救い方を模索する方法
「彼女を救わなかった世界など、俺が滅ぼしてやる」
髪色と同じ、赤々と燃える炎を背景に彼は哄笑する。
自分の手の者たちを使い、散々悪意を振りまいて躍らせた悪役の顔は笑みに彩られているように見えるだろう。
しかし、彼は傷付いている。
ずっと、ずっと。
彼女を失ってから、自分の中にある欠けを抱いたまま、ひたすら復讐を続けてたくさんの人を悲しみの海に沈めてそれでもなお、止まることが出来なかった。
しかし、追い詰められた今、それもようやく終わる。
『ほぅ』と、小さく息を吐いた彼はそれから一思いに腰の剣を自分の首に当てて、ためらいもなくそれを引いた。
噴き出す大量の赤に、自身の青白い頬を染めた彼はよろめきながらもヒロインとその攻略対象者たちに向けて悪意に満ちた笑みを浮かべる。
「この地獄を聖域などと称するマヌケ共。せいぜい、滅びゆく世界で偽りの愛を謳歌してろ」
涙を流し、倒れ伏す身体に手を伸ばすヒロインを抑え、攻略対象者たちは嫌悪も露わに彼を睨む。どれ程の犠牲を生んだか、彼らは誰一人忘れていなかった。だからこその嫌悪。
「そんな…死なないで!罪を償うのなら、私も手伝うから…!!」
ヒロインの悲痛な叫びなど、一切意に関さない。ただ、自分の血の海に沈む彼の狂気を孕んだ金色の瞳は、虚空を見詰めていた。
ここではない、もうここにはいない誰かを見出しながら、彼の口は一人の人物の名を紡いで……。
「セトナ」
ハッと我に返った私は、慌てて意識を自分の目の前の人物に向けた。
炎のように赤い髪を貴族の通例で伸ばし、一つにくくっているせいで柔らかい印象が更に上がっているこの人物に狂気も苦しみも悲しみのない。
煌く瞳には興奮も怒りもなく、平常時の琥珀色で固定されていた。
こてんと首を傾げる目の前の主は、幼い仕草をしていて微笑ましい。旦那様から稽古を付けてもらうようになってずいぶん経ち、同じく稽古を付けてもらっている私の目から見てもかなり鍛えられているにもかかわらず、彼の身体はまだほっそりして見えた。
まあ、仕方がない。彼はまだ十代だ。先程まで、脳裏にいた『彼』よりもずっと幼いともいえる年齢だから身体が完成していないのも仕方がないことだ。
「セトナ、聞いている?」
「…申し訳ありません。聞いておりませんでした」
使用人である私は頭を深く下げ、小さな主に素直に謝罪する。先程の旦那様の執務室での会話の直後、脳裏に流れ込んで来た『映像』のせいでぼんやりしてしまったのだが、いつのまに主が部屋から出て来たのか気付かなかった。
もしかしたら、先程お出しした飲み物が足りなくなったからこうして呼んでいたのかもしれないと思い、冷や汗が出る。
私は主よりも幼いとはいえ、直属の使用人として抜擢されていた。それだけ、責任が重い立場であると同時に、同じようにこの家に仕える母や弟がいる手前、私の失態は家族全体への失態へと繋がる。
せっかく、笑みが多くなった来た母が、私のせいで敬愛する旦那様に叱責されると思うと冷静ではいられない。
そんなことを考えていた私が相当青褪めていたのだろう、主はやんわりと手を握って顔を上げるように言う。剣ダコのある大きくなった手に励まされて恐る恐る顔を上げれば、少し色が濃くなって蜜色に見える瞳を細めて主は私に微笑んだ。
「…ううん、良いんだ。さっきの話をセトナが聞いていないのなら別に」
「…………」
彼が聞いてのは、『さっきの話』についてだったのか。勘違いしたまま答えてしまったが、嘘をついたことになる。
聞くつもりではなかった。しかし、聞こえてしまったことには違いなく、しかも自分の今後の処遇に関することだ。いや、ただ旦那様は釘を刺しただけのこと。側付きを異性にした主に対する、旦那様の親心だろう。
こんな私に対しても警戒する旦那様はきっと、親の鑑だ。血縁上の父親からはろくな扱いしかされてこなく、母からしか親の愛情がもらえず、理解出来ない私でもわかるぐらい、我が子を大切に思っている。
そして私はきっと、旦那様の意思に沿うべきだろう。仕える相手は目の前の主だが、雇い主は旦那様だ。だったら、ジャマになる前に私はここを一人、去るべきである。
「なぁ、セトナ。明日の俺の生誕パーティーなんだけどさ」
「はい」
「お前、パーティーの手伝いって遅くまで掛かるのか?」
明日、主は十四の誕生日を迎える。貴族にとって十四になるというのは、準成人と認められる大事な節目の日だ。だからこそ、盛大なパーティーになる。
主の兄君である跡取様のときもかなり遅くまで行われたパーティーであるから、次男であり、すでに『ニーズヘグ家の火吹き竜』と呼ばれる彼のために開かれるものが長引くのは当たり前のことだろう。母だけではなく、側付きの私も手伝うことは決定している。
とは言え、私はまだまだ幼い。大した手伝いも出来ないのだから、あまり遅くまで手伝わなくてもいいと侍女長に言われているからそう、遅くはならないだろう。
その言葉をそのまま主に告げれば、彼は笑みを深めた。何がうれしいのかわからないが、深まった目と更に細められた目の奥が、徐々に蜜色から金色へと変わっていくのが見えた。
至近距離だからこそ、見えた。
「そうか。なら、終わったら俺の部屋に来て」
じわりと目の中で広がる金色をただただ見詰めるしかない私は、何とか唾を嚥下して口を動かす。
「申し訳ありません。遅くなりますので、次の日の朝ではいけませんか?」
「ダメ。その日が良いんだ。時間のことなら大丈夫。むしろ、主役の俺の方が部屋に戻るのが遅くなるかもしれないぐらいだ。時間が勿体ないから、何なら湯あみを先にしてもいいぞ」
「いいえ、そんなこと」
「気に掛かるようなら、俺の方がお前の部屋に行っても良い。ただ、エレナは仕事で部屋にいなくても、まだ幼いリュジュはもう休んでいるだろ?起こすのも可哀想だから、結局は俺の部屋に移動することになるけど良いか?」
主の妹君の乳兄妹である弟は、彼女がパーティーから去った時点で仕事は終了だ。一時的に仕事から抜け出す母の手を煩わせない弟は、すぐに寝付くだろう。
そんな弟の側で主と話すのは、確かに可哀想だ。いや、そもそも主を使用人部屋がある区間に入れる時点で失礼である。
主の気遣いとはいえ、もっと失礼になる湯あみに関することは口に出さず、私はしどろもどろになりながらも結局のところ拒否することが出来ない願いに頷くこととなった。
「わかりました。この身体が空けば、でよろしければ」
「うん、もちろん。父さんに頼まれたら、絶対に断れないだろうし」
上機嫌になった主は、もう全体が金色に染まった瞳で私を見詰める。熱の籠った瞳で私の靄の掛った安価な宝石屑のような瞳を覗き込んで、手慰みにくるくるとまとまりのない栗色の髪を一房手に取った。
ニーズヘグ家特有の赤毛とは違い、何の特徴もないどこにでもある栗色の髪を弄ぶ主は、明日やっと準成人になる少年とは思えない艶然した表情でまた、笑ったのだった。
先程、聞いてしまった旦那様と主の会話。
その内容を思い出してしまう。そんな、取るに足らない私なんかが警戒する必要もないことなのに、頭の中で警戒音が鳴り止まなかった。
旦那様は主に許可を与えたわけではない。むしろ、貴族のお手付きになった使用人の行く末を示唆し、それを止めようとしていた。
私の母が良い例だ。彼女は私のせいで逃げられず、やがて弟を身籠る羽目になって肩身の狭い思いを長くした。
星導教会の教えでは一夫一妻が基本であり、それ以外は恥ずべき存在だと言われている。だからこそ、旦那様の口から出た『愛人がせいぜい』との言葉に頭を殴られた気分だ。
旦那様は熱心な信者である。そんな旦那様の口から出た言葉に、私にわざと聞かせた真意を理解した。
「坊ちゃま」
「…それ、止めろって言ってるだろ。お前の方が年下なんだから」
「そうでしたね」
拗ねた顔になった主に促されて、私は彼の名前を呼ぶ。金色になった瞳をそのままに、すぐに上機嫌になる主が愛おしい。
こうして、本人の前で名前を呼び、うれしそうに返事をする姿を見るのはこれが最後なのだと思うと…胸が苦しくなって泣き出したくなる。
ずっと、側にいたい。
健やかに育ち、立派な守護者となった彼の手助けが出来たら良い。
例え、隣に立つことは叶わなくても構わない。
誰か素晴らしい女性と結ばれ、主が幸せに笑えるのであれば私の中で育った思いなどどうとでも出来る。
初恋、なのだろう。こんなすばらしい人、惹かれない方がおかしい。
私はそっと思い、小さく笑う。
でももう、これでおしまいにしよう。
「ユーグリット様、どうかあなたの上に永く星が瞬きますように」
生誕日の祝い言葉の定番を口にした私は、部屋に戻る主と別れて旦那様の執務室へと歩を進める。入室の許可を得て入れば、旦那様の他に跡取である主の兄君がいた。
慌てて部屋を辞そうとするが、旦那様がそれを止めて話を聞いてくれると言う。お忙しい旦那様を煩わせるわけにもいかず、私は重い口を開いて――。
どうすれば、彼を失わずにすむのだろうか。
ただただ、今もなお考え続けるが結論はまだ出ない。
改めて、はじめて彼の未来を知ったときのことを思い出していた私は、あのときの行動が正しかったのかもまだわかっていない中、部下からの報告を聞いていた。
「異世界から聖女が召喚されたそうです」
会議中の部屋の中に、緊張が走る。それもそうだろう。
総じて、異世界からやって来た聖女は特別な力を持っていた。今回の聖女もまた、力を持っているかもしれない。いや、持っていると私は確信していた。
「保護要請が入っていない」
「どういうこと…?」
「あちらも、聖女の扱いはわかっているだろう。そして、私たちの役割も」
「なのに何故、我々のところに話が来ない」
「まさか、聖女の力に溺れ良からぬことを考えているんじゃ…」
誰かの言葉を最後に、沈黙が落ちる。
否定する声が上がらないことを考えれば皆、王家や貴族というものを誠に信じていないことが浮き彫りになった。とはいえ、過ぎたる力を得てしまった人間というものを理解している。だからこそ、今後を危惧しているのだ。
「事実かどうか、調べてみる必要がありますね」
「藍珠の」
「若輩者ですが、私が参りましょう」
「……!!」
騒めきが起こる。
無理もない。自分でも理解しているが、私はまだ若く経験も浅いのだ。それなのに、そんな重要なことを任せていいのだろうかと、周囲は躊躇している。
それは理解しているが、私自身は自分が適任だと思っているのだ。
あの日、主の元から出奔することを決意するきっかけとなった『映像』。あれが現実にならないようにするにはどうしたらいいのか。
もしかしたら、あれは神からの啓示だったのかもしれないと今は考えている。
方法はまだ考えていて手探りの状態ではあるが、啓示を受けた私が関わりたい。誰かの手に委ねることを考えたことはあるにはあるが、私自身が関わりたいと強く望んでいるのだ。
騒めきは収まらず、止めようとする者の声が聞こえる中で発言を撤回する気配のない私。
話は平行線になると思われたそのとき、黙ったまま後ろに立っていた人が、前に出て発言する。
神に近しい色とされる白と、自身の髪色に似た赤で彩られた騎士服に身を包んだ彼が張るでもなくごく自然な様子で発した言葉は騒めきをかき消し、皆の視線をこちらに向けることに成功した。
「だったら、俺も付いてく」
まるで昔、屋敷の買い出しを頼まれた私に付いていこうとしたときと同じ言葉を彼は口にした。
短く切り揃えた赤毛、成長して柔らかさを捨て精悍さを増した男らしい顔立ち、細身に見えるが鍛えられた肉体を持つ彼は『映像』の中の『彼』によく似ているが、少しずつ違っている。
ユーグリット・ニーズヘグ。
国の守護者であるニーズヘグ家の血を強く継いだ彼は家名を捨て、剣一本でのし上がってしまった。
この星導教会の僧兵・聖騎士を取りまとめる部隊・紅剣の長にして最強の聖騎士である彼は、今代の法王猊下の守護剣との呼び声も高い。
…この悪役、私は救えるのだろうか。
助けが必要ないくらい、すでに『チート』なんだが。