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夢、現実、夢。 思考のうねりの中で。

夢から(うつつ)に戻った。

でも現実世界での手応え、感覚、記憶と同様に今思い返せる。

どちらが本当なのか、両方本物なのか、思考の中に今まで経験したことのない うねり が生じる。

 

 私が飛んだ月曜日の翌日、火曜日の夜明け。

 まだ目覚まし時計のベルまでは遠い時間、〈ポツポツ〉と窓を叩く雨音が聞こえる。

 私はベッドの中で濃厚な夢の中身を咀嚼していた。

 浅き夢見のように全ての夢の中身が現実の中にも記憶として漏れなく持って来れている。

 ハッキリとした記憶、何一つ朧げ感が無い。


 人は人生として自覚しているのは起きている1日の半分だけで眠っている後の半分は無駄に過ごす時間。

 身体を休める脳を休めるとか生き物としての摂理は分かるけど、半分だと考えると人生100年時代とよく聞くけどよくよく考えると人生50年な訳だ。


 メディアは色々な利権やある特定の思惑が背面で蠢き、それを世の流れなんだと羊たちが鵜呑みにしている世界観を思うと踊らされぱなしなんだと考える部分も多分にある。

 100年キーワードで色々な金儲けが拍車をかけて、日本人の頭は100年生きる事だけに目先を向けられがち。

 長く生きる事って医療の事前ヘルスチェックを活発にして予防が進み、生き物としての人間の寿命は延びるだろうけど、果たして健康寿命(身体がそこそこ動き、悪辣な精神ストレスもほぼない状態)としての人生はどれだけの実行的な年数があるのだろうか。


 人は齢を重ねるほど年輪の様に徳を積み、免れられ無い生命体としての枯れを受け入れて内面である心の安堵、精神体の存在を自覚し枯れ木と何れ訣別するための準備をそろそろと始める。

 お祭り騒ぎは永遠には続かない。

 それを人生サイクルに取り入れて華やかで安心度高い状態を保ちつつ枯れの摂理を受け止める。

 華やかさは心の事。

 最近普通に多く見かけるお年寄:物欲や嫉妬等、業に磨きをかけてブツブツ独り言で文句を呟き、見るからに強欲が表情に刻まれている。

 人の目がないところだと〈ヌメヌメ〉としたナメクジの様な業を露わにする。


 稀に表情穏やかな眼差しを人生の後輩たちに向けて、枯れで融通効かなくなった身体を生命消えるまで継ぎ接ぎ持たせながら「ヨイショヨイショ」と、命あるからこそ吸える空気を有難いと手を合わせる程に清廉穏やかな鼓動を実現し得てるお年寄りも居る。

 つい此方も「ヨイショヨイショ」と手を貸したくなる。


 各個人で生きる長さを競い合う中で、私のクラスの小さな世界ですら存在するこの自己中心的で、人の事より自分の事、助けてとは声高に叫ぶけど、自分は助けようとはしない見て見ぬ振りの砂漠の様な冷たい感情が蔓延する世の空気の中で体力が弱まり抗う力も身体機能的に無くす年寄としての人生100年の最後部分を生き抜けるのだろうか。


 もしかしたら卒業してサヨナラした筈のクラスいじめの様な中で余生を送ることになるのかもしれないという不安が増すばかり。


 見て見ぬ振りの親は猫可愛がりで愛玩具として育てた怒られた事がゼロな自分の子供もその親たちが丹精込めて作り上げたこの砂漠の中に叩かれると痛いを身をもって知らない状態で放り出される事を予防しようと思わないなのか。


 平等なんて無い世の厳しさを自覚し生き抜く胆力を教えないのか。

 自分の得意を持ち寄り、不得意は不得意と自分自身でちゃんと自覚してお互いをフォローし合う共生の生き方を日本人は縄文時代の頃に実現出来ていた話もある。

 自分らの日常の積み重ねで出来た世を恨み、その腹いせが子供に牙を剥くニュースが毎日毎日流れる。


 小学校を卒業する最後の日に担任の福田先生が、旅立つ君らにと全員に本を贈呈して下さった。

 《逝きし世の面影》という本だった。

 戦前の日本が描写された世界。

 一般家庭はみんな貧乏所帯でその日1日を無事に生き抜く事を隣近所で助け合いながら生きていた時代の話だった。

 醤油が無ければ隣が貸してくれる。

 親が病気してたらそこの子供の面倒をお互い様で見てくれる。

 悪い事や思いやりない事を見つけたら何処の子供だろうと注意していけない事だと教える。

 母ちゃん父ちゃん、爺ちゃん婆ちゃん、近所のおばさんおじさんが醸し出すお節介な優しさを子供らは受け継ぎ、安堵の世は続く。

 そんな親らの一生懸命を横で見ている子供らは、汗まみれの親らを汚いなどと思う感情すら持ち得ずにあかぎれの手をさすり、茶碗の一つでも洗って疲れを癒そうと考える。

 そんな在りし日の記録が書かれていた本だった。


 夢の世界で肌身に感じた高揚感は、その愛すべき日本人を守るために戦う決意を持った凛とした空気が夢の世界に流れていた影響かも知れない。


 ベッドの温かさの中、まだまだ頭を駆け巡る大きな思考のうねりを追求したいと思いながらも目覚まし時計のベルでいつもの朝の流れに引き戻される。


 そして現代人が産み出した悪辣なあのクラスに学生として通うために私は起きる。



日本人がついこの間の近代まで持っていたという精神文化。

物理文化が先進だと思い想わされてここまで来たけれど、実は日本人の精神文化の方が人間の最先端の姿だったのかも知れない。

消え去る物に執着し心も荒み我が子、我が親に手をかける野蛮な砂漠にはかつての日本人はもう居ないのかも知れない。

では何処に消えたのだろう。

あやしい奴らに聞いてみよう。

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