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いち話 段ボールで粛々と拾われるのを待っている猫は実際大物

のんべんだらりと書いていきます。オリジナルを書くのが初めてとかいう恥ずかしいやつです。ご意見ご感想、ご指摘ご苦言等、よろしければ賜りとう存じます。








 平日、特に登校前の朝というのはえてして憂鬱なものだ。高2の秋を迎えた今でも、朝の通学路を快く思ったことはない。

 アパートからのっそりと抜け出して、朝靄煙る住宅街の路地を歩いていた。


「……靄?」


 今日は随分視界が悪い。早朝といっても日が出てから二時間は経つのに。

 平素とは違う道の風景に首を捻りつつ、けれど些細な疑問はすぐに胃の腑に落ちて溶け消えた。今日は気候的にそういう珍しい事象が起きているのだろう。偶さかテレビのそういったニュースを見逃したか、これから報じられるのか。

 いずれにせよ、疑問に対する好奇心やその解決の為の行動力のようなものは、学業と労働という憂い事の前に雲散霧消する。溌剌とした情緒の移り変わりがここのところめっきり鈍くなり、面倒を嫌い効率を重視し横着ばかり上手くなる。

 ほとほと可愛げのないガキになった。

 日に日に草臥れていく心身を引き摺って、今日も今日とて働くのだ。御(まんま)にありつく為に。

 ただ、生きる為に。

 あ、あと納税。


(我ながら侘しいったらねぇな)


 溜息すら出やしない。胡乱に視線を泳がせて、見るともなしに地面を見た。下向きな視線が、足元からその先へ上っていき。

 ふと、見慣れないものを捉えた。


「?」


 道端に段ボールが箱のまま放置されている。電柱の影に隠れるように。

 いや、別に段ボール箱が珍しい訳ではない。当たり前だが。しかし、昨日通った時にはあのような荷物はなかった筈。

 不法投棄の類か。そう知れたところで、それをわざわざ片付けてやる筋合いなど自分にはない。仮に、この残り少ない良心とかいう機能を働かせて箱を片付けたとして、実は誰かが仮置きしていただけである可能性とてゼロではないのだ。

 余計な真似をして余計な面倒を負うのもまっぴら御免。ならば無視して素通りが現代人的最適解と言えるだろう。

 なんて言い訳を腹の内で巡らせ、とっとと歩き去ろうとした。


「にゃー」

「あ?」


 細く柔いそんな音色が耳を撫でた。反射的に音の出所に目をやった。

 そこには段ボール箱が一つ、そして、その中に一匹、小さな動くものがある。

 綿毛めいた質感の黒い毛並み、ぴんと立った耳、これまたぴんと立ち上がった尻尾、アーモンド型の目、下手な硝子細工よりも澄み切ったキトンブルーの瞳がこちらを見上げている。

 黒猫が、段ボール箱の中に鎮座していた。


「捨て猫か」


 見た通りの事実を口にする。

 ベーシックというかベタというか。今日日こんなことをする人間がいることにむしろ妙な感慨すら湧く。

 いっそ悪ふざけにさえ見えた。ペットを段ボールに詰めて道端に捨てるなど、どんな心積もりがあって実行したやら。


「無責任だねぇ」


 憐れに思う。見ればまだ小さい。生後三月かそこら。これから先、季節的にもどんどんと寒くなる一方だ。まずもって仔猫一匹で冬を越すのは難しいだろう。

 気の毒に。同情する。全く非常識な人間もいたものだ。


「いや、本当に可哀想に」

「にゃー……」


 潤んだ瞳が自分を見上げる。猫の美醜に聡い訳ではないが、なかなか端整な顔立ちをしている。幼いながら鼻筋は通り、マズルの膨らみにすら品格を感じる。外来種の血が入っているのやもしれない。成長すればきっとそれは見事な美猫になるだろう。

 いや本当に。


「その姿が見られねぇのが残念だ」

「…………にゃ!?」

「どうか頑張ってくれ。陰ながら応援してる」


 細やかなエールを仔猫に送り、自分は通学の途に戻った。

 薄情者のレッテルを貼られて然るべき行いだった。けれど、責任は負いかねた。その覚悟も無かった。

 生き物を飼うのは恐ろしい。一個の命を預かるという行為が恐ろしい。

 この、ひねくれ者の糞ガキは、人並み以上に小心者なのだ。

 だから仔猫よ。どうぞ許さず、恨んでくれ。


「にゃにゃにゃ!? にゅあ!?」


 鳴き声はまるで抗議するかのような声色をしていた。背中を叩く喚き叫びをそのまま背負って、霧深いアスファルトの道を歩いていく。


「にぃぃやぁぁああ……」


 最後に、切なげな一鳴きが響いた。次第に高く遠くなり始めた秋空に、それはふわりと上り、遂に霞んで消えてしまう。


「……」


 己が住まうアパート『福間荘』は規約にはっきりと“ペット禁止”と記されていた筈だ。動物の飼育責任云々以前にあの仔猫を引き取ることはできない。

 加えて、己自身の都合。学業の傍ら、早朝・放課後に詰め込んだアルバイトをせかせかとこなす毎日。とてもではないが、小動物の世話を焼く余裕などない。

 と、諸々の事由、もとい尤もらしい言い訳を列挙してはみたが。


「……胡散臭ぇ」


 実際のところ、己が何故こうまで無慈悲なスルースキルの発露へ至ったかと言えば、それだ。

 仔猫が収まっていた段ボール箱には貼り紙がされていた。筆ペンで書いたのだろう。妙に達筆で、所々に丸みのある字で。


『拾わなければ貴方に不幸が訪れます』


 不幸の手紙か。懐かしいわ。

 それをペットの捨て箱に施す神経が理解できない。

 それでも何とか底意地の悪い想像を巡らせるならばだ。あれはああした悪い冗談のような状況を前に、通行人がどういった反応を示すのかをどこかから盗み見、ないし撮影して、どこぞの動画サイトにアップロードしようなどと考えての不届きな手管やもしれない。

 一個の可能性に過ぎないが、そうした悪辣な思惑を持った人間はこの世の中、嘆かわしいことに少なくない。

 さらにさらに深く疑うならば、実際に仔猫を拾って数日後、何者かが飼い主を名乗って現れ、こちらを遺失物横領罪で訴えるなどという展開もあるやもしれない。

 疑い出せば切りも無いが、あらゆる可能性もまた絶無(ゼロ)にはならない。

 乗らぬ。

 どのような算段の下での行いかは置いておいても、馬鹿正直に、良心善心とやらにあかせて動くことはできなかった。それが出来ぬような小賢しい人間に己は成長を遂げていた。

 だから見捨てる。無情に、無慈悲に、人非人が如く、これより先あの仔猫がその小さな身を艱難辛苦に投じられる様を見過ごす。看過し、捨てる。

 責任を負えないなら、そうすべきだ。呵責に耐えられないと嘆くことこそ甘えだ。


「…………」


 帰り道にまだ居たら、里親探しくらいはしてやるか。

 それがいい。それでいい。この地域に住まう一般市民として、野良の動物を放置することこそコミュニティ所属者に課された公共マネジメント履行の怠慢であろう。

 だからきっとこれは、当然の行いの範疇だ。

 言い訳に言い訳を重ね、最後の妥協点に逃げ込んだ。甘えた性根の矯正は未だ遠いらしい。

 自分自身への皮肉を飲み込み、なにはともあれ学校を目指す。

 目指して、道を進んだ筈だった。


「にゃー」

「……あ?」


 そこはいつもの、見慣れた通学路だった。

 右手前方に電柱があり、その影に隠れるようにして段ボール箱が置かれ、箱の中には猫。朝日も飲み込む黒毛の猫が行儀よく座っていた。

 つい数秒前に通り過ぎた筈の道であった。


「なんだこりゃ」


 前と後ろを交互に見比べる。見る限り風景に変わったところはない。飽きるほど繰り返し通った道だ。今更見間違う訳もなし。

 ただ、白んだ靄によって見通しは悪い。


「……」

「にゃ」


 立ち尽くす自分に、まるで呼び掛けるようにして仔猫が鳴く。

 そうして見下ろした箱には。


『拾えば貴方に幸福が訪れます』


 そのような貼り紙がされていた。

 あたかもこちらの不審を見て取って書き直したかのようだ。


「文言のポジティブネガティブの問題じゃねぇよ……」


 アレンジすればいけるとでも。よしんばこれが効果を発揮したとして何が“いける”というのか。

 呆れて溜め息を吐きそうになる。が、ぐっと堪えた。

 それよりなにより驚くべきことが目の前で起きたのだから。


「……いつ書き変わった?」


 己が目を離した数秒間で、何者かが紙自体を貼り換えたのか。書き変えたと考えるよりも幾らか現実的な予想であろうが、それでもやはり現実味は一向に湧いてこない。

 何より。


「……」


 歩を進める。学校への順路。先程と同様に道を真っ直ぐに前進した。

 そして今度はより注意深く。周囲の状況に気を配りながら。


「にゃ」

「うん」


 三度、出迎えを受ける。黒猫は相も変わらず、いや心なしか得意げというか()()()顔で己を見上げていた。

 もはや疑いようもない。納得もまた出来はしないが。

 道が、ループしている。


「非常識な」


 科学全盛のこの御時世、もはやそう意識するまでもなく日常生活のありとあらゆる部分に根付いた人間世界の条理、それを嘲笑う所業が、今まさに目の前に横たわっていた。

 仔猫もまた段ボール箱の中で寝転んで伸びをしていた。ぐにーんとどこまでも伸びていけそうな柔らかさである。

 その暢気が実に羨ましい。

 こちとら現役高坊、遅刻には厳罰が基本だ。生徒指導の片瀬教諭はその役職の名に恥じず生徒の素行や規律遵守に厳しくもまた厳しい。ただでさえ己は、私事アルバイトによって学業を疎かにしがちであり、普段から殊更に説教を頂戴する機会の多い身である。これ以上彼女の不興を買うのはどう考えても宜しくあるまい。

 事態の打開が急務だった。

 現状把握、理解、推論、対策設定と実行は全て同時進行がいい。


「足を動かすと頭の血の巡りも良くなるんだとよ」

「にゃーにゃ」


 道を歩く。ひたすら歩く。

 案の定、進み出た先は“先程歩き去った道”。なおも進めど、元来た道。同じ道程を何度も何度も辿り、行き過ぎ、また戻り進む。


「にゃ~」

『拾えば貴方に良いことがあるかも』


 このループ現象がどのような原理によって成り立っているのか、などという命題はとっとと捨てる。

 物理学者でもない己に、そんな空間だか次元だかに関わる事象の読み解きなど出来るものか。


「にゃにゃぁ、にゃ?」

『拾った方が貴方のためになるよ』


 今、十七度道を()()()()()()きた。少なくとも“道”には何の変化も見られない。

 しかし道がループするタイミングは分かってきた。白い靄。視界のやや先を埋めるこの靄を潜った時、既に道の出端に立っている。


「にゃ~……?」

『拾えば、何か変わるかもしれない。いやきっと変わる』


 道を逆戻りしたならどうなるか。

 これは予想しやすかった。終点から道を遡るだけだ。

 念の為、十八度それを繰り返したが景色に変化はやはり無し。


「にぃ……」

『そろそろ拾おう。とりあえず一回拾ってみ?』


 行くも戻るも無駄ならば、止まってみてはどうか。

 白く湧き立つ靄の中で一分間ほど足を止めて待つ。

 景色にも立ち位置にも変化なし。


「にゃぁあ! にゃににぃにゃ!」

『拾ったらどうにかなるって言ってんだろバカ』


 手詰まりな感は否めない。しかし諦める訳にはいかない。出席日数のボーダーラインにはまだ余裕があるだろうが、欠席許容日数という己の首の皮の厚みをこのようなことで減じてはこの先の労働・学業の兼ね合いに必ず支障を来す。

 何か手は無いのか。何か。


「そうか……」

「にゃ……!」

『そうだよ。あたしを拾えば――――』

「電柱に登れば上から状況が見られるな。よし」


 早速と、電気工事用に据え付けられた足場ボルトに跳び付く。通行人、車両等に配慮して、こうしたボルトは大抵地上から二メートル強の位置に生えている。

 跳躍では流石に厳しいか。いや、幸い電柱は隣家の塀のすぐ傍に立っている。これを足掛かりにすれば余裕で――――


「拾えって言ってんでしょうが!!」

「電柱に登ってからだ!」

「なんでよ!? まずこっち見てよ!」

「上から周りを見てからな!」

「はい! はいはい! ここ! ここに元凶が居ます! あたし元凶! だからこっち見て! ホントお願いだからぁ!!」


 聞き覚えのない少女の涙声。その必死の懇願の叫びが、己の真下から響いて来る。

 見れば黒い仔猫が一匹、なんか泣きながらこちらを睨んでいた。




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