野良魔術師を締め落とす方法
「無職…この私が、無職」
前世の知識でいうところのニート。
年齢一桁のときから私たちを救ってくれたニーズヘグ家に仕えていて、それ以降は神に仕える者として勤めているせいか、クビにされた事実を直視出来ない。
ベッドと棚くらいしかない殺風景な部屋を見渡していたリトは、情けなく項垂れる私に近付いて来て抱き上げてくれた。
「よしよし、そんなに気に病むな」
縦抱きで優しく揺するため、まるで子どもに戻った気分になる。と言っても、母しかいなかったため、物心つく頃にはだっこはしてもらったことはないから想像だが。
童心に返る私をゆったりと揺さぶりつつ歩を進めた彼は、ホコリ避けの掛かったベッドの上に下ろして自分もそこに座った。
「事実、向こうがあの召喚された小娘に手を出したのを王族に見られて罷免されただけだ。単純にあの小娘を弄ぶのにセトをダシにしたのはあっちなのに、勝手に逆恨みしたんだろ」
「だとしたら、私のせいで兄さんまで…って、ちょっと何故この体勢に!?」
自分のせいでリトまで無職になったことに更に落ち込みそうになった私だったが、彼の身体が傾いで覆い被さるような体勢になっていることに気付いて暴れる。必死に胸を押し返そうとするが無力で、むしろこちらが押し返されてしまった体勢を崩して倒れ込む。
日が昇る前に旅立った私たちの『父親』役をしてくれた男性が直前まで掃除していたからまだキレイなベッドは、私と私の上に伸し掛かる彼のせいでぐちゃぐちゃに乱れつつある。
「何故?そんなわかりきったこと、聞くか?」
鍛え抜かれた彼に私の抵抗など赤子の手を捻るぐらい楽なことらしく、ニヤニヤと余裕な様子で笑って自身の身体と片手だけで封じる。更にもう片方の手で視界を遮る眼鏡を奪って、あと少しで唇同士が触れ合うほどの距離で私を見下ろして来た。
その弧を描く薄い唇、噛みついてやろうか…っ。
不遜な思いを抱きながらキッと睨み付けると、とろりと溶けた蜜色の瞳がじんわりと金色に変わっていくのを目撃してしまった。あ、これはまずい…。
「約束の時間までたぁっぷりある。だからゆっくりじっくり、慰めてやるよ」
案の定、心底楽しげな彼はそう提案してきた。
確かに彼の言う通り、潜入期限はまた残っている。ギリギリまで粘れるよう仕事も割り振ってあり、緊急のものは拠点に届けてもらえる。
だが、他に負担が掛かっている以上、早くに戻れるなら戻るに越したことはない。
「期限が短くなったのですからはやく帰ってやるべきことをやるべきでしょうよだからやめて」
「やーだよ」
「子どもじゃないんですからー!!」
まったく、誰がこんなわがまま坊ちゃまにしたんだか。
かつての『旦那様』と『跡継ぎ様』を脳裏に描き、私はもう遠いところにいる方々に文句を言った。思うだけはタダだ。
もうすでに、『坊ちゃま』と呼べる範囲から越えるほど年齢を重ねて、縦に成長した彼は情けない声でうろたえる私を見下ろし、熱を帯びた金色の瞳を輝かせて蠱惑的な笑みを浮かべた。
どこもかしこも女性と違って硬い身体を押し付けてこちらの動きを封じ、眼鏡を丁寧にベッドサイドのテーブルに置いて空いた手で、意味ありげに下腹部を撫でて来る。
乗り上げているから、隠そうとしている私の反応などお見通しだろう。震え、荒い息を吐く私を見下ろす彼は相変わらず余裕綽々だった。
余裕がないのは、いつも私だけ。
経験値の違いに悲しめばいいのか、それとも嫉妬すればいいのかわからなくなる。
彼は私がいなくなった後、誰とどういう風に過ごしていたのだろうか。
一瞬、頭を過った疑問を内心嘲笑う。主だった彼の元を去ることを選んだのは自分なのに、いなくなった後のことを思って嫉妬する自分の欲深さを知り、笑うしかなかった。
「おい、誰のことを考えてる」
ムッとする彼に曖昧に笑う。別に害する意思はないが、彼は勘が鋭い。
とは言え、名前すら知らない相手について語る言葉は持たないし、語れるだけ相手を知りたくもない。でも、どんな相手だったのか気にもなる。
もしかしたら、悪役・ユーグリットにとって大切な『彼女』かもしれないと思えば自分の複雑な感情などどこかに置いて、どうにか保護しなくてはならない。
自分の役割など、わかりきっている。あくまで背景の司祭でしかない私が出来ることなどたかが知れているが、安心してほしい。相手を傷付けないし、決して自分の思いを押し付けないから、どうか私にもあなたの大切な人を護らせてほしいんだ。
「セト……」
切なげに私の愛称を呼ぶ彼は、顔を寄せる。
ただでさえ近い距離をゼロにしようとする彼に対し、私は冷静に手でそれを阻んだ。いつものことだ。
「…………」
熱を帯びた金色の目を細め、もの言いたげな表情になる彼に対して私は苦笑する。
女性に対し、こういった行動を取ることに慣れている節がある彼であればきっと今更、何ともないのだろう。あんまりにも躊躇のない行動に、私はいつもタジタジだ。
私も慣れていれば、適当にいなしたり口寂しいらしい彼に付き合ってあげることも出来るだろうが、それは無理な相談だった。
不器用な私に、動揺も思いも隠す余裕などない。
…しかし、彼はどれほど寂しがり屋なのだろうか。
手で行く手を阻んだのにも関わらず、彼はそのままの状態で顔を近付けて来る。口を塞がれているのにそれを払うこともなく進む彼の唇と自分の手越しに私の唇が重なった。
鼻は塞いでいないから呼吸は出来ているはずだが、ジャマじゃないだろうか。興が削がれ、止めてくれると思っていたのに掌に彼の唇が当たって動揺する。偶然ではなく、意図的に当てられた唇が軽いリップ音を立てるのを掌越しに感じた。
半分だけ開いた、熱を帯びた金色の目に至近距離で射抜かれながら、私は角度を変えて何度も掌に口付ける彼から必死に自分を護る。唇を押し付けられるたびに手の甲が自分の唇に押し付けられて、何だか変な気分になりそうだ。
きっとその金色の瞳が悪いのだと、私が八つ当たり気味に彼を睨み付ければ、それがわかったかのように目を閉じてくれた。もう、護衛役としてカナハ嬢と接しないからと偽装していない、本来の彼の色の長い睫毛が目前にある。
…しかし、掌への口付けは全く止めない。それどころか唇が当たる時間が長くなり、挙句に温かなものが掌をつついて……。
「誰だ」
…と、伸し掛かっていた重みがなくなった。
鋭い誰何の声は彼のもので、気付けば抜身の剣を持った彼が玄関に立っている。
この家は小さい。足の長い彼にとって、ベッドから降りて玄関までなど数歩で行ける距離だ。
しかし、先程までの余韻など全く感じさせない。動揺ももちろんなく、警戒心も露わな彼にとっては先程まで私に行っていたことなどどうということもないと、改めて思い知らされた。
身体を起こし、隠し持っている折り畳み式の棍を取り出そうとした私は、こちらを見ていた彼と目が合う。たぶん、警戒を促そうとしていたのだろう。しかし、何故か怖い顔をしている。
口をパクパクと動かし、私の顔と足元に視線を何度か往復させて何かを伝えようとしている。そういえば、運ばれて来たままだから、靴を脱いでいないと思って下を見た私は、バッと足を閉じて捲れてただぼだぼな服を直した。
「もう一度聞く。誰だ」
低い誰何の声。
剣を片手に、もう片方の手を玄関の扉に掛けた彼は苛立っている。
警戒を彼にまかせっきりの私はその声に慌てて立ち上がろうとするが、へろへろとベッドの上に座り込む羽目になった。
今更、臆したのだろうか。今の立場になるときに、身分相応の危険性とその身分を隠しつつ潜入することについてさんざん周囲から語られ、自分の身ぐらい護れると思っていたのに、この体たらく。
騎士である彼のジャマにならないよう、本来ならば扉の開閉ぐらいは受け持つべきだろう。そうすれば、彼の片手は空き、もっと動きやすくなる。それくらいわかるのに、腰に力が入らない私はただ成り行きを見守るだけしか出来なかった。
「………」
へたり込む私から視線を逸らし、扉の向こうに意識を集中する彼は無言で剣を構える。
いつでも突きを放てる体勢になった彼は、扉を勢い良く開け放った。
「ひうぅぅっ!?」
「あ゛?」
「…あれ?」
ベッドの上だろうが一応、警戒していた私もその情けない声に首を傾げた。…いや、間近でそんな声を出された彼はたまったものじゃないだろう。すごい音量だったから。
「あわ、あわわわわっ」
前世の知識の中にある『まんが』の中に、慌てる様子がそう書かれているが、実際に『あわわっ』と叫んでいる人を見るのははじめてだ。好奇心が勝って、彼の広い背中で隠れている相手を見ようとゆっくりと身体を動かしてみる。
うん、ゆっくりなら何とか動かせそうだ。
自分のとろい動きにヤキモキしながらも、ゆっくりベッドから降りて彼の方へ向かう。棍を組み立てようか迷ったが、何だか警戒するだけでも良いような気がする。
むしろ、警戒すらもいらない気がするけど、不機嫌そうな彼に気付かれたら鋭い目で串刺しにされそうだから表面上は真面目な顔を作っておいた。
「あの、どうしたのですか」
「あぅっ」
アシカか。
つい突っ込みたい気持ちに駆られるが、それを抑えて彼の背中から顔を出した。すると、涙を含んで輝く目と目が合う。
「…あっ」
ぽろり。
目を合わせたまま大きく見開かれた目から、滴が落ちる。真っ赤になっているが、泣いている…?
「あぁ、そうか。兄さん、剣をしまって。怯えてる」
彼に比べれば大体の人はそうだけど、特に玄関に身をすくませて立っている人は小柄だ。だいたい、私と同じくらいだろうか。そんな人が、警戒心も露わで自分より大きい男性に睨まれたら怖いと感じるだろう。しかも、抜身の剣を持っているし。
剣を持って警戒しているときは、どこだろうが身体に触れられたくないことを知っている私は声を掛けて彼の注意を惹く。すぐにそれを声に反応してくれた彼は肩越しに振り返って…扉を開け放った方の手で、玄関先の人の顔を鷲掴んだ。
「ちょっ、兄さん!?」
「見るな」
「えぇ!?見るなって何を?この人を!?」
「見るな。減る」
どういうことだ?
彼が意図することが、言葉から推測出来ない。取り敢えず、彼の背中の陰になるところに戻った私は言い付け通りに見ないことにした。だけど、これだけは言わせてほしい。
「あの、意識が落ちそうなのでそろそろ開放してあげて下さい」
「…………」
自分が鷲掴み、悲鳴一つ上げなくなった人物を見下ろした彼は鼻を鳴らした。