内は楽な方向に進みたがるモノさ。」
「・・・。」
アリスは舌を巻く思いだった。
其処まで考えていたとは思いも依らなかった。いや、考えたとしても、こんなアッサリと実行に移したミストの大胆さに圧倒される。
「貴方・・・凄い・・・。」
アリスが呟く。
「あぁ?」
何を言ってるんだとでも言う様にミストが顔を顰めながら振り返る。
「!」
アリスは思わず呟いた言葉が急に恥ずかしくなって顔を紅潮させた。
「そ・・・そんな事を一瞬で考えつくなんて、貴方はよっぽど悪い事をして来た人なのね。」
そう言って誤魔化す。
ミストは言った。
「当たり前だろう。悪党の考えってのは同じ悪党の方が良く解るもんだ。」
「!」
嫌味を言ったつもりなのに、当然の様に悪党である事を肯定されてアリスは良く解らないショックを受ける。
ミストはそんなアリスの様子は無視して質問してきた。
「ソレよりもだ。シーラっていうのはどんな娘だ?」
「え?」
「シーラはどんな妹なんだ?年齢は?性格は?見た目は?頭の出来は?」
アリスは少しだけ思案してから答える。
「年齢は16歳よ。あの子は優しい子よ。それにとてもハッキリとモノを言う子だわ。ソレが原因で修道院の子達とも何回か揉めた事がある。」
「なるほど、物怖じしない性格と言う訳か。」
ミストの感想にアリスはムッとした表情になる。が、口では肯定してみせる。
「そうね、そうとも言えるかもね。あと見た目は美人。修道院では一番人気があったわ。それに私よりも大人っぽくて、2人で並んでいると良く姉と妹を間違われたわ。」
「なるほど、年相応に見えると言う事か。」
「・・・。」
少女はミストを睨みつけるが否定はしない。
「あと、頭の出来は良かったわ。カーネリアの学園に招かれるなんて草々ある事では無いもの。」
「ふむ・・・。」
ミストは思案を巡らす。
「ねえ・・・シーラは無事かしら?」
アリスが怖ず怖ずと尋ねてくる。
「・・・。」
ミストはアリスを見た。不安に押し潰されそうな事は直ぐに解る。
「どうだろうな。」
ミストは言った。
「何かヤバい秘密を知ってしまった・・・なんて事でも無い限り、殺されたりはしないだろう。それ以上は俺にも解らん。」
とは言え、大方の予想はついている。
恐らくは人売りの手に渡っているだろう。本当に何処にでも良くある話で、若い娘の失踪の真相は十中八九が是れである。
16歳の美しい少女。そして当人の知見は未熟で、何より身寄りの無い娘ならばどうとでも出来てしまう。
買いたがる好色家は幾らでも居るだろうし、かなりの高額で取引されるだろう。
恐らく学園の連中は此方の素性を確認すると同時に、売り払った娘の買い戻しに躍起になるだろう。連中は大損もいいところだ。ミストは嗤った。他人の大損する姿ほど見ていて楽しいモノも無い。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
宿を引き払ったミスト達は、そのまま出発寸前だったセルディナ行きのキャラバンに乗り込んだ。これで2日後にはセルディナだ。
「本当にセルディナに行くの?」
「ああ。」
「何をしに行くの?」
フードの奥の瞳が揺れている。
「もうフードを取っていいぞ。・・・調べ物がある。」
ミストがそう言うとアリスはフードを取って尋ねる。
「・・・シーラは?」
「今の段階で出来る事は無い。」
「・・・そう。」
騒ぐかと思ったが、アリスは騒ぐ事も無く素直に受け容れた。
冬のセルディナは大陸の南部に在るカーネリアと比べて格段に寒い。
つい1週間程前に「用は無い」と出て来た国に、こんなに早く蜻蛉返りする事になるとは思わなかった。
ミスト達はキャラバンを降りると、そのままセルディナ魔術院に足を向けた。
『セルディナの魔術院は世界一』
――そんな謳い文句すら有る程に、セルディナの魔術院は規模、研究内容、魔道具の技術に優れている。最近は優れた魔術の指導者を迎え入れたとの話もあり、その技術力に拍車が掛かっているとか何とか。
もし幻惑魔術に新しい術でも出来ているなら是非あやかりたいものだ――ミストはそんな事を考えながら魔術院の受付口に立つ。
「ご用件は?」
魔術師と思わしき女性がミストを見上げた。
ミストは懐から首飾りを取り出すと女性に見せる。
「此処の卒院生なんだが、近くまで来たので懐かしくて寄らせて貰いました。あと幾つか調べ物をさせて頂きたい。」
女性が首飾りを受け取り魔道器の上に載せた。
「・・・。」
暫くして女性は首飾りを取ると笑顔でミストに返した。
「ようこそ、セルディナ魔術院へ。ご自由にどうぞ。」
アリスが眼を丸くする。
「それ、本物なんだ!?」
「ああ。」
「・・・魔術院の人だったんだ。」
「昔な。」
ミストはそう言うと勝手知ったる様子でどんどん奥に踏み込んで行く。
院内は壮大な大書庫となっていた。大量に設置された書庫棚の間を、老若男女たくさんの人々が行き交っている。恐らく殆どの人間が現役の魔術院生なのだろう。噎せ返る様な本と木造棚の臭いの中を、アリスは物珍しそうにキョロキョロしながらミストの後ろを付いて行く。
・・・と、ミストが困惑したように立ち止まった。
「どうしたの?」
「・・・史実の記録書の棚が無くなっているな。」
ミストは周囲を見渡す。
「何かお探しですか?」
心地良い声が後ろから掛かり、2人は振り返った。
其処には1人の少女が立っている。トルマリン色の長い髪が美しい。
ミストは目を瞠った。少女の美しさに・・・では無い。
その胸元にぶら下がる首飾りを見てだ。その首飾りに下がるブローチにはインディゴブルーの金属にカンパネルラの花模様が刻まれていた。
『ノーブルソーサラー・・・!』
ミストは話には聴いた事のある首飾りを、まさかこんな少女の胸元に発見する事になるとは思ってもおらず、正に虚を突かれた。
「あの・・・?」
凝視するミストに少女が戸惑いがちな声を掛ける。
ミストはハッとなって頭を下げる。
「あ、失礼。まさかノーブルソーサラーの方に出会えるとは思っても居なかったので。」
謝罪するミストに少女は苦笑した。
「ああ、いえ。お気になさらず。其れよりも何かお探しでしたか?」
「ええ・・・。」
ミストは目的を話し、大陸史の記録棚の位置が移動した事を知った。
「ご案内しましょう。」
少女は微笑むと2人を案内し始めた。