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シリーズ日常会話。

なんてことない日常会話。8  鏡よ鏡編

作者: かすみづき

「伯爵が『白雪姫』の世界に生まれてたら、大変だっただろうねー」


「は?」


 エルネストにとって、目の前の友人の突飛な発言はいつものことだ。彼がふと思ったことをぽろりと零すことから会話が始まることが多い為、それ自体にはもう慣れている。まだ年若い友人の人となりを知っていればある程度の予測は付けられるし、ただの日常会話に整合性を求める性質でもない。これまで唐突に話題が飛んでもさらりと付き合って会話を円滑にこなしてきた男である。その彼がたった一音しか発することができなかったというのは、実に稀な事態であった。


「お妃様より美人だと命を狙われる世界とか、伯爵に安住の地は無さそうだなって、あれ?」


 少女と見紛う容貌をした少年は、珍しく頭の働いていないエルネストの様子に気付くと、こてりと首を傾けた。


「もしかして。伯爵、自分が美人だって自覚ないの?」


「……知っています。誠に遺憾ですが」


 美人と評されて「知ってる」と答えるのはなかなかにアレな発言だが、エルネストはものの美醜が分からなくなるほど耄碌していないので、少年が言っていることは客観的事実であると認めざるをえない。


「それを言うならユカリ君こそ、まるで白雪姫じゃないですか。雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀の窓枠の木のように黒い髪をしているでしょう」


「言わないで」


 仕返しとばかりにエルネストが少年の容姿をあげつらうと、少年があからさまに目を逸らした。


「ていうか、僕より伯爵の方が白いじゃん。きれいな赤い目をしてるし」


「肌が白いのも眼が赤いのも認めましょう。しかし私には黒がありません。王の妃が望んだ三色すべてを兼ね備えたユカリ君こそ、白雪姫ですよ」


 目を逸らしたままぼそりと反論を述べた少年だったが、倍の言葉を費やしたエルネストの反撃に、更なる反論は出てこなかった。


「ユカリ君」


「はい」


「どうしてそんな諸刃の剣を持ち出してしまったんですか」


「出来心で、つい」


 悲痛な面持ちで問い掛けたエルネストに、少年は両手で顔を覆うと、こちらも沈痛な声音で搾り出すように答えた。

 ローテーブルを挟んで向かい合う形でソファに座る二人の男が、互いに容姿の良さを転嫁し合うという、不可思議な空間の出来上がりだった。

 その不可思議空間を内包する洋館の主であるエルネスト・ヴァン・ドラクリエは、欧州系の顔立ちをした二十代半ばの青年である。腰まで伸びた真っ白な髪をうなじの少し上でひとまとめにして、薄く色の付いた眼鏡を掛けている。それっぽいからという理由にもならない理由で、少年から伯爵と呼ばれている。

 少年こと新島にいじまゆかりは、日本の男子高校生である。かなり小柄で幼い顔立ちをしており、ユニセックスなショートヘアも相まってよく性別を勘違いされる。

 人種も国籍も年齢も違う二人の性別以外の共通点が「容姿が整っているという悩みを抱えている」ことだ。

 本来なら容姿が整っているのは長所だろうが、それが「女と見紛う」と形容される整い方をしているのが難点だった。エルネストは百八十八センチという長身に見合う体躯をしている為女性には見えないが、男らしさとも縁遠い中性的な雰囲気がある。反対に縁は百五十八センチという小柄さで、クラスメイトから「ミス学園本命馬」の太鼓判を押されてしまう始末である。

 容姿という見れば分かる問題なので、お互いに相手が似たような苦労をしているのは分かっていた。しかしこれまで、明確に互いの容姿について話題に上げたことは無かった。なぜなら今まさに行われたように、どんな発言もブーメランのように己に返ってくると分かっていたからだったのだが。


「まあ、言っちゃったもんはしようがない。よし、話題を変えよう」


 不文律を破った縁は、しばらくして両手に沈めていた顔をぱっと上げると、けろりとした様子でそう提案した。


「そうですね。ちょっと不毛すぎますからね」


 言われたエルネストも、同じく悲痛さの欠片もない態度であっさりと縁の意見に同意した。

 悩みではあるがこれまで付き合ってきた我が身であるし、命の危機があるわけでもない。面倒ではあるが、忌避するほどのことでもない。

 要するに、茶番である。


「といってもなあ。伯爵なんか話題ない?」


「ユカリ君こそ、唐突な話題転換得意じゃないですか」


「よくやってる自覚はあるけど、狙ってやってるわけじゃないからなあ」


 話の種を求めて目を泳がせていた縁は、出されたカップに目を留めた。


「ストロー付きって珍しいね。しかもなんか太いし」


 エルネストはこれまで様々な飲み物を出してきているが、紅茶なら白いティーカップ、緑茶なら厚手の湯呑、工芸茶ならガラスのカップと、器も合わせて変えていた。今回は底が深めのマグカップに、直径五ミリを超えそうな太いストローが差さっている。


「飲み物はミルクティー色だね。あ、冷たい」


 ひんやりと冷たいマグカップに触れつつ、思ったことを述べていく。


「ほぼ正解ですね。こちらはパールミルクティーです」


「やっぱりミルクティーなんだ。でも聞いたことないなあ」


「台湾発祥だそうですよ。ユカリ君が飲んだことがあるかどうかは分かりませんが、タピオカミルクティーと言えば、聞いたことがあるのでは?」


「あー、知ってる知ってる。え、あれって家で作れるの?」


「タピオカは市販品ですね。さすがにキャッサバから作るのは大変そうなので、やめておきました」


「きゃっさば?」


「タピオカの材料となる植物です」


「チョコにとってのカカオみたいなもの?」


「どうでしょう、私はコンニャクにとってのコンニャクイモかなと思いましたけど。ちなみに、キャッサバの和名はそのままイモノキです」


「そのままってことは、芋の木?」


 縁が指で宙に漢字を書いて訊ねると、エルネストがひとつ頷いた。


「そのままでしょう?」


「そのままだね」


 会話しながらマグカップを持ち上げ、ストローで二、三回かき混ぜる。底の方で何かがくるくると回る手応えが、ストローを持った縁の手に伝わってきた。


「タピオカ自体に味はありませんが、ミルクティーは甘めにしてあります。好みが分かれる飲み物ですし、ダメそうなら無理に飲まずに残してください」


 ストローに口をつける縁に対し、エルネストがそう告げた。


「ん、大丈夫。わりとおいしい」


「そうですか」


 それは良かった、とほっとした様子の笑みを浮かべてから、エルネストもマグを手に取りストローを口にする。


「そういえばさ」


 マグカップ片手に今思い出したというように、縁がふと口を開く。


「コクタンの窓枠の木って?」


 さきほどエルネストが言った例えを上げて、縁が訊ねる。


「黒檀は木の名前です。ピアノの黒鍵やチェスの駒の材料にもなってますから、その色を思い浮かべてもらえれば近いと思います。光沢のある綺麗な黒ですよ」


「炭じゃないんだ?」


「黒い炭ではなく、黒い壇と書きます。仏壇や祭壇の壇ですね」


「壇ノ浦の壇?」


「そうですね。あとは土壇場の壇も同じ漢字が使われています」


 エルネストが日本人である縁よりも漢字に詳しいのは、縁にとって今更である。もしかしたら大体の漢字文化圏の文字を網羅しているのかも知れないが、日本語しか分からない縁には確認のしようもない。


「雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀の窓枠の木のように黒い髪、だっけ。血のようにって辺りが物騒な例えだよね」


 手が冷え始めた為マグカップをテーブルに置きながら、縁が伯爵の言った言葉を唱えるように繰り返した。


「状況が状況ですからね」


「血で例えるのが自然な状況って、物騒すぎない?」


「王の妃が窓際で針仕事をしていて、指を刺してしまったときに言った言葉だそうですから」


 そう言いながらエルネストは指を一本立てると、その腹を反対の手の指先で、トンと軽く突いて見せた。


「なるほど、その窓枠が黒檀だったと。雪は?」


「窓の外が雪景色だったんです」


 その言葉を聞いて何かを考える様子を見せた縁が、再びエルネストに訊ねる。


「よく知らないんだけど『白雪姫』ってヨーロッパの話だよね?」


「ドイツが有力候補ですね」


 グリム童話として有名だが、地中海全域に広まっていた民話ではないかという説もある。その辺りはもはや専門家が研究する領域なので、エルネストは有力説を述べるにとどめた。


「てことは、窓際ってかなり寒いんじゃないの? お腹に子供がいる女の人が居ていい環境じゃないと思うんだけど」


「鋭いユカリ君に、更に情報を差し上げましょう」


「えっ」


「お妃様が針で指を刺した際、雪の上に落ちた血の滴を見て言ったセリフなんですよあの三点セット」


 エルネストはさきほど突いてみせた指の腹を、再び同じ動きでトントントン、と軽く突きながらそう告げた。


「つまり、窓は開いていた?」


「そうなりますね」


 にっこりと笑ってみせたエルネストに、呆れた様子で縁が呟く。


「えぇー、そりゃあ指くらい刺すよ。手がかじかんで裁縫どころじゃない状況だよ、何してんの妊婦さん……そうだよ妊婦さんだよ。お腹に子供がいるのに体冷やすとか、ほんとーに何してんのお妃様」


「この言葉を言ったときに妊娠していたとは限りませんし、結果論で言えば無事だったようですけどね」


「子供は白雪姫だもんね、無事産まれてすくすく育ったか」


 待って、となにやら気付いたらしい縁が、つらつらと言葉を落として行く。


「室内から窓の外まで血が飛ぶレベルで指ぶっ刺したの? 不器用すぎない? いや手がかじかんでるのにそんな勢いで負傷するって、もうそれわざとじゃないの? 自分で自分の指をぶっ刺す必要にでも迫られてたの?」


「今日のユカリ君は冴えてますねぇ」


「え、何? その反応こわい」


 褒めているのに「なんかこわい」と失礼なことを述べる縁を気にすることなく、エルネストは話を進めていく。


「実はですね。ユカリ君の指摘したような不可解さから、王の妃は何か魔法を使ったのではないか、という説があるんです」


「まほう」


「はい。冬に窓を開けて裁縫をしていたり、針で刺しただけなのに窓の外の雪に血が落ちたり。これは王の妃が呪文を唱える為に必要な行為だったのでは、というような」


「突然のファンタジー」


「何言ってるんですか。白雪姫が命を狙われたきっかけを忘れたんですか?」


 何を言われているのか分からないという顔をする縁に、何を言っているのかと呆れた顔をしたエルネストが問いを投げかけた。


「鏡よ鏡、か。きっかけから既にファンタジーだったね。悪いお妃様って魔女だったんだっけ?」


 悪い、という単語を付けられたのは、白雪姫を殺そうとしたお妃様だろう。絵本などでは「わるいおきさきさま」という名前で登場していたりもする。


「魔女という説もありますし、魔女ではないという説もあります。殺そうとしたのは父王の後妻ではなく、実母だったという話もありますね」


 エルネストの答えを聞いて、縁が不思議そうな顔をした。


「自分でこんな子供が欲しいと願っておいて理想通りに育ったら殺すとか、情緒不安定すぎない?」


 殺そうとしたのが実母だった説がひっかかったらしい縁の問いに、そうですね、とエルネストが頷いた。


「だからこそ実の母ではなく継母に変更されたのかも知れませんし、願ったのは父王だったという話もあるんでしょう」


「設定が散らかってるなあ」


「作家が作り上げた物語ではなく、いつの間にか人々の間で語られていた物語ですからね。そういうものですよ」


 グリム童話として有名な『白雪姫』だが、そもそもグリム童話とは民衆の間で語り継がれていた物語を集めた童話集であり、個人の創作物ではない。「グリム兄妹が集めた童話」であって「グリム兄弟が創った童話」ではないのだ。語り手の数だけ『白雪姫』が存在していたとしても、不思議ではない。


「変わらないのは三点リクエストをクリアした白雪姫の美貌くらいってことかな」


「それがですね」


「え、違うの? 金の糸みたいな金髪がいいなバージョンとかあるの?」


「ユカリ君、今日は天啓でも得ているんですか?」


「え、ほんとに金の糸?」


「いえ、白赤黒という三色は固定です。それが体のどの部位を表すかというのが変わっている場合がありまして」


 エルネストに三点セットと呼ばれ縁に三点リクエストと言われているのは、白い肌、赤い唇、黒い髪の三点である。縁はその色と体の部位を、脳内でシャッフルにかけてみた。


「白い髪に赤い目に黒い唇とか? あ、伯爵が黒い口紅塗ったら条件達成だね」


 にっこり笑ってそう言った辺り、自分には黒がないから縁が白雪姫だと言われたのを、地味に根に持っているのかも知れない。


「塗りません。が、部位は正解です」


「え、黒い唇?」


「違います、目ですよ。雪のように白い肌と黒檀のように黒い瞳をした、金髪の娘さんだというパターンです」


「赤忘れてるよ」


 白赤黒の三色は固定だと言った以上、金髪の白雪姫でも容姿に赤があるはずだと縁がつっこみを入れると、エルネストがにこりと笑う。


「それがですね」


「まだあるの!?」


 さきほど縁を冴えていると評したときと同じ笑みを浮かべたエルネストに、縁は思わず叫ぶように返した。


「そうなんです。赤いのは頬だという話や、頬と唇両方を指している話、そもそもどの部位なのか明らかにされていない話もあります」


「なんかもう混乱してきた。まさか、魔法の鏡はときどき嘘を言います、みたいなバージョンはないよね? 毎日同じ質問をされるのに飽きて、見かけた姫の名前を言ってみたバージョンとか」


「そのパターンは私も聞いたことありませんね。最近の作家による『異本・白雪姫』などが出ていたら、あり得るかも知れませんけど」


「それ、言い出したらキリがないやつじゃん」


「民話とはそういうものですよ」


 お姫様を百年眠らせた魔女が一転して姫の守護者となったり、塔の上のお姫様が世界を元気に走り回っていたりするのだ。魔法の鏡が真実以外を告げる『白雪姫』だって、どこかにあるのかも知れない。

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